石井光太のレビュー一覧
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とうとう3作目です。
本作はいかに自分の意志で選び取った道を歩んで行くか。夢なんて大それたものでなくとも、色々体験して楽しいと思える事を夢中にやるべきだという本です。
大人になるとベターだと思われる人生が薄っすら分かる為に、どうしても子供に意見を押し付け気味です。子どもの頃の事考えると、自分の意見より大人の考えの方が正しいと思っていたし、逆らっても良い事なんてないと思っていたのは確かです。
でも、子供にもやりたいことはあるし、意見だってありました。声に出して大人に分かってもらうというのは大事な事ですね。自分だって子供から真摯し言われたら何とかしてやりたいと思うもの。
時が解決しない問題「いじめ」「虐待」「貧困」等は大人を頼っていいんだ。それは逃げる事にはならない。よりよい人選を選ぶためにとにかく声を出して欲しい。そう繰り返し語る石井光太の言葉は信じられる。是非この本を通じて救われる子供が居て欲しいものであります。 -
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全3作のうち2作目です。
1作目「言葉を武器に変えて」は大人のぼくもガーンと衝撃を受ける名作でありました。子どもの頃の自分に何とか届けられないものだろうかと、読んでいる最中胸打たれまくりでした。
本作は世界に大きな影響を与えた子供たちの足跡を参考に、君たちも出来る、世界を変えて行こうという内容になっています。
前作が、「自分」であるのに対して本作いきなりグローバルかつ、「他者」が対象になっていくので、子供が読んで「自分も出来る」と思えばとても心強いですが、ちょっと大きく出過ぎかなーなんて思いました。
本作に登場する子供たちはまさに「世界を変えた」子供達です。読んでいて胸が熱くなります。いい大人なのに何してんのかと自問自答する事になる本でした。 -
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僕らの世代は原爆の事を学ぶにあたって「はだしのゲン」よ読む、映画を見るのは常道でありました。でも今は映画はもうTVでやらないし、、漫画も子供にショックが多いという配慮なのか、図書室に置かない学校も有るようですね。広島長崎の被害の事を、意識しないで子どもたちが自然に知る機会は、社会科の授業ぐらいなのでしょうか。
石井光大氏のルポタージュはどれもこれも重厚で、しっかりとした取材と心情を救い上げる優しさ。そしてある意味冷たいともとれる位冷静な視線が同居しています。
本作は広島を復興させるために動いた人々の足取りが書かれていますが、いわゆる感動的なだけの話ではなく、全てを投げ打って、平和都市への復興、核兵器の被害の研究に携わったにも関わらず、結局報われないまま埋もれた人々達の足跡です。
特に初代原爆資料館館長の長岡氏は、原爆被害の研究をいち早く始めた権威でありながら、学歴が無かったという事が災いし、業績に結局名前が殆ど残っていません。館長としても、原爆資料館を、原子力の平和利用の名目で使われる事を身を挺して阻止しようとして、館長を去らなければなりませんでした。その為一部資料に名前が残るだけになってしまったのです。今原子力発電所で苦しんでいる日本を見たらなんというでしょうか・・・・。
一つ一つ丁寧に資料を掘り起こして書かれたこの本は、既に語りつくされた事の中からも、色々な分野の人々の動きを重層的に書いているので、現代だからこそ読む価値のあるものだと感じました。
これは僕の問題ですが、いきなり副読本のようなこれを読むより、全体を俯瞰した本を先に読んだ方が理解が深まったような気がしました。 -
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内容が内容なのでなかなかヘビー。ゆっくり読んだ。
読み進めているとなんだか夢見心地になってくる。『本当に起こっているのだろうか?』とすら思ってしまう。
それだけ今が恵まれている証拠だろう。日本の場合、ストリートで生活する人たちは地方で生きることはほぼ困難で、都会に住む場合が多いように思える。それ故に、その景色を目の当たりにしたことが無い人達がたくさんいる。
最も印象的だったのが『出来ることが物乞いしかなく、それを仕事にしているだけ。それがどうして恥なのか?』というフレーズ。培ってきたレッテルが剥がれかける瞬間であり、言葉では説明がつかない感覚だった。
どの章からも、悲痛な叫びが今にも聞こえてきそうで、辛かった。それでも読んでよかったと思う。知らずにいることは出来ないと思うから。時には命をかけて取材を続けた著者に感謝したい。 -
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石井光太氏の書かれるノンフィクションは紛いも無い。
常に取材する人の側に寄り添うような
一切の感情を交えない簡潔な文章が好きだ。
第二次大戦が落とした様々な影をメディアが扱い
語り継がれていく中で、何も無かったかのように
葬り去られるのが、戦後の『浮浪児』について。
空襲によって、家を無くし、家族を無くし
1人で生きていくこととなった浮浪児たち。
わずか5歳から12歳ぐらいまでの子どもたち。
養護施設『愛児の家』の裕さんが語られた
戦後、浮浪児となり施設に入った子どもと
現在、施設に入っている子どもの強さの違い。
がむしゃらという尊い言葉。生き方。 -
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一昨日前に叔母が亡くなった。お通夜と告別式にバタバタと出席した後はポカンと心に穴が開いた感じ。終始涙が枯れることがなかったが、それは綺麗にお化粧を施された叔母の顔を見て、生前を思い出すからだった。そんな綺麗なお化粧を施してくれるのが納棺士であり、あの静かで美しい所作が叔母の最期を彩ったのだ。
自分の最期は自分では選びとれない。選びとれない以上、周りの人間がどれだけ気を配れるかが大切となる。本書は劣悪な環境、精神状態ながら、圧倒的なプロ意識で遺体に向き合う職人たちの話である。
本書に描かれる遺体は、叔母のそれとは比べ物にならない程状態が良くない。ただ良くないながらも、手を抜くことなくベストを尽くそうとする職人魂に支えられ、それぞれの形で旅立っていく。そんな様子が描かれている。 -
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本書は、様々な戦場で生まれた都市伝説を紹介、その背景を解説し、最後に著者の考察を添えるという形式で書かれている。ウガンダの内戦、ベトナム戦争、湾岸戦争等から生まれた都市伝説を経て、最終章は第二次世界大戦における日本軍の行為にまつわる都市伝説が紹介されている。個人的には、イラク戦争に関係する「僕を助けてください」と、ベトナム戦争に関わる「掘り起こされた棺」が特に心に残った。
ある夜中、イラクに駐留していた軍医トムは電話の音に起こされる。頭を撃たれて危険な状態のイラク兵士を手術してほしいと言う。トムが駆けつけると、手術室には誰もおらず、ナースは運び込まれた兵士などいないと言う。
二日後の夜中、トムは同じ電話でまた起こされる。トムは、間違いのないようにと、今度は負傷兵の名を確認する。「マハト」という名の兵士だという。ところが、トムが手術室へ行くと、やはりそこは無人で、搬送されてきた兵士などいないということであった。
その更に二日後、また同じ電話によって、トムは起こされる。これは何かのいたずらかとトムが問うと、電話の相手は、トムのいる基地がイラク兵の負傷者を受け入れないので入れない、助けてくれるならAビルへ来てほしいと言う。
トムは部隊長に事情を話し、翌朝彼と一緒にAビルへ行ってみる。するとそこには、腐敗しかかった遺体が3つ、抱き合うように倒れていた。そしてその一体の軍服には「マハト」という名が記されていた。ベトナム戦争にまつわる「掘り起こされた棺」も、同様の構造を持った話である。
イラク戦争やベトナム戦争において、米軍は現地の兵士を戦闘に投入したが、彼らは通常、アメリカ兵よりも危険な地域へ派遣され、その結果戦死者の数も多かった。例えばベトナム戦争におけるアメリカ兵士の死者数が約5万8千であるのに対し、南ベトナム兵士の死者数は約31万3千人と、約6倍になっている。しかし、現地の兵士の死者数が多いのには、もう一つ別の事情もあった。
戦場で負傷した兵士の治療は、アメリカ兵が優先された。ともに戦ったイラク人、ベトナム人兵士は後回しにされ、彼らはしばしば放置され、そのまま死んでいったのだ。戦場なのだから、いろいろ行き届かないことはあるだろう。だが、結果からすれば、彼らはただの捨て駒にされていたのだ。
助けを求める幽霊兵士の都市伝説が生まれた背景にはこうした事実があると、著者は推察する。著者は言う。
「戦争における怪談は、戦争や権力に対する人々の怒りによって支えられているのかもしれない」
戦争で失われる命のほとんどすべては、巻き込まれた人々のものだ。声を挙げることも許されず、また、声を挙げても一顧だにされない人々のものだ。戦場の都市伝説とは、そうした人々の怨嗟の声を知る人々の思いから生まれたものなのだろう。そんなことを考えながら、私は本書を読んだ。この本を読んでいるとき、中島みゆきの「伝説」がいつも頭の中で流れていた。
風につづるしかなかった手紙 あなただけは読んで
雪でつくるしかなかった形見 あなただけは抱いて -
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著者である石井光太さんがアジアの国々の物乞いや障害者を訪ね歩き、その体験をまとめた本。
東日本大震災の被災地を訪ねた「遺体」を読み、深く心に刺さったので彼の本を他にも読みたいと手に取ったが、読みながら何度もつらさに手が止まった。
彼が出会う人々は実に様々だ。
戦争によって障害を負っていたり、先天的に障害を持って生まれたり、そして貧しさ故に障害を負わされた場合もある。障害を仕方のないものと受け入れる人もいれば、これは自分の業が悪いのだと諦める人、乞食という仕事にさえ誇りを持つ人もいる。
特に胸がつまったのは、インドのレンタチャイルドの実情だった。
彼らは幼い頃に誘拐され、物乞いする大人たちがより自分を可哀想に見せるために貸し出される。そして、子供としての商品価値が無くなれば腕や足を切断されるなどして、次は自分が乞食をさせられるのだ。
こんなことが世の中に起こっているのかと、衝撃だった。
もちろんもしかすると今現在では状況は多少なりとも良くなっているのかもしれない。ただ、わたしにはそうして暮らしていくことが普通になってしまった場所がそう簡単に変わるとは思えない。
日本で普通に暮らしていて想像する「障害者」とはまったく違う彼らの暮らし。
いつか世界中の人々が、普通にやりたいことをやり、幸せに暮らせる時代はくるのだろうか。そもそも幸せな暮らしってどんなものなのだろうと途方に暮れた。 -
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ネタバレ絶対貧困とは「1日に1.25ドル以下での暮らし。この金額以下で暮らしている人は世界で6人に1人いる。この人たちが貧困なのはよく分かる。しかし、日本は世界で第3位の貧困大国だと言われると。ピンとこない。これを理解するには相対貧困という概念が必要になる。
相対貧乏とは「等価可処分所得が全人口の中央値の半分未満の世帯員」とされる。日本の場合国民の約16パーセント、つまり6人に1人が相対貧困となっている。日本が貧困大国だと言われるのは、他の先進国に比べてこの相対貧困率が高いためだ。
絶対貧困には生活するためにいろいろな制限や苦労がある。と同時に相対貧困にも絶対貧困とは違う問題がある。
多くの人に読んでほしい本だ。