中島京子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いつしか加速度的に、早く続きが読みたい、続きが読みたいと思って、駅で電車を乗り換えるときも、改札へ向かうエスカレーターに乗るときも、ずっと手放せずに読んでしまった。
食べるときは、食べることに集中しようという私の信条(最近はじめた)も破ってしまうほど(簡単だった)ずっと手放せなくて、続きがものすごく気になった。
すごい推進力のある小説…!
気になるのは、もちろんIBと、イトウの恋の行方である。
イトウの想いは、どこへどういくのか、
彼はどこへ向かうのか。
ひっぱるのが、「恋の行方」というところがいい。
サスペンスは数あれど、恋の行方を謎にしたものはそんなにないような気がする。
「恋の行方、すなわちイトウの恋」を謎にしてしまったのが、素敵なアイディアだったのかもしれないな。
歴史的事実でも、驚愕の大発見でもなくて、
一人の男の恋心にこんなにも引っ張られてしまう。
そしてこれが、どうやら本当にいた人物たちをもとにして描かれているらしいところが、またいい。
ついついスマホ片手に、実在の人物を調べながら読んでしまった。
本当にいたのかと思うとき、歴史というのは事実だけで作られていないことを知って、なんというか、奇妙な、暖かいような、複雑な気持ちになる。
いつだって、時代は「人の気持ち」がつくっているのだ。
「誰のようにもなる必要はない。不可思議な人生を生きろ」
なんかぐっときたよ、このコトバ。
この物語だったからなのか、今の自分に響いたからかは分からないけど。
ああ、なんだか良い時間だったな。
うーん、面白かったなあ! -
Posted by ブクログ
ネタバレ友人に勧められて。ゼミで『蒲団』を扱ったのでパロディを十分味わえた。
「蒲団の打ち直し」というタイトル付けが見事。ストーリーの改変、時雄が焦がれた蒲団の再利用、二つを掛け合わせるプロット構成に思わずニヤリ。ウメキチの若い頃のエピソードでは『白痴』も意識してると思えてさらにニヤリ。主人公の戸惑いぶりも読んでいて微笑ましい。
原作の『蒲団』では妻目線での語りがない。だから、妻からの視点で『蒲団』というテクストを読めるのは新鮮。さらに『蒲団』のあらすじも分かってしまう。なので、一粒で二度美味しい作品になってる。
『蒲団』と現代とのリンクが感じられて、「文学史が今に続いてる!」と謎の感動。作品はそれ一つで閉じたものなのではなく、他の作品にも関わると歴史の中で活き活きしたものになるんだなー、と同時代間を感じられる。
最後の911テロの報道場面はやや唐突で、何だか浮いてる印象。けれど、全体的に『蒲団』への愛情がにじみ出ている傑作。自然主義文学を読んだら是非これも。 -
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失踪した均(きん)ちゃんの家に泥棒が入る。
本人不在のため、
関係者が集められるがそこに居合わせたのは。
元妻と彼女を含めた3人の女たち。
均ちゃんという共通点を持った3人が
箱根に不思議な旅行に出かける。
3人それぞれ、
そして均ちゃんからの視点から物語が出発する短編集。
放浪癖があって、
だらしがなくて、
お金もなくて、
自由奔放で、
でも憎めなくて、
妙な才能を持ってて、
タイミングが抜群なのに、
かわいそうな均ちゃん。
こーゆー人にきっと女性は弱いはず。苦笑
ってか、私が弱い!笑
本当に勝手な男なのにね、均ちゃん。苦笑
本当はもっと深くキャラクターを掘り下げてほしかったけど、
さっぱり読むにはこのくらいが丁度良いかも。
「信じられないわけでも、信じたくないわけでもないが、
信じて待つのはエネルギーがいる。
信じさせるにもエネルギーがいるだろう。」
きっと私は、薫に近いけど空穂が好きだし憧れる。
女は強い、と信じたくなる本! -
Posted by ブクログ
大学生の時に、作者である中島さんとのうれしいつながりを発見し、手にした本が、文庫化されているのを知って再び手に取る。
実在の人物をモチーフにした物語。イザベラ・バードことI・Bとその通訳をしていたイトウの恋の物語。ありえないとは思っても、つい想像してしまう。そんなお話を見事に実現したのがこの本だと思う。
イトウの手記をとおして、「日本人」の視点で、東北への旅を追体験したような感覚。だから、フィクションとはいえ、イザベラ・バードは、当時の日本を、日本人を、東北という地をどう見ていたのだろうか。そんなことが気になり、『日本奥地紀行』も読んだのだけれど、面白かったという記憶しか残っていないという・・・。もう一度、『日本奥地紀行』も読み返してみようと思う。 -
Posted by ブクログ
4編がそれぞれ冠婚葬祭、成人式、結婚、葬式、お盆にまつわる物語です。
中島さんは日常に存在する物を描きます。でも、そこに有る物をそのまま描いてもつまらない。正面から描くのなら、多少はレントゲン的視点で、あるいは正面から視点をズラすことで、普通の人である読者が面白く感じる物語になります。
中島さんの面白さは、その視点のズレ方のようです。普通なら少し上から鳥瞰的にとか、斜め横から斜に構えてとか、いっそ裏面から・・なんて予想します。でも中島さんのズレ方は、角度は大きくは無いのだけ、どこか予期せぬ方向にズレていて、それが何とも言えないユーモアに繋がっているようです。
面白いですね。 -
Posted by ブクログ
4つの作品の連作。他の作品の端役が他で主役になる、という構成と、作中でかつてのある時代をかなり精緻に思い起こさせるという得意な手腕を発揮して、さりげないのに、凝ったつくりだなあ、と感じさせる。
この人は、物語内に、別の時代を流すのがうまい。今やそれが特徴と言えるかもしれない。
「この方と、この方」には、かつていい若いモンがプラプラしていると世話焼きおばさんや世話焼き親戚が現れて見合いを設定し、結婚へと片付けていくことが有効だった時代、「どこかできちんとなにかをあきらめて、おさまるべきところへおさま」っていた時代を流し込む。
「最後のお盆」では、近所の人が大した用もなくフラリとやってきて縁側に座り込み、お茶を飲み飲み世間話をしていく、という風景が日常だった時代。
「こうやって、ゆっくりゆっくり実を揉んでいると、色がだんだん濃くなるでしょう。そうして中身がぐずぐずになったら、楊枝を使って穴を開けるの。ちょっとずつ、ちょっとずつ種を出して、お水で洗ってきれいにしたら、口に含んで吹いてごらん—。」
「ざるに盛ったつやつやのうどん、湯気の立つ麺つゆ、茹でた青菜が食卓に並んだ。擂り胡麻、刻み海苔、しょうがのすりおろし、刻んだ油揚げ。」
匂ってくるではないか?
ほおずきの青くささ、胡麻やしょうがの匂い。。。
それとともに、それらが正しく味わわれ、正しく伝えられた時代を感じさせられるではないか。
「最後のお盆」は、山田太一「異人たちとの夏」を思い出させる。「異人たちの夏」には無理があったと思うが、こちらは成功。