伊藤邦武のレビュー一覧
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本巻ではローマに入った哲学からキリスト教父たちの登場を扱う。西洋哲学の他には仏教、ゾロアスター教やマニ教が取り上げられた。
章ごとに筆者が異なることから内容の質に差があるが、マニ教と東方教父の章が大変参考になった。
マニ教では筆者がユーモアを交えながら解説するためスッと頭に入ってくる。中でも教祖のマーニーを「ストーリーテラーとしては優秀」と評したのは笑みがこぼれた。
東方教父の章では日本人には理解しにくい三位一体説についてわかりやすく解説されている。なぜ神とイエスと聖霊が同一視されるに至ったのか。そもそもそれはどういう意味か。それを知りたい方にこの章だけでも読む価値がある。 -
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哲学を「存在とは何か?」「人間とは何か?」ということを切り口にギリシャから現代まで俯瞰した本。非常に狭い範囲に論点を絞っているのでそれぞれの哲学社の思想をすべて網羅しているわけではないが、「存在」「人間」というものをどのように考えるかという哲学の最大課題を見事に描き出している。プラトンのイデア論、アリストテレスの目的論、デカルトによる理性の発見、イギリス経験論、大陸合理論、カントの観念論、ショーペンハウアーの生の哲学、ニーチェの力の哲学、プラグマティズム、ラッセルの言語哲学、実存主義と哲学の大筋を理解するにはうってつけ。一つ一つの哲学書を読むよりその思想を生み出す土台となったそれ以前の哲学との流れとして理解できるので、分かりやすい。哲学が科学技術の進歩に影響を受けて形を変えてきたということもよくわかる。とは言っても内容を咀嚼するのには相当の努力が必要で、面白さも相まり珍しく2度読みした。人間は特別な存在なのか、言語というものはなぜ存在するのか、言語は社会の進化を促すのに大変有益であると同時に言語があるために哲学のようなある意味考えなくても良いことを考える宿命を人間は持ってしまったのではないかとつくづく考えさせられた。
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世界哲学史シリーズの最終巻。12月に別巻が出るらしいが、一応、本巻でおしまい。
シリーズの掉尾を飾る第8巻では、「分析哲学の興亡」、「ヨーロッパの自意識と不安」、「ポストモダン、あるいはポスト構造主義の論理と倫理」「フェミニズムの思想と「女」をめぐる政治」、「哲学と批評」、さらには「現代イスラーム哲学」、「中国の現代哲学」、「日本哲学の連続性」、「アジアの中の日本」「現代アフリカ哲学」とさまざまな角度から「世界哲学」の現在的諸相が扱われている。それぞれ興味深い論考が並んでいたが、自分自身はやや消化不良気味。その中でもやはり日本をテーマにした第8、9章は興味深かった。
全巻読み終わって、これから、ここから、色々と自分自身の問題を考えていく必要性を強く感じる。 -
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西欧中心となりがちな哲学を世界規模で、文明間での同時代的な関係(かならずしも影響関係ではない)をみながら、8冊でその歴史を辿ってみようというチャレンジングな企画の6冊目。時代は、「近代」になって、18世紀を中心とした話。
最初の3巻くらいは、なるほどね〜、この問題って、今でも形を変えて、議論しているよね〜、と興味深く読んでいたのだが、4〜5巻になると議論が専門的になってくる感じがあって、「頑張ってお勉強のために読む」みたいな苦行になりつつあった。しかし、時代が「近代」にかわって、また視界がすっきり広がってきた感覚。
18世紀になると、良くも悪くも、世界の中心は西欧+アメリカになる。資本主義、自然科学、産業革命などなどで、まさに西欧が先端に飛び出していく時代だ。その勢いは哲学の分野でも起き、人間の思考もなにか突き抜けた感じがあり、「現代」の社会に直接的につながっていくような議論が多い。
西欧の哲学者的には、第5巻でも扱われたデカルトやライプニッツ、スピノザなどを起点としつつ、ルソーやヒュームを経て、カントへ至る流れで、ほんといわゆる「哲学!」という感じのビッグネームが続く。
主な議論は、啓蒙主義、社会契約論、人権、理性的な認識の限界みたいな話しなのだが、人間の理性的な側面よりも、むしろ感情的な側面、そして理性と感情の関係というところにフォーカスがあたっている。
というわけで、総論の次の第2章は、いきなり「道徳感情論」がでてきて、ハチスン〜ヒューム〜スミスというグラスゴー学派ともいうべき議論が紹介される。この流れの完成者として、アダム・スミスが位置付けられる。(「普通」なら、社会契約論とか、百科全書派あたりからスタートしてもよさそうなところ)
そして、フランス革命に影響を与えたルソーもいわゆる理性や科学主義とは距離のある思想家なのだが、そこを起点としてアメリカ独立やフランス革命への流れも整理されるとともに、哲学的には、カントへの流れが整理されている。
哲学だけではなくて、ニュートンなどの自然科学との関係、植民地の独立や革命といった政治との関係が同時代的に整理されているところがわかりやすく、かつエキサイティングで、一気に読んでしまった。
特に、カントはそうだったのか!と目から鱗がたくさんおちた。これまで、本人の書いたものはいうまでもなく、解説書を読んでも全く理解できなかったカントが、ついになにを言っているかはわからなくとも、なにを問題にしているのかがわかった気がして、かなり感動した。ちなみに、カントについては、1章まるごと当ててあって、このシリーズのなかでは、これは別格の扱いだな。西欧哲学は、カント以前のすべてがカントに流れ込み、そして、カントから、すべての哲学が流れ出る、みたいな話しをどこかで読んだ気がするが、ほんと、その意味がおぼろげながら、実感できた。
ここで扱われている話題って、ほんと今でも未解決というか、アクチュアルだな〜と思えて、やっぱ、私たちが今いるのは、以前、この18世紀以降の世界システムのなかなんだなと思った。
さて、そういうふうに西欧+アメリカが、政治経済+自然科学で世界システムの中心になるだけでなくて、哲学において、突き抜けた時代で、イスラムや中国、日本の状況をみると、ちょっと「遅れている」感じがしてしまうのも事実。それでも、中国や日本で、微妙に儒学や和学が変化していくなかにも、なぜだか、「理性」と「感情」の関係がシンクロしているところも面白い。
次の「近代」は、19世紀の話しになるのかな?最終巻の「現代」は、どの辺の話になるのだろう?シリーズのあと2冊が楽しみ。 -
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帯に「いちばんやさしい哲学入門」とあるけれど、ひらがなの「やさしい」を「易しい」と勘違いすると読み出してすぐに投げ出したくなるはず。全然「簡単に理解できる」話ではないから。でも「優しい」だと思えば、嘘とは言えないものの、著書の丁寧で熱心で面白い話に「よく分からないけどもう少し読んでいたい、先を見てみたい」と思うようになるはず。
本書は古代ギリシアの哲学からはじめて「宇宙は無限か」「宇宙が無限の広がりを持つなら知的存在がいるはずだけど私たちはその宇宙人とコミュニケーションとれるのか」という問いに進んでいく。
私は「学問は哲学として始まった、具体的な対象や方法が固まると〇〇学として独立していった、最後に残った『よくわからないもの』を研究するのは今日でも哲学」という話が好きです。本書もその一つ。
ただし、第一章の古典〜近代科学と哲学の関係や第三章の宇宙の無限性や宇宙人とのコミュニケーションについては面白く楽しく読めたのに対し、第二章のカントの説明は理解できた気がしない。他の哲学入門書を読んでもそうなので私のツボ(の反転)がそこにあるのだろう。 -
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世界哲学史の3巻は「中世Ⅰ超越と普遍に向けて」のサブタイトルが付されている。全部で10章の構成。コラムが4つ。
最初に「超越と普遍について」が手際よく概説されている。中世が古代に付け加えたものの1つが「超越」という論点であった。また「超越と往還は一体の問題なのである」(p.20)と指摘され、「極言すれば、中世において、人間は「旅人(viator)」であった」(同上)。そして、「人間が旅する者(viator)」であったことは、中世という文明の基本的ありかたを示している」(p.24)。
同じく普遍について。中世という時代は、実体論を残しつつも、関係性や流動性を重んじ、聖霊が伝達の原理として中心的な位置を持った。これについては第4章「存在の問題と中世論理学」で詳細に論じられている。かの『アベラールとエロイーズ』を見よ。中世においてメディアとしての聖霊主義は、「終末論的な歴史観、現実の教会批判、貨幣価値をめぐる変更を引き起こす、社会変革を引き起こしうる思想群となった」。アリストテレスの交換の正義、分配の正義、貨幣の問題は第7章の「ギリシャ哲学の伝統と継承」における『ニコマコス倫理学』の註解書を論じた箇所で詳説されている。
第5章「自由学芸と文法学」はとても重要な章だ。結論だけ抜き書きしておく。「ともあれ、こうして、他の言語によって蓄積された文化や学問を吸収し、自らの活動のうちへ取り込む手段としても発展していった文法学は、やがてヨーロッパ外の文化を自らの枠組みで翻訳・再構築する世界的な文法学化の母体を提供する」(p.124)。さらに現代思想とのつながりでジョルジョ・アガンベンの思想も取り上げられている。
イスラームやインド、仏教・道教・儒教などの話はなかなか難しくて理解できない部分も多々あったが、最終の第10章は空海の世界哲学的スーパースターぶりが縦横に描かれていて大変面白く読んだ。密教、最高!と思わず叫ばずにはいられないスリリングな章となっている。本巻の掉尾を飾るに相応しい章であった。 -
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「こんな時だからこそ先人の知恵に学ぼう!」というわけではないけれどもちくま新書から「初の」世界哲学史シリーズが刊行中ということで、シリーズの第1巻。第1巻は「古代1 知恵から愛知へ」。
世界哲学という概念は、大学生時代にカール・ヤスパースの『歴史の起源と目標』やヘーゲルの『歴史哲学』などを読んでいる身にとっては意外とハードルが低かったが、本シリーズの目標は当然これらの西洋哲学者の「限界」を超えていこうとするところにある。
第1巻は「哲学の誕生をめぐって」「古代西アジアにおける世界と魂」「旧約聖書とユダヤ教における世界と魂」「中国の諸子百家における世界と魂」「古代インドにおける世界と魂」とまずは古代人たちが世界をどう認識したのか、その中で人間の魂とはという問から入っていく。
第6章以下は、古代ギリシャの哲学誕生の場面からソクラテス、プラトン、アリストテレスとオーソドックスな西洋哲学史からの問い掛けがなされ、最後の第9章、10章で再びそれらがローマ世界、インド世界へと接続していく場面に立ち会う。
またティーブレークのように挟まれているコラムも読み応えがある。このシリーズは面白く、結構、はまりそう。 -
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第1巻では、似ているところもあるものの、国ごとというか、地域ごとに別々に生まれてきた哲学が、第2巻ではすこし影響しあうところでてくる。第3巻にくると、文化圏間での相互影響関係がさらに高まってくる。
とは言っても、まだまだ哲学は、文化圏ごとにそれぞれの発展の道を歩んでいる感じかな?
この巻では、キリスト教関係の話が面白かったな。とくに、東方教会(ギリシャ正教)の発展が新鮮。なんだろう、ここでは身体性とか、神秘主義的なスピリチュアリティとのつながりが重視されている。この傾向は、カトリック的な世界では、しばしば出てくるものの、異端として弾圧された流れだな〜。
自分のなかに神性があって、それを身体があるから、感じることができるというのは、現代では、分かりやすい方向かな?
あと、ネオ・プラトニズムやグノーシス的なものとも統合されているのが面白いな。
一方、西方でも、スコラ哲学が発達しはじめていて、ここでもプラトンやアリストテレス思想とキリスト教の統合が進んでいる。
天才的というイメージがあるアベラールの展開する議論は、当時の最先端なのだが、彼が読むことができたアリストテレスは、「カテゴリー論」など、「論理学」的な著作が中心であった。その後、西方世界にやってきた「形而上学」の議論はしらなかった。このため、アベラールの議論は、限界があったとのこと。
そうか〜、アリストテレスの考えたことって、ほんと数世紀あるいは、10世紀くらい先を行っていたということなわけですね。
プラトンやアリストテレスなど、ギリシア哲学の水準のレベルの高さに改めて、驚く。
あと、面白かったのは、中国における儒教と老子などの思想の統合、さらには、仏教徒との関係とか、とてもスリリング。
そして、中国経由の儒教や仏教が日本にどういう影響を与えたのか、そして、空海という人がの思想の深さがほんと衝撃。
空海は、当時、ほんと世界的水準で、「世界哲学」の先端だな〜。
第4巻では、世界の資本主義システムとしての統合が進み始めてくるので、哲学の文化圏間での影響がさらに進んでくるはず。楽しみ。 -
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哲学の歴史を、「魂」、「意識」、「言語」、「生命」へと展開する物語として描かれていることで哲学がどういった経緯をたどったのかがよく分かった。同時に、なぜ現代哲学が分かりにくいのかという事も理解できた。つまり過去の哲学に対する批判、反省を土台としているため、その土台が理解できていないから現代哲学が理解できないということである。哲学の歴史を俯瞰することを目的としているため細かい部分はバッサリ落としている。そのため哲学者それぞれの主張を読み解くためにはやはりその哲学者の著書を当たらなければならない。しかしながらその主張が何を土台としているのかを本書で扱っているため、理解の手助けになると思う。ただ、近代哲学、特に分析哲学は過去を土台としているものの、大きな断絶が存在しているようでやはり理解するのが難しい。さすがにその断絶を埋めることはできなかったが、断絶そのものの存在を認識できたのは良かったかもしれない。