伊藤邦武のレビュー一覧
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哲学を「存在とは何か?」「人間とは何か?」ということを切り口にギリシャから現代まで俯瞰した本。非常に狭い範囲に論点を絞っているのでそれぞれの哲学社の思想をすべて網羅しているわけではないが、「存在」「人間」というものをどのように考えるかという哲学の最大課題を見事に描き出している。プラトンのイデア論、アリストテレスの目的論、デカルトによる理性の発見、イギリス経験論、大陸合理論、カントの観念論、ショーペンハウアーの生の哲学、ニーチェの力の哲学、プラグマティズム、ラッセルの言語哲学、実存主義と哲学の大筋を理解するにはうってつけ。一つ一つの哲学書を読むよりその思想を生み出す土台となったそれ以前の哲学との
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世界哲学史シリーズの最終巻。12月に別巻が出るらしいが、一応、本巻でおしまい。
シリーズの掉尾を飾る第8巻では、「分析哲学の興亡」、「ヨーロッパの自意識と不安」、「ポストモダン、あるいはポスト構造主義の論理と倫理」「フェミニズムの思想と「女」をめぐる政治」、「哲学と批評」、さらには「現代イスラーム哲学」、「中国の現代哲学」、「日本哲学の連続性」、「アジアの中の日本」「現代アフリカ哲学」とさまざまな角度から「世界哲学」の現在的諸相が扱われている。それぞれ興味深い論考が並んでいたが、自分自身はやや消化不良気味。その中でもやはり日本をテーマにした第8、9章は興味深かった。
全巻読み終わって、これ -
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西欧中心となりがちな哲学を世界規模で、文明間での同時代的な関係(かならずしも影響関係ではない)をみながら、8冊でその歴史を辿ってみようというチャレンジングな企画の6冊目。時代は、「近代」になって、18世紀を中心とした話。
最初の3巻くらいは、なるほどね〜、この問題って、今でも形を変えて、議論しているよね〜、と興味深く読んでいたのだが、4〜5巻になると議論が専門的になってくる感じがあって、「頑張ってお勉強のために読む」みたいな苦行になりつつあった。しかし、時代が「近代」にかわって、また視界がすっきり広がってきた感覚。
18世紀になると、良くも悪くも、世界の中心は西欧+アメリカになる。資本主義 -
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帯に「いちばんやさしい哲学入門」とあるけれど、ひらがなの「やさしい」を「易しい」と勘違いすると読み出してすぐに投げ出したくなるはず。全然「簡単に理解できる」話ではないから。でも「優しい」だと思えば、嘘とは言えないものの、著書の丁寧で熱心で面白い話に「よく分からないけどもう少し読んでいたい、先を見てみたい」と思うようになるはず。
本書は古代ギリシアの哲学からはじめて「宇宙は無限か」「宇宙が無限の広がりを持つなら知的存在がいるはずだけど私たちはその宇宙人とコミュニケーションとれるのか」という問いに進んでいく。
私は「学問は哲学として始まった、具体的な対象や方法が固まると〇〇学として独立していった、 -
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世界哲学史の3巻は「中世Ⅰ超越と普遍に向けて」のサブタイトルが付されている。全部で10章の構成。コラムが4つ。
最初に「超越と普遍について」が手際よく概説されている。中世が古代に付け加えたものの1つが「超越」という論点であった。また「超越と往還は一体の問題なのである」(p.20)と指摘され、「極言すれば、中世において、人間は「旅人(viator)」であった」(同上)。そして、「人間が旅する者(viator)」であったことは、中世という文明の基本的ありかたを示している」(p.24)。
同じく普遍について。中世という時代は、実体論を残しつつも、関係性や流動性を重んじ、聖霊が伝達の原理として中心 -
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「こんな時だからこそ先人の知恵に学ぼう!」というわけではないけれどもちくま新書から「初の」世界哲学史シリーズが刊行中ということで、シリーズの第1巻。第1巻は「古代1 知恵から愛知へ」。
世界哲学という概念は、大学生時代にカール・ヤスパースの『歴史の起源と目標』やヘーゲルの『歴史哲学』などを読んでいる身にとっては意外とハードルが低かったが、本シリーズの目標は当然これらの西洋哲学者の「限界」を超えていこうとするところにある。
第1巻は「哲学の誕生をめぐって」「古代西アジアにおける世界と魂」「旧約聖書とユダヤ教における世界と魂」「中国の諸子百家における世界と魂」「古代インドにおける世界と魂」とま -
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第1巻では、似ているところもあるものの、国ごとというか、地域ごとに別々に生まれてきた哲学が、第2巻ではすこし影響しあうところでてくる。第3巻にくると、文化圏間での相互影響関係がさらに高まってくる。
とは言っても、まだまだ哲学は、文化圏ごとにそれぞれの発展の道を歩んでいる感じかな?
この巻では、キリスト教関係の話が面白かったな。とくに、東方教会(ギリシャ正教)の発展が新鮮。なんだろう、ここでは身体性とか、神秘主義的なスピリチュアリティとのつながりが重視されている。この傾向は、カトリック的な世界では、しばしば出てくるものの、異端として弾圧された流れだな〜。
自分のなかに神性があって、それを身 -
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哲学の歴史を、「魂」、「意識」、「言語」、「生命」へと展開する物語として描かれていることで哲学がどういった経緯をたどったのかがよく分かった。同時に、なぜ現代哲学が分かりにくいのかという事も理解できた。つまり過去の哲学に対する批判、反省を土台としているため、その土台が理解できていないから現代哲学が理解できないということである。哲学の歴史を俯瞰することを目的としているため細かい部分はバッサリ落としている。そのため哲学者それぞれの主張を読み解くためにはやはりその哲学者の著書を当たらなければならない。しかしながらその主張が何を土台としているのかを本書で扱っているため、理解の手助けになると思う。ただ、
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ネタバレ個人的にはラスキンの経済学の考え方より、「ポリティカル・エコノミーの歴史」が興味深く読めた。元々オイコノミアは家政術のことであり、「ポリティカル」がつくことにより、家政としての「オイコノミア」が社会全体に適用されるならば、どうなるか、というのが今で言う「経済学」の発想であることを学んだ。
ラスキンそれ自体は、あの「ユートピアだより」を書いたウィリアム・モリスの師匠であるのだが、彼の考え方自体、当時の経済学の潮流とは激しく異なる。彼はまず「人間」を主体に経済学の理を考える。彼は古代ギリシアの富の考え方を援用し、「自らのため」ではなく「共同体のため」の富を提唱した。これは古代ギリシアのクセノフォ