ヤマシタトモコのレビュー一覧
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ネタバレ 無料版購入済み
「朝を可愛いと思うのに姉を思い出すと心がすくむ」という表現に、そこまで心へのダメージ大きいとはいや~大変だなぁ姉妹も(一人っ子なもので)と思ってしまった。圧をかける言葉(姉本人はきっと無自覚)は良くないね‥。
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匿名
ネタバレ 無料版購入済み二話目
17歳の女子高校生、小田薪葉菜はある日いきなり自分の体が知らない中年男性になってしまうという悪夢のような事態に見舞われる。
周りの知らない人たちに支えられながらなんとか生きていたある日、「自分」が読者モデルをしているという事実を知り接触。
「自分」の中身は今の体の元の持ち主である木根正吾であったが地味な女子高校生はどこにもおらず自信に満ち溢れたモデルとして生きている正吾の働きかけで雑誌の編集部の雑用係として働き始めた葉菜。
一方正吾は若く美しい体を手に入れてモデルとして生きている中で自信に満ち溢れたように見えてもそのふるまいを快く思わない人たちがから陰口を言われているのだった。
中年男と違い今の自分なら強くてニューゲームだと思っていてもなかなか思い通りにはいかず……。
新しい体と人生を手に入れてはつらつとしていても思い通りにはいかないんだなぁと思った。
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Posted by ブクログ
ネタバレ
これは…… なるほど……
きのう、まだ2023年だった頃に作者の最新作『違国日記』を最後まで読み終えて、その翌日に、10年前、2021-2013年に連載・発行されたこの全2巻の作品を読んだのだけれど、そのあまりのギャップに驚くとともに、最終的には、なるほど確かにこの『ひばりの朝』の延長上に(『さんかく窓の外側は夜』や『花井沢町公民館便り』などを挟んで)、『違国日記』が位置するのだと、そのひとりの作家の経歴の連続性に納得させられた。
Wiiリモコンとかガラケーとか、2010年前後の時代特有のものが色々と登場して、その ”古さ” に慄いた。富子がひばりに対して内心でしようとした、windows OS(XPかVista辺り)での「ゴミ箱へ削除」演出とかも、あの時代でないとまず書かれないだろう。
上巻を読んだ時点で、(ひばり以外の)登場人物のあまりの露悪的な造形、性悪説っぷりにゲンナリしていて、おいおいどうするんだこれ、ここからよくあんなにキャラ全員が善性を持って、少なくとも倫理を追い求める善人であろうとしている『違国日記』を書くようになったなぁ信じられへん……と思っていた。
それが下巻に入ると、本当にギリギリのところで露悪からなんとか善性のほうへと切り返して踏み留まれるかに思われる展開を見せ、期待が高まったが、最終的には、むろん単なる露悪でもなければ、安易な「救われ」展開でも「改心」展開でもない、また別の方向へと突っ走って着地/逃避していた。私の語彙でいえばG=マルケスの『エレンディラ』展開と表現される、ある種とても王道な結末ではある。”夜明け”のほうへとひとり行ってしまったひばりがその後、幸せに暮らせたのかどうかは宙吊りにされている。
「詩」で物語を締めるやり方は当然に『違国日記』を思わせるが、既存の古典を引いた本作に対して、あちらはオリジナルで勝負していて成長を窺わせる。
また、ひばりを死なせもせず、しかしひとりぼっちで逃げ出させた(=”社会”に放り出させた)『ひばりの朝』の結末は、ある意味でとても誠実であると同時に、無責任でもある。だからこそ、そんなひばりの逃避先として『違国日記』での槙生と”朝”との共同生活を描いたのではないかと思った。
上巻の時点で、ま〜たエロゲとかによくある、「ミステリアスな魔性のヒロイン」を中心に配置して、彼女を取り巻く人々の群像劇によって次第に多面的に真相が明らかになっていく(=撹乱されていく)系の物語か……と嫌気が差していたが、しかし上巻の最後の「talk.7」で早くもひばり視点のエピソードを入れてきてくれたので、やっぱヤマシタトモコ信頼できるわ〜〜〜となった。まったく入れないとか、最後に満を持して持ってくるパターンとかが全然有り得てしまうなかで、半分いかないうちにちゃんと彼女が「魔性の女」なんかではないことを、本人の内側から宣言してくれたことのうれしさ。
> 「助ける」ってさ …どうやんのかな
> …どうなったら …あたしって ………助かってるのかな
> …あたしって 助かんの……?
その通り。これは「ひばり」というひとりの少女の問題ではない。彼女を取り巻くこの現代社会の構造の問題である。だから、例えばひばりに想い(性欲と分離はできない)を寄せているクラスメイトの男子が「助ける」ことなどできない。彼が本当はそんなの「できないってわかってて言ってる」事実以上に、そもそも「彼女ひとりを助ける」ことで解決する問題ではないのだ。
だから、誰かの善意がひばりを助ける展開にしなかったことは誠実だと思う。同時に、彼女を取り巻く人々が、まったく善意を持ち合わせていないのではなく、あと一歩で、1クリックで、なんらかの実行的なアクションに繋がっていたところまで丹念に描いていることもまた、素晴らしい。クラスメイトの相川勇くんの勇気ある行動・発言だって、確かに「忘れない」ものを彼女のなかに残しはしたのだ。それはひばりを救いこそしないものの、彼女が「死なない」ための助けには、ほんの少しは貢献していただろう。
この物語の、この”問題”の核心にもっとも迫りながらも、同時に「きっと誰にも救えない」と諦めてニヒリズムに陥っていまっているのはひばりの担任教師・辻先生である。ひばりのはとこ?であり、彼女が一時的な逃避先として選ぼうとしていた「完ちゃん」と並んで、もっとも彼女の抱える問題に気付いて手を差し伸べるべきなのに、それをしなかった罪深い大人だが、辻先生自身が複雑に絡み合う女性差別の中で精神的に摩耗している様子が描かれるので、やりきれない。
> ありきたりの言葉であなたたちがその狭い世界を罵るたび
> あなたたちが世界にどれほど美しく強堅で信ずるべき 善いものを求めているか
> いつも思い知らされるようです
> 敵と味方以外にも人間はいること
> きれいときたない以外のものごともあること
> 生と死以外の選択肢もあること
> 大人と子供以外の人間もいること
> 誰もきっとあなたたちに教えてはくれません
> 私も
> 大人は
> 自分がかつて子供であったことを忘れないと生きてゆけないのです
> だから私はあなたたちを助けません
辻先生のこの言葉を、生徒である未知花は屋上のシーンですでに見通しているのが良かった。
> あたしか ひばりか
> …カガイシャか …ヒガイシャ?
> …どっちか死んだら超ドラマチックであんたたち 皆 超スッキリするよね そうなんでしょ?
だからこそ、誰も安直に死ぬ展開にはしない。極端なバッドエンドでもハッピーエンドでもなく、この物語は終わっても、ひばりの、未知花の、彼女ら彼らの人生は続くのだと。そう思わせてくれる物語で良かった。「息を止めていたので平気でした」……まったく「平気」ではないそれを、このようにひばりに言わせてしまっているそれを私たちは深く痛感して恥じなければいけないが、同時に、それでも彼女は生き残ってくれたのだと、この言葉をまじない(呪い/祈り)のようにしてか、耐え抜いてくれたのだと、絶望と希望で両面を固められたそれそのものを呑み込まなければいけない。この漫画を読むとは、私にとってそういう体験だった。
子供に接する大人こそが、教師こそが、そして本当は親こそが、「そこから逃れる方法」を教えてやるべきだ。逃してやるべきだし自身が逃避先になってあげるべきだ。それは正論だが、同時に社会を構成するひとりひとりの大人という”個人”に責任を鋭く委ねるのではなく、個人の善意と勇気に賭けるのではなくて、あくまで社会構造の問題であると、きわめて政治的な次元の問題であると認識して向き合うべきだ、私たちひとりひとりが。無論、漫画という物語作品のメディアで、どこまで政治・社会を具体的に扱うことが出来るか、というのはまた個別的に難しい課題である。少なくとも、この『ひばりの朝』という漫画では、自身が広げたその範囲で出来ることをかなり誠実に描き切っているとは思う。が、同時に、これだけでは限界がある。それを作者も読者も認識しているから、『違国日記』という作品が書かれ、広く読まれるようになったのだろう。私は、この列島(極左フェミニスト高島鈴さんからの受け売りの言い方)の大衆の政治的状況に深く絶望すると同時に、それでも『違国日記』のような作品が広く読まれているのは本当に素晴らしいことだと思う。
昨日と今日で連続して読んだために、膨大なヤマシタトモコ作品の中でどうしてもこれら2作品のみをナイーブに結びつけてしまう思考になっていて申し訳ない。もっと、ヤマシタトモコ作品の全体像のなかでの位置付けや、そして他の作家の作品との関連も見通してこれからも読んでいきたい。
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無料版購入済み
女性の性(さが)が……
短編集の冒頭幾つかを読んだだけなので判断しづらいですが、出てくる女性陣の悩み、伴侶や彼氏なら受け止めるべきでしょう。何れも簡単ではなさそうでした。
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匿名
ネタバレ 無料版購入済み入れ替わった後も続く人生
17歳の女子高校生の小田薪葉菜と38歳の自動車工場で働く中年男性の木根正吾はある日突然お互いの体が入れ替わってしまう。
正吾の体に入ってしまった葉菜は記憶喪失ということにされてしまい日常生活もままならない状況を過ごしていた。
一方葉菜の体に入った正吾は混乱したのちその状態を強くてニューゲームといってきれいな女子高校生としていろいろなことを吸収してついにはモデルになった。
一年経ってお互いが入れ替わったことを確信した二人はようやく会うことができたがきれいで自信に満ち溢れたかつての自分の体に対して葉菜は混乱していた。
お互い助け合おうということで正吾はモデルをしている出版社に掛け合い仕事もままならない葉菜をごり押しでバイトをさせるが……。
入れ替わってもどう順応するかによってここまで人生が違うのかということを感じた。