中村うさぎのレビュー一覧
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色もの、キワモノと侮ったら大怪我します。
「私」という病とは、「病んでいる私」なんかじゃなくて、全ての女性存在(オカマ含む)の根源的苦悩のことを「やまい」と称しているふかい深い一冊である。
証拠に一部引用します。
「私は、女たちが好きだ。たったひとりで頑張って働く女も、主婦という孤独な立場で必死に踏ん張っている女も、道に迷ってへたり込み絶望している女も、泳ぎ続けてないと死んでしまう魚みたいに暴走し続ける女も、すべての女が私だから。私は、私を救いたいのよ。だから、彼女たちに向かって語り続けるのよ」
デリヘル嬢としてほんとうに十人ばかりの男の客の相手をしてみた彼女のことを、北野武はそこまでやったら「作家のやることじゃねえ」と言ったそうだが、タケシさんともあろう人が読みもしないで批判するのは止めてもらいたいものだ。
金めあてのホストからしか相手にしてもらえなくなった口惜しさから始まって、こちらの拒絶にもかかわらず若かった頃の自分を勝手に欲望のはけ口にしやがった、痴漢野郎やセクハラおやじへの怨念。女であることの苦悩とおんなとして認められなくなってしまったことの口惜しさ。見ず知らずの男たちの欲望に応えて金を払わせるという、傍目には暴挙に見える挑戦に走ったのは、その精神分裂的とさえいえる自己内の懊悩であっただろう。それは、一人中村うさぎの懊悩に止まらず、全ての女性存在が内包する矛盾する深層心理でもある。だからこそ、東電OL事件の被害者女性について、類例のない徹底的に透徹した、それこそ彼女以外では絶対に書き得ない一文で本書は締めくくられている。そしてまた、中村うさぎが身を挺した暴挙を通して告発した、コンプレックスと差別意識とは、女の敵であるだけではない。彼女が意図したフェミニズムの枠を超えて、男にとっても仇であるのだ。
自らの深すぎる苦悩から始まって、全女性の深層の矛盾を突き、男女の枠さえ超えた根源的な人間の醜ささえ抉る。こういうのを「作家」の営為と言わずして、他になんと言えるだろうか。
中村うさぎは、作家に他ならず『私という病』は名著である。声を大にして私はそういう。 -
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作家、中村うさぎが新宿は歌舞伎町にある熟女ヘルスにて実際にデリヘル嬢として働いた経験を通して描き出される女としての相反する欲望。読み終えたあとに深くて暗い闇のそこを除き見たような感覚が致しました。
ずっと読もう読もうと思って、ツイッター上でも筆者本人に読むと約束して結局読むのが遅くなってしまいました。
「どうして私は、女であることを、おおらかに正々堂々と楽しめないのか」―
という疑問の果てに彼女がたどり着いた場所は、新宿歌舞伎町のとある熟女ヘルス。
そこでデリヘル嬢「叶恭子」として三日間働き、ここで感じたことと、
「自分はなぜ、女としての性を楽しむことができないのか?」
という自らのみをえぐるような考察と、最後のほうに出てくる東電OLについての考察が記されていて、読んだあとに女性の深遠を覗き見たような気がして「なるほどなぁ」と思うのと、彼女の男に対する考察があまりにも鋭かったので、そこについてはウーンと考え込んでいる自分がいました。
あとがきにもありますが作家の永江朗さんにインタビューを受けたときに
「うさぎさん、この本を読んで思ったんですが、それじゃあ男はどうすればいいんですか」
という質問を本人にしたくなりました。いや、実際にはできるのですが、彼女から返ってくる答えはおそらくこうだと思います。
「さぁね、そんなの自分で考えたら?」
と言う答えが確実に帰ってくるので女性というものについてじっくり考えてみることにします。
そして、彼女が東電OLについて書いているのは彼女ならではの切り口で、彼女が派手な化粧をしていたのは「コスプレ」なんだと。別な自分になることで夜の街に街娼として立って、行きずりの男と大胆なことができたのではないかと。それについてはなるほどなぁと思いました。僕も彼女のことを大学時代に知って以来、個人的にずっと追い続けているものなので。
男にとっては耳の痛い話がてんこ盛りですが、「女」という向こう岸の存在を少しでも理解するためには読んでいて損はない文献だと思います。 -
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「女王様」こと中村うさぎさんが新宿二丁目の「ウリセンボーイ」を金で買って、彼らとの間に「本物の愛」は成立するのだろうかと言うまさに体を張ったエッセイです。
西原理恵子さんとはまた違った意味ですごい。 中村うさぎさんの本を本格的に読んだのはこれが初めてで、ショッピングの女王としてむちゃくちゃな買い物をして借金まみれになったり、もはや「工事」と言うレベルにまで自分の体を整形している、と言う話はちらほらと耳にしておりましたが、この本の中で彼女が敢行しているのは新宿二丁目のウリセンバーで春を鬻ぐ男の子を買いまくって「金が介在する彼らとの性の関係に果たして本物の愛は生まれるのか?」というまさに体を張った挑戦でまだまだ僕の知らない世界と言うものがあるんだなと言うことを彼女は教えてくれます。
あの界隈はお金さえあれば人間の欲望のほぼ全てがかなえられる所ですが、筆者と関係を持つ「ウリセン」の男の子たちとのやり取りが生々しくて、男の女の深遠と言うものを突きつけられる思いがいたしました。筆者はこの本の中で「盛り」を過ぎても自分と言う人間に欲情してほしい一心であれこれとあがくわけですが「ウリセン」の男の子が彼女とコトを始める前に
「AVみていいっすかぁ?」
と尋ねる場面が石田衣良さんの「娼年」や「逝年」の主人公である森中リョウ君の様な存在はやはり、フィクションの中にしか存在しないんだなぁと言うとコトを思い知らされたような気がいたしました。
結末はどうか、ご自身の目で確認いただくとして、いい悪いは別として、僕がそれをどうのこうのというつもりはまったくありませんが、彼女の書いていることは「余人を持って変えがたいものがある」と言うのが改めてわかったことと人にできないことをこうして記録してある、と言う意味で男女の深いところがあぶりだされているそういう意味でこの本は貴重な記録であると。これだけは自信をもってそういえます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「『男性嫌悪』である私が同時に『女として認められたい』と強く思うのはなぜか」という問いをひたすら自問自答し、内省を綴る書。
その問いの立て方、論の進め方、そして結論に至るまで、ほぼフェミニズムの考え方を踏襲しています。
著者自身はそのようなつもりはなかったと冒頭で書いていますが、しかしフェミニズムのテキストとして読まれてしまうのも致し方ない内容。
類書と異なるのは、自らデリヘル嬢になることで自らの葛藤の深遠を探った、という点。
これは出版当初かなり話題になったようで、本件を記した前後で周囲の男どもの態度が急変したことも、本書の検証対象の一部となっています。
穿った見方をすれば、本書の結論に到達するまでにデリヘルの経験は必ずしも必要なく、薄々悟りかけていたその結論を検証するために自らの体を使った、という順番の方が正しいのではないか、という印象を受けました。
著者は、社会人になってからストーカーのような男に毎日電車内で痴漢の被害に遭い、
会社の中では社員旅行で上司から押し倒されて手篭めにされかけ、
独立した後も"仕事と引き換えに身体を要求する"多くのクライアントに苦しめられ、
プライベートでも合コンで「お前なんかいなくていい」と言わんばかりの態度を取られ、
最初の結婚相手は結婚後に著者を人間扱いしなくなったために離婚し、
挙句の果てには、惚れてしまったホストに「お金を払って、嫌々ながらも目をつぶってセックスをして頂く」という屈辱的な立場に置かれたことに苦悩し、
その反動で「今度はこちらがお金を取って、(疑似)セックスをしてあげる」という“強者”の側に立てるデリヘルに魅力を感じたのだろう、と自己分析しています。
ひたすら内省(というか男への怨嗟)が100ページ以上も続き、結論としては
「私は、一人の女として対等に扱われたい。獣でも女神でもなく、ひとりの女として見つめて、欲情されたい。珍獣扱いも、腫れ物に触るのでもなく、ささやかな会話に笑いあえるような、そんな人間としての扱いをされたい」
という“妄想”が展開されます。(著者はつまり、対等に接してくれる男性に出会ったことがない)
この“妄想”が、デリヘルを体験した後に膨らんだものであるとは思えません。
きっと、人間扱いされてこなかった過去の数多の経験から既にこのような妄想は進んでいて、デリヘルという“性的強者”の立場に立ってみることでその仮説を検証したのではないかと思われます。
(同様の考察は買い物依存症に陥った時にも進めていたようなので、尚更本書の考察にデリヘル体験が絶対必須だったとは思えません)
(無論「検証」にも大きな意味があり、たとえそこから得られる新しい発見が皆無であっても、「あそこには何もありません」という情報自体が貴重ではあります)
簡単に書いてしまいましたが、これだけのことを訴えるために注がれているエネルギーは半端なものではなく、怨嗟の対象である「男」としてはページをめくるのが辛いものがありました。
「一人の女として対等に見てほしい」と訴える著者はしかし、本書の中で「男」を総称としてしか使っていません。
「あの男が嫌い」「あの男も嫌い」という個別事象ではなく、「男」というアイコンに対する極めて強い憎悪が渦巻いており、「どうせ男には理解されない」という絶望が何度も綴られています。
それは「(ひとりひとりではない)男」に対する蔑視でもあり、著者は敵と戦うことで敵と同様の思想体系をまとってしまっているようにも思えてきます。
(尚、本書は「同じように悩む女性のために」書かれており、「男性は読者対象ではないので、男性に対して『だからどうしろ』という提言はない」と明言されています)
著者はその持てる知性を以て上記のような考察を展開していましたが、「なぜ、男嫌いなのに積極的に性風俗産業に向かう女性がいるのか」については、当事者から別の形での”解”を得たことがありました。
「私ね、風俗で働いている(女の)人の中には、むかし男の人に(性)暴力を受けたことがある人が多いわけがちょっとわかる。風俗に来ても相手の人は選べないけど、それでも『お金のために自分の意思でやってる』って思える。だからこの仕事してると、昔されたことも、『私がサービスしてあげたけれど、その“客”がお金を払わずに逃げただけ』って思うことができるんだよね」
本質的には中村氏と同じことを言っていますが(つまり“性の主体”になりたかった)過去の辛い経験までも上書きするために行っている、という可能性まで本書の考察は及んでいませんでした。
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本当はA4で10ページにもわたる長大なレビューを書いていたのです。
最初はたいへん刺激的に思えたフェミニズムが苦手になってしまった経緯とか、
フェミニズムが反証可能性を残していない点で自然科学とどう違うんだとか、
中村氏は(キリスト教の)バプテストだけれどもその背景と本書の論の関係とか、
長々と駄文を連ねていたのですよね。過去に接したフェミニストを疑似的な反駁社と想定しつつ。
がしかし、そんな小難しい論を展開しようが何だろうが、
今から5時間後に乗る満員電車にもやっぱり痴漢は存在していて、そういう半径10メートルで起こっている事態に対して何ら改善に資することはないな、と思ったらバカバカしくなってやめました。
久しぶりにレビュー書いて疲れました。 -
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初めのほうで、時事ネタということで石原都知事のことに触れられている。どうしてあんな差別的な発言ができるのか、と憤っているんだけど、私にはあまり不思議に感じられない。私の母が石原都知事と同年代なのだが、まったく同じようなトーンで差別的発言をする。あの年代が社会の中心にいた頃の世間的常識ってあんなもんだったんじゃないんだろうか。まあ、今の世の中で、しかも都知事という公的な立場でそれを言ってしまうところが問題だとは思うけど。
二人の書簡を読むと、その誠実さ、真面目さに心打たれる。自分の弱点をこれでもかというくらい掘り下げていくところや、自虐的な見方などが、読んでいて痛々しくも思えてくる。でも、他人事とは思えない。
今回の書簡では、マツコの母親に対する痛切な思いが書かれていて、それもまた様々なことを考えさせてくれる。
やっぱり私にはこの二人の発言は毒舌とは思えなくて、しごく真っ当なことを言っているようにしか思えない。これが毒舌になるなら、どれだけ世間はぬるいやり取りをしているんだろうと思う。 -
Posted by ブクログ
大好きなマツコと、昔お世話になったらしい中村うさぎさんとの往復書簡(お互いに手紙みたいにやり取りする内容)+対談本。YouTubeで二人の対談をみてすごく興味を持ってました。初めて読むマツコの執筆でしたが、TV怒り新党で一度自分が書きあげた文章を有吉に読んだ時と同じような、「少し曲がりくどい」「エッセイちっくな」書き方でした。論理的な話し方が好きなので、個人的にはあまり好きじゃなかったし読みにくかったけど、内容は物凄くよかったです。中村うさぎからの愛情や二人の友情も垣間見ることができたし、過去の苦労話や石原都知事をぶった切るような話など、ハラハラドキドキ笑わせてもらいました。すごくおススメな一冊です。
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Posted by ブクログ
鋭い
(中村)うさぎさんというファンタジックな名前とは
かなり印象の異なる本質を見抜くような鋭い意見
愛(を求める)という言葉からは夢見がちな印象を受けるのに
内容からは徹底したリアリストぶりがうかがえる
勝手に想像したものとの落差も手伝ってとても面白い
男らしさ・女らしさという枠に縛られること、
露出という防御、
自分で選んだ人生の対立項の脅威、
関係性の中での自己確認としての愛情etc…
問題の本質を射抜く意見とストイックさ
デリヘルだかウリセンだか整形だかしらないが
この人は真面目で真実だけを求めて生きている
妥協のできない人…という印象
何だか天命の課題を研究する研究者のような感じがします -
Posted by ブクログ
中村うさぎがこの5年間で巡った地獄の数々を4つに分類して読者の皆様に披露!
●第1章『浪費地獄』買い物、美容整形、海外旅行などなど、幸せ・悦楽を求めれば求めるほど填っていくのがこの地獄。
●第2章『借金地獄』『浪費地獄』に落ちた者を、次に待っているのがこの地獄。
●第3章『悪口地獄』自分のことは棚に上げ、他人のことは容赦なくこきおろす。嫉みに僻みに同族嫌悪、すべての憎悪を投影し、思うさま悪口言った直後に落ちる、著名人芸能人への揶揄と嘲笑と悪口三昧の地獄。
●第4章『博打地獄』著者の未だ落ちていない「他人の地獄」。しかし他人の不幸こそ、蜜の味…地獄めぐりの最後に到達するのは、「他人の地獄を眺めるVIP席」という極楽なのかもしれませぬ。
人間の普段抑えてるというかあまり明らかにしたくない部分でしょうか。
それを赤裸々に語ってありますね♪
ただ、庶民はそうそう簡単には出来ないことをみるとどうしてもひがみ根性として、君は売れてお金あるから。。。
なんて思ってしまう。。。やはり僕は小さな人間・・・