ゆうきまさみのレビュー一覧
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無料版購入済み
なんとも難解な…。
あ~る、パトレイバーを見たからか、同じ作者とは思えない変貌ぶり!
絵が全然違うし、作風も全く異なる。
時々、あ、ゆうきまさみだーって絵があるけど、ここまで違う絵を描けるものなのか?
内容は難解。
名前が長すぎて、訳分からん。
登場人物の顔を描き分けているので、なんとなく判るが…。
お笑い要素、たま〜に少々。
あとは真面目。
そうとう勉強しないと描けない内容。
スゴいなー。
あ~るから想像出来ない。 -
ネタバレ 購入済み
老けたな
一巻で少年だった新九郎もオッサンめいて来たなぁ。駒若も青年になっちゃったし。
将軍はすっかり我が儘坊主。それに気に入られているのは良い事なのか微妙・・・・・。 -
Posted by ブクログ
史上最速で梅雨明けになった当日、私は「新九郎奔る」の青年時代の在任地である岡山県井原市荏原(えばら)に赴いた。マンガの描かれた地を訪れるのは聖地めぐりというらしいが、私の関心は同じアングルで描かれた絵を探すというようなところにはいかない。むしろ古代遺跡めぐりの感覚である。
この場合、最初に行くところは決まっている。資料探しである。「早雲の里荏原駅」の北側入り口にある「早雲の里交流センター」に行くと、期待通り簡単な観光地図と無料パンフが置いてあった。「荏原周辺案内図」「荏原で生まれた先輩偉人北条早雲公」「戦国の魁北条早雲の里を訪ねて(ゆかりの地の5つの町説明)」「北条五代を大河ドラマに」チラシ「生誕の地井原市 北条早雲」「那須氏史跡案内図」チラシ。これで、早雲テーマの遺跡めぐりは目こぼし無く回れそうだ。インターネットではなかなか拾えない情報である。
交流館の主みたいな人から資料を貰った時、ここぞとばかり、1番聞きたかったことを聞いてみた。
「新九郎が荏原に来る前、ここは東荏原と西荏原に分かれていて、新九郎のお爺さんが盛景・盛定兄弟に仲良く三百貫で分けたとありました。この二つの領地の境目を巡って新九郎は西の伊勢盛景と協議紛糾していたと聞いています。でも、井原市の大きな平野は西荏原の西側にある現在の市街地なのではないですか?だとすると西荏原の領地は、三百貫どころではないはず。現在の市街地はどうなっていたんでしょう?」
答は、「よくわからない。勉強します」とのことでした。
ダメ元で、「当時領地の境目争いをしていた境目とはどこなんでしょう?」
当然「わかりません」でした。
私はつい「早雲88歳死亡説はとらない」
と話してしまいました(マンガが採ってないから)。
ちょっと前まで、北条早雲は中高年になってから活躍する「高齢化時代の期待の星」だったのです。
交流館の主は(従来説が覆ったのは仕方ないとしても)「荏原が早雲生誕の地である」
ということの方に、かなりこだわっていました。
「たとえ、幼少時育ったのが京都だとしても、生まれるときにはお里に帰すのが自然でしょう」と根拠を言っていました。
それは早雲の生母が荏原出身だった場合であり、ゆうきまさみが描いたように、生誕・成長は京都洛南あたりだったというのが自然だと思う。
とは、流石に主には言えませんでした。
資料を見ると、ちょっと前の井原市がつくった資料は88歳死亡説をとっていて、令和3年発行の資料では64歳(88歳も捨て切っていない)死亡説をとっていました。どちらにせよ、新九郎が荏原経営に努めたのは確かでしょう。でも地元人間としては、「早雲生誕の地」というか、「早雲ゆかりの地」というかでは、「雲泥の差」があるということなのでしょう。私は、ゆうきまさみ原作で大河ドラマ化しても、十二分井原市にも観光効果のある作品になるとは思うのです(ここまで荏原時代をフィーチャーした早雲像は他にないのではないか?「鎌倉殿」がヒットしたなら、「北条早雲」も必ずヒットする、と思う)。
閑話休題。
伊勢新九郎の住んでいた高越城跡に車で赴く。かなりの急斜面を4キロほど車で走った。徒歩の場合は山道コースがあるらしい。城主新九郎の場合はおそらく馬を使ったろうが、里に住む武士たちは急な山道を歩いただろう。マンガのように毎日のように里に下りるのは、馬や部下の負担になり、やめた方がいいのではないか?とも思った。城(お屋敷)からは、東荏原、小田川、山陽道が一望できて、山城としては最高の場所にある。城の周りには五の郭まであり、堀割跡もあり、思ったよりも城としての格好ができていた。
伊勢氏の家臣だった平井氏が早雲200年忌に掘った供養碑を観た。おそらくたまたま、供養碑にぴったりの大岩があったからそこに掘ったのではあろうが、場所は領地争いをしていた伊勢盛景の居城趾(米持城)の直ぐ北。何故東荏原に城がある?直ぐ近くに盛時神社(新九郎を祀った神社?)もある。
法泉寺はそこから少し北に走った、山谷のどん詰まり。父・盛定が建てた伊勢氏の菩提寺(←その金はどっから出たのだ?)。大きすぎず小さすぎず、寺が地域の要(かなめ)であることが、なんとなくわかる。早雲と盛定の墓と伝えられている墓があった。小さい。丸い頭の五輪塔式。もちろんこの大きさが戦国以前の世の習いだとしても、本当にここに遺体を埋めた(埋めることができた)のだろうか?とは思った(←多分違う。でも盛定は可能性ありそう。発掘したい!)。法泉寺所蔵の盛時(新九郎)16歳時の「禁制」の触書きを写真で見た。マンガの通り、少年らしい私たちでも読める楷書文字。これが備中出自説の決め手となったらしいが、上に書いたようにそれは違うだろ、と私は言いたい。
遅い昼食を食べた後に、念のために井原市内の「古代まほろば館」に行ってみた。思いもかけないことが2つあった。ひとつは昨年「井原の山城を歩く」という図録(100円)が出版されていたこと。ひとつは、学芸員に質問できたこと。図録を見ると、高越城と小菅城(那須一族の城)とほか四城が解説されていた。なんと井原市だけで33の城跡があるらしい。いろいろ書かれていて参考になった。また、学芸員に「早雲の里交流センター」と同じ質問をしたところ、さすが、直ぐに答えてくれた。どうやら井原市と荏原は全く違う所としては記録されており、井原市街地は細川氏が治める相国寺荘園地だったらしい。さらにいえば、荏原が東西に分かれていたという記録はないらしい。まぁ早雲が法泉寺の改修・造営を行ったとか、神代町に薬師如来を祀ったというエピソードはマンガでは描かれないので、ゆうきまさみの構想力ということなのだろう。
3時半から小田川を渡り、那須一族の里に向かう。行く途中、左手に発掘されたばかりの青陰城跡の山を眺める。ここは那須一族の1人大山氏が14世紀に居城していた所だということが最近明らかになった。那須一族は、小菅城だけでなく、平地居館の中堀城(西江原町今市)、十倉城(西江原戸倉)も構えたとの伝承があり、単なる那須与一伝説ではなく、確実に鎌倉時代から室町時代初期までは荏原地域を経営していたのだ。つまり、新九郎の時代には、那須一族は、振興の伊勢一族によって追いやられた一族だったのである(どうやら承久の乱あたりで勝ち馬に乗れなかったようだ)。
この後、伝承那須与一墓と、那須一族墓を尋ねる。もう何回「迷ってしまったのではないか?」と思ったか知れない。「車でこの細い道を行っているけど、Uターン出来なかったら2度と帰れないのではないか」と思ったか知れない。井原市観光協会の「那須氏史跡案内図」チラシがどれほど役に立ったか!!これがなかったら、山から降りられなかったかもしれない。ホントに怖かった。今現在でも、こんなところによくもまぁ建てていると思えるような家がポツンポツンと多くあった。まるで那須一族隠れ里!迷路のような道を形成していた。天然自然の要塞と言っていいだろう(現在は有名な葡萄産地である)。
興味深かったのは那須一族の墓である。高さ1m長さ10mの須弥壇状の石垣の上に、印塔一基と五輪塔六基が乗っている。印塔には天文15年(1546)の銘がある。これは新九郎のいた時代から約80年後だ。場所は小菅城からかなり奥まったところであり、那須一族は最早平地には降りず、ずっと山の生活をしていたことが窺われる。しかし、もしかしたら案外気楽で平和ないい生活だったのかもしれない。※この印塔を、新九郎初恋の相手那須つるの墓だとすると、つるは90歳以上生きたことになる。あ、あり得ないことではないか‥‥。
もう一つ、第四巻に山の上に高越のお屋敷(お城)がでんとそびえ立っている場面があるが、あれは東荏原の領民からは見えない。唯一、旧山陽道を歩いているときに隣の神代地区から見える風景だった。
これで「新九郎奔る」が立体的に読める! -
Posted by ブクログ
伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)、室町幕府政所官僚・伊勢家の所領・備中荏原(岡山県井原市)のイザコザを解決するために赴任して来て約1年、父親の盛定が政争に敗れて隠居した為、5巻目終わりにして正式に御領主になった。
今回手に入れた7巻目までは読み切ったのではあるが、6巻目の感想を書いているのは、先日井原市荏原(えばら)への旅を敢行した為である。7巻目にそれをリポートしたい。これによって、若干16歳の領主新九郎の地方所領経営の大変さと巧みさ、大人の対応、青年としての悩みなどが、リアルにわかるようになった。
例えば、6巻冒頭で新九郎が京都で伊勢家東荏原領主を拝命して帰ってくると、西荏原と元荏原地区支配者・那須一族との間に境目争いが起きていた。「那須のやつら、戸倉館の対岸の山中に砦らしきものを築いてやがる。やる気満々じゃねーか」と伊勢九郎盛頼(西荏原の名代)は言っている。解説はないけれども、私の調査によると戸倉にはもともと那須一族のお城があったし、現有那須の城・小菅城の真下なので、彼らが領有を主張しても、決して根拠なきことではないと推察仕る。
実際に荏原を回ると、確かに九郎盛頼が自虐するほどのド田舎なのである。平地に限れば、荏原地区は歩いて1日で回れるほどの土地に過ぎない。それでも、その土地を先祖代々守ってきた彼らにはそれなりの矜持がある。一方、300年前平家討伐の際の那須与一の功で土地をゲットした那須一族にも、矜持があるだろう。守るべき、統一した法律はない。しかしそれなりの秩序を作っている。中世は正にアウトローたちの時代なのである。
新九郎はどうしたか?戦はしたくない。無駄な血が流れるからである。よって、先ずはお寺の古文書を調べて戸倉が伊勢家所領であることを示した上で、京都のツテを利用して手打ちを斡旋する。お陰で、初恋の人を失うことにもなるわけだが‥‥。
登場人物の性格付けは、ゆうきまさみ色が強いものの、史実的にあり得ない展開は一切ない。リアルな中世絵巻。物凄く読み応え、見応えある作品である。
中世の人々、強かで賢い。おもしれーじゃねーか。 -
Posted by ブクログ
2巻目と3巻目は、遂に起こった日本史上最大の喧嘩、応仁の乱の最初の2年間(京都が舞台)を描いています。
2巻目になると、やっと顔と名前が一致する様になります。そもそも彼らの呼び方は、ロシア文学以上にややこしい。
主人公は、2巻目で12歳にして元服して伊勢新九郎盛時を名乗ります。よって、
普通は備前守などの受領名で呼ぶ(しかしこれは必ずしも実態を表していないからややこしい)。やがて新九郎は赴任先で御名代などと呼ばれることになる。
仮名(けみょう)は新九郎。普通はこれで呼ぶ。
諱(いみな)で読んでいいのは、親や目上の親族、主人筋に限る。新九郎の諱は盛時である。
よって、これまでマンガでは盛定にかな書して(びぜんのかみ)と書いていたり、兵庫助と書いて(さだむね)と書いていたりするのだけど、やっとガッテンがいった。
しかも、八郎、九郎は他の家でも当たり前のように使われている。ややこしくてたまらない。けど、やっと慣れてきました(^^)。しかも、日本語ではかながきとして、二重に説明してくれるので、慣れると理解が進んでゆく。←だんだんと説明自体が「ややこしく」なってきた。わかりました?
そもそも、ただでさえややこしい「応仁の乱」のことを、この短いレビューで解説するなどはできませぬ。まぁ都内での守護大名同士の「喧嘩」が、いつのまにか将軍を巻き込んで東軍西軍に分かれて、やがては日本全国に拡大していった10年間の「大喧嘩」になっていったのだと、私は理解しました(←解説してるやないか!)。この漫画を読んで、初めてだいたいのことがわかりました。
鎌倉幕府成立から約300年。彼ら武士は完全に平安貴族のしきたりを上書きしているし、一方では荘園経営をしながら武士として何度か死線を潜ってもきています。源氏物語や吾妻鏡も彼らの教養の一つであり、それらを咀嚼しながら未来を作っているだろうな、とまでは漫画では書いてはいませんが、想像できるほどに作者はこの時代を咀嚼していると思いました。
この時代、喧嘩のルールがいったん壊れる。
おそらく歴史書では一つのトピックとして大きく扱われているはずの新兵器「発石器」(石を砲弾のように飛ばす武器)も、足軽という名前の戦闘集団の頭目・骨皮道賢も、さらっと出てきて、「一度使われてしまえば、敵も同様な物を使用する」と、すぐに「新兵器」は新鮮味がなくなる、というクールな描き方になっています。
「これが武士のいくさのすることかぁ!」と西軍の頭、山名宗全は叫ぶのですが、おそらくこれこそ中世のいくさなのだろう。発石器や骨皮道賢の姿を生き生きと見れることを楽しみました。
いよいよ次巻からは、地方に飛び火したいくさに対して、自らの所領を守るために、若干16歳の新九郎が備中荏原(岡山県井原市)に赴任します。 -
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予想外!!
ご存知、「パトレイバー」や「鉄腕バーディー」の作者、ゆうきまさみ。
その彼が歴史もの、それも信長/秀吉/家康トリオ絡みや幕末絡みではなく、戦国時代の先駆け北条早雲の物語を描くとは…。
さらに読んでビックリ、無茶苦茶リアル路線じゃないですか!
(もっとも、そもそも北条早雲の若い頃は明確になっていないので、史実に忠実とも言い難いけど)
主人公新九郎が元服後、将軍にお目見えされるところの礼儀作法のくだりとか、無茶苦茶細かくてリアル!
(あの程度の関係で、その為の用事で将軍に会えるかどうかというのは置いておいて)
一方、敢えてカタカナ用語を入れてくるなど、意図的にくだけたギャグパートを見せるのはゆうきまさみらしい。
絵は…昔とちょっとイメージが変わった?
パトレイバーと鉄腕バーディーは、パッとみただけでゆうきまさみとわかる特徴があったけど、本作ではちょっと系が違う気がする。
ところどころ「らしい」描き方もあるが、知らずに読んだらゆうきまさみ作とはしばらく気が付かないのでは?
ただ、相変わらずうまいし、読みやすい絵。
一番の問題は…やはり題材かな?
歴史オタクとも言える私でも、室町時代の人間関係は非常にややこしい。
一般の人だと、北条早雲すら知らず、物語前半で出てくる人の中では「山名宗全」「細川勝元」がかろうじて聞いたことがあるという程度ではないだろうか?
日野富子も世間一般では知らない人がほとんどだろうし、将軍義政ですら「え?銀閣を建てた人なの?」って程度だろう。
知らない人たちが繰り広げる権謀術数…、そりゃ理解できないと思う。
なまじリアルに細かく描いているだけに、なおさら。
だが、敢えて言えばそこが良い。
せっかくのこのテーマ、わかりやすく簡素化・現代化せず、リアルに描くところに今までにない壮大な作品を描こうという姿勢が見えてくる。
多くの人には難しすぎるとは思うけれど、何とか最後まで省略なしにきっちり描いて欲しい。
応援してます!