陳舜臣のレビュー一覧
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中国を 二人の視点から考える。
中国に対して なみなみならぬ 知識が
中国の近世を見つめることで 中国がどうなっているか
を明らかにしようとするが、毛沢東中国に関して言えば
好意的な見方をしているのが おもしろい。
マルクスレーニン主義が 具体化した国が
ソビエトと中国だった。
それが、やはり 大きな問題を抱えていた。
すくなくとも 腐敗を生み出す仕組みが現存することは確かだ。
談天半天
第1章 東夷北狄と中国の2千年
正座は、玄宗皇帝までしていた。
宋の時代から、椅子となった。
その頃は、褌がなく、あぐらは無理だった。
魚をとるのはうまかったが、
船を作るのは、へただった。
日本は -
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ネタバレ彼は、なぜ、天下を三分にしなければならなかったのか。
陳舜臣が加える、諸葛亮孔明の真意。
天才軍師ならぬ、平和を愛した宰相、
その、人としての思いとは。
深い。この語りつくせぬ物語は、人の数だけあるということか。
浮屠。三国時代、時は、西暦200年。
この小説に登場し、諸葛孔明に三国各地のあやゆる情報を運んでくるのは、浮屠(ふと)、浮図、仏図-Buddha教徒。
陳舜臣曰く、彼の情報網は仏教徒であったとする説。
孔明その人の思考回路には、紀元前は春秋戦国時代の諸子百家の思想に加えて、仏教の境地も含まれていたか。
下巻。
万民の心の安らぎために苦悩した、男の生き様。 -
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三国志から晋(短命政権)をへて南北朝時代へ、中国を統一する隋が現れるまでに300年以上待たなければいけない。隋建国以前の時代は皇帝が臣民の生活をかえりみず、身内の争いに明け暮れ国の疲弊が著しく、この時代はあちこちで小国が乱立している状況がつづいた。
儒教の教えに従い献身的に主に仕えても、嫉妬や陰謀が渦巻く荒廃した時代、命さえとられかねない。当時インドから仏教が伝来し、この時代の世相を反映してか信者が爆発的に増える。5巻ではいよいよ、唐の時代をむかえる。隋では倭の国から使者(小野妹子)が使わされたとある。唐になり本格的に交流がはじまるのだろう。