吉本ばななのレビュー一覧
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ネタバレ忘れられないエッセンスを閉じ込めたようなお話でした。
「孤児みたいになって。なにがあったのかと思わせる育ち方」をしているように見えるマオと、育った土地インドに一年後帰る、自分を知って生きているハチとの生活はどれも『この一瞬を生涯忘れませんように』と願いたくなるほど澄んで見えました。
些細なことの全てに対してもう2度とこんなことはないと自覚してしまうことが、人生の絶頂と感じる最中にはあると思います。そんな満ち足りていくらでも自分が明るい方へ伸びていけそうな時間をマオは「こんな時間が少しずつ増えていって、私はハチを忘れないが、忘れるだろう。悲しいが、すばらしいことだ。そう思う。」としています。私はまだそんな風に美しかった時間を解放することが出来ませんが、いつか運命を悟ったり身を委ねきれるように生きられる日がくればいいなと思いました。
この本はひらけば何度でも幸せな生活とすてきな未来を思い出させてくれると思います。 -
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ホ・オポノポノ実践編。入門書ではありません。お二人が、どのようにホ・オポノポノに取り組んでいるか、ヒントなることが沢山ありました。
とは言え、何事も極めるという事は難しいものだと思いました。できる事と使いこなす事と極める事は違う。自在にできることが使いこなす事、そして、誰よりもうまく使いこなせることが極めるという事だ、というような事が鬼滅の刃22巻に書かれていました。この本を読みながら、クリーニングを使いこなしている本書のお二人や、極めているヒューレン博士やKR女史に共通することは何だろうと考えていました。思い浮かんだことは、丁寧に生きるということです。自分が経験したどんな些細なことでも大切にするということです。悪いことを、無かったことにしたり、過ぎ去るのを待ったりしない。良いことでさえも、それを維持したり、それ以上を求めない。山を崩して谷を埋めるような作業です。これは自然の成り行きそのものだと思います。
なるべく丁寧に生きるということを心がけたい。 -
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ネタバレ既にホ・オポノポノをしている人が、
他の人はどうしているのか知りたいという場合に
最適の内容かと思う。
ばななさんとアイリーンさんの経験や向き合い方
考え方を対談で話されている。
逆にホ・オポノポノをまだよく知らない、やったことがない
という方には向かない内容。
ホ・オポノポノは時にスピリチュアル的な見方をされることもあると思うし、
宗教的に感じてしまう方がいらっしゃるのも理解できる。
ただ、本能とか直感を信じると言われれば
しっくり来る部分はあるのではないだろうか。
嫌なことを無理にやることを避けるとか、
なんとなく気が乗らないことをやらないとか。
右に行こうとしたけどなんだか違う気がして
左に行ったら右の道で事故が起きた、のような話なら
そんなにスピリチュアルでないケースでも聞く話だと思う。
ホ・オポノポノは土地にもアイデンティティーがあるとするというが、
日本人も八百万の神の概念があり、土地神であったり物を供養したりと本来は親和性のある考え方だったはずだ。
野球で才能ある選手にコーチがいっぱいついちゃう、というたとえはとてもよくわかる。
そうやっていつの間にか考え方の癖、枠がつく。
自分はよく人から多趣味と言われてとても違和感があるのだが、
やらずにいられない、既に夢中になっているだけなのだ。
やろうと思わないとやらない、夢中になっていないで
「本当はやりたいことがある」というのは、厳しいかもしれないが
本気でやりたいことではないのではと思う。
明日パリに行けたらなぁと言う人の中に消して航空券を買いに行かない人が多い
というのもそうだ。
いつかできたらいいね、と言うのなら、今やればいいはずなのだ。本当は。
羽海野チカさんの『ハチミツとクローバー』で、自転車の旅をしながら自分の家のドアがどこでもドアだったというシーンがあったが
自分が踏み出しさえすればどこでもいけるしなんでもやれる。
もちろん、その為にハードルはいくつもあるかもしれないが。
疲れて帰っても料理ができるのは確かに才能だ。
でも、こんなこと自分にとっては大した事じゃないから才能じゃないと思ってしまう気持ちもわかる。
自分自身、周りの人からすごいと言っていただいて、
こんなの普通だ、常識だと思っていたことが
実はすごいと思っていいのかな?と気づくことがあった。
人から言っていただくのも勿論だが、自分でクリーニングをして気がつくという方法もあるはずだ。
海外と違い、日本だとベジタリアンが最初から
これとこれ食べられませんと言ってしまうというのも
確かにあるなと思った。
日本の状況からして、強く言って置かないとベジタリアンでいることが海外よりとても難しいことも
理由のひとつにはあるとは思う。
ただそれでも、日本でベジタリアンや動物愛護家が嫌われがちなのは正に
「そんな怖い顔でノーっていながら何か伝えなきゃいけないの?」だからだと思う。
「実は戦争に負けた国だということが、私たちの世代にボディーブローで聞いてきた」
というのも、そうだと思っている。
自分は世代として考えたことはなかったが、明治維新後が間違いだと考えているし、
中でも現代日本が”こう”なのは戦争に負けたせいだ。
野生や本能、自立などと言う心があったり、
文化文明を大切にする心がありすぎないよう、
教育で削がれた結果、戦争を知らない世代までが
牙を抜かれた状態になってしまっているのだ。
それをなんとかしようというのは中々難しいが、
個々が個々の人生の中で小さく取り戻していくことは不可能ではない
というばななさんの言葉に、確かにそうだと思えたし
希望だなと思った。
ゲラで校閲さんが、私がいったときはこうじゃありませんでしたと書いてくるというのがとても怖い。
それは”校正”ではない。
でも実際そういう類の人はいる。
そういうときに、やめてほしいとか違う人に変えてくれとか言えるような
自分のメンタルであったり勇気であったり
強く言える立場を持っていたりできるように
しておきたいと思う。
「そんなこと言えない」と思うのは単に自分で思い込んでいる枠であることはある。
「なにこの人」とその時は思われようと、その内
「あの人はそういう人だから」となるし
自分と合わない人にそれで嫌われようとも
本当は何も困らないことのはずなのだ。 -
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すごくこれからの人生を歩んでいく上で、重要な道しるべをもらった気分。
スピリチュアルな雰囲気を醸し出しているけど、ここで言われているのは、自己を見つめて、自己肯定感を高めることや瞑想、メディテーションで行っていることを、ホ・オポノポノやウニヒピリ、クリーニングなどの定義された言葉で表現することで分かりやすくしていると私は感じた。
ただ、この本ではホ・オポノポノを進めていく過程について主に書かれているので、クリーニングのやり方とかウニヒピリとの対話の仕方とか、具体的なやり方は丁寧に書いてはいないので、その辺はネットとかで調べながらの方がいいかも。
読みながらクリーニングしてみると、私は学生時代が特に、自分を見失ったこと(高校生はこれをしなきゃ、とか大学生ならこうしなきゃ、とか…)しかしていなくて、本当にもったいない時間を過ごしたなと感じた。
自分のお金を自分の好きなように使えるようになってから、だいぶ自己と向き合えるようになってきたけど、長い間自分を蔑ろにしてきたせいで、クリーニングしなきゃいけないことは山積みだし、まずは自信を持つためのマインドを育てなきゃと感じた。
そのうえで、「合わせる必要はない」「あなたはこう思うんですね。私はこうなんです。」という考え方は非常に勇気づけられる教えだった。
日本人って特に子供の頃から「みんな一緒」であることを求められてきたから、ここを突破するのが一番大変かも。
これからは「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」の4フレーズを唱えて、しっかりウニヒピリのケアをやっていきたい。 -
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上巻の3分の1を過ぎた辺りからやたらとスピリチュアルな方に行くなあと思って読み進めていたのだけれど、思ったほど嫌悪感みたいなものは感じずに、そのままするっとばななワールドに引きこまれた。このあたりはさすが。
主人公である朔美のキャラクターの強さが効いてるんだろうなぁ。よしもとばななの世界観、とんでもないとっぴな状況で奇天烈でエキセントリックな登場人物が次々と登場するその舞台は本当にいとおしくて、読み終わって彼らに別れなければならないのが辛く寂しい気持ちになってしまう。
あとがきを読むとこの作品はばななさんのちょうど精神的にしんどい時期に書かれたものということだけれど、そのメンタリティが作品に強く強く影響を与えていて見事な名作になっていると感じる。 -
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あまり下北沢について書かれているわけではないが、筆者が昔住んでいた場所と、下北沢似ているところもあるが違うとこもある、そこの細かい描写がなされているエッセイであった。
筆者がこのエッセイ集を通して何度もいっていたのが、「今の空気感も大切にしながら、時代の流れに沿って生きること。しかし、昔の雰囲気も心の中のどこかにしまって生きていきたい。」ということ。
昭和の時代がよかった、そこに戻りたいという気持ちもかなり分かる。(平成生まれだが。)
しかし、当たり前のことだが、自分が過ごしているのは、過去でも未来でもなく「今」である。
自分自身、現在インドで生活をしていて、日本が恋しくなることは多い。帰りたい、と思う気持ちは仕方ないことだと思うが、吉本ばななさんのように、哀愁は感じつつも、今ある生活に対して感受性を豊かにし、環境に対応しながらより実りのある「今」にしていきたいと思った。
また、やはり吉本ばななさんの表現力は、一言で言うと「やわらかい」と感じた。読んでいるこちらも情景を想像しながら、やわらかい、やさしい気持ちになれる。
なかなかハードなインドで生活をしてきて、またコロナにより3週間の在宅勤務を余儀なくされている中で、このやわらかい表現を忘れてしまっていた。
メリハリをつけて生活をしながらも、身近にあるものに対して注目をし、自分なりの描写をしていきたい。
最後にエッセイから。
「でも、ここに固定されたことによって、円そして縁ができていくことがなによりも嬉しい。」
周りにあるものに感謝しながら生きていきたい。 -
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ネタバレ
ハードトラック がすごく好きだった。よかった。
〈ハードボイルド〉
「あなたはまだわかっていない。いつだって、自分がいちばん大変で、自分さえ助かって、楽で、いちばん楽しければいいと思っているんだもの。」
「人は、自分が相手に飽きたから、もしくは自分の意思で、あるいは相手の意思で別れたのだと思い込むものだ。でも、それは違う。季節が変わるように、時期が終わるのだ。ただそれだけだ。それは人間の意志ではどうすることもできない。だから逆に言うと、それが来るその日まで、楽しく過ごすことも可能だ。」
↑「食べ物に旬があるように、人と人との関わりにも旬がある」と例えてる?
この台詞が好き
「いろいろなことがあると思う。でも、自分を責めちゃだめだよ。ハードボイルドに生きてね。どんなことがあろうと、いばっていて。」
※ハードボイルド…非情。無情。無感傷的。冷めている。感情を押し殺し、表面に出さない。固茹で。(⇄ソフトボイルド…半熟)
〈ハードラック〉
「世界はなんていい所なんだろうね!」
「あのね、経験したことがないことを、わけ知り顔で語るのがすごくいやなんだ。あまりコメントしないけど、ごめんね
〜
わからないけれど、どういうことが起こっているのか、一応自分の目と耳で見たこと、感じたことについてはつかんでいることもあると思う。すごく言いたいことがたくさんある。だけど、それは口からはどうしても出てこないんだ。」
「誰にも、わかってほしいとも思わない。でも、優しくしてくれているのはわかるよ。」
「俺も君もついていないわけじゃないよね? この空気にのまれているだけだよね? 今はだめだね。でも、とにかく、今はだめだというだけだよね?」
「冬の星は誰と、いつ見上げても決して変わらないでそこにある。変わってゆくのは私だけだ。」
吉本ばななの物語を読むと、ゾーンに入るというか。
自分がその世界に行ってしまう。現実の世界、周りが全く視界に入ってこなくなる。いわゆる、引き込まれる。だから、疲れていて癒されたいとき、現実を見たくないとき、頭がいっぱいいっぱいで何かに没頭したい時、一度現実から離れてみたいとき、に読むのに合っている。
語順が、正しくないので理解するのに時間がかかることがある。
その正しくない語順が物語の味を出しているのかな。
私はその正しくない語順と、言い回し、思わぬ!マーク、句読点(特に「、」)の使い方、台詞の言葉、長ったらしい台詞、彼女の物語に出てくる登場人物、がすごく好きだ。
吉本ばななの物語は、純文学にも分類されることを最近知った。
言葉や情景の表現、登場人物全てが美しい。
やはり、彼女の物語が本当に好きだと改めて思い、彼女の物語は、彼女の独特の世界がある、他の何にも変えられない、唯一無二の、一つの文学だと思った。
私にとって吉本ばななは、特別な小説家だ。
次はエッセイも読みたい。
彼女は一体どんな人生を歩んできたのかな。