「進撃の巨人」
100年に1本の傑作。
時代を映すというよりも、人間の普遍的な人格バリエーション
を的確に抉り出す天才の所業。
友人曰く「地獄のミルフィーユ」の世界を背景に、
人と人はなぜ殺しあうのかを端的に突き詰めた神話を堪能できる。
必謬性が貫く不完全な人間の「社会」の残酷や地獄をこそ祝福するラースフォントリアーの「ニンフォマニアック」。その中に出てくる世界樹の存在。世界樹は北欧神話の伝説で、「社会」から「世界」へと誘導するディープエコロジーの原典だ。
ディープエコロジーは大虐殺を肯定する。「世界」の痕跡たる森を守る為には、人間を根絶やしにせよ。ドイツのホロコーストの根源にも通づるロジック。この事実から学ばない限り、アニミズム的信仰は許されない。
そこに回答を見出すのが「ニンフォマニアック」であり、「進撃の巨人」だ。
「社会」から「世界」へ
ではなく
「世界」から「社会」へ
ハンジとエレンが巨人の謎について語りあかす話の中で、巨人には質量がない、というくだりが出てきたときに、この作者はジャンルを超えてこの世界の存在を作品に刻印するつもりなのかもしれない、とドキドキした。そして驚くべきは、その予感を超えて「進撃の巨人」は全巻を通して、世界の存在が人間をどこへ導くのかの補助線をすら提示している。
作中で最も印象に残るエピソードは、壁の外の真実が明らかになったあと、壁の外の子供ガビと、壁の中の村の子供がぶつかり合うところ。
「なぜ先祖のしたことで私たちが憎み合わないといけないの?」
ガビは壁の中の悪魔と教えられてきたエルディア人が、自分と何ら変わらない人間であると気付き葛藤と懺悔に苦しむ。先輩のライナーと同じ苦しみの連鎖。
このエピソードはイスラエルとパレスチナの戦争を例に出すまでもなく、人間社会のセンサーとして後世に残る神話だと感じる。
エレンとアルミンとミカサ
エレンが求める自由とアルミンが求める自由の違い
エレン本人も自身をどこにでもいる馬鹿だと言っていたが、どこにでもいる一般的な人間が求める自由は、しがらみや抑圧による縛りがない状態のことだ。
アルミンの自由は、縛りがある社会を生きつつ、その外側に思いを馳せる態度の事だ。
社会からはみ出した目に見えない世界の存在を諦めずに肯定し続ける事。それは決して物理現実や人間社会を否定しない。すべてが包摂されるからこそ世界の存在は肯定され得る。
エレンは他者に縛られない状況を目指して大量殺戮を決行した。
でもアルミンを知っているから、自分の選択は間違っているとも感じる。
エレンはアルミンやミカサに殺戮の行く末を託す
これは何を意味しているのだろう?
エレンに共感できる読者の肯定?
人類の8割を滅ぼしたことで将来守り通した仲間たちの国も滅ぼされるけど、
自意識は共有できるよ?
つまりまだまだ整理がついていない、、、また追記することがあると思う。