1945年8月15日、日本にとっての第二次世界大戦は幕を下ろす。
しかし、単純に、「戦争が終わった=平和が戻る」ではなかった。
敗戦国・日本には占領軍がやってくる。物資は不足している。戦争で失われた人材も数知れぬ。
人々は「戦後」がどうなるのかをはっきりとは描けぬまま、見えない新時代へと、いわば、ハ
...続きを読むードランディングせねばならなかった。
そうした中で、国策として設立された施設があった。
RAA(Recreation and Amusement Association)。日本語では「特殊慰安施設協会」と呼ばれる(cf:『敗者の贈り物』)。
占領軍兵士向けの慰安所で、一般の婦女子が兵士たちに襲われることがないよう、「防波堤」として作用するための施設だった。有体に言えば兵士の性のはけ口であり、娼館である。
国の肝いりで、かなりの好条件で大々的に募集がかけられた。表向きは「ダンサー」や「事務員」等となっていたため、仕事の内実を知らずに多くの女性たちが詰めかけた。面接で初めてその事実を知り、ショックを受けても、実のところ、他に選ぶ余地はなく、そのまま働き始めるものも多かった。
本作はこのRAAをテーマに据えた小説である。
但し、その切り口には少々ひねりがある。
主人公は14歳の少女・鈴子。父は交通事故で亡くなっており、兄たちは出征し、姉と妹は空襲で命を落とす。鈴子は母と2人きりで終戦を迎える。
母は語学力を武器にRAAでの職を得る。これは本当に「事務職」としてであり、母は春をひさぐわけではない。
物語は鈴子の目から見る形で進むので、RAAの生々しい内情は描かれない。
だが、思春期特有の不安定だが鋭い視線で、鈴子は戦後のある時期の深層をえぐり取って見せるのだ。
鈴子は一貫して不機嫌である。
いつもどこかで、「ずるい」と思っている。「つまらない」と思っている。何の罪もない妹が死ななければならなかったこと。大人たちが子供たちを守ってくれないこと。「どうして」と聞くと叱られること。「神の国」である日本のあちこちが焼き払われていくこと。
戦争が終わっても、暮らしは元には戻らない。鈴子は、不本意なことに、米軍の上陸に備えて、襲われることのないように髪を短く刈られ、男の子の服を着せられる。
小さいながらも会社の社長の奥様であり、それまで働いたこともなかった「お母さま」は、英語ができるため、RAAで働くことになったという。
母に連れられて職場近くに引っ越した鈴子は、徐々に、そこがどういう施設なのかを朧気に知ることになる。ついこの間まで「鬼畜」と呼ばれた米兵たちの機嫌を取る仕事。実際に米兵の相手をする女性たちの中にはひどい目にあっている人もいるという。「そんなところで働いて、お母さまはそれでいいの」と怒りも沸く。
けれども一方で、彼女は知ってもいるのだ。自分が他の子よりもおなか一杯食べられ、身ぎれいにしていられるのは、お母さまの仕事のおかげであるということも。そして自分がその特典を投げうつことができないことも。
母、つたゑは、よく言えば目端が利き、悪く言えばしたたかな人である。
父を亡くした後は、父の友人の愛人となり、その後は占領軍将校を射止め、戦後の混乱を渡り歩いていく。鈴子は確かに、この母がいなければ、貧窮にあえぐことになっていたはずだ。
鈴子がいかに反感を覚えようと、また将来的には袂を分かつことになろうと、母なくしては生き延びられなかったのも確かなのだ。
本作では鈴子と母をとりまく他の女性たちの人生もまた印象的に描かれる。
人目を引く美人だが、夫が出征する際に、他の男に奪われることがないよう、顔に大きな傷をつけられたモトさん。
大学出だがダンサーとなり、男たちへの怒りをたぎらせて、将来的には驚くような転身を遂げるミドリさん。
鈴子の幼馴染で、戦争でひどい目にあう勝子ちゃん。
物語の句点となる水曜日は三度来る。
終戦の日であり鈴子が14歳の誕生日を迎える1945年8月15日。
「オフリミット」でRAAが閉鎖される1946年3月27日。
そしてエピローグの1946年4月3日。
1つの時代の終わりであり、1つの時代の始まりである水曜日。
そのいずれで女たちは高らかに歌うのか。
700ページの大部の大半は、ざらりと重苦しい。
けれども、物語の最後には、幾分かの光が差す。結局のところ、どうしようもなくても、やるせなくても、生き残った者は生きていくのだ。
その牽引力が怒りであろうとも、まだ見ぬ未来へと拓けていく道は、ほのかに明るい。
鈴子は時代を変えていくことができるのだろうか。できたのだろうか。
お母さまが願ったように、「一人で生きていかれる人」に、おそらくはなったのだろう、と、かすかに思う。