伊藤邦武のレビュー一覧
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今年1月からスタートした「世界哲学史」、8巻でついに完結!!!!!
近代に入ってからは、概ね、1冊で1世紀というスピードで進んできていて、この最終巻も20世紀〜現在という概ね100年間の話し。
この世界にとっても、哲学にとっても激動の100年をどう1冊にまとめるのだろう?と思っていたんだけど、なんと最初の3章100ページ足らずで、欧米系の哲学の100年が語られている!!!!!扱われている視点は、分析哲学(いわゆる英米系哲学)、ヨーロッパ系の哲学(大衆社会とか、現象学とか、ハイデガーとか)、ポストモダン哲学。
これは予想を遥かにこえた圧縮度、スピードなのだけど、なんだか、とてもスッキリした。つまりには、デカルトの二元論を乗り越えようとしつつ、違う形でのさまざまな二元論に帰着してしまうという人間の思考。これはもう言語を使う以上しかなたのないこと、哲学って、なんらかの二元論だと腹を括ったところでどうするか?という地点にあるポストモダン思考とその後。ポスト・モダンが陥りやすい相対主義を乗り越えようという懐古主義もいまさら機能しなし、新実在論とか切り口を変えても、やっぱポスト・ポスト・モダンにしかならないんだろうな〜。この辺の議論って、もう中世のスコラ哲学的なレベルになってて、どうなんだろうと思ってしまう。
みたいな薄々感じていたこと、まだ言語にできずにいたことが、この圧縮度の高い100ページをもって、しっくりと頭に染み入ったな〜と思う。
とすごい読書体験につづき、フェミニズムという視点からモダンからポストモダンにいたる議論の流れを再整理しつつ、そのあとは、日本や中国、イスラム、アフリカと地域ごとの展開となる。
世界哲学ということなので、いわゆる欧米哲学だけではないのだけど、20世紀という時代は(18〜19世紀、あるいは16世紀以降)、やっぱ欧米の時代で、他の地域での哲学も欧米の哲学と自分たちの伝統的な思考をどうすりあわせるか、あるいはどう独自性を主張するかという話しが多く、ある意味、ポストコロニアルとでもいうべき状況なのかな?
前半のスピード感にたいして、やや散漫な印象も残ってしまうかな?
ほんとにこれが編者が提示しようとしていた世界哲学になっているのかどうかはわからないけど、まずは、この多元性とともに思想の相互連関性をみていこうという取り組みが一応の完結をみたことはすごいことだな〜と思う。
あともう1冊、別巻が12月にでて、この8冊でカバーできなかったトピックがあつかわれるそうなので、それもまた楽しみ。 -
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プラグマティズムは「開かれた柔軟な哲学」であるという。そのプラグマティズムを「源流のプラグマティズム」ではパース、ジェイムズ、デューイ、と始祖たちに遡って要約・紹介される。第2章では「少し前のプラグマティズム」としてクワイン、ローティ、パトナムが同じように要約・紹介される。そして、最後に「これからのプラグマティズム」としてブランダム、マクベスとティエルスラン、ハークとミサッックがこれまた要約・紹介される。
多元的につかみどころのない思想のようで、色々な思想家、哲学者たちが色々なことを考えて新しい哲学を構築している、あるいは構築しつつあるという現状が垣間見られた。ただ、やはり数学の哲学化?の辺はちんぷんかんぷん。 -
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全8巻の世界哲学史シリーズも第7巻となり、大詰めを迎えつつある。本書は「近代Ⅱ 自由と歴史的発展」という副題で、まず伊藤邦武先生のいつもながら見事な要約(「第1章理性と自由」)に続き、ドイツ観念論哲学の発展過程(「第2章 ドイツの国家意識」)、ショーペンハウアー、ニーチェによる西洋哲学の転回を扱った「第3章 西洋批判の哲学」、そして「第4章 マルクスの資本主義批判」「第5章 進化論と功利主義の道徳論」と続く。
本書で一番難解なのは、「第6章 数学と論理学の革命」。私はまったく歯が立たず、撃沈。
ここで1回本書を閉じようとしたが、アメリカのプラグマティズムを扱った「第7章 「新世界」という自己認識」は非常に面白かった。編者の一人である伊藤先生はこの辺の専門家のはずだが、あえて異なる著者(小川仁志)による。
以下、「第8章 スピリチュアリスムの変遷」はベルクソン以外の名前にはまったく馴染みなく、よくわからなかった。「第9章 近代インドの普遍思想」はわからないながらも「スピリチュアリティという「近代的宗教概念」は、西洋近代が構築しインドに押し付けたものではなく、東西が交わる中でインド人が見出したものだっということになる」(p.240)は新しい指摘であったし、「近代というものを多元化、多重化し、共有できる何かとして捉え直そうとしている我々は、ただ彼ら[近代インド思想の担い手たち]を分析できる立場にはなく、彼らと同じく、自分たちの<穴>の問題に向かわざるを得ないだろう」(p.251)との感覚には共感できる。
そして最後の「第10章「文明」と日本」(苅部直)はコンパクトにまとまった良い章。自分自身の問題関心にも重なるのでよく理解できた・笑 -
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『世界哲学史6』は近代Ⅰで啓蒙と人間感情論について概説されている。理性と感情という人間精神の2つの柱の間の揺れ動きを世界哲学史というパースペクティブにおいて捉え直すというのが、本巻の目的である。スコットランド啓蒙の話、社会契約論のロジック、啓蒙と革命、啓蒙と宗教、植民地独立思想、そしてカントの批判哲学の企てまでで一区切り。第8章〜10章でイスラーム世界での啓蒙主義、9章では中国の感情の哲学、最終章では江戸時代の「情」の思想が取り上げられている。
それぞれに興味深いが、個人的には徹底的に理性主義と普遍主義を追求したカントの批判哲学に惹かれる。「スミスの道徳感情論にも、知的能力による自己批判という要素が含まれることになる。「道徳的」であるためには、「自己批判的」であることが求められるのである。そしてその一般性を厳密な普遍性にまで高めるために、理性に規準を求めたのがカントの立場であ」(p.199)り、「批判哲学の意義とは、多様な地域・時代の哲学を比較検討する際に参照されるべき、西洋近代哲学の基軸を示した、という点に求められる」(p.206)からである。 -
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世界哲学史も西洋の歴史区分でいう中世から近世へと時代が進んできた。近世をアーリーモダンというならば、すでに近代の賭場口か。
自分自身の本巻への興味関心は何と言っても「第3章 西洋中世の経済と倫理」に集中するのだが、「第2章 西洋近世の神秘主義」ではあらためて「知への愛」に気がつかされたし、「第5章 イエズス会とキリシタン」では東アジアから西欧へのインパクト、あるいは「理」と理性をめぐってのスリリングな東西の議論、「第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論」ではホッブズ、スピノザ、ライプニッツそれぞれの「方法と自然哲学」の比較考察が興味深かった。
第3章の叙述によれば古代以来の「等価性を基本とする理論的枠組みは現実から乖離したものであ」り、その枠組みは13世紀まで続いていたのだが、「一三世紀末には利子肯定論が登場するのである。これは、単なる経済史の問題ではなく、法学、哲学、神学などの基本的枠組みの変更をめぐる根本的変革であった」(pp.77-78)。第3章2節「清貧と経済思想」以降は全部引用したいほどだが、オリヴィという「謎の」思想家の思想に、13世紀に原型が成立していた数多ある資本主義の諸契機、つまり「営利活動の霊的世俗的側面の両面における正当化、資本の自己増殖、人間の目的論的意識的活動を越えた経済システム、実体主義から関数主義へ、価値の抽象化、数量性、未来の時間概念の組み込み、非存在の実在性、貨幣概念の変革、交通流通システムの激変、空間性の消失などなど」(p.93)の思想的裏付けが見出されるという点は非常に重要だろう。
そして、オリヴィの思想の根幹にある聖霊主義は、フィオーレのヨアキム、アッシジのフランチェスコに由来するものであり、「富とは蓄積されるものではなく、「情報」と同様に、社会に貫流し流通し続ける限りにおいて富であるという点で共通する。
詳細は大黒俊二『嘘と貪欲』(名大出版、2006年)を読めということなので、是非読んでみたい。 -
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哲学から、西洋哲学、東洋哲学といった枠を取っ払い、あらためて世界的、普遍的な視座から構成し直そうという壮大な試み。同様の動きは歴史学にもあるが、グローバル化の進展する世界にあって、当然の流れかもしれない。新書ではあるが、内容はなかなかに高度で読みこなすのは相当にしんどい。個人的には西アジアの章が刺激的だった。学生時代に学んでいたエジプトの論考がほとんど無かったのは残念だったが、メソポタミアの時代から不可知論が議論されていたことに驚かされた。その一事だけでも文明の進化論には懐疑的にならざるを得ない。あとがきによると、世界哲学の構想は日本発とのこと。以後の続刊にも要注目。
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「古代Ⅱ 世界哲学の成立と展開」の副題をもつ第2巻はローマ哲学、キリスト教の成立、大乗仏教の成立、古典中国の成立、仏教と儒教の論争、ゾロアスター教とマニ教、プラトン主義の伝統、東方教父の伝統、ラテン教父とアウグスティヌスの各章が並ぶのをみてわかるように「宗教と哲学」、そしてその世界的な広がりを捉えようとする。
後半はほぼ知らないことばかり。ゾロアスター教って何? マニ教?聞いたことはあるけど重要なの? といった感じ。ニーチェの「ツァラストラはかく語りき」は読んだことあっても、そのペルシャ語読みがザラスシュトラというのははじめて知った。
そんなド素人が読んだ第2巻全体の印象は、善悪二元論と超越とは何か?という観点から宗教を哲学として捉え、その洞察のありようを世界哲学史に位置付けようとしているんだなということ。三位一体論や最終章で語られたアウグスティヌスの哲学についてはとくに面白かった。
第4章の「大乗仏教の成立」はそうした観点から言えば、やや異質な印象だが、テクストとしての大乗経典と歴史研究という視点は非常に面白く読んだ。 -
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西欧中心の「哲学史」を世界的な「哲学史」に再構成しようというチャレンジの2巻目。
1巻目では、ギリシア、インド、中国などの文明において、ほぼ時を同じくして立ち上がってきた「哲学」が並列的に(といってもやっぱギリシャ〜ヘレニズムの記述が多いが)紹介された。
この同時性に驚くところはありつつ、最後の方ではギリシャ思想とインド思想のコミュニケーションの話はでてくるものの、各地域における哲学は基本独立した動きであった。
まあ、こんなものかなと思って、第2巻にはいると、途端に「世界哲学」な議論が増えて、とてもスリリング。
それは、文明間の交流が盛んになったということなのだが、
・ギリシア哲学がローマでどう受容されていったか
・キリスト教がギリシャ哲学とどう対峙しつつ、その知恵を受け入れていったか
・キリスト教がマニ教などにどう影響したか
・仏教と中国思想との対立と受容
・さまざまな思想があるなかで、なぜ儒教が中国思想の支配的イデオロギーになったか などなど
なるほどな議論が盛りだくさん。
こうした文明間の対話という視点に加えて、面白かったのは、現代哲学という視点からの哲学的な対話の部分。1章の「哲学の世界化と制度・伝統」は、2巻全体の議論へのイントロなのだが、そこには、フーコーやデリダの議論が下敷きになっていて、古代・古典とポストモダーン思想との対話が展開される。
そういう流れを踏まえつつ、具体論で面白かったのは、第4章の「大乗仏教の成立」。われわれは、なんとなく、大乗仏教の教団が上座仏教とは別に存在していたのだろうと想定してしまうのだが、そうしたものは存在しない。大乗仏教とは、まずは経典を書くという活動であったということ。
う〜ん、デリダっぽい。面白いね〜。
各章は、それぞれのテーマに詳しい人が分担して執筆していて、本当にたくさんの人がこの「世界哲学史」に参加しているわけなのだが、各著者が、全体としてのプロジェクトの主旨と全体の議論の構成をよく理解したうえで書いていることが伝わってくる。
日本の悪いところばかりが目につく今日この頃だが、こうして、この「世界哲学」プロジェクトを進めることができるということは、世界のいろいろな哲学を研究してきた日本らしいことで、ちょっとすごいじゃないかと元気がでてきた。 -
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哲学史というと、普通、ギリシア哲学から始まり、西欧の「大陸系」と英米の「分析哲学」という西洋哲学の流れの説明というのが一般的で、日本、アジア、イスラム圏というのがでてきても、それは「思想」、というか、西洋哲学との比較で論じられてきたのだと思う。
それを「世界哲学」として、時代ごとに論じていこうというチャレンジ。そして、これがその1巻目。
といっても、こうした「古代」においては、文明圏間の交流、影響関係はあまりなさそうなのだが、不思議なことに同じような時期に、同じようなことが当時の先端の文明の各地で問題として浮上してくるということが不思議。
もちろん、問題に対する答えは違うのだけど、、、、なんだか、「人間」とか、「人間」と「人間」の関係性といったことが問題になってきているんだね。
「世界はどのように始まり、どのように動いているのか」といった問いは古代哲学にもあるし、今だに哲学の重要な問いなんだけど、フォーカスはより「人間」「人間の内面」「人間関係」に移っていく。
「汝自身を知れ」ということか。
世界哲学といっても、やはりこの1巻目の中心は、ギリシア時代。そして、それがヘレニズムとなり、最後は、ヘレニズム哲学とインド哲学との対話というところでこの巻は終わる。
このシリーズは8巻なんだけど、プラトンやアリストテレスといった西洋哲学の始祖、そして東洋哲学の始祖というのは変だが、ある種の徹底した認識の転換を行なったブッダがさらっとしか言及されずに、どんどん次に議論が進んでいくところがすごいと思った。ちょっと新鮮というか、爽快。
次の展開が楽しみ。 -
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「哲学思想としてのプラグマティズム」について、その全体的像をわかりやすく解説。プラグマティズムについて、「源流のプラグマティズム」(パース、ジェイムズ、デューイ)、「少し前のプラグマティズム」(クワイン、ローティ、パトナム)、「これからのプラグマティズム」(ブランダム、マクベス、ティエルスラン、ハーク、ミサック)という流れで概観している。
プラグマティズムと一口にいっても、それに属するとされる哲学者の考えにはとても多様性があるのだということがよくわかった。ただ、プラグマティズムの思想の根幹にある「真理の探究は可謬的なものであり、真理とはわれわれの行動にとって有用な道具である」という考え方には、非常に共感するものがあった。
全体的にわかりやすい記述だったが、「これからのプラグマティズム」の内容はちょっと難しく感じた。 -
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プラグマティズムの過去と現在について簡潔に紹介している本です。
パース、ジェイムズ、デューイというプラグマティズムの創設にたずさわった哲学者たちの紹介から始まり、クワイン、ローティ、ブランダムらのネオ・プラグマティズムの思想についても概観し、さらに現代におけるパースの再評価の機運についても触れています。おそらく著者自身の関心と重なるのでしょうが、パースの思想の意義を取り上げなおすことによって、数学におけるプラトニズムの問題を克服する道を探ろうとする、ティエルスランやマクベス、ハーク、ミサックといった現代の哲学者たちの仕事についても解説がなされています。個人的には、内部実在論以降のパトナムの思想についてクリアな見通しを与えられたのが収穫でした。
マクダウェルやブランダムといったセラーズ派の思想については多少フォローはしていましたが、ベナセラフ以後の数学の哲学にはまったく不案内で、最後の章はやや難解に感じました。できることならば、新書形式ではなく単行本で、著者の書いた本格的なプラグマティズム入門が読んでみたかったところです。著者自身「あとがき」でプラグマティズムの哲学的な側面について紹介することに力点を置いていると書いていますが、従来の真理のデフレ理論との違いについて、もう少していねいに解説してほしかったように思います。 -
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鶴見氏の著作にて知った『プラグマティズム』の入門書
その歴史とプラグマティスト達の思想とその変遷が
わかりやすく書かれてあります。
文書は平易で読みやすいのですが、いかんせん
思考力がついていかず内容的には、入門書といえども
難解な部分もあって、読み終わるのに時間がかかって
しまいました。
パースの反デカルト主義。ジェイムスの信念と意思と心理。
デューイ。
クワイン・ローティー・パトナム・プランダム・マクベス・
ティエルスラン・ハーク・ミッサク。
それに、ヴィドケンシュタインの言語論など割と個人的には
理解しやすい理論のような気がします。
例えば、昔々学校で習うことについての根本的な疑問。
誰にも聞けないような疑問や懐疑の答えがここにある
ような感じです。 -
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『経済学の哲学』というのは変わったタイトルだなと思ったら、どうも「経済学の哲学」(Philosophy of economics)という学問領域があるようです。これは、経済学における基礎的諸問題(存在論/認識論/方法論/価値論など)を扱い、科学哲学、政治哲学、知識社会学などにまたがる学際的分野だそうです。
著者の伊藤邦武氏は、経済学者ではなく、龍谷大学文学部教授、京都大学名誉教授の哲学研究者です。「アメリカの哲学者の中で最も独創的且つ多才であり、そしてアメリカの最も偉大な論理学者」と言われ、プラグマティズムを創始したことで知られているパースを研究しています。この『経済学の哲学』は、単にラスキンの主張を概観するだけでなく、プラトンやクセノフォンから受け継がれたその思想的背景、彼の批判対象となったアダム・スミスやJ・S・ミルの人間観、プルーストやガンディーへの影響、更にガンディーからディープ・エコロジーへの思想的つながりなど、ラスキンを西洋思想の大きな流れの中に位置付けています。
(*)ジョン・ラスキン(1819 - 1900年):19世紀のヴィクトリア時代を代表する評論家。美術評論から社会思想に至るまで、幅広く且つ膨大な著作を残した社会思想家で、同時に芸術家のパトロンでもあり、自身でも設計製図や水彩画をこなした。ターナーやラファエル前派と交友を持ち、『近代画家論』を著した。また、中世のゴシック美術を賛美する『建築の七燈』『ヴェニスの石』などを執筆した。狂信的な福音主義者であった母から超英才教育をほどこされ、7歳で詩を書き始め、旧約・新訳聖書をほぼ暗記し、16歳前には科学論文を学術誌に投稿していた神童だったが、母のそうした偏狭な思想や教育に耐えられず、壮年になるに従って精神を病んでいった。21歳の時に65歳のターナーと会い、これを契機に、目指していた詩人から美術評論家に転身。抽象的な画風でしばしば批判されていたターナーを擁護し、その作品の価値を説き続けた。ラスキンは、美術評論から始まり、自然と風景に関する反省から社会思想家に転じた。アーツ・アンド・クラフト運動の主導者でもあったウィリアム・モリスの師であり、トルストイやプルースト、そして、ガンディーまでもがラスキンの著作からの影響を公言している。経済学については、人間を利己的存在として理論構成をしてきた従来の経済学を、恥知らずのエセ科学として批判し、経済社会を情愛によって営む道を探究した。ラスキンの思想は、その後の1906年イギリス労働党結成に大きな影響を与え、またトルストイやガンジーなどにも影響を与えた。 -
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何か自分に不調があった時、「それは精神的な問題ですね」とか、「体が疲れているんだろう」などと私たちは心と体を分けて考え、それに応じた対処を取ることができる。また、自分に心があることは認めても、部屋の中にある椅子や机、その辺に転がっている石などに、心があるなどとはまったく考えない。心は動物に、しかも高等動物に、特有のものだと信じている。
しかし、それは当たり前のことだろうか。もし当たり前でないとしたら、なぜそう信じていられるのか。心とは、いったいどのように在るものなのか。
こうした問いのひとつの行き先がこの本にはある。これは、過去の哲学者たちが「心」をどのように捉えようとしてきたかの歴史=物語なのだ。
古代から現代へと至るその物語は四つの段階に分けられている。「魂の哲学」「意識の哲学」「言語の哲学」「生命の哲学」である。そしてこの物語の面白さは、これらが現代において、始発点へと回帰するという見方にある。
――「魂から意識へ、意識から言語へ、そして生命へ―。これは簡単にいうと、一つのサイクルの物語である。哲学は魂という原理から出発して、意識や言語という近代科学と密接に結びついた考え方を経由して、生命というある意味では古代の魂にも似た原理へと戻ってきた。」(p.5)
そして、この「心」への問いは、最終的には宇宙へと広がっていく。物理学を基本にして宇宙論が発展した今、私たちの心は宇宙に対してどう位置づけられるのか。それは、私たちの内面を問いながら、私たちを超え出るものを問うことになるだろう。
こうした無限の射程を含みながら、哲学における「心」の歴史=物語がこの本には明快に描き出されている。 -
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哲学は非常にとっつきにくい分野である。複雑な用語、難解な文脈、思想家同士のさまざまな影響関係など非常に分かりにくい。高等な言葉遊びのような感覚すらある。
また、哲学を知ってどうなるという思いもある。英語を学べばコミュニケーションができるし、工学を学べばテクノロジーの何かが分かる。料理法を学べばおいしく体にいい料理ができるようになるし、スポーツの技術を学べば試合に勝てるし、場合によってはそれが金にもなる。哲学はどうだ。いくら学んでも何一つ身につかない。体も健康にならない。コミュニケーション能力が上がるわけでもない。むしろ、哲学を学ぶあまり心身ともに不調をきたすという例もあるではないか。何のために哲学はあるのかと。
私にとって哲学とは上記のようなものだった。大学時代、哲学専攻の同級生を知識オタクの象徴とみなしていたことを白状したい。
しかし、最近少し考えが変わってきた。ものごとの基本的な考え方を知ることは、日常のすべての見直しにつながるということを実感するようになったのだ。同じものを前にしても、基本的な考え方、考えの出発点に立ち戻るとすべてが違って見えてくる。その意味において絶対に避けることができないものなのだと。
それにしても、哲学の専門書の敷居は限りなく高い。最近、新書や文庫化された哲学の啓蒙書を少しずつ読んでいるが、それでもやはり難しいものは難しい。でも、少しずつ分かってくると、次を知りたくなる。どうも哲学という分野はそういう意味で底なしのようだ。
本書は著者自身が述べるように、哲学の流れを物語として語るものである。ここでいう物語とは、一連のものと捉えるということであり、虚構性や創作性を意味するものではない。だから、一般的に言う通史のようなものだ。といっても単に時系列上に配置してもこの手の話はつながらない。関係のある思想群を並べて、相互の関係をつなげようとしている試みだといえる。本書では、大きな流れを、哲学の関心事という側面で、「魂」から「意識」「言語」「生命」へとのつながりと捉える。
各論に関しては先に述べたような難解さがどうしても付きまとう。それはひとえに私の知識と読解力の不足が原因であるが、その難を抱える私にも、全体の思想の流れを察することができるような構成にはなっているのはありがたい。
本書のサブタイトルは哲学が今後も生き続け、私たちの生活の中で何らかの意味を持ち続けることを願ってつけられている。様々な困難が待ち構える未来を考える上で、哲学は変わり続け、議論が続けられるのだろう。真理の探究は想像以上に厄介なものらしい。 -
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3000年にわたる哲学の歴史を、主たるテーマの流れがどのようになっているか、なぜそのような流れに至ったのかという説明を重視して記述する。あたかも、ある川の流れを淵源から下流に向かって一体感を持った解説を行うような趣がある。
人類の知の営みのエッセンスともいうべき内容を、わずか1000円未満の本一冊に入れ込んでいる。ともすると倫理の教科書のような「スケルトン未満」の内容となったり、逆に一つ一つのパーツが虫眼鏡が必要なほどごちゃごちゃしてしまいそうなものだが、この本は大きな絵柄を見ることに心がけているので、読みやすく、かつ適度な知的刺激が得られると思う。著者と編集のGood-Jobだ。
例えてみれば、巨大なタペストリの見本織の端切れのようなものだろうか。陽と陰、抽象と具象、魂と元素、イデアと生物、科学と哲学、認識と神、心と体、差異と反復など、二元で対照される概念や方法論が、縦糸横糸として織り込まれて絵柄を作っていく様子が現わされていく。あるいはDNAの二本鎖のように綴りあわされ、動と反動、合一・止揚の動きが歴史の流れのなかでダイナミックに動いていくさまが描写される。 -
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イギリスの美術評論家として知られるジョン・ラスキンの思想が、19世紀の経済学に対してどのような批判をおこなったのかということを概観し、さらにラスキンのエコロジーにまつわる思想の意義について考察をおこなっている本です。
著者はまず、スミスからミルにいたる経済学の歴史について、ある程度くわしく紹介しています。そのうえで、ラスキンが『この最後の者にも』という著作において展開した、功利主義の人間観にもとづく経済思想に対する批判と、彼自身の立場である「生」にもとづく価値論が解説されています。
ラスキンのエコロジー思想にかんしては、彼の風景論にもとづいて考察がおこなわれています。著者は、こうしたラスキンの思想の継承者として、プルーストとガンディーをとりあげ、さらに現代のディープ・エコロジーにラスキンの思想がどのような寄与をおこなうことができるのかという問題について論じられています。
「あとがき」で著者は、「これまで『人間的な合理性の哲学』(勁草書房)や『ケインズの哲学』(岩波書店)を通じて、パスカルやコンドルセ、ケインズ、ラムジーらの経済的合理性の論理、とくに「確率概念を基礎においた不確実な将来への合理的な期待」という主題について、批判的な検討を加えるという作業を行ってきた」と語っています。タイトルから、これらの著作の系譜につらなる内容を期待した読者もいるかもしれませんが、本書で紹介されているラスキンの思想はロマン主義的な傾向が強く、前著との直接的な関連性は薄いように感じました。やはり「あとがき」には、本書のテーマは「私たちのさまざまな「価値判断」について、哲学的に包括的な理解を求めることはできないのか」という問題だったと述べられており、とくに経済的合理性にもとづく価値判断をよりひろい観点から相対化するねらいがあったようなのですが、そうした問題の核心に踏み込む手前にとどまっているような印象があります。 -
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『世界哲学史』シリーズ全8巻は、時間的には古代から現代まで、空間的には世界全体を視野に入れて哲学史を叙述するという壮大な企図の下に編まれたプロジェクトであったが、本巻では、十分論じき切ることのできなかった問題を取り上げるということで、新たに13の論考が収録されている。
「デカルト『情念論』の射程」「インドの論理学」「イスラームの言語哲学」「イタリアの現代哲学」「ポスト世俗化の哲学」「正義論の哲学」など、タイトルを見ただけでもバラエティに富んでいるのが分かるが、その内容自体難しいことに加え、それぞれの論考が分量の制約もあり短めなので、なおさら一般読者には敷居が高い。自分の興味が湧く論考に付されている参考文献を読んで、その内容の理解に努めていくのが良いのではないだろうか。
加えて本巻では、編者による振り返りの鼎談があって、各巻のエッセンスや各論考の関連性、編者自身の考え方などについて言及がされているので、各巻を読むに当たって大変参考になると思われる。
一度や二度読んだくらいでは歯が立たないというのが、全巻を通読しての正直なところだが、西洋偏重だった ”哲学” というものについて、どういったことが問題とされているのか、どういった試みが行われているのか、多少なりとも理解することはできたかと思う。