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25歳でアジア放浪の旅に出た著者。以前、難民キャンプで目の当たりにして以来気になっている、障害のある物乞いたち。彼らの人生の背景を知りたい。そんな思いを胸に、カンボジアの地雷障害者やタイの盲目歌手、ネパールの麻薬売人らと、共に暮らし共に食らい語り合う。インドでは、手足を切断され乞食として路上に置かれる子供達の存在を知り、命の危険を顧みず、マフィア組織に潜入取材を敢行する…。想像を絶する事実の重さが浮かび上がる、衝撃のドキュメンタリ!
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Posted by ブクログ
著者が東南アジアから南アジアにかけての国々でホームレスのような障害者と出会ってのルポ。先天的な身体障害者、知的障害者もいれば、稼ぐために手足を切断されたような子どもたちも出てくる。子どもたちの手足をほんのいっとき稼がせるために奪い、使い捨てのように扱うようなことがこの世の中で起こっている不条理。「物...続きを読む乞う仏陀」という美しいタイトルとしっかり練られた文章と構成にぐんぐん読んでいけるのだが、それだけにちょっとあざといような感触も。 何かというと売春したりスケベ話をすることで男どうし渡りをつけていくのって、それが真実なんだろうけど嫌悪感。実際そうなんだからしょうがないじゃん的にしっかり利用している感じが嫌だ。しかもこの本、障害者のことは気の毒だ何だといっておきながら、買われる女性には無頓着なんだもの。そういうところにもあざとさを感じるのだろうな。 この本に限らずなんだけど、読みながらふと思ったので書いておくと、最近の世界放浪ルポって著者の言葉が陳腐だし感じがするんだよね。どこかで聞いた、誰かも同じようなこと言ってるって印象。たとえば、「無論、このような利用する利用されるといった構図は肯定されるべきものではない。しかし、それによって絶望と悲嘆に暮れる者もいれば、喜ぶ者もいる。あらゆる人間がひしめき合っている。それが都市の姿、バンコクの真の姿なのではないだろうか。」(p.125)みたいな感じ。「だろうか」って、ふんわりと保険をかけて言い切らないのも何だかね……。
衝撃でした。20年前の事だけど、今はどうなっているのかな? 貧富の差は、益々広がっていて、日本もそんな風にならないようにしないと。
内容 アジアの路上で物乞う人々と触れ合い、語り合ってみたい―。そんな思いを胸に、著者の物乞いや障害者を訪ねる旅が始まる。カンボジアの地雷障害者やタイの盲目の歌手、ネパールの麻薬売人らと共に暮らし、インドでは幼児を誘拐して物乞いをさせるマフィア組織に潜入する。アジアの最深部に分け入った衝撃のノンフィク...続きを読むション。
本当にこれは現実のこのなのか疑ってしまうような内容。特に最後のインドの話は、マフィア物のフィクションを読んでいると思い込みたくなるような内容だ。しかし、そんな現実も実際にあるのだということ。自分が生きているこの時代に場所を変えれば、日本でだってそのような非情なことは沢山あるのだろう。それを知ったとこ...続きを読むろで私がなにを出来るわけではない。しかし、知らないで良いということにはならない。 知ったからと言ってどうにもできない、、、。う〜ん堂々巡り。
凄まじい実情。 東南アジアやインドに行ってみたいなと軽い気持ちで考えていたが、こういう面があることを知ると、怖いです。 人間って自分が生きるためにどこまで他人に対して残酷になれるんだろう。
小説のようでもある。詩のようでさえある。しかしこれはノンフィクションである。題名の『物乞う仏陀』が示す独特な世界観を以って貧困の世界を描く。 衝撃度でいえば「第8章 インド」がもっとも貧困の闇を描いている。しかし他の章にもぜひ注目したい。「第1章 カンボジア」はさながら「羅生門」のような雰囲気を持...続きを読むつ。「第7章 ネパール」のザグリと少女の話は呪術の持つ「現実的な」効用とともに希望を感じさせる。 特に私は「第5章 ミャンマー」が印象的だった。老婆の感情が瓦解する場面は胸が締め付けられる。現世を否定されることはいまの自分を否定することになる。だから輪廻転生の来世を信じる老婆。やりきれなさを感じずにはいられない。 ときには生命の危険を冒しながらも貧困社会へ入り込み、自然な目線で人々を捉える石井氏。彼を突き動かすものはなにか。慈善心とは違う。好奇心だけでは語れない。使命感という言葉がもっもとしっくりあてはまる。良し悪しではなく「知らなくては」と「伝えなくては」という思い。 多かれ少なかれ我々は差別や偏見を持つ。過度な拒絶と同様、過度な優しいも差別であり偏見である。文章はその要素、つまり視覚や嗅覚、触覚を徹底的に排除する。文字のみを通して素直に自分自身の感情と向き合うことができる。貧困を描くことに対する賛否両論はあるだろうが、その成果は大きい。
日本だって60年前はこうだった。忘れちゃいけない、いろんな犠牲のもとに今の日本人がある。もっと必死に生きなくちゃ
一端の旅人として、ずっと読みたいと思っていた石井光太氏の作品。 古本屋で見つけて、ミャンマーへの旅をするにあたってジャストフィットやと思い、購入しました。 内容としては、アジア各国の街を歩きながら、乞食や障害者などの弱者に対してインタビューを行い、各国の実情を明らかにしていくといったもの。 ...続きを読むハンセン病患者の村を訪れたり、町の乞食を食事に連れて行って話を聞いたり、マフィアとの関係を調査したりと、本気のジャーナリストってすごいな、と改めて感じました。 今では日本でも障害者の人権が主張されるようになってきたけど、それっやっぱ経済的に余裕が生まれて、福祉を充実させたり、家計の中で障害ある家族にお金を使う余裕ができてきたからなんやというのを再認識しました。 障害者雇用なんてのも、雇用環境が整ってから実現するものやしね。 経済的に恵まれないアジア各国では、障害を持った子どもが生まれた途端、その家族は不幸になると、みんなが思ってる。 家計が圧迫されるだけでなく、隣人からは迷惑がられるから、人目を避けて生活しなければならない。 さらには、輪廻転生を信じる地域では、傷害の持った子どもが生まれたら、それは両親の悪業が要因だと思われて、村を追われたりする。 そんな不幸の要因とされている障害者は、自ら乞食や露天商になる道を選ぶ。 そんな状況が、もう何十年と続いているのが、アジアの障害者や乞食の現状である。 この作品では、そんな現状を明らかにしているだけで、ほんなら自分たちに何ができるかというところまでは書かれていない。 けど、作者はまず現状を自分が知りたい、そして多くの人に知ってもらいたいという想いで書いているんやと思う。 経済的援助や教育支援ももちろん大事やけど、こういった現実も知っておかなければならないと感じました。
アジアの路上で物乞う人々のありのままがかかれています。 先進国である日本では考えられないような事も まかり通るほんとに恐ろしい現状にただただ自分の無力感を 覚えました。 不発弾がごろごろと転がる村で力を合わせて 必死に生きている人々 シンナー中毒で路上を這いずり回るストリートチルドレ...続きを読むン 物乞いをさせるため手足を切断されたり眼を潰されてしまう子供 臓器や眼球までも売買させられてしまう物乞い こんな事が同じ地球上で生きるために繰り返されているのです。 こんな信じられないような現実が。 苛酷な環境で生きる人々の心に歩み寄り 問いかける事で現状の羅列でなくより真実に迫ったドキュメンタリーです。 だから私に何が出来るのかわからない。 だけど知る事が大事なのだと思う。
最終章のインドは特に衝撃的。 前章の諸国も強烈だったけどどこか希望めいたものがあって暖かい気持ちになれたけどインドに関しては絶望しか無かった。 この本は15年前に書かれたものだけど今はどうなんだろうか。 いずれインドも含め東南アジアはゆっくり旅したいと思っているけど、石井氏ほどは無理としてちょっと踏...続きを読むみ込んだ旅にしたい。
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