あらすじ
第17回松本清張賞に輝いた本作の主人公は、戦国末期、天正遣欧少年使節団の1人としてローマに派遣された千々石ミゲル。8年後、帰国した彼らを待ち受けていたのはキリスト教の禁教と厳しい弾圧。信仰に殉じた他の3人に対し、ミゲルは棄教という選択をする。なぜ彼は信仰を捨て、生き抜こうとしたのか? その生涯をミゲルの妻、珠の視点から描く。「物語を押しすすめる筆力は素晴らしいものがあるし、後半に四人の使者が交わす会話などは作者の熱気が伝わってきた。生身の人間が見えた気がした」(伊集院静氏の松本賞選評より)。新人離れした練達の筆が冴える、傑作歴史小説。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
天正遣欧使節団の4人の少年の帰国後の運命を、そのうち一人の妻の目線で描いたもの。中国に渡ることさえ命がけだった時代に、往復8年の時間をかけて欧州を訪問・帰国してみれば、鎖国とバテレン追放の時代になっていた。次第に厳しくなる迫害の中で一人は病に倒れ、一人はマカオに移住することを選ぶ。一人は司祭として残り、国内のキリシタンを励まして生きる。そして本編の主人公千々石ミゲルは棄教の道を選び、キリシタンからは棄教者と憎まれ、キリシタンを取り締まる士族からは転び者と蔑まれる。そこには日本から一人の殉教者(=死者)も出さないという4人の誓いがあった。ミゲルに寄り添いながら、最後までミゲルの本心に近ずけなかったと感じる妻の純粋でいちずな思いにも心打たれる。それにしても、時の指導者の思惑や目先の利益で、宗教心という重大なことをコロコロ変えてしまうことで、どれだけ多くの人が不幸になるか。これは、現代の生き方にも痛烈な警告を投げかけている気がする。
Posted by ブクログ
天正遣欧少年使節としてヨーロッパに渡った4人の少年たち。帰国後、千々石ミゲルだけは棄教する。その史実を軸に、キリスト教迫害の時代を描く見事な筋立ての小説だった。そしてせつない。
何がせつないって、語り部の珠。あこがれのミゲルと夫婦になってともに人生を生きていくはずなのに、最後の最後までミゲルは珠を一番の存在にはしなかったこと。珠以前に、天主様や伊奈姫、ともにヨーロッパに行った3人がいた。ミゲルは珠にやさしいんだけど、珠が欲しいのはそういう慈悲のようなやさしさではないんだよ。ともに苦しみたいのにそこには入れてくれない、ある意味不実なミゲル。
自分にとって一番の相手が、自分を一番と思っていないってこと、あるよね。相手の一番が自分と比べるべくもないほどのものだったら憤ることすらできない。しかも、一番の相手の好きなものだから嫌いとも言えない、思えないつらさ。
珠のせつなさの前では、棄教したように生きながら信仰を守り続けるミゲルの苦しさも、また、禁教の徒として処刑されたジュリアンといい、信徒らを導き日本を逃れてマカオで生涯を終えたマルチノといい、それは大義をもっての苦しみであり、美しい男たちのホモソーシャルな友情のもとでの苦しみだからどうとでも昇華できるように思えてしまう。
Posted by ブクログ
隠れキリシタン、踏み絵、殉教、、、今までただ単語として知っていただけだったこれらの言葉が、この本を読んで深い深い意味を持つ言葉になりました。読み終わった後も、ずーんと心に重く残っています。
Posted by ブクログ
面白かった。後半は涙無しには読めません。
日本史の授業でサラッと習っただけの「遣欧少年使節」だったのですが、読後はこの4人や他の登場人物、この時代の事をもっと学んでみたいと思いました。
史実と違うという意見もあるみたいですが、それとこれとは別ですよね。
Posted by ブクログ
千々石ミゲルが棄教に至ったのは、日の本の人々を南蛮人のために殉教させてはならないという使命のためだった。しかし、ミゲルが手本を示した棄教は、棄教者が切支丹弾圧に手を貸し、結果的に多くの殉教者を生んでしまった。
ミゲルの妻、珠が自分が夫にとってのマルガリータ(真珠)ではなかったと悟り、夫の想い人である伊奈姫を大嫌いになる描写は悲しい。なぜ、ミゲルが信仰心に薄い珠を伴侶に選んだのか不可解。
ミゲルの苦悩も珠の嫉妬も、ジュリアンのやさしい告解が許しを与えて救いとなった。登場人物が信仰の奴隷となり、人生を振り回されていたのが、曇天から降り注ぐ一筋の光のように美しい告解だった。
砒素中毒は簡単に治るのか?天草四郎の出自は無理があるのでは?といった点がツッコミどころ。