山岡荘八のレビュー一覧
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所謂 独眼竜政宗は1567年に米沢城で生まれたが,初陣は本能寺の変の前年である1581年の14才である。
戦国大名として戦乱の時代に出てくるのは遅すぎたといえよう。既に時代は豊臣家を中心に纏まりかけてきた時である。
もう10年早く生まれれば政宗が天下を手にしていたかもと思えるが,歴史のたらればをいっても仕方ない。
豊臣から徳川と時代が変わろうとする時も政宗はまだまだ時代は動くと期待し,家康にも臣従するのではなく,対等に渡り合おうとするが,そこは家康の人格や思想に押され,屈服せぬまでも,時代の流れに逆らうことは出来なかった。
政宗も戦国の世から,戦争のない民百姓が安心して暮らせる世の中にしたいがため,矛を収め,仙台を栄えさせようと泰平時代での政宗なりの生き方を貫く。
政宗が戦国時代を天衣無縫に駆け抜け,豊臣,徳川3代に臣従することなく生き続けられたのは,自分に正直であったためであろうと思う。伊達者と言われる生き方である。
政宗とその父の輝宗が大河内外記の丸森城を落とし,破竹の勢いで次なる金山城を陥落させ,ついに相馬盛胤の本拠へなだれ込める態勢になった。それが6月頃だった。
政宗『父上,今年はこれまでで十分かと存じます』
輝宗『なに,お許はこの勝ち戦をここで打ち切れと申すのか。まだ6月になったばかりだぞ』
政宗『6月になればこそ打ち切るが賢明かと』
輝宗『これはしたり,戦はつねに勢いで決するもの。今こそ山越えに相馬領になだれこみ,盛胤に一泡ふかせる絶好のおり。それがお許にはわからぬのか』
政宗『藤次郎(政宗のこと)はそうは思いませぬ。ご覧なされませ,いま百姓達は田植えを終わり,撫でるように除草して,今年こそはと祈りをかけて稲を育てているところ。戦には勝ちましたゆえ,百姓どもには負けてやりましょう』
政宗の自領の民百姓を超えて人や物に対する心優しさが伺える一言である。
全6冊。 -
Posted by ブクログ
不殺(ころさず)の剣。それは神仏の尊い化身である人の命を守り、そして天下に平安をもたらすもの。
大和の名の知られた剣客というだけであった彼が、剣聖伊勢和泉守との出会いにより、道を究め、無刀取りを編み出すまでの前半と柳生が一族として世に出、将軍家指南役として天下を導く剣を目指す後半部とが、過剰な描写を廃し淡々と語られています。
師匠の死ですらこの作品の中では静かに描かれ、梅花がつつましく桜に主役を引き継いだかのような、爽やかな香気を感じる。
いずれにせよ、時代劇や歴史小説では悪役になることの多い柳生但馬守ですら、人格者に描かれているのが楽しかったです。