小田島雄志のレビュー一覧
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『真夏の夜の夢』の舞台を観る予定があったので、高校生?大学生?ぶりに読み直しました。
原題は『A Midsummer Night's Dream』なのですが、midsummerには「真夏」と「夏至」と意味があるので、本当はどっちなのでしょうね。白水社版翻訳の小田島さんは『夏の夜の夢』としてますね。
さて、もともとすんなりとは行っていなかった若者たちの恋模様が、妖精の王と女王のいさかいと、王のおせっかいと、妖精パックの勘違いのせいで、ますますこんがらがってしまったのを、再び妖精たちが手を回して、夏の夜におかしな夢を見ていたかのように上手くおさめられる、というのがストーリーですが、今回読み直したのは、ふんだんに散りばめられている「ことばあそび」をもう一度読んでおきたかったから。これこそ、シェイクスピア醍醐味の一つで、翻訳を読むと英語でも読みたくなります。 -
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戯曲
かかった時間100分くらい?
リアと3人の娘。もっとも愛する末娘のコーディリアはつつましく、2人の姉のように美辞麗句で父への愛を語らなかったために父の怒りをかう。領地と地位を与えられた2人の姉はしかし、王を冷遇し、忠臣やその家来、つまり「善き者」を追放する。王は失意のあまり狂気を帯び、のちにコーディリアと再会して許しを乞い、正気を取り戻したかに見えるが、そのコーディリアも心悪しき者の命令によって殺される。リア王も再び狂気の中で死ぬ。
悲劇を成立させているものは、まず誠実な沈黙より美辞麗句を求める、賢人であるはずのリア王の愚かさ。これはもちろん老いに由来する。また、父の求めるものが分かっていながら、自身の正義に固執したコーディリア。自身の正義を貫くことが、つねによい結果を招くとは限らない。また、2人の、権力をもった愚かな姉。彼女たちは(姉は既婚者であるにもかかわらず)ひとりの私生児を争って互いに牽制し合い、リア王とコーディリアの命を奪おうとした企てが明るみに出て、けっきょく最後は死ぬ。
「善き者」と悪人、多弁と寡黙、老いと若さ、男と女、嫡子と私生児、身分を偽ること、視覚を失うこと、などなど、いらいろな軸がある。シェイクスピアすごい。マジメに読んでみたい。 -
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リチャード、あっぱれなヒール。前巻までは、頭が切れて行動力もあるニヒルな二枚目(中身)然としていたのに、主人公になるや否や冒頭からの悪人宣言、お見事!最後は小物になるところまで含めて、与えられた役を演じきった。
マーガレット、ランカスターの生霊。最年長のかなしみを纏う者。呪詛が紙面を埋め尽くすこの巻にあって、なお並ぶ者のいない呪いの名手!
リチャードに殺された者たちが亡霊となって現れ、リチャードに対して口々に「絶望して死ね!」と絶叫し、リッチモンド伯ヘンリーには「生きて栄えよ!」と祝福の言葉を贈る。この場面は舞台で観たらさぞや圧巻だろう。
かくてテューダー朝は開かれる。 -
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舞台はギリシャ・アテネ。それぞれの愛を突き通そうとするアテネの公爵たち、夫婦げんか真っ只中の妖精たち、舞台の練習に励む職人たち。
下っぱの妖精が「恋わずらいの花の汁」を塗る相手を間違えたことから、恋の矢印が入り乱れ、怒りの矛先も乱れに乱れ、大騒動へと向かっていく。ドタバタの恋模様を描いたシェイクスピアの喜劇。
ここに登場する人物たちは皆自分たちの恋心に正直で、同時に妖精たちの手違いに翻弄されていきます。
短い作品ながら複数の登場人物が登場しますが、最も印象に残ったのはヘレナです。
「取柄のない女だけど、おそばにいることだけは許して。」――ディミートリアスを一途に追いながらも想い人には見向きもされず、さらには妖精の手違いによって恋敵の恋人ライサンダーから言い寄られる。切ない恋に燃え上がる矢先に2人の男たちから心乱される、この作品で最も踏んだり蹴ったりな立場なように思います。それゆえ一番感情豊かで心惹かれるキャラクターでした。
おそらく演劇で観たら煌びやかな衣装と世界観、印象的なセリフが飛び交うと思うといつか舞台で拝見したいものです。 -
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おおロミオ、どうしてあなたはロミオなの?ってやつ。まぁどういう意味なんかなー、くらいに思ってたけど、初めてどういった文脈で使われてるかを見て、そうだったのかー、っていうね、意外とよく知らんもので。
というわけでかの有名なロミオとジュリエット。シェイクスピアは悲喜劇とかなんとか言われているけど、数冊この人の話を読んでみて、結局訳者の力量なんではないか、とか思う。今作でちょこちょこ出てくる下らないギャグ?というかダジャレ?みたいなのって絶対原文では違うはずで、それを似たようなところで日本語に直してるってのが訳者がスゲーな、と。更に出てくる人々が概ね間抜けだし、下ネタをかましてきたり、まぁ下らない。ロミオもなかなか自己中というか、まるで周りが見えていないというか、まぁ総じてみんな馬鹿っぽい。これがなー、何故か悲劇って事で今まで理解してたんかー、っていうのがね。百聞は一見に如かずてのはこのことですな。 -
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"To be, or not to be, that is the question."(「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」<本書訳、以下同>)、"Get thee to a nunnery." (「尼寺へ行くがいい」)、"Frailty, thy name is woman."(「心弱きもの、おまえの名は女!」)など、数々の名台詞で知られるシェイクスピア悲劇。
デンマーク王子、ハムレットは憂えていた。偉大なる父王が突然の死を遂げ、次に王位に就いたのは王の弟でハムレットの叔父であるクローディアス。高潔な兄に比べ、(ハムレットの目から見ると)卑小な弟。王と呼ばねばならぬことさえ苛立たしいのに、あろうことか、前王の死後、二月足らずで母王妃は現王に嫁した。悲嘆と憤怒の只中にあるハムレットの前に、父王の「亡霊」が姿を見せる。亡霊は弟に謀殺されたと告発し、ハムレットに敵を討つよう命じる。ハムレットの深い煩悶は、周囲を引きずり込みながら、破滅へと雪崩れ込む。
結末では、主要登場人物のほぼすべてが死んでしまうという一大悲劇である。
ハムレットの人物像に関しては、古来、議論があるようだが、読み返してみても、すっとは呑み込めない「わかりにくさ」がある。
叔父が父を本当に殺したのであれば、さっさと皆に疑いを明らかにして、裁きの場に引きずり出せばよいではないか。気狂いの真似をするのが有効な手段とはあまり思えない。
「生きるべきか、死ぬべきか」とも訳された"To be or not to be."の"be"は何を指しているのか。
ハムレットの逡巡は、確かな証拠がないことによるのか。叔父の自白を待っているのか。
八つ当たりのようにかつての恋人オフィーリアに冷たく当たり、彼女の父を(過失とはいえ)殺してしまってもあまり後悔の色もない。
とはいえ、父王を殺され、母が邪悪な男の手に落ち、恋人も失い、ついには絶望のうちに自らの命も失うのだから、悲劇の中心人物であることには違いはない。
この話、周囲の人々もそれぞれに悲劇を抱える。
兄の死後、王位に就いたクローディアス。
自ら兄殺しに触れるのは、中盤を過ぎたあたりの傍白部分が初めてである。前半だけだと、気難しいうえ、おかしな想念に取り憑かれた義理の息子を扱いかねているようにも見える。
一応、前王殺しの犯人ではあろうけれども、何だかこの人も謎が多い。美しい兄嫁が好きだったのならば、なぜもっと早く手を下さなかったのか(それこそハムレットが生まれる前に!)、面倒くさい義理の息子を早いうちに片付けなかったのか、いろいろすっきりしない。穿った解釈をすれば、「兄殺し」は、例えば兄が倒れていたのを見つけたのに適切に助けなかったといったような消極的な意味と受け取れなくもない。そうなると、亡霊の告発を聞いているのはハムレットだけなので、すべては難しい年頃の青年の妄想だったという可能性もなくはない。クローディアスは最終的には汚い手でハムレットを陥れるわけだし、さすがにそれはないかとは思うのだが。
となると、息子を愛する王妃を慮るばかりに、冷酷非情に徹しきれなかったところが、この人の「悲劇」といったところか。
極悪非道というよりは、小人物の趣である。
王妃ガートルード。
前王を愛していたとはいうが、死を悼む涙も乾かぬうちに、弟と結婚する。
この人が兄王、弟王をそれぞれどう思っていたのかもすっきりしない。王が突然死に、外国との間も平穏無事というわけではない。そうであれば、年若い王子よりも、それなりに分別のある年頃の王弟を王に迎え、王国の安泰を図るのも1つの手だろう。弟王が狡猾で邪悪だと知っていたのならともかく、そうではないとすると、「事件」の様相はがらりと変わる。息子が再婚相手を嫌い、わけのわからぬ因縁をつけてくる。気がおかしくなってしまったと悲嘆にくれても無理はない。
恋人オフィーリア。
この人こそ、罪科がないのに巻き込まれてしまった悲劇の人だろう。
前王殺しにもまったく関係がなく、邪淫に堕ちたわけでもない。ハムレットが何に悩んでいるかも明かしてもらえぬまま、一方的に冷たい言葉を浴びせられ、父親も殺されてしまう。ショックのあまり、本当に気が触れ、最後は命を落としてしまう。気が触れてからのオフィーリアが発する、辻褄は合わないながらも断片的に鋭い洞察を秘めた台詞は味わい深い。
ジョン・エヴァレット・ミレーも描いた、悲しい美しいオフィーリア。
「尼寺に行け!」と言われたときに、本当に尼寺に行ってしまえばよかったのに、と思わぬでもない。神はハムレットのようにひどい仕打ちはしなかったろう。
その他、ハムレットの忠実な友人であるが、ともに死ぬことを許されず、語り部となることを強いられたホレイショー、阿諛追従の徒ではあるが、悪意のないポローニアス(オフィーリアの父)など、いずれも幸せにはならない登場人物たちも、鮮やかに描き出される。
シェイクスピア作品は、概して、堅牢にがっちり作られているというより、どこかいびつであったり、「隙間」が残っているような印象も受ける。
ただそれはすべてシェイクスピアが意図したというよりも、成立の事情も絡んでいそうだ。ハムレットには、Q1、F1、Q2(Qは四折本、Fは二折本の意)という3つの版が知られており、各版間で、台詞の有無、場面の移動・カットなどがある。一般的には、F1版を元本とすることが多い(本書も含む)。*光文社古典新訳版はQ1を元にしているので、読み比べるのもおもしろいかもしれない。
どれがオリジナルに近いかは議論があるようだ。戯曲というものの性質上、演出者や出演者の判断で元の脚本に手を加えられることもあったろう。
いずれにしても、さまざまなエピソードに「穴」や「引っかかり」があることで、読み手・観客の想像をかき立て、物語の中に引き入れ、何度鑑賞しても飽きさせない、そんなマジックが効いているようにも思う。
恐るべし、シェイクスピア・ラビリンス。