あらすじ
一九世紀は哲学的には、社会の支配に対する人間の自由をどのように確保するかが模索された時代であった。思想的な旧制度からの自らの解放を求めた自由の哲学は、世界的なうねりとなり、異文化への対抗、伝統的な桎梏からの離脱などを目指して展開された。ドイツとフランス、イギリスとアメリカ、インドと日本などの地域に目を配りながら、そのうねりを作り出したさまざまな要素に改めて光を当て、近代から現代への移行期における、自由の意味についての哲学的探究を俯瞰する。
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Posted by ブクログ
近代Ⅱ 自由と歴史的発展
本書は、19世紀の哲学を扱っています。
難解、つらかった。各哲学者の考えが断片的に紹介され、教科書的に並べられているのは、やむをえないか。
時代を下るにつれて、その登場人物も概念や事象も膨大に多くなっていく。連綿と続く思想の系譜と変遷は驚くほど複雑であり緻密である。
国や、キーワードが分散されているので、行ったり来たりしないといけない。
哲学者の考えを正確に理解するためには、オリジナル・テキストにちゃんと向き合わないとわからない。各巻末にある文献もそれらをつなぐキーとなっています。
気になったことは次です。
・ロマン主義というのは、ナポレオンに対抗したドイツの啓蒙主義思想である。ロマン主義はやがて西欧全体へと広がっていく。
・ヘーゲルのいう自由は、4つのステップで発展する。①中国、インド、②エジプト、中近東世界、③キリシヤ文明、④近代的西洋=キリスト教的ゲルマン人国家
・ダーウィンの進化論、「種の起源」。生物種に多様化を促すものは環境である。
・イギリス アダム・スミス 「国富論」分業という新しい富の生産方法が発展することによって公益と私益が調和し、自由経済論を推進するなら、全体として矛盾なく発展していく。
・ヘーゲル、フィヒテら、ポスト・カント時代の哲学者。フィヒテはフランス革命を賛美していたが、ナポレオンのドイツ侵攻に対して、反フランス的となり、「ドイツ国民に告ぐ」という講演を行った。フィヒテも国民国家としてのドイツをめざしたのである。カント 啓蒙君主:君主制⇒民主政への段階的移行 → フィヒテ いきなり民主政
・ドイツ観念論 カント から ヘーゲルへ。ヘーゲルの死は、哲学時代の終わりと、科学の時代の幕開けを意味する。
・ショーペンハウアーは、「哲学の時代」の哲学者としてすべてを説明しようとする体系哲学者である。存在論・自然哲学・美学・倫理学・宗教哲学を包括した「ただ一つの思想」を展開した。
・ショーペンハウアーの問い、「この世は生きるに値するのか」⇒自身が導いた答えは、”否”。だれも救済してくれない世界では、自立して自力で自分を救済しなければならない。
・フロイト ショーペンハウアー、ニーチェから影響を受ける
・ニーチェ ショーペンハウアーの問いに、”諾”と答えたい。が、ニーチェの出発点になった、「生の肯定」を目指した哲学者である。「神は死んだ」。それは神の否定ではない。神はすでに存在を否定されていて、いないのはわかっている。人間はどうしようもなく悪しき存在であり、世界は悪に満ちている。それを誰も救ってはくれないことを言っている。「神の影」を打倒するための新しい闘いなのだ。
・マルクス主義とは、政治的共産思想と、生産財の共有の経済思想を併せ持った考え方である。
・マルクスは、世界史を生産様式の変化として捉え、専制政治⇒民主政&貴族政⇒君主制 の次にくるのが、共産主義社会である。物質的諸条件を含めて唱えらえたのが、唯物史観である。
・マルクスの理論に、哲学的な意味を付加したのが、エンゲルスである。
・「共産党宣言」の骨子はブルジョア社会のなかで成長した生産力とブルジョア的生産関係との矛盾が深まり、恐慌として現象するとともに、プロレタリアートが賃金労働者として生活するために団結することを学びアオシエーションを形成していく。こうして、「階級と階級対立をともなう旧ブルジョア社会にかわって、各人の自由な発展が万人の自由な発展のための条件となるようなひとつのアソシエーションが現れる」。マルクスとエンゲルスの共著であり、1848に出版されている。
・アメリカ:進化論は、神による創造を否定するものとして、論争が生じた。功利主義 ベンサム⇒ミル
・プラグマティズムの発展:プラグマティズムとは実践のための哲学をいう。その発展は3段階になる。
①古典的プラグマティズム 19~20世紀にかけて パース、ジェイムス、デューイ
②ネオ・プラグマティズ 20世紀後半 クワイン、ローティ、パトナム プラグマティズムの精緻化
③ニュー・プラグマティズム 21世紀初頭 ミサック、ブランダム パースの再評価 テロ、経済格差、金融危機、環境、バンデミックなどの危機の克服
・実用的な知識学問を学校に適用した(料理、大工仕事)。問題解決のためのアプローチ、やがて、教育は民主主義に不可欠にプロセスになっていく。
・数学と哲学:ここに挿入されていることは違和感を感じる。いわゆる、「アーベル-ルフィニの定理」(5以上の任意の整数 n に対して、一般の n 次方程式を代数的に解く方法は存在しない)と、代数学の基本定理(次数が 1 以上の任意の複素係数一変数多項式には複素根が存在する)がでてくる。ラグランジュ⇒ガウス⇒アーベル⇒ガロアへの代数学の発展の系譜である。
さらに、アーベルールフィニの定理を証明するために発展した数学的概念として、関数解析、群論、それに続く、幾何学、解析学への応用としての、リー群、エルランゲンプログラム(学ぶべき幾何学の目録、射影幾何学、双曲幾何学、楕円幾何学など)が紹介されている。
・解析関数論に続いて、リーマンの業績が紹介される。リーマン面、楕円曲線、局面幾何学(=微分幾何学)、位相、多様体。集合論、群・環・体などが続いて紹介されていく。
・19世紀の数学は、概念記法、記号論理学などと相まって、厳格な公理化、形式化が施されていき、代数学、幾何学、解析学を複雑にからみあう包括的なアプローチがなされていく。
・フランス:フランス革命、ナポレオン帝政、七月王政から、第2共和政、第3共和政へ。観念学、クザン派、ラヴェッソン、ベルクソン
・近代インド:イギリスは、インドの宗教には手をつけなかった。ベンガル・ルネサンスによる新知識層の誕生。
・セキュラリズム(世俗主義)、スピチュアリティ(精神性・霊性)が同居する特異な国家。ラーマクリシュナによる神秘主義と、インドに空く穴。
・日本:文明開化、それは明治初期の西洋への同化運動。急速な西洋文化の吸収。文明の道徳性を説いた福沢諭吉、
・日本人にとって、鎖国状態からの黒船襲来、開国の流れの中で、西洋の風習、学術、技術などの文明のあらゆる異質な要素との接触を余儀なくされた経験をせざるを得なかった。
・文明開化への疑問。物質的な文明へ批判、西洋文化の上皮のみを模倣したものにすぎない。
・大東亜戦争、近代の超克。
目次は以下の通りです。
はじめに
第1章 理性と自由
1 はじめに
2 理性のロマン主義
3 進化と淘汰
4 第三の道
第2章 ドイツの国家意識
1 フランス革命とナポレオン
2 カントとフランス革命
3 フィヒテの政治哲学
第3章 西洋批判の哲学
1 西洋哲学の転回点
2 ショーペンハウアー
3 ニーチェ
第4章 マルクスの資本主義批判
1 マルクスと「マルクス主義」
2 哲学批判
3 経済学批判
第5章 進化論と功利主義の道徳論
1 人間の由来、道徳の起源
2 ベンサムの功利主義
3 ミルの功利主義
4 おわりに
第6章 数学と論理学の革命
1 はじめに
2 カントからフィヒテへ
3 代数方程式論からガロア理論へ
4 ガロア理論と群論の、関数論や幾何学、微分方程式論への拡がり
5 おわりに
第7章 「新世界」という自己意識
1 プラグマティズムとは何か
2 パース
3 ジェイムズ
4 デューイ
5 進化し続けるプラグマティズム
第8章 スピリチュアスムの変遷
1 スピリチュアスムの歴史的背景
2 メーヌ・ド・ビラン
3 クザン
4 ラヴェッソン
5 ベルクソン
第9章 近代インドの普遍思想
1 「近代」とインド、そして「宗教」
2 スピリチュアリティとセキュラリズム
3 ブラーフマ・サマージの系譜
4 近代インドに空く<穴> ラーマクリシュナと神
第10章 「文明」と近代日本
1 「文明開化」のゆくえ
2 西洋中心主義をこえるもの
3 19世紀の多面性
あとがき
編・執筆者紹介
年表
人名索引
Posted by ブクログ
第1章 理性と自由
第2章 ドイツの国家意識
第3章 西洋批判の哲学
第4章 マルクスの資本主義批判
第5章 進化論と功利主義の道徳論
第6章 数学と論理学の革命
第7章 「新世界」という自己意識
第8章 スピリチュアリスムの変遷
第9章 近代インドの普遍思想
第10章 「文明」と近代日本
Posted by ブクログ
啓蒙の時代を経て発展した「理性と自由」の対立構造が、19世紀に向けてどのように展開されていったかを論じている。
「自由」の種類、新世界で生まれたプラグマティズム、スピリチュアリスムに焦点。
功利主義も。
Posted by ブクログ
全8巻の世界哲学史シリーズも第7巻となり、大詰めを迎えつつある。本書は「近代Ⅱ 自由と歴史的発展」という副題で、まず伊藤邦武先生のいつもながら見事な要約(「第1章理性と自由」)に続き、ドイツ観念論哲学の発展過程(「第2章 ドイツの国家意識」)、ショーペンハウアー、ニーチェによる西洋哲学の転回を扱った「第3章 西洋批判の哲学」、そして「第4章 マルクスの資本主義批判」「第5章 進化論と功利主義の道徳論」と続く。
本書で一番難解なのは、「第6章 数学と論理学の革命」。私はまったく歯が立たず、撃沈。
ここで1回本書を閉じようとしたが、アメリカのプラグマティズムを扱った「第7章 「新世界」という自己認識」は非常に面白かった。編者の一人である伊藤先生はこの辺の専門家のはずだが、あえて異なる著者(小川仁志)による。
以下、「第8章 スピリチュアリスムの変遷」はベルクソン以外の名前にはまったく馴染みなく、よくわからなかった。「第9章 近代インドの普遍思想」はわからないながらも「スピリチュアリティという「近代的宗教概念」は、西洋近代が構築しインドに押し付けたものではなく、東西が交わる中でインド人が見出したものだっということになる」(p.240)は新しい指摘であったし、「近代というものを多元化、多重化し、共有できる何かとして捉え直そうとしている我々は、ただ彼ら[近代インド思想の担い手たち]を分析できる立場にはなく、彼らと同じく、自分たちの<穴>の問題に向かわざるを得ないだろう」(p.251)との感覚には共感できる。
そして最後の「第10章「文明」と日本」(苅部直)はコンパクトにまとまった良い章。自分自身の問題関心にも重なるのでよく理解できた・笑
Posted by ブクログ
全8巻の「世界哲学史」も第7巻に到達し、時代は、主として19世紀。
第7巻から引き続いて、経済社会の中心は、まさに西欧+アメリカ中心で、それは哲学の分野でも同じなのかな?
「近代」(=modern)という時代が、まさに「欧米」の時代なのだということをあらためて確認した感じ。
19世紀の哲学ともなると、どこかで読んだことのあるような話が増えてくる。
・まずは、前巻でもでてきたカントを起点として、フィヒテ、ヘーゲルというドイツ観念論の展開。そして、それへの批判としてのヘーゲル左派からマルクスという流れ。
・理性中心の哲学に対する批判として、「生」を重視するショペンハウアーやニーチェ。
・進化論や功利主義、数学や論理学など、科学的?自然主義的な流れ。
・そして、アメリカという新世界からの哲学として、プラグマティズム。
みたいな話し。
こうした哲学は、まさに現代でもなんらかの形で生きていて、どの哲学者がどうだとか、一つ一つの話しがどうというより、やっぱ、私たちのいる世界って、こういう問題設定のなかにあるんだな〜という印象。
という感じなので、欧米以外ででてくるのは、インドと日本。古代のインド思想(ウパニシャッドや仏教)は、「生」の哲学との関係でインパクト大なんだけど、19世紀という時点では、微妙かな。やはり植民地支配というなかでの西洋との関係性のなかにあるなかで、スピリチュアリティという観点で、なんらかの動きを生み出しつつあるというところかな?
日本については、前巻までのところでは、中国からの影響を受けつつもなんらかの独自性を生み出していく感じで面白かったのだけど、この巻では、「文明開化」で、哲学を含めて欧米に追いつこうと一生懸命な感じ。と同時に、そういう表層的な西洋化に対する批判という対抗軸を出そうとしている感じはあるものの、いわゆる西洋哲学批判みたいなのも、実は、西洋のほうで徹底的になされているわけで、なにか中途半端な印象だな。
全体として、19世紀は哲学においても西洋の世紀であって、それ以外の国は、それを受容するにせよ、批判するにせよ、西洋との関係においてしか、自分の立ち位置を見出すことができないということだったんだな〜、と思った。
哲学史を「世界」の同時性のなかでみてみようというこのチャレンジングなシリーズも、あと1巻「現代」、つまり20世紀以降を残すのみ。この時代を1巻だけで扱おうということ自体がすごいチャレンジ。しかも、もちろん西洋だけでなくて、イスラーム、中国、日本、アフリカが語られるという構成になっていて、なんだかとても楽しみ。