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佐々木正美さんは発達障害の専門家でもあるから、自分の子がそうじゃなくてもスペクトラムとして存在するからそういうお友達とかいるだろうからそういう子たちの対策としても良さそう。
佐々木正美(ささき・まさみ)
1935年群馬県前橋市に生まれ、幼児期を東京で過ごす。その後、第二次大戦中に滋賀県の農村に疎開し、小学3年生から高校までを過ごすが、高校卒業と同時に単身で上京。信用金庫などで6年間働いたのち、新潟大学医学部医学科に編入学し、66年同校を卒業。その後、東京大学で精神医学を学び、同愛記念病院に勤務。70~71年にブリティッシュ・コロンビア大学に留学、児童精神医学の臨床訓...続きを読む 練を受ける。帰国後は、国立秩父学園、東京大学医学部精神科に勤務後、小児療育相談センター(横浜市)、横浜市南部地域療育センターで児童臨床医として地域ケアに力をそそぐ。その間、東京大学医学部精神科講師、東京女子医科大学小児科講師、お茶の水女子大学児童学科講師などを務める。川崎医療福祉大学特任教授(岡山県)、ノースカロライナ大学非常勤教授、横浜市総合リハビリテーションセンター参与などを歴任した。長年にわたり自閉症の人とその家族を支援する療育方法の実践と普及に努めてきた功績で、2001年「糸賀一雄記念賞」、04年「保健文化賞」「朝日社会福祉賞」受賞。著書に『子どもへのまなざし』(福音館書店)など多数。2017年没後も、そのメッセージは多くの親たちを励まし続けている。
この子はこの子のままでいいと思える本
by 佐々木 正美
「日本はとても平和な国です」と。確かにアジアでは数少ない、徴兵制度のない国です。さらに彼はこう言いました。 「自由で、平等な国です」と。自由や平等については人によって考え方が違うと思いますが、戦中に子ども時代を過ごしたわたしにとっては、心からうなずく言葉でした。
わたしは、お母さん向けの雑誌『Como』(主婦の友社/2017年休刊)で長きにわたり悩み相談をさせていただいていますが、不安を感じながら子育てをされているお母さんが非常に多いことに驚かされます。実際、100人ほどの方にお送りしたアンケートでは、9割近くが「子育てに不安を感じることがある」と回答しています。
子育てに不安を感じるお母さんたちの声を聞きながら、わたしは考えました。このお母さんたちは、子どもがいなければ安心して堂々と生きていられたのだろうか、と。 いいえ、そうではないでしょう。もしも子どもがいなければ、夫や親など家族や友人との関係、職場での人間関係、自分の将来など、別のことに不安を感じるのではないでしょうか。子育てに不安を感じている人は、子どもに不安を感じているのではなく、自分に対して不安があるのです。
それはなにも、読者のお母さんたちに限ったことではありません。現代の日本の精神医学会の臨床上の二大テーマは、うつ病と不安障害なのだそうです。豊かさも平和も自由も平等も手にした国であるはずなのに、年間3万人を超える自殺者を出しています(※編集部注・2009年ごろの状況。2019年は約2万人)。こんなにも多くの人が死を選ぶ国になってしまったのです。
子育てに行き詰まりを感じたら、信頼できる大人との関係を増やすことが必要です。ご主人と楽しい時間を過ごしたり、気の合う友人とおしゃべりしたり、子育てサークルなどに参加したり、園や学校での活動に加わってみることをおすすめします。人間関係の「質」に悩んでいるときには、人間関係の「量」を増やすのが一番なのです。頼り頼られる人間関係が増えていくと、それが直接的に子育てに関係がなかったとしても「わたしはわたしのままでいい」「この子もこの子のままでいい」という気持ちが育っていくのだと思います。
この女性に、わたしは言いました。「自分の得意なことで、人と交わってください。手芸が好きなら手芸を、歌が好きならコーラスを、山歩きのサークルや料理教室でもいいでしょう。そういった会に参加なさって、人との交わりを深めましょう。その中で誰かの役に立ったり、感謝されたり、何げない言葉を交わしたりする経験を積み重ねていくことで、きっと満たされていきますよ。最初は気をつかってしまい、『ひとりでいるほうがよかった』と思うこともあるかもしれません。けれどそれは、相手からも気づかわれているということです。時間がたつにつれ、そのあたたかみがわかってきます。人間は人間関係を通してしか、人間関係の不足を解決できません。そういうものなのです」と。
両親とは距離をおいてかまいません。 けれどいつか、わかり合えるといいですね
さて、今回のご相談者にも、わたしは同じようなことを伝えたいと思います。もうすぐ赤ちゃんが生まれるということなので、育児サークルなどに参加してはいかがでしょう。自治体が主催する育児講座や「親子ひろば」のような場は、おそらくいろいろあると思います。そういう場で打ち解けられる人を見つけることができるのではないでしょうか。
愛情は不足していませんが 伝わる形になっていないのかもしれません。 「もっともっと」と求めています
確かに子どもは、怖い人の言うことは聞きます。それは「怖くない人の言うことは聞かなくていい」ということでもあります。犯罪者の成育歴をたどると、親が恐怖をともなったしつけをしていたケースがほとんどです。ですから、「しかられなければいい」「バレなければいい」という気持ちが育ち、犯罪行為を引き寄せます。とても不幸なことです。
「子どものしつけは厳しいほど効果がある」と思っている方は少なくありません。それはおそらく、その方が育ってきた家庭の文化なのでしょう。それを一概に「いい」「悪い」というつもりはないのですが、こうやって子どもの精神科医の仕事をしていると「厳しくすれば、いい子に育つ」とはとても思えません。問題行動があって精神科を訪れる子の多くが、親から厳しく育てられた子どもだからです。逆に、やさしくされすぎて問題行動が出た子を見たことはありません。 わたしがしつけのキーワードとしてあげているのは、 ① 穏やかに、 ② 繰り返し言って聞かせて、 ③ できるようになるまでゆっくり待ってあげる、という3つです。
お友だちの子も、素直に人の言うことを聞く子ではないと書いていらっしゃいます。おそらく、自尊心をねじ曲げられるような体験をしてきたのでしょう。親の言うことを強く押しつけられ、自分の願いはあまり聞き届けてもらえなかったのかもしれません。これが続くと、今後ますます反抗的な行動が増えてくるのではないかと危惧します。 子どもをたたかずに育てているお母さんというのは、意に沿わない行動をする他者を受け入れる力をもっている、ということです。逆に、たたかずにいられない人は人を受け入れる力が弱いのです。お友だちのお母さんは、幼少期から自分を否定され続けたり、強制されたりして育てられた人なのかもしれません。悲しいことです。
わたしが精神科医としての訓練を受けているころ、指導医がよく言いました。「患者さんの話をちゃんと聞けるようになったら、ほぼ一人前ですよ」と。 そのとおりだと思います。患者さんに有益なことを伝えるよりも、患者さんが何を言いたいのかを聞きとることのほうがはるかに難しいのです。そして患者さんの言葉を聞こうとしない医者が「ああしなさい」「こうしちゃダメ」といくら言ったところで、患者さんには届かないのです。それは親子でも同じです。人間関係とはそういうものだと思います。
子どもにしてほしいことがあれば、言葉で伝えるよりも、親が見本を見せるのがいいと思います。「そんな持ち方じゃこぼすわよ」と口で言うよりも、手を添えて、持ち方を教えてあげたほうがいいのです。あいさつできる子にしたいならば、親が毎日、子どもやご近所の人にあいさつを続けてください。そんな姿を子どもたちは自然にまねていくのです。
先ほどの子にはADHD(注意欠如・多動症)の傾向がありました。しかってもしからなくても、その特性が消えるわけではありません。しかし、親がしかりすぎをいったんやめることで子どもの情緒が安定し、その子に合った対応をとることが可能になります。得意と不得意が大きい子なので、得意の部分をちゃんと見極め、そこを伸ばそうと本人も前向きにとらえることができるようになるのです。好循環が始まるのです。
その一方で、「子どもの理不尽な要求に無条件で応えてもいいのか」「子どもとはいえ、乱暴な態度を許してはいけないのではないか」「甘えさせるのはいいけれど、甘やかしてはいけないはずだ」などと、さまざまな知識や常識との矛盾の中で揺れ動いているとも感じます。確かに一般的な大人の論理でいけば、それは正しいのです。でも、幼い子どもと親との関係の中ではあまり意味をなしません。 子どもはいくらでも甘やかしていいのです。たくさんかわいがってあげていいのです。望みをかなえてあげていいのです。親が言うことを聞いてあげればあげるほど、言うことを聞く子になります。かわいがればかわいがるほど、かわいい態度をとるものです。乱暴な態度をとるときほど、やさしく接するのです。そんなふうにしてくれるのは、お母さんしかいないと思うから、子どもは理不尽な要求をするのです。言葉にできない思いを抱えて、それを自分ではコントロールできなくて、「なんとかして」と暴れているのです。
まず変わるのは親のほうです。 「しからない」と心に決めて接するのです 臨床の現場でたくさんの親子をみてきて、これだけは確かだ、と思っていることがあります。それは、親が子どもをしかっている間は、「しからなくていい子」にはならないということです。しかればしかるほど、もっともっと「しかられる子」になります。
「家出」は甘えたい気持ちの表れ。 本当の独立心は、親にたっぷり依存して 安心できて初めて育つものです 行動の根っこにあるものは 妹に対するやきもちなのかもしれません
この子は「独立心旺盛」でしょうか。わたしはまったく逆だと感じました。お母さんに甘えたくてたまらない子です。妹のほうがお母さんにかわいがられているように思えたのでしょう。自分の気持ちをわかってほしくて、でもそれを言葉で言えなくて、態度で示そうとして家を飛び出したのです。それなのに、お母さんは 15 分もたってから迎えにきたんですね。この子は外階段の下で、ぬれた髪のまま、お母さんを待っていたのです。その気持ちを考えずに、「独立心」という言葉で納得してはいけません。
子どもはワガママで気まぐれで、甘えん坊なものです。親に手をかけさせて、かけさせて、かけさせて、そうやって気がつくと手がかからなくなっていくのです。幼いころに親に手をかけさせた子ほど、どういうわけか自立が早いと感じます。
それに、家族の前で悔しがる姿をさらけだせるというのは、心を許している証拠です。この人たちの前なら、どんなみっともない姿をさらしても許してもらえる、嫌われることはないという信頼感があるのです。どうぞ受け入れてあげてください。
子どもに寄り添うということは 3 見る 子どもを見るということは「見守る」ということです。 はいはいや、よちよち歩きを始めた赤ちゃんは、少しずつお母さんのそばを離れて探索行動を始めますね。観察するとわかるのですが、ひとりで勝手に行ってしまっても、その先で何か不安を感じると必ず赤ちゃんはふり返るのです。そのときに親(やそれにかわる人)が「いいよ」という顔をすると前に進み、「ダメ」という顔をするとストップします。このような行動を「ソーシャル・リファレンシング(社会的参照)」といいます。社会のルールや規律を、他者から学ぶ力です。非行や犯罪に走る子の多くが、乳幼児期に、親などからの見守りがなかったことが、精神医学者のロバート・エムディの研究によりわかっています。それほどまでに、親からのまなざしは大切なのです。 子どもを見てあげてください。見張るのではなく、「見守る」のです。子どもの表情やしぐさから、何を感じているかを読みとってください。そして、その子にしかないかわいらしさや、得意なこと、大好きなものを見つけてください。そんなまなざしを向けられるのは、親だけだという誇りをもって。
子ども同士の遊びの中で学ぶことが、お金を出して教わることよりも低レベルなのだとは、どうぞ思わないでください。自由な遊びの中でこそ子どもは、「好き」「やってみたい」「うまくなりたい」という向上心のたねを見つけるのではないかと、わたしは思っています。
保育士でも学校の先生でも小児科医でも同じです。「先生」として子どもと向き合うのがじょうずな人でも、自分の子どもにはうまくいかないという人は案外多いものです。精神科医の子どもが精神を病むというケースもあるのですから、「保育士なのに」とご自分を責める必要はまったくありません。それは別の話です。
そのためには、お母さんが自分や夫のいいところを認めていなくてはいけません。自分の悪いところばかりを見ている人は、他人の悪いところばかりが見えるのです。自分を肯定できる人は、他人を肯定できる人です。 お母さん、自分に自信がありますか? 子どもを「いい子」「優秀な子」に育てて自信をつけるのではありませんよ。自分自身の生き方に自信をもつことが大事なのです。人は誰だって、弱点や欠点をいくつも抱えているものです。そこを気にしすぎず、人間はそういうものなのだと割り切って、自分なりに努力して、「いつかこういうことができるようになりたい。がんばろう」と思えることが、自信のある人の姿だと思います。
わたしがカナダに留学していたとき、担当の医師に「自己肯定感を高めなさい」と言われました。「自分の中に肯定すべき部分がどれほどあるかを、静かに見つめて、かみしめておくといい。そうでないと、他者を肯定する力はわいてこないものだ。そして、他者を肯定する力がない人間は、子どもの精神科の医師になってはいけない」と、そう言われました。保育士も同じです。学校の先生も同じです。もちろん、親もそうです。
多くの人は、子どもをもったことを幸福だと思っています。でも、その思いを子どもに日々伝えている人はあまりいないようです。 I’m happy to see you.(あなたに会えて幸せです) 欧米の人は、こんな言葉をさらりと口にしますが、日本人はなかなか言えません。でも、言えなくてもいいのです。お母さんやお父さんが笑顔でいてくれれば、子どもは「ぼくと(わたしと)いっしょにいると幸せなんだ。楽しいと思っているんだ」と理解します。 よく「人の気持ちを考えろ」と言う人がいますが、他者の悲しみや苦しみを理解できる人になるためには、まず誰かと十分に喜びを分かち合う体験が必要です。それができて初めて、今度は悲しみや苦しみといったマイナスの感情も分かち合えるようになるのです。笑顔が子どもの情緒を豊かに育てるのです。
この子たちに、親との関係についても質問しています。その結果、「いじめを止めよう」とするグループの子は「親との関係がいい」、あるいは「非常にいい」と答えています。一方で、「いじめに加担する」と答えた子の多くは、「親との関係が悪い」「非常に悪い」と答えているのです。 いじめは学校で起こっていますが、けっして学校だけで解決できる問題ではないことが、この結果からわかります。問題のおおもとは家庭にあるのです。
友だちから学ぶことの意義を軽視してはいけません 小学生時代に何がいちばん大切かと問われれば、わたしは迷うことなく「友だちと遊ぶこと」だと答えます。それもできるだけ多くの子とかかわらせたいのです。乱暴な子、内気な子、自分勝手な子、年齢の違う子、家庭環境の違う子、どんな子からも学ぶことがあります。この時期に友だちから得た「学び」が、将来、社会に出たときにどれだけ役立つか、はかりしれないほどです。
一方で、「人を安易に信じていいのか?」という議論もあります。子どもを狙う事件が起きると必ずそう言われます。でも、大丈夫です。人を信じる力は、信じられない人を見分ける力でもあるのです。信じるべき相手をちゃんとわかっている人は、やみくもに人を信じたりはしません。逆に信じる力の弱い人ほど、信じてはいけない人を信じてしまう傾向があります。信じる力の源は、親子の信頼関係です。もしそこに不安がある場合には「子どもの望みをできるだけかなえる」という原点に立ち戻りましょう。
しかし残念なことに、意識せずいろんな子と交われるのは、小学校の低学年から中学年くらいまでの非常に限られた時期だけのことです。思春期以降になると、「類は友を呼ぶ」といいますか、価値観、趣味、話が合う友だちとしか交わらなくなるのです。そのときに友だち選びの規準になるのは「親の価値観」です。自分の両親のもつ文化や考え方を規準にして、子どもは友を選びます。それは、ほぼ確実です。
その一方で、子どもにはたくさんの実体験も必要だと思います。自然と直にふれ合って、「不思議だなぁ」「おもしろいなぁ」と感じたり、思いっきり体を動かしたり。友だちと競い合ったりする経験も、子どもには不可欠です。 きょうだいの有無にかかわらず、子どもは小学生時代に同世代の仲間とたくさんのかかわりをもたなくてはなりません。高名な発達心理学者エリック・エリクソンは、「児童期(前思春期)の子どもの重要な発達課題は、友だちから学び、友だちに何かを教えることだ」と言っています。それが大人になったときの「社会的勤勉性」の土台になると言うのです。
しかし残念ながら、いまの日本ではそれが決定的に不足しています。引きこもりやニートの存在が、それを物語っています。彼らは勉強ができないわけではありません。運動が苦手なわけでもありません。人とうまくかかわることができないのです。人間関係を自然に豊かに営む力が育たなければ、社会に出たときにつまずいてしまうのです。 本を読むこともパソコンを操作できることもいいことです。しかし、それだけでは足りません。それだけで子どもの社会性を育てることはできないのです。
「体を動かしてほしいから、野球チームやサッカー教室に入れる」という方もいます。野球やサッカーをすること自体はいいのですが、それが友だちとの遊びのかわりになるとは思わないでください。草野球であれば、「○○ちゃんは小さいから、三振ナシ」などのルールを自分たちでつくったり、うまい子がへたな子に教えてあげたりするような場面がたくさんあります。しかし、コーチや監督が子どもの一挙手一投足にあれこれ指示して、勝つことが第一になってしまうと、子ども同士の学び合いはなくなってしまいます。
ひとりっ子にはひとりっ子のよさがあります。わたしはよく、複数の子をもつお母さんに、こう言います。「子どもが何人いても〝ひとりっ子の時間〟を必ずつくってください」と。子どもにとって、お母さんをひとり占めしてゆったり過ごす時間は、心の安定にとても大事なものです。学校でつらいことがあったときも、そんな時間に話すこともできるでしょう。 逆にひとりっ子には、意識的に「きょうだいのような存在」をつくってあげましょう。親戚や、親の友だちの子どもがいいかもしれません。親同士が親しければ親しいほど、子ども同士も親近感をもち、きょうだいのようにかかわることができるのです。
小3の息子はおっとりした穏やかな子です。半年くらい前から弟に意地悪になり、激しくワガママを言うことが増えました。よくよく聞いてみると、クラスの男子にいじめられているようです。行動が遅いことで押されたり 蹴られたり……。ときにはなぐられることもあるようです。息子は腕に大きなあざがあるのですが「これはもうすぐ死ぬ印」と言われたそうです。中心になっている子は学校のサッカーチームで活躍している人気者のAくんです。ほかの子のママからAくんのママにそれとなく話してもらったところ、「先生から聞いたので、Aを厳しくしかった。ふだんから、いけないことをしたらなぐってでも蹴ってでもしつける」と言っていたそうです。でも、逆効果のような気がしてなりません。 担任は新任の先生で、対応もその場しのぎに見えます。息子を支え、息子の学校生活を楽しいものにするために、親にできることを教えてください。
あえて言わせていただきますが、いじめっ子はほぼ例外なく、親子関係になんらかのストレスを抱えています。親が虐待しているとまではいかなくても、家族内の人間関係がうまくいっていないのです。だから学校という場でも健全な人間関係をつくることができずにいるのです。 しかし、他人の家庭の問題に足を踏み入れることは非常に難しいうえに、いじめっ子の親自身も十分な愛情を注がれずに育っている場合が少なくありません。だからこそいじめ問題は根深いのです。わたしはいじめ問題の専門家ではありませんから、「わたしの子がいじめられていたら、わたしならどうするか」という前提でお話ししたいと思います。
10 才というのは「課題」が増える年ごろなのです。学校での人間関係は複雑になってきますし、勉強も難しくなります。自分を客観的に見られる年ごろに入りますから、悩みも増えます。そんな時期は、家庭でのやすらぎや安心感、満足感がいままで以上に必要になります。家庭でのやすらぎという基盤があるからこそ、社会活動、つまり学校での活動がのびのびできるのです。
授業中でも大声でおしゃべりしたり、クラスメイトとのやりとりで気に入らないことがあると、面と向かって「バ~カ!」となじったりします。でも、いいところもいっぱいあって、幼児のころから絵を描くのが好きで、長い時間をかけて大作を仕上げたり、図鑑で花や植物のことを調べたり、関心のあることには集中力を発揮します。こういう個性の子だと受け止めて普通に育ててきたし、先生もあたたかく見守ってくださっていると思っていました。ところが、いっこうに落ち着かない息子の様子にたまりかねたのか、担任の先生に「一度、発達相談を受けてみては?」と言われました。でもそこで、息子が「普通じゃない」と判定されたら……。ショックを受けそうで、踏ん切りがつきません。
「普通の子」なんていないと、わたしは思います。 それぞれの個性をじょうずに伸ばしながら 生きやすい環境をつくってあげてほしい 発達障害かどうかより、 その行動の背景や理由を知ることが必要です
もしこのお母さんがわたしのところに直接ご相談に来られたのであれば、わたしは「普通の子でなくてよかったですね」と言ってさしあげたいと思います。この年齢で自分の大好きな世界をもっていて、好きなことにはものすごい集中力を見せるのです。魅力的な子じゃありませんか。お母さんもそれを認めて応援している…
さて、先生が「発達相談を受けられたほうがいい」とおっしゃったのは、このお子さんに発達障害があるのでは、と思われたからかもしれません。ご相談の文章を読ませていただくと、重い発達障害があるようには思えませんが、「自閉症スペクトラム(連続体)」といわれるように、発達障害から健常といわれる子たちの「連続体」、つまり一続きの流れの中のどこかに位置する子なのかもしれません…
発達障害かどうかの検査を受けるように、先生はおっしゃっているのかもしれません。でもわたしは、発達障害の診断が重要だとは思えません。友だちに「バカ」と言うことも、授業中に大声でおしゃべりすることも、その原因は「発達障害だから」ではないからです。別にちゃんと理由があるのに…
図鑑を見ることが好きなんですね。花や植物に興味があるのであれば、植物園に連れていってあげたり、いっしょに植物を育ててみたりしてはいかがでしょうか。下のお子さんがいらっしゃるようですが、ときには上の子と2人だけの時間をつくってください。大好きなお母さんと大好きな世界を楽しむことができれば、ますますその世界を好きになると思います。学校でも、植物や生き物を育てる係や委員があれば、やらせてもらえるよう、先生にお願いしてみるといいでしょう。
発達障害の傾向のある子は、非常に狭くて深い世界にのめり込む、という傾向があります。これは、本当にすばらしい個性だと思います。大人になれば誰でも、狭くて深い世界で専門性を磨いていくものです。将来を考えると、狭く深い世界をもてることが大事なのです。でも親は、「広く浅くなんでもできて、さらにその中で1つか2つ、ものすごく得意なものがあればいい」と願いがちです。親にはそういう身勝手な面があるのですね。でも、このお母さんはわが子の狭く深い世界を理解して、応援しているのですからたいしたものです。
お友だちが少ないことも心配していらっしゃいますね。でも「幼稚園時代からの親友」が 11 才のいまでも本当の意味で親友なのか、わたしは少し疑問です。この時期の子どもは、趣味や嗜好などが合う子と新しい関係を築くものです。お母さんの知らないところで友だちをつくっている可能性もあります。「そんなことはない。息子が話せる相手は3人だ」と親が言い切れるとすれば、子どもの交友関係に踏み込みすぎていると思います。 11 才の子は、親の知らない世界をいくつももつのがあたりまえなのです。
それでも一つだけ、心に留めておいてほしいことがあります。それは、幼い子どもにとってまず何よりも必要なのが「母性」だということです。わたしが考える「母性」とは、子どもを受容する力です。「ありのままのこの子でいい」と受け入れる力です。「父性」とは社会のルールを教え導く力です。母性とはやさしさ、父性とは強さと言いかえることができるかもしれません。子どもの健全な育ちにはこの両方が必要なのですが、与える順番には決まりがあります。まずは母性から。母性に十分満足してから、父性的なものを与えるのです。母性と父性は、男女の別なくみなさん両方もっていると思います。母親でも父性が強い人もいます。父親でも母性的な人もいます。
最近、「子どもは怒られても伸びない。ほめて育てよう」という風潮で、わたし自身も「そういうものか」と思っていたのですが、だからといって「子どもをしかれない父親」というのもどうなのか……と感じます。昔から父親というものは怖い存在で、母親とは違う役割があると言われますが、そう割り切っていいのでしょうか。
わたしが初めて不登校の子どもと出会ったのは、いまから 40 年前のことでした。当時は非常に珍しくて「学校恐怖症」などといわれたものです。それが、2人続けて船乗りの子どもだったのです。船乗りは典型的な単身赴任です。単身赴任者の子は不登校になる、ということではありませんが、その子たちの場合は、長い父親の不在が母親の気持ちを不安定にさせていました。それが子どもの不安と無関係ではなかっただろうと推察します。
近ごろは海外留学する若者が減っていると耳にします。わたしは「留学しなくちゃいけない」と思っているわけではありませんが、「あの国、あの大学で学んでみたい」と思ったときに、自分の力を信じることができず、意欲をもてなくなってしまうのはとても残念なことです。
この父子の問題は、ご家庭の「いま」そのものだと思います。子どもというのは、両親の仲がいい状態がいちばん心地いいのです。両親が笑っておしゃべりしている様子を見るだけで、心が落ち着くのです。家庭の中にそのような時間が増えてくると、子どもがお父さんを攻撃するようなことはなくなります。
娘を妊娠してすぐ、夫が突然他界しました。そのため、娘は父親という存在を知りません。1才ごろから「パパは死んじゃったのよ」と話していたので、娘も「パパがいない」ことは理解しているようですが、街で家族連れを見るたびに、娘の心情を推しはかる日々です。
「父親にしかできないことがある」といわれますが、わたしは夫の不在をどのようにカバーしたらいいのでしょうか。どんな役割を果たし、どんなことに気をつけていけばいいのか教えてください。
「父親にしかできないこと」などありません。 お子さんを幸福に育てるためには お母さんが心を癒やし、幸せにならなければ 成長にまず必要なのは母性的な役割です。 父性は社会の中で得られます
母子家庭、父子家庭といった「ひとり親家庭」というのは、日本にはたくさんありますね。そういうご家庭のお子さんが健全に育っていないかというと、そんなことはけっしてありません。 わたしは長年「父親」をやってきましたが、「父親にしかできないこと」など一つも思い浮かびませんよ。親としての役割を分担することはありますが、それはあくまで分担にすぎません。子どもが元気で幸せに育つ要件は、お母さんひとりでも、あるいは祖父母やご近所の方に協力していただいて、十分に満たすことが可能なのです。
そしてもう一つ、職場やそれ以外の場所で、気心の知れた親しい友だちをつくることをおすすめします。安心して声をかけ合え、つきあえるお母さん自身の友だちがいることが大事なのです。ひとり親家庭の場合、親子が2人きりで向き合ってしまうことがありますが、それがいちばん心配です。どうぞ、人間関係をわが子のほかにも外へと広げて、お母さん自身が「楽しいなぁ。幸せだなぁ」と思える時間を増やしていってください。 人は与えられた境遇の中でどのように生きるか、どのように幸せになるかが日々問われているのです。このお母さんの心が一日も早く癒えて、幸せになることを祈っています。お母さんが幸せであることが、お子さんの幸せなのですから。
育児書を読むと、「あなたにとってはイヤな存在でも、子どもにとっては血のつながった父親です。あなたの一存で、息子が父親に会えないのは好ましくありません」と書かれていました。元夫がどんな人でもそうなのでしょうか。わたしのとるべき態度を教えてください。
離婚の理由を問わず、子どもにとってお父さんはお父さん、お母さんはお母さん。この世にたった一人ずつしかいないのです。その2人が、非常に悪い仲なのだ、憎しみ合っているのだということを、離婚してからもあえて子どもに知らせる必要はありません。 それでも、お子さんが思春期や青年期に入れば、お母さんの気持ちが変わらないとしても、会わせていいと思います。子ども自身が成長し、安定してきますから、父の言うことと母の言うことに矛盾があっても、自分の中で判断できるようになります。具体的には、中学2年生以上ですね。高校生くらいになればずいぶん安定していると思います。
大好きな佐々木先生の言葉があります。「人には必ず、いい面と悪い面があります。誰にでも、善の部分と悪の部分があります。その中の、いい面を信じるのです。善の部分を信じるのです。それが人を信じる、ということです」。 子どものいい面、夫のいい面、そしてわたし自身のいい面。それを信じることができれば、家族はきっといい方向に向かっていくのだと、いまのわたしは確信しています。読者のみなさまの子育てもどうか、そうでありますように。
佐々木正美(ささき・まさみ) 1935年群馬県前橋市に生まれ、幼児期を東京で過ごす。その後、第二次大戦中に滋賀県の農村に疎開し、小学3年生から高校までを過ごすが、高校卒業と同時に単身で上京。信用金庫などで6年間働いたのち、新潟大学医学部医学科に編入学し、66年同校を卒業。その後、東京大学で精神医学を学び、同愛記念病院に勤務。70~71年にブリティッシュ・コロンビア大学に留学、児童精神医学の臨床訓練を受ける。帰国後は、国立秩父学園、東京大学医学部精神科に勤務後、小児療育相談センター(横浜市)、横浜市南部地域療育センターで児童臨床医として地域ケアに力をそそぐ。その間、東京大学医学部精神科講師、東京女子医科大学小児科講師、お茶の水女子大学児童学科講師などを務める。川崎医療福祉大学特任教授(岡山県)、ノースカロライナ大学非常勤教授、横浜市総合リハビリテーションセンター参与などを歴任した。長年にわたり自閉症の人とその家族を支援する療育方法の実践と普及に努めてきた功績で、2001年「糸賀一雄記念賞」、04年「保健文化賞」「朝日社会福祉賞」受賞。著書に『子どもへのまなざし』(福音館書店)など多数。2017年没後も、そのメッセージは多くの親たちを励まし続けている。