石井光太のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
『本当の貧困の話をしよう』がとても良かったので、これも読んでみた。
『本当の貧困』は古今東西の貧困をグローバルな視点で比較してあって、目からウロコが落ちたという感じだったのだが、こちらは様々な格差と分断はなぜ起きるかを、日本の問題に絞って分かりやすく解説している。この本も大事なところは太字の上にマーカーまでひいてあるし、字もくっきりしていて読みやすい。読書慣れしていない子どもも読みやすい。
『本当の貧困』ほど、「そうだったのか!」という感じはなく、そうだよね、という感じ。しかし大人だからそう思うので、ターゲットの中高生はやっぱり「そうだったのか!」と感じると思う。
タレントの生い立ちや最近起きた事件も例として載っているので、若い人が興味を持って読める内容となっている。
私は読みながら松本俊彦さんの著書を度々思い出した。依存性になる人が、この本に例として取り上げられる人と重なるからだ。虐待(勉強や好成績を強いる教育虐待を含む)、貧困、人間関係の悩み、障害、家庭やコミュニティに居場所がない、など。
恵まれた人こそ、普通に生きていては決して交わらないこういう人々がいることからまず知ってほしいと思う。高校生になったら読むべき。
気になったところは、小澤征爾が裕福でない家庭だったのに「大きな情熱を持って」いたから世界的な指揮者になったと書かれている(P330)ところ。小澤家は家柄良く、何よりインテリの家庭で、クラシック音楽家の家庭の平均よりは裕福でなかったかもしれないが、貧困とは言えないし、情熱だけでなく才能とコミュニケーション能力もあったのである。凡人が「よし、頑張って小澤征爾みたいになるぞ!」とはいかないと思う。(そもそもクラシック音楽家に幼い頃から親しめるのはインテリ家庭)
残念だったのは、参考文献がないこと。飯島愛にしろ小澤征爾にしろ、直接の知り合いでなければ、著書とか評伝とかを読んで書いているのだから、巻末に参考文献は載せるべきだ。新聞記事やテレビ番組なんかも参考にしているようなので、それもあれば言うことないが。(グラフや表の出典は近くに書いてある。)
信頼性の問題だけでなく、興味を持った読者が読めるようにしておくべきだと思う。 -
Posted by ブクログ
本書は児童虐待の当事者である母親に主に焦点を当て、虐待が起きた背景を探る。
複雑化した問題を単純化することなく、地域支援の輪を作り出すことの重要性を主張する。
本書において、一つだけ注文をつけるなら、父親の存在あるいは父親の責任といったものがあまり見えてこないということ。
決して育てられない「母」を責めているわけではないし、取材対象が母親であるからだと推測はされる。
産まざるを得なかった母の苦悩に比べ、「俺は知らない」と逃げる父親や恋人、あるいは、客の無責任たるや。
代理ミュンヒハウゼン症候群の母親については、
最近発覚した虐待死事件でも同様の精神疾患によるものと考えられるものがあった。
その後の報道では母親の生育歴が明らかにされていた。
子供を手にかけたこと、傷つけたことは許されることではないが、彼女自身も救われるべき「子供」だった。
生育歴に問題があったことと虐待をすることは決してイコールではない。
また、知的障害や発達障害等があるから虐待をするわけではない。
だが、筆者が指摘するように、周囲の無理解や、援助のなさが孤立を招き、一番弱いところに行く。
決して人ごとではなく、誰しもが当事者たりうる。
性に対する理解が少ないのなら、学校、家庭、社会で教育・啓発を進めていく必要がある。
「寝た子を起こすな」の教育方針がどれだけ子供を傷つけるか。
子供たちに与えるべきは自分を守る術だ。
子供を守る人が足りないのなら、デジタル技術を最大限取り入れてほしい。
人が足りないのなら、人がやらなくてもいい作業はやらなくてもいい。
支援教育の場に向かうのならば、副業も認めてほしい。
さまざまな理由で子供を助けられる仕事を本業としていない有資格者は多いはずだ。
私も、自治体の支援センターに助けられた。
だから今度はその手を別の人につなげたい。
小さな意見かもしれないが、社会が変わることを、心から望んでいる。 -
Posted by ブクログ
新宿歌舞伎町ホストクラブの半世紀。「夜の街」の真実を描く!「どうせ社会の側の人たちが僕らに理解を示してくれることなんてないでしょう」これは、生きる場所を求めて歌舞伎町に集まった若者たちの、泡のように淡い夢と重い現実の物語である。
コロナ禍で歌舞伎町がかなりダメージを受けているというのはテレビで見ましたが、そもそも自分が全く知らない世界の成り立ちを知りたくて読んでみた。すごい。こんな歴史があったのかってびっくりする。取材した人は何者なのでしょう・・・?社会のレールからはずれた者たちを受け入れる場所で、だけど諦めずに社会の中の一輪として育ってほしいという願いを持って教育や奉仕活動をしているホストグループがあるなんて今まで知らなかった。彼らみたいな人をもっと大々的に取り合げていくメディアがあればいいのになあ。裏社会のイメージという色眼鏡だけで見ていた自分を反省するとともに、どうか彼らには今後もしたたかに生き抜いていってほしい。 -
Posted by ブクログ
毎月のように何らかの児童虐待が報道され、その量の多さが逆にこの悲惨なことどもを「アタリマエ」化してしまうようで、この本に取り上げられた3つの事件も、タイトルだけではすぐにどれだかはわからないほどに、感覚が鈍麻してしまっている。それこそが怖い。
タイトルが「『鬼畜』の家」とあるように、これは子どもを死に至らしめた親たち個人というよりは、彼らを生み出した「家」、つまり家庭環境を取材し、問い直したルポルタージュだ。
3つの事件で罪を問われることになった親たち、そのいずれもが一般的な「サザエさん」的なイメージもしくはそれが内包する基準からは、はるかにかけ離れた環境で育っている。
それは貧困であったり、本人もしくは家族の疾病であったり、何らかの人格障害めいた行動であったり、単純にひとつの要因で語られるようなものではない。
「歪んだ」家庭環境からは、社会的多数が容認、同調できるような常識的感覚を身につけた人間は生まれてこないのだ。そして当然、その人間は「社会的生物」つまり権利を守られ、義務を果たすべく道徳や倫理観を持った人間を「育てる」ことはできない。彼らが育てている「つもり」の人間は、そういったものが欠損した存在で、当然のように自分が家庭を持ったときに、正常に機能できないのだろう。
とても気になったのは、ここで取り上げられた「鬼畜」を生み出した家庭の主が、ほぼ自分と同世代だということ。「家」制度が事実上解体はしたものの、「個人」の権利と義務に対しては、全くというほど躾も教育もなされて来なかった自分たちの世代。個性とは自己主張すること、権利とは言いたいことを言えること、義務とは罰せられない限り果たす意味合いを見いだせないもの。
そんな育ち方をしてしまった世代であることには十分以上に自覚も同調もできてしまう。悔しいけど。
そしてそれが社会的に連鎖していくものであることを、この本は十分過ぎるほどに語っている。
児童虐待は未熟な個人がつくる歪んだ家庭が生み出すものだとしたら、それはそこら中に広がっている。それが事実だ。