中村うさぎのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
久しくこのタッグから離れていたなぁ。
数年前のある期間すんげー読んでたけどな。とくにうさぎさん。
相変わらず、うんうん、って思えるところもあったけど、
少し、離れたなって、思うこともある。
めちゃハマったときには、わたしは自分の自意識の大きさに辟易としていたときだったかと思う。
自意識の大きさが変わったわけではないけれど、
「女から解放?された向かう先」を考えるうさぎさんを見て、
あ、わたしはまだ、この段階じゃないや。
わたしはまだ、考えなきゃいけないことがあるわ。
と思ったのではないかと思う。
この、「自分」というものが、ピクトグラムよろしくまっさらな人型のペラ紙みたいなもんで、そこに「二重パッチリ」「髪はロングのストレート。前髪厚くしてミステリアスに。」「服はシックに黒ベース」「バッグはプラダがいぃわぁ」「靴はヒールなしなんてありえない!」みたいなオプションをペタペタカスタマイズした「記号変換可能な存在」と化すことが当然となったこの世の中で、「そーは言っても、まだ自分、吠え声上げるくらいの気概は残っとりますから。」なんつう魂は売り渡してませんぜ的雰囲気すら「キャラ」という枠組みの中で「記号変換可能」な存在に成り下がってしまっている。
流れに身を任せて書いてみたので分かりづらいですわね。
バブリーな時代にはさ、(いや、今もいるけど)ヴィトンのバッグを持ってる私、みたいな「記号を着ること」がもてはやされていたんだけど、最早それが、「キャラ」という便利な言葉に身を隠しながら、「自分の内面すら記号化して着てしまう」現象が現れている。
岡崎京子を読んだのは、「それでも生きる」っていうぎりぎりの結論にたどり着いた人なんじゃないかと、思ったからで、
それを私なりにもう一度、「それでも前に進むためにできること」を、回顧主義とは違う感じのアプローチはできんものかと、考えてみたいと思ったんよね。
自らを記号化して傷つくことも前に踏み出すことも先延ばしにしている私を含む若い世代が、どうやって次の一歩を踏み出すか、「生」に目を向けるかという課題を、
「子を産む」以外の手段で見つけることは出来ないかと、
考えてみたいのが最近の私の頭の中でございます。
それは、「子を産む」ことを選ばなかったうさぎさんとは、
多分違う形で見つけたい、と、私は思っているのだと思います。 -
Posted by ブクログ
最初。ヘラヘラと軽い気持ちで読み始めた。やがて笑顔は凍りつき、読む手を休めながら目を閉じる事しばし。
重い本である。
獣道、人の痕跡なき道を歩くとはさも苦しいものなのだろうか。またそれが「裏道」なら尚更である。
本著はマツコデラックスと、中村うさぎ。二人の異色が「拝啓 マツコ様」「拝啓 うさぎ様」と書簡をやり取りする形式+対談といった構成になっている。テーマは多岐に渡るが一貫として語られるのは、哲学である。
その言葉は、やたらと刺さる。刺さって刺さって、毒にやられそうになる。特に私が刺されたのは以下。
「できれば、ネガティブな事だけ忘れて、大切な思いはリアルに覚えておきたいものだけど、人間はそんなに都合よくできていない。忘却によって救われた分、忘却によって失い続けるのよ」 -
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犯罪を犯した13人の女たち。彼女たちが犯した事件や取り巻く環境、そして何よりそれぞれの心の内が、中村うさぎの内面と交錯する形で描かれる。
それぞれが持つ背景や、また彼女たちの結末も三者三様であるが、その根底には強烈な"自意識"の問題が存在する。そんなこと考えない方がきっと楽に生きられるに違いない。しかし彼女たちは、"何か"が欠落した自分に対して目を向けずにはいられないのだ。
多くの犯罪者は自分の感情を言語化することに不得手だ。勿論、ここで描かれるそれぞれの"犯罪者"に対する中村うさぎのの解釈が誤っている可能性も、彼女自身が前書きで指摘する通りあるわけであるが、とかく分かりやすい形でセンセーショナルに取り上げるマスコミに代わって、その内心をえぐるように言語化するという作業こそ、解説で述べられる"祈り"の行為なのだと思う。 -
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【経緯】
ぺりこさんに、徹子の部屋にでてきたときの中村うさぎと顔が似てると言われ。笑
【書き出し】
「どうして私は、女であることを、おおらかに正々堂々と楽しめないのか」
これが、私の長年の疑問であった。
【感想】
「女としての価値」をわかりやすく数値で示して!って考え方がユニークで笑っちゃった。
いやー 身につまされるというか‥
人間として、女として、求められたいというのは至極真っ当な話なんだよね。
別れたときにセックス依存になる女は、「セックスしたい」ということよりも「女として求められたい」んだな、とストンと納得した。
【引用】
「自分の欲望を刺激するのはけしからん」とか「自分の欲望を刺激しないから面白くない」とか、そんなおまえの理屈でファッション評論される筋合い、どこにもないんだよ。
我々の中には確かに「男に欲情されたい」という願望があるけれど、それは私の意志を無視して一方的に他者の欲望の餌食にされるのではなく、私の主体性に基づいて私の方から「男を欲情させたい」ということなのだ。
【不可解】
メディアにいちゃもんつけられるのに無防備すぎる点。
ほんとすごいと思う。。 -
Posted by ブクログ
「女とは?」というこの究極の問いに、中村うさぎが様々な視点から答え"ようとする"一冊。その効能(?)は解説の指摘が的確。p285「性役割に馴染めなかったオトコオンナたちに、うさぎさんは何と闘えと言っているのか。それは、本文中にもたびたび登場する「オヤジ」というやつだろう。〜略〜闘う相手はもっと観念的なもの、社会にはびこる「オヤジの常識」だ。」p288「Cancam女にも、エリートパパにもなれなかった外れオトコオンナ達は、舗装されていないけもの道を歩き続けるしかないのだ。〜略〜そんな人々に、一緒に強く生きようぜとハスキーボイスでエールを送り続けているのが、うさぎさんの本なのだと思う。」要は旧来の凝り固まった「女」像からの解放を目指しているんだと思う。
中村うさぎ、そして彼女を支持する読者を苦しめるのは、この観念的な「オヤジ的なるもの」だ。「自分棚上げ精神」を持ち、「こうあるべきだ」を振りかざす「オヤジたち」。そのオヤジたちが唱える「女のあるべき姿」に順応できる素地のない人は、社会が求める自分と現実の自分にもがき続けることになる。「男」や「女」といった枠組みに拘るのは往々にして「オヤジ」たちであり、そのくせこの「オヤジ」たちは自分を傍観者に位置付けるのだ。
男の論理は基本的に自分が中心であるため極めて単純明快。一方の女は「女」であるが故に求められる役割やらそれに反する自意識やら、不一致要素がたくさん。これが女を苦しめる要因の一つであるような気がする。 -
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ネットや日本という国の在り方、個人主義やセクシュアリティーまで、2人の気の赴くままに進む往復書簡。個人的には特に2011.11.27-2012.6.10の部分が興味深い。
ここ何年か、何故だか中村うさぎの発言が気になるのは、恐らく彼女の思想が自分と似てる部分が多いから。p.87〜中村うさぎが珍しく政治について発言しているが、国家(日本)の「栄枯盛衰」の考えだったり、蓮舫の「一番じゃなきゃいけないんですか?」発言に対する理解だったり、これからの日本の在り方だったり、普段自分が漠然と考えていることほぼそのまま。p.94で日本は世界のリーダーとなる国民性ではないというのもまた然り。
テーマに偏りはあるが、冒頭に挙げたテーマについて考えるきっかけを得るために再読したい一冊。 -
Posted by ブクログ
はーおもしろかった。
個人的に好きなのは「甘い「さよなら」」というエピソード。
うさぎさん好みの完璧な外見をしてるのに、どうしてだかエッチな気分になれない不思議なウリセンの彼。
男に甘えるのが苦手なうさぎさんが、どうして彼の腕枕なら素直に受け入れられるのか、彼になら抱き締められて抱き締め返すことができるのか。説明ができない。
「彼は、私の心の中の「何か」を溶かす天才だ」と言う。
うさぎさんは、愛する人の中に自分を見、愛する人を抱き締めることで自分を抱き締める、そんな愛の形にうんざりしているみたいに見える。
たぶん、彼はその泥沼から遠いところにいる。愛する人を抱き締め、自分を抱き締めたいなら、もう少し彼のそばにいたらいいと思う。
が。
「だが、その「何か」が溶けてしまうのを、私は本当に望んでいるのか?」
…泥沼から抜け出すことを望んではいないみたいです。 -
Posted by ブクログ
中村うさぎの赤裸々に綴ったショッピング三昧借金三昧の生活を書いた本。
なんとなく、山田詠美を思いださせる貫禄の文章。
でも、すっごい面白いの~。
なんか、怖いもの知らずなこの口調。凄すぎるわ。
ほんとバカ丸出しなんだけど、漫才を見てるような感覚に陥るこの文体はな~に?
これ、結構好きだったりして。
おかげで気分盛り返してきたよ~。
Yahooで「中村うさぎ」検索してみたら、なんとこの人、一週間に一回しかお風呂に入らないらしい。顔を洗うのもたまに。
そして旦那さんはゲイ。
片付けるのが嫌い。
なんか、ちょっとひけた。。。
でも普通じゃないとこが、この人らしいね。 -
Posted by ブクログ
言葉の定義をはっきりしないで、
薄ボンヤリした概念を共有するつもりで会話するじゃない?
それを許せないタイプの二人の
書簡のやり取り。
中村うさぎさんとマツコデラックスさん。
なので、
解釈やら、言葉の持つ意味について
突っ込んで話しています。
お互いの言いたいこと、
訂正と再確認を。
やー、お二人とも大好きですが
私にとって
かなり濃いです。
でも、確かに誰かと話していても
暗黙の了解とか
なんとなく伝わってるよね、
ってふんわりした空気があったりするけど
この往復書簡にはありません。
孤独、欲、自我、自由、
試行錯誤して格闘している言葉たち。
「色んなものを諦めることだけはやってきたけど、
何が欲しいのか、
何がやりたいのかっていう肝心なところを
突き詰めては来なかった気がする。」
「世間から愛されない自分を正当化するために、
世間を憎むのと同じ図式ね。」
誰にだってある
コンプレックスとか
言えない気持ちや出来事を
誰かに投影して
他者を攻撃すること。差別すること。
自分はそうならないように。
極力努力しなくちゃ。
そして、
自分がどうしたいのか
もっとストイックに考えたい。
考える行為をしようとしていたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこの本を読んだのは2年前なんですが、常日頃疑問に思うことや不満と通じるものがある気がして個々にレビューとして綴る。
2012年9月の話。
※今から吐く毒は、「一個人」として吐くものです。
最近勤め先(某学校)で、男生徒に「やらせてくれっ!」って迫られ、襲われそうになった女子生徒(未遂)が、友人のススメで先生にその事実を学校に訴え、そのため加害者の男子は職員会議で何があったかを詳細に全教職員に知らされる事になった上、退学の危機に陥るという事態になったということがあった。
学校の対応としては、別に間違いはないし、女が泣き寝入りするなんてあってはならない。(まぁ結局何も起こってないんだが。)だから別にこの学校側の対応にどうこういうつもりは全くない。
わたしがこう感じるのは、おそらく私が「アバズレ」なのでしょう。
「『生徒』として間違ってないけど、『女』としてどうなのよ。」と。
「やらせてくれ。」と言わせる要素が女子側にも恐らくあったであろうということとともに、
男が血気盛んな10代後半の野獣どもっつう認識だって、女子側にはあるでしょう。
「やられるかもしれない」という可能性があるのなら、まずそんな環境作るべきじゃなかったってこと。自分の身くらい自分で守れ。
プラス。まぁわたしがアバズレなんでしょうけど、
うまくかわせなかったのかなぁ…。
のらりくらりと、「またね。今度ね。」「今生理中」もしくは「お前とやるほど安くねーよ。」と一喝。
これ、言っちゃだめだけど、話聞く分には、 その男の行動、20年前の女落とす時の男の行動ママだと思うわ。ある意味ダメ元でもガンガン食い下がっていったそのガッツは現代の男にはなかなか見られない。
まず最初に「彼氏いる?」とかいう詮索入れて、
「いないよ」=「俺と付き合ってもいいというメッセージ」
とかいうご都合主義甚だしい解釈につなげる
傷つくことをしたくない甘ちゃんよりはよっぽど男だわ。バカだけど。いや、男はおバカか。だから正直「退学どうこう」を学校が言っちゃうのはなんか違う気もしちゃう。女の方にもそこまでの制裁加えさせてしまうだけの落ち度が本っ当になかったのかと言われたら、自分の潔白さを証明できないんじゃないかっつう。
※追記
もういっこいっすか。
今朝の話。
SHRの時間になっても教室にいない女子が3人いて、なんだとおもってトイレに行ったら、過呼吸で苦しんでるクラスの子がいて、保健室に運ばせたという話。
今就職試験まっただ中で、緊張のあまり出た(もともと出やすい。元A◯Bの誰かさんと一緒。)のかと思い、よくよく話を聞いてると、
「彼氏と一モメあったから。」
だって。担任に聞くと
「あいつが過呼吸出す理由、他に無いですよ。」と。
わたしは、平安時代の恋愛話なんかを紐解くに、
「恋焦がれて死ぬ」だの「好きな男を追い求めて息絶える」だの、ンなことあるかーい!と、か弱いお姫様体質なんてクソ喰らえと思っていた人間なんですが、
なんともまぁ恋愛体質って、体の構造としてあるんですなー。
わたしは見苦しいくらいに生命力に溢れてるんで
「今わたしがここで「怪我」とか「病気」になんて状態に陥ろうものなら、一体どんだけ人に迷惑かけるか!」
と思った瞬間、病気怪我、なきものになりますからね。
39度近い熱を数日間出しながらも、
「出勤せねばならぬ。」と思った瞬間に
日中は平熱に戻るっつう便利な体をしています。(仕事が終わると熱が出るんですなぁ。不思議な事に。)
こんな人間にはならんでいいので、
せめて男と喧嘩したくらいで過呼吸で倒れんでくれよ…。
と、教師にあるまじき感想かもしれませんが思ってしましましたとさ。
追記の追記
何でこんなにもこの顛末に疑問を抱くのかということを考えてみた。
わたしは男なんて大嫌いだし、「やらせてくれ」と迫った男を弁護するつもりは毛頭ない。
ただ、「襲われそうになった」→「先生に言った」→「加害者とされる側が制裁を受けた」
この図式が成立するのは前述のとおり、「最低限自分で自分の身を守ることをした」ときに成り立つものな気がしてしまう。
言葉を選ばないといけないところだけど、
「女性の権利」を主張するのなら、それなりに女も強くなきゃいけないって思うのは、私が男よりの考え方をしているのかなぁ。
「女って弱いんだから気を使ってよ!}っていう権利の主張の仕方って何か違和感を感じる。
「女って弱いんだから、その弱さに漬け込んだ男が報復を受けるのは当然の結果だ」って言われてるみたい。
何を持って「女は弱い」のかを履き違えんな、ってことよ。
少なからず日本は男社会だから、社会に出ている時の女性の立場は未だ弱い。私もそれは認める。私も今と同じように働きながら子育てだなんだとか色々無理!とか思う。基礎体力も男に劣るのも確か。
だから、働く女性の権利だったり、子育てしやすい環境であったり、「もともと違う性差」を埋める努力も男はすべきだと思うし、女も権利を主張していいと思う。
でも今回の一件って違う。
自分の身を自分で守る努力をしたかを問う前に、学校は男に退学に近い措置を下した。もちろん他に手立てがなかったのだとは思う。
でも、高校生ってそこまで子ども?
だって子どもと一緒よ。女の弱さを子どもの弱さと履き違えてる。
「自分は何もできないひ弱な存在です。か弱い私を守ってください」って要求を、学校が認めちゃったのよ。今回の一件。
女の主張は「子どもの主張」なののい、男は「大人としての制裁」が加えられているという奇妙なギャップ。
それ、間違ってるんじゃないんだけど、
被害者の子が「これでいいんだ。」って思ってしまったとしたら、そこに関しては大きな間違いだと、私は言いたい。
「女は弱いままでいい。何もできなひ弱な存在でいい。庇護されるべき存在でいれば誰かが助けてくれる。」
ねぇ、それ、すごく恐ろしいことよ。
男はこの件で大人に成長するきっかけを得たけど、
女は今回の行動で、多くの人に「その考え方でいい」=「子どものままでいい」っていう間違った考えを植えつけちゃったものじゃない。
女の弱さ、履き違えんじゃないよ。
女の弱さは、子どもの弱さなんかじゃないよ。
最低限自分の身は自分で守らなくてどうすんの?
「これでいい」って思っちゃったら、女は同じ事繰り返すわよ?それは男女の関係に限った話でなく!
わたしは、とんでもないことをもしかしたら、暗黙の了解のうちに認めてしまったのかもしれません。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「自分という病」というエッセイで東電OL殺人事件の被害者女性に感情的に馮依・同化して、女視点で赤裸々に肉薄をした筆者の、肉薄同化シリーズの続編。
事件の被害者女性・加害者女性に中村うさぎが馮依・同化して、突き詰めて抽出する女(特有)に自意識は、多分男女問わず共感を引き起こすものが多かったのではないか。少なくとも自分は、部分的には「自分の物語」として読んでいるモードに入っていた。とくに
やおい漫画作家殺人事件被害者の『謎めきたがる癖」には少し共感してしまった。底の浅い人間だと思われたく無いという想いが自分には強い気がする。
ちょっとこれも怖いけど面白い話しだった。