長谷川義史のレビュー一覧
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都道府県、電車、宝石、物の擬人化のパターンはいろいろある。長年愛用されてきた道具に魂が宿って付喪神になるというのは昔から言われてきて、割れた茶碗や楽器、下駄や傘なんかに手足が生えた様子を百鬼夜行絵巻で見た気がする。その擬人化された物たちのキャラクターは見た目や機能などから作り出されると思うのだが、れいぞうこを擬人化すると、こうなるかなと思っていたポイントがことごとくずれていて、「そうなの!?」と思うところが多かった。「れいぞうこ、女の子にしてはでかすぎん?」とか「意外とモジモジちゃんなんや」とか「ビキニの水着着るには四角て硬すぎん?」とか「れいぞうこ重いのに沈んでしまうやろ」とかページめくりな
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前回読んだ「おかあさんの手」とは、また趣が異なりながらも、手からもたらされる素晴らしさを実感することで、改めて教えられることや感じられるものが親にはあるのだということを、強く認識させられた作品でした。
「かおり」のおとうさんは、車の事故で頭を打ったことにより、目が見えなくなったが、鍼師をしている彼にとって、特に不都合は感じていないようで、彼女が帰ってくれば「おかえり、かおり」と気付いてくれるし、雨が降りそうな気配を察することができたりと、目が見えない分、他の感覚が研ぎ澄まされている様子を物語から感じ取れたことには、まはら三桃さんの言葉にもあるように、『目を開けているときよりも、はっきり感 -
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講談社の「どうわがいっぱい」シリーズは、小学一年生から対象にした、初めてひとりで読むのにも適した、大きくて読みやすい文体と(少ない漢字は全て振り仮名つき)、物語の味わいを更に想像力で補ってくれる、絵の多さが特徴的です。
夕焼けの川原をおかあさんと一緒に帰りながら、今日あったことをとりとめも無く話したり、なぞなぞを出したりと、そんなささやかなやり取りに幸せを噛みしめている、女の子「みなみ」は、ある時、おかあさんの手に注目するようになります。
その、少しかさかさしていても、温かくて柔らかい手は、時には子どもにとって初めて見るような奇跡を起こしてくれることから、まるで魔法のような印象を持