村木嵐のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
恥ずかしながら今まで村木さんの作品を読んだことがなかったし、南原繁という人も知らなかった。字面をなんとなく認識したことはあっても、どういった方だったのかまでは知らず。その分、この『夏の坂道』という作品を真っ白な状態から読み進め、楽しむことができたように思う。
「教育」「学問」の自立、自由のために政治やマスコミと闘った人たち。子どもの教育のために奮闘し、そのため時には自身が弾圧を受けた人たちにより今日の教育が成り立っている。ただし、それもよくよく注意して見れば戦前、戦中のように危うい方向へ進んでいないか、国民が意識をもっていなければいけない。教育が受けられることが当たり前であるけれども、当たり前 -
購入済み
初めて読む作家さん。幻冬舎のキャンペーンでたまたま購入したが、内容にのめりこみ、
一気読みしてしまった。
木曽三川分流工事(宝暦治水)の責任者で薩摩藩家老の平田靱負を中心に描いた作品。
今まで宝暦治水がこれだけの大プロジェクトとは知らなかった。ブルドーザーやパワ
ーショベルのような土木機械もなく、人力だけで川筋を変え、堤防を築くなど、考え
ただけで気が遠くなる。さらには幕府や地元の役人、尾張藩、強欲でしたたかな農民
からの圧力、いわれなき誹謗中傷、いやがらせにも耐えなければならない。
東日本大震災をはじめ、台風や豪雨などの災害復興プロジェクトでも国や地元の利害が
複雑に絡み合い -
Posted by ブクログ
<薩摩義士>という話しが一定程度知られていると思うのだが、本作はその挿話を基礎にした物語ということになる。
江戸時代には「御手伝普請」なるモノが在った。幕府が諸大名に命じ、諸大名は示された仕様に依拠して資材や人員等を自前で手配して工事を遂行するということになる。幕府として、諸大名が財力を蓄え悪くするためにやらせていたことらしい。この「御手伝普請」なるモノで築かれた、有名な城郭の石垣等が色々と伝わっていると思う。
<関ヶ原合戦>から150年も経ったような宝暦年間(1750年代頃)、この薩摩の島津家に対して幕府はこの「御手伝普請」を命じた。
遂行すべく工事は、木曽川、長良川、揖斐川が複雑に絡み合っ -
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天正遣欧使節団の4人の少年の帰国後の運命を、そのうち一人の妻の目線で描いたもの。中国に渡ることさえ命がけだった時代に、往復8年の時間をかけて欧州を訪問・帰国してみれば、鎖国とバテレン追放の時代になっていた。次第に厳しくなる迫害の中で一人は病に倒れ、一人はマカオに移住することを選ぶ。一人は司祭として残り、国内のキリシタンを励まして生きる。そして本編の主人公千々石ミゲルは棄教の道を選び、キリシタンからは棄教者と憎まれ、キリシタンを取り締まる士族からは転び者と蔑まれる。そこには日本から一人の殉教者(=死者)も出さないという4人の誓いがあった。ミゲルに寄り添いながら、最後までミゲルの本心に近ずけなかっ
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天正遣欧少年使節としてヨーロッパに渡った4人の少年たち。帰国後、千々石ミゲルだけは棄教する。その史実を軸に、キリスト教迫害の時代を描く見事な筋立ての小説だった。そしてせつない。
何がせつないって、語り部の珠。あこがれのミゲルと夫婦になってともに人生を生きていくはずなのに、最後の最後までミゲルは珠を一番の存在にはしなかったこと。珠以前に、天主様や伊奈姫、ともにヨーロッパに行った3人がいた。ミゲルは珠にやさしいんだけど、珠が欲しいのはそういう慈悲のようなやさしさではないんだよ。ともに苦しみたいのにそこには入れてくれない、ある意味不実なミゲル。
自分にとって一番の相手が、自分を一番と思っていないって -
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書き下ろし
外つ国の 千草の糸を かせぎあげて
やまと錦を織り成さばやな
帝国憲法の産みの苦しみを、井上毅の人となりに迫って描いた作品。
京大法学部出身で司馬遼太郎に仕えた作者の真骨頂と言うべきか。
自由民権運動から生まれた私擬憲法草案があちこちで発掘され、日本史の教科書でも取り上げられているが、帝国憲法をどう作るかという苦労について書かれたものは少なかった。
保守性ばかりが強調される帝国憲法を「明治の理想を形にする」という成果の観点で捉え、「この国で生まれ育った誰もが心の奥底に持っているのが国体であり憲法なのだ。」という言葉には感動的な説得力さえある。
憲法改正や、皇室典範の -
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ネタバレ歴史上あまり取り上げられることのない、徳川第九代将軍・家重。
へその緒が首に巻き付いて生れたせいなのか、口がまわらず、半身がマヒしているため正座ができず、字を書くこともできず、武士の頂点たる征夷大将軍になることなど不可能と思われていた。
頻尿のため、歩いたあとには尿を引きずった跡が残るため「まいまいつぶろ(かたつむり)」と呼ばれていた。
家重の言葉を、唯一聞き取ることができたのが、大岡忠光という小姓。
コミュニケーションを取ることができないために周囲から無能呼ばわりされている家重の口となり、彼の言葉を彼に代わって発するのだが。
本当に無能なら問題はなかった。
しかし卓越した記憶力と明晰な判 -
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家康の側室になった元武田の家臣の娘阿茶、大坂冬の陣で淀殿、淀殿の妹初との和議役で大阪城の内濠を埋め、夏の陣で豊臣方を滅ぼした功労者である。阿茶は戦場へ家康と行く事が多く、影の参謀的存在となり、また家康との間の子がない事で良き世継ぎを育てる乳母役となる。阿茶は女として、子を持たない側室として家康の精神的な面も理解し、家康が亡くなるまで多くの親族の支援を惜しまなかった存在である。
阿茶の父飯田直政の言葉「まず今できる手を打つ、打たねばならぬ手を討つ。目の前にある、己が果たさなければならぬことをする。そうすれば次にすべき事が見える」
阿茶の夫忠重の言葉「癇癪を起こさず耐えること、家臣の苦労を裏切らぬ -
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ネタバレ身体にハンデを背負いながらも見事に一国を治める知性と人柄は
エルサレム王ボードアン四世を思い出させる。
(太平の世で後継にも恵まれた家重と彼とでは状況も大きく異なるとは思うが)
また言葉に関わるキーワードとして「鳥の声」を度々用いているのが非常に興味深い。東西ともに鳥は神の言葉を伝える使者として扱われることもあるため、作者も意図して表現に取り入れたのだろうか。
忠光の存在が家重の人生にとって、どれほどかけがえのないものだったか。
家重の口となるということは彼のハンデと同じくらいの労苦をともに背負うということ。その覚悟を持って生涯務めた彼は見事だと思う。
立身に重きを置く者たちには持ちえない美