エミリー・ブロンテのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
『嵐が丘』は、何冊かの訳書でトライしたが、そのつど挫折。
たぶん、わたしにするか、おれにするか、ぼくにするか、そこが気になったのかもしれない。わたくし、わたし、あたし、あたくしも同様。年齢や育ち、性格がそれを決める。私の場合は、最終的に河島弘美訳がはまって、念願の完読。訳文もわかりやすくてよかった。(年齢についてだが、ペンギン・ブックスの冒頭のGenealogical Tableには、登場人物の関係だけでなく、生没年月日も記されていて、very helpful。)
たんなる虚構ではない。場所や家も、そして人々も、個々の材料はエミリーのすぐそばにあった。それらをうまく採り入れつなげて、ひとつの物語を作り上げる。そういうふうに読むと、書き上げた時のエミリーの喜びもわかる。(最終部分は、思っていたより、ちと安易。オースティンの『高慢と偏見』ほどじゃないけど。) -
Posted by ブクログ
ついに読んだぞ、『嵐が丘』。毎回、勢いよく読み始めるのだが、途中でだれがだれかわからなくなり、挫折の繰り返し。
もともと、ミステリやホラー(ゴシックロマン?)の要素もあって、すぐはわからないように作ってある。なんたって、キャサリンが2人出てくるし、アーンショー家とリントン家が対称形でこんがらがるようにしてある。現在と過去の間の往来もある。謎解きと展開を楽しむ作品なのだ。
しかし、人間関係が理解できると、そこはエミリーのストーリーテリングの巧さ、一気に読める。完成品を姉と兄と妹(シャーロット、ブランウェル&アン)に読ませた時には、きっとドヤ顔だったに違いない。
思っていたほどには自然描写は出てこない。荒涼とした自然のイメージは、「嵐が丘」や「ヒースクリフ」という名前から来るのかもしれない。しかし、語り手のロックウッド、冒頭で「人間嫌い」を自称していながら、ゴシップ大好き、結構人間好きなんじゃん。
(p.s. 完読に至るまでは試行錯誤。小野寺、阿部、大和、田中、鴻巣、氷川、中岡、三宅訳を試し読みした。「あたくし」や「あたし」は生理的にだめ。「わし」も、37歳のヒースクリフが言うのはヘン。結局、河島弘美訳に落ち着いた。) -
Posted by ブクログ
ネタバレ以前から気になっていたけれど、モームの読書案内で取り上げられていたことに背中を押されて手に取りました。(三浦しをんの初期のエッセイでも紹介されていたような)
物語の舞台は200年以上前、重苦しい表紙をみて恐る恐る読み始めたけれど、作品の世界にどっぷり浸かってしまいました。
どの登場人物も安易に感情移入させない癖と強さを持ち、(こんなにたくさんの登場人物がいても好きと思える人がいない)ぎらぎらした感情表出やぶつかり合いに思わずひるんでしまう。
これは時代性なのか、国民性なのか、特異な気質なのか、とにかく馴染みがなくてしげしげと眺めてしまいます。
一方で、訳者の解説にもあるように、そこへユーモアの視点を入れて外すような、この人たち大真面目だけどちょっと面白いよね?という作者のシニカルな茶目っ気も感じます。
ヒースクリフは名家にとっての異物でありガンでもあるのだけど、結局は荒れ野原に勝手に芽が出るように、すべてを奪い尽くすことはできなかった。
最期は無力感の中で、キャサリンのいるどこか別の世界に移っていき、寂しさよりあるべきところに収まったような座りの良さを感じました。
そして作品を通じて、時代は移り変わっても、自然の中で過ごすことの強い喜びは現代も変わらないことを思いました。 -
購入済み
この緻密で酷薄で、これほどに情熱的な物語を、1800年代というだいぶ前の、田舎に住む、おそらくは人生経験も限られた二十代の女性が完成させたとはとても信じられません。
まさに唯一無二と言ってよいでしょう。
そしてこの激しい作品を完成させた女性は、人生に挫折し若くして逝去した実兄の後を追うように、三十歳で亡くなりました。常に毅然とし、作品へのどのような評価も聞き流していたといいます。
天国の眠りとしての成就でなく、迷える魂となって再び荒野を駆け巡りたい。
そう断言した著者を、心から敬服します。
翻訳者も、心底疲れたとあとがきに書いていましたが、著者の強くどこまでも深い魂に触れた、本当によい翻訳でした。 -
Posted by ブクログ
解説をまだ読んでないので凡庸な感想かどうか分からないし、歴史的背景を調べてまで書こうとも思わない。だからいい加減で無責任である。
題名である嵐が丘と作者が名付けたのは、ヒースクリフの存在がアーンショウ家にとって大きな災厄をもたらす悪魔的存在の隠喩?(表現あってる?)からなのでだろうか。
私は本書をヒースクリフとキャサリンの悲劇的恋愛を主軸とした物語だとは思えなかった。それはヒースクリフに対して同情心を誘うような小説的技法が全くなかったからである。むしろ本書のメインテーマは悪魔的存在に囚われた一家数代の悲劇からその回復であると思えるのである。(異端的でも解釈は自由である)
ヒースクリフはキャサリンと結ばれることがなかったが、キャサリンは執拗にヒースクリフに思いこがれる。イザベラも同様である。これは悪魔からの誘惑であるとも解釈でき、リントン家の崩壊を招いた。そしてリントン・ヒースクリフの存在もキャサリン・リントンにとっては結局は不幸の種でしかなかった。
結局不幸極まりないキャサリン・リントンにとっての救済は従兄弟であるヘアトン・アーンショウによるものであった。同じく不幸極まりないヘアトンもキャサリン・リントンによってヒースクリフからの解放をもたらした。この二人の恋によってついにアーンショウ家は悪魔的存在に打ち勝つことが出来たのだ。そしてその恋の微笑ましさは、本書の今までの恋愛描写よりよっぽど共感できたのが私がこの解釈を強くした理由である。
ヒースクリフの肌が薄黒い(黒かな?)というのは示唆的である。私はこの辺のイギリスの歴史に無知なのでおおそれたことは言えないしいい加減な推察だが、インド系やアラブ系を連想でき、異教徒で許容できない存在であったり、悪魔のモチーフとして表現していたのかもしれない。当時のヨーロッパ圏の勢力争いを調べてみると面白い、より深い考察が出来るかもしれない。(肌による差別の意図はありません。当時の人種感覚を想像して考察してみました。また当時の人種感覚を作品の評価を下げる要因にはならないと思っています。読んだ方で詳しい人がいたら指摘して欲しいし、いつでも訂正できる所存です。)
踏み込んで言うと本書の舞台は古い慣習が支配する田園地帯であり、時代背景も考慮にいれると古い宗教的価値観に支配された一種の封建的世界である。その古い道徳観、法律理論はアーンショウ家が、ヒースクリフに支配される正当性を産みそれが悲劇の種になる。このような古い価値観からの解放を女性作者であるブロンテは望んでいたのだろうか?それも調べてみたいような気がした。
いずれにせよ様々な解釈が可能な古典は面白い。本書を読んだ別の読者から、面白い解釈があれば見てみたいと思わせるような、悪くいうと粗いとも言える作品ではないだろうか。