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Posted by ブクログ
ホストにハマり、デリヘル嬢も経験した中村うさぎ(ここら辺は『私という病』に詳しい)、彼女はその後もウリセンの男につぎ込み、SMクラブで縄に吊るされ、人に見られながらのセックスも体験し…彼女の行動は一見すると(いや、しなくても)奇怪だ。なのだがなぜか清々しい。自分とは何者かーこの根源的な問いに体を張って挑む姿勢が格好いいと思うからだ。
「主体的」な私と「客観的」な私、この分裂した「自己」を中村うさぎは「女」を切り口にして考え続ける(逐一「いや自分が醜いなど分かっている!」というような自分への容赦ないツッコミをせずにはいられないあたり、いかに自分が主体的な自分と客観的な自分との狭間で揺れ動いているか、分かる気がする)。だがしかし、この悩みはなにも女に限ったことではない。「男」とか「母」とか万人が何らかに属するようなカテゴリーだけではなく、「容姿」や「性格」といった極めて属人的なものであっても、それにより決定される「キャラ」があり、その客観的な「キャラ」と主観的な「自分」の齟齬に悩む人にも、また通づる内容だろう。これらが一致していたり、あるいはなにも考えずにどちらかになびいてしまう方がある意味では幸せだろうが、そうはしない人には心に響く内容なのではないだろうか。この本は、戦いの記録なのである。
思うに、中村うさぎは「思考する人」であり、そしてまた、「妥協しない人」でもある。変に"悟ったふり"などしない。己で体得する、そうこの「体得」という言葉こそが彼女に一番しっくりする言葉である気がする(「何も得てなどいない」と、彼女は言いそうだが)。「大人になれよ」と時に人は諭したりするが、それはとりも直さず「思考するのを止めよ」ということと同義だ。考えず、ありのままを受け入れよ、と。それを拒み続ける中村うさぎは一見すると「幼稚」だが、真の意味で生きるのを諦めない「大人」なのである。だからこそ、中村うさぎには戦いを挑み続けてほしいと思うのだ。
Posted by ブクログ
「女王様」こと中村うさぎさんが新宿二丁目の「ウリセンボーイ」を金で買って、彼らとの間に「本物の愛」は成立するのだろうかと言うまさに体を張ったエッセイです。
西原理恵子さんとはまた違った意味ですごい。 中村うさぎさんの本を本格的に読んだのはこれが初めてで、ショッピングの女王としてむちゃくちゃな買い物をして借金まみれになったり、もはや「工事」と言うレベルにまで自分の体を整形している、と言う話はちらほらと耳にしておりましたが、この本の中で彼女が敢行しているのは新宿二丁目のウリセンバーで春を鬻ぐ男の子を買いまくって「金が介在する彼らとの性の関係に果たして本物の愛は生まれるのか?」というまさに体を張った挑戦でまだまだ僕の知らない世界と言うものがあるんだなと言うことを彼女は教えてくれます。
あの界隈はお金さえあれば人間の欲望のほぼ全てがかなえられる所ですが、筆者と関係を持つ「ウリセン」の男の子たちとのやり取りが生々しくて、男の女の深遠と言うものを突きつけられる思いがいたしました。筆者はこの本の中で「盛り」を過ぎても自分と言う人間に欲情してほしい一心であれこれとあがくわけですが「ウリセン」の男の子が彼女とコトを始める前に
「AVみていいっすかぁ?」
と尋ねる場面が石田衣良さんの「娼年」や「逝年」の主人公である森中リョウ君の様な存在はやはり、フィクションの中にしか存在しないんだなぁと言うとコトを思い知らされたような気がいたしました。
結末はどうか、ご自身の目で確認いただくとして、いい悪いは別として、僕がそれをどうのこうのというつもりはまったくありませんが、彼女の書いていることは「余人を持って変えがたいものがある」と言うのが改めてわかったことと人にできないことをこうして記録してある、と言う意味で男女の深いところがあぶりだされているそういう意味でこの本は貴重な記録であると。これだけは自信をもってそういえます。
Posted by ブクログ
はじめで中村うさぎさんの著書を読ませていただきました。
まず持って感じたのは著者はものすごく正直で純粋で傷つきやすい人なんだろうと。自分で自分をイタいほどわかっているから、ウリセンやホストのチンコが勃たなくてもカネで買っているんだから自分が傷つく必要はないんだと、カネで買いながらもう一方では自分にちゃんと欲情してほしいという、自分を愛してほしいという気持ちもあるのだ。自分はちゃんとここにいるのだ、自己顕示としての、そんな薄っぺらいものではないけどそれでも世間を認めさせたい、自分の存在価値を自分できちんと感じたい、そんな葛藤を壮絶に描いた作品だと思います。たんなるセックスを題材としたエロ自叙伝ではありません。
Posted by ブクログ
はーおもしろかった。
個人的に好きなのは「甘い「さよなら」」というエピソード。
うさぎさん好みの完璧な外見をしてるのに、どうしてだかエッチな気分になれない不思議なウリセンの彼。
男に甘えるのが苦手なうさぎさんが、どうして彼の腕枕なら素直に受け入れられるのか、彼になら抱き締められて抱き締め返すことができるのか。説明ができない。
「彼は、私の心の中の「何か」を溶かす天才だ」と言う。
うさぎさんは、愛する人の中に自分を見、愛する人を抱き締めることで自分を抱き締める、そんな愛の形にうんざりしているみたいに見える。
たぶん、彼はその泥沼から遠いところにいる。愛する人を抱き締め、自分を抱き締めたいなら、もう少し彼のそばにいたらいいと思う。
が。
「だが、その「何か」が溶けてしまうのを、私は本当に望んでいるのか?」
…泥沼から抜け出すことを望んではいないみたいです。
Posted by ブクログ
この人の考えること、よく分かるなぁと思い、よく読む。
共感を呼ぶ本は、出合うと嬉しい。
でもある程度読むと、飽きてきたり不安になったりする。
それで今度は、違いを探し始める。
それで、あぁここが違うから、自分は大丈夫だって思って
なんか救われた気になる。
おかしな話なんだが。
違いを認識しつつ(私はこんな破滅的な行動はしない)
自分を投影していたはずなのに、(それでも彼女の言う「愚かしさ」はよく理解できる)
最終的にはその投影を捨て去ることで救済を得る。
その「自分は大丈夫」は、別にこの人を卑下して感じるものではなく、
ただ「違う」という認識だけ。
自分が囚われている愚かしさに終わりが見えない不安に対し、「違い」を「自身の終わりへの可能性」と感じるからなのだろうか。
(あぁ、でもそれって「中村うさぎは未だ救われていない」って目線だ。いや、救われるようなことがあったら、わたしは彼女の作品をもう読めないのだろうけど。救われないから書いてるとでもいうか。)
はてさて
太陽のもとで咲く大輪の花よりも、泥沼の中で凛と咲く水連に魅かれる
的なことが書いてありました。
だから、夜の街の王子様にハマったのだと。(多分そんなニュアンス)
暗喩に他ならないが、私はここに彼女との違いを見た気がしました。
私も多分、睡蓮に心ひかれる人間なのですが、
私は、睡蓮は、遠くから見てこそ美しいのだ、と思う。
睡蓮を近くで見ると、雄蕊雌蕊の生えているところには、「これから蓮根になるんだ。」という形状が見られる。それが睡蓮のリアル。わたしはそこに触れて、幻想を壊すことが、怖くてできない人間なんじゃないかな、と。
それか・・・「睡蓮のリアル」なんて、この人百も承知だと思うんだけど、私はそこまで深く関われないからそこに幻滅はしないかな。「あ、この人も人間か。」と。ただそれだけ。
関われない分思うのは、「夜の街」の泥沼具合と「睡蓮」の美しさ。
睡蓮は、泥の中でしか生きられないが、泥の中で生きることを選んだ「睡蓮」は、私は美しいとは思わない。だったら不当なまでの過剰労働で泥だらけ傷だらけになってる中で見出す美しさの方が私のイメージに近い。
この人は、夜の街の様々な内情を知ってるからこそ書けるのであろうが、
ネオン街の王子様を「泥沼の中の睡蓮」と例えられるほど想像力の及ばない私は、凡人の領域に住むそこそこの自意識のもとに、葛藤に耐えて生きていくのでしょうな。
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