今日マチ子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ泣きながら読み終わりました…。胸がいっぱいです。
角野栄子さんの「トンネルの森1945」の続編です。「トンネルの森」は戦時中に、小学生くらいの主人公イコが、東京から千葉(だったっけ?)に疎開し、たくさんの辛い経験をしながら成長する物語…だったけど、こちらは戦後です。
さぁ、戦後…!新しい社会がつくられていく時代に、感受性豊かで芯が強く、好奇心旺盛な…でもある意味、ごく普通の女の子のイコが、どんな風に成長するのか…って考えただけでもドキドキする。
イコは、勉強は特に得意ではない。数学はてんでダメで、戦後、進駐軍のお金持ちの家の中をのぞいてみたい(っていうか実際にのぞく)、英語で話してみたい、外国の映画を観てみたい…などの好奇心から、英語の勉強だけは頑張ろうとする。
この小説の魅力的なところは、それでイコが勉強を頑張って劇的に英語を話せるようになるとか、そういう感じではなく、いつまでたってもイコの才能が開花するなんてことはなく、ずっと迷い続け、やろうやろうと思いながらも、心に決めた1冊の原書をちゃんと読み終えることすらせず、人間の弱さがそのまま描かれているところだ。
ただ、タイトルに「イコ・トラベリング」とあるように、あるときイコは学校の英語の授業で「現在進行形、ing」を習った時に、「現在進行形って、なんかいいな!私も進行形でいこう!」みたいなことを心にとどめて、ずっとそういう感じで、興味があるものに対して前のめりに進んでいくのだ。
そしてまた、特に自立心がある女性、という描き方でもないのだが、何かに興味をもって、やってみたい!行ってみたい!と思うとき、それは「一人で」やったり、行ったりしたいのだ。
戦後すぐのその時代、庶民が外国に行くことはできなかった。それでも「外国に行きたい」と思い続けている彼女に、ちょっと恋仲になりかけた男性から「僕が連れて行ってあげる」みたいなことを言われるんだけど、そのセリフにイコは「ふくらんでいた風船が急にしぼむような感じ」を覚える。
彼女ははっきりと、自覚するのだ。「行くなら、一人で行きたい」と。
このシーンはとても印象的だった。
物語の終盤、無事に大学を卒業し、魅力的な人たちに出会い、就職して生き生きと働くイコ。でも、外国に行きたいという気持ちを押さえられない。
残りページ数が少なくなるとともに、頻繁にお父さんがまた登場し始める。子どものころのお父さんとの思い出の回想。帰りが遅くなっていくイコを無言で心配するお父さん。読者は、イコに世界に羽ばたいて欲しいと思うが、お父さんの気持ちを考えたら切なくなる。
1948~のこの時代、娘に「好きなように生きろ!外国にでもどこへでも行ってこい!」と言える庶民の親はなかなかいないと思われる。
2人の気持ちを考えながら読み進めていて、最後の方は涙が止まりませんでした…。また読み返したいです。 -
Posted by ブクログ
日常を描く作品もありますが、沖縄、アウシュビッツ、長崎、広島、貧困少女などをテーマとして描く作者の最新作は震災。作中で固有名詞は出ていませんが、テーマは15年前に発生した東日本大震災なのは明らかです。
震災を扱った漫画はいくつかありますが、「るすばん猫きなこ」でも他の漫画のように悲惨さはもちろん描かれますが、本当に描きたいテーマが「救い」だと思われます。
実際に亡くなってしまった2万人もの人、残された人、そしてペットたち。彼らの想いが柔らかいタッチで描かれた漫画の中で浄化されるかのようです。
もう15年、まだ15年。人によって捉え方は様々ですが、年々風化していることは事実でしょう。そんな中で何度も現地に足を運び、今、描き続ける作者の姿勢に脱帽しかありません。
とここまで書くと硬い話のようですが、漫画の中の「ここな」と「きなこ」の小学生1年生と子猫は愛らしくかわいい姿に溢れていて、癒されたり笑ったり、その部分も最高なんです(推し猫はゴンタ!)
こういう傑作漫画がちゃんと売れてアニメ化されてより広がることを願います。 -
Posted by ブクログ
先日の高校入試に取り上げられたのがきっかけで、手に取った本。
小6の海斗は、何をやっても中途半端、今はゲームに熱中している。約束の時間が過ぎてもゲームをやめなかったので、お母さんにゲーム機を没収されてしまう。両親に言われて何となく通っている塾に行く途中に、駅構内から聞こえてきたピアノの音に心ひかれて立ち寄り、ストリートピアノを弾く青柳さんと出会う。それがきっかけとなって、ピアノの練習を始める海斗。青柳さんに教えてもらった、『ピアノピアーノ』を合言葉に懸命に練習に打ち込む。
あとがきに書かれていた「あの時あの人に出会わなかったら、あの本を読んでいなかったら、今の自分は全然ちがっていたかもしれない。そんな風に思うことがあります。」という作者の言葉に大きくうなづきました。特に小中生に読んでほしい物語でした。 -
Posted by ブクログ
この話には「承認欲求」と「体験者の語り」の二つが裏テーマとなっている
「承認欲求」は、主人公がどうしても這い上がりたい、周りからよく思われたいということを燃料に、過去の戦争体験さえも自身の糧としていく。今までの「可愛そうな戦争漫画」という範疇では決して登場しないキャラクターではあるため、それを受け付けない読者もいるかもしれない。
そして「体験者の語り」。これは作者がラジオのインタビューで語っていたが戦争体験者の語りを聴く会に参加した際、最初は喋りなれた方が登場して、それを聞くと周りの人も涙していたが、その後に出てきた人は喋りなれておらず感動はなかった。
伝え方で何が伝わるのか、そして今でいう「バズること」で体験者さえも自身の記憶が変わっていく。これは2025年の今、受けている政治家が、その信念や政治信条よりも、喋り方や容姿が重要視されてしまっていることからも非常に身近なテーマとなってしまっている。
戦争を描き、その虚しさをちゃんと描きながら、漫画のなかで生きることをここまでえぐってくるのは純文学であるといってもいい。「cocoon」のようにわかりやすさはないが、多重的であり、その全ての層にサビたナイフが隠されており、読者は気付かないまに傷口に錆をぬられていく。
まぎれもない傑作です。
最後に、別のレビューで「フルカラーのイラストのようじゃなかった、簡素だった」というものがあったが、それにこのレビューで反論しておくと、あのイラストの密度で漫画にすると読みづらくでしょうがなくなる。カラーにすると情報量が多くなり、絵は止まってしまうことが多い。総カラーのアメコミが日本で受けなかったことや、今でも漫画は基本モノクロが多いのもその理由だ(あとから作者以外が彩色したものがあるが、あれは超売れた作品だけの例外)。 しっかりと読み込めば伝わってくる。 -
Posted by ブクログ
「cocoon」や「アノネ、」「ぱらいそ」など、あえて”ファンタジー”として戦争を描いてきた作者が次は広島・原爆をモチーフにした作品。
今までの直線的なストーリーとは違い、複数人の視点で多重的に描かれているが、そのつながりは見事。
昨今の「書き込み量=上手い」といった作画タイプではなくシンプルなタッチではあるが、構図や描き方などはあまりにも上手い。
戦争漫画=反戦=可哀想な人、といった短絡的な描き方から脱却して描いているので反発する読者もいそうだが、戦争が過去のものでない現代、そして我々がそこに巻き込まれる可能性がある今、こういったアプローチで戦争を描き、平和を願うという作家としての意思を応援したい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ今日マチ子さんの『ぱらいそ』、読みました。
私が罪を犯すように、世界のひとたちも罪を犯す。そして、世界が罪を抱えていることのように、私は贖罪を抱えるしかないのかな、と思いました。だから、世界も天国も灰色なのかもしれないけど、私たちは濁った身体かもしれないけど、人々に色を重ねて黒に塗りつぶしてしまうことに抗って、人と人との間に白い光を見つけないといけないと思いました。
そして、神様に守られた場所である教会の上に落とされた原爆が最初「白い光」だったことが...そしてそれは人を限りのない黒に塗りつぶして、世界も人も白と黒の混ざった灰色にしてしまう...なんとも言えない気持ちになりました。きっと、それはユーカリが盗んだ「白」と同じように、白い光を見つけることはただ白く塗りつぶすことではないという事なのかなと思いました。「罪をもつこと、それが強さ」というあとがきがそれを強く感じさせました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレあまりに強大な敵や残酷な現実に、か弱い少女たちが唯一戦えるとすれば、甘い想像力しかないという言葉が印象的だった。
自分も読んでいて、少女たちの綺麗な言葉遣いや何気ない等身大の少女たちの日常や感性の中に、明らかに残酷で異常で、凄惨な日常が同居していることの異様さ。そして、人が人でない死に方をしたり、人間らしさが奪われることが当たり前の現実を生きるしかなくて、その全てが現実として彼女たちを襲い、それをも日常として受け入れてしまうというか、耐えれてしまうことがすごく恐ろしいことだと思った。
繭は羽化するまでの間を守ってくれるもの。
その中にある糸が紡いだ空想の雪空に寝そべっていられるからこそ、サンは凄惨な現実から離れていられた。
でも、繭は最終的には破られるために存在していて、想像もまた、いつかは壊れてしまうものなのだと思う。
戦争によって、サンとマユの特別な絆がそのままでいられることはなく、どこかで失なわれなければならないことも含めて、それはとても切なく、凄惨で厳しい現実として迫ってくる。
サンが「こんな世界だと知っていたら、出ようとなんてしなかった」と言った気持ちもわかる。
そして蚕の羽化は、決して空を飛べるようになるわけでもない。
糸が紡いでくれた雪空にも、その雲の上にも羽ばたけない。
それでも出ていかなくてはならない。その事実に心が締めつけられる。
サンがマユの繭を破る場面は、アニメと原作で大きく異なっていて、破り方にも強い対比があった。
でも共通しているのは、マユのおまじないも、想像の繭の中の世界も、雪空も、本当は現実ではなかったということ。
そして、サンがそれを受け入れる瞬間には、マユが「男」であったという事実が(多分)関係してるということ。
マユの気持ちを想像すると本当に胸が痛い。
サンの無自覚な自己中心さは、サンが生き残るため...ある意味でマユにとって「繭のまま」サンを守るため...に必要だったのかもしれない。
マユは凄惨な現実や闇からサンを守り、最後まで繭のまま破られて死んでいく運命を、初めから受け入れていたように思える。
それほどサンを愛していたのではないか、と原作を読んで感じた。(マユが死に際に、サンの方からマユに同じおまじないをかけるようにお願いする描写は、それを象徴していたと思う。マユ自身もまた繭の想像の世界を信じることで、自分を保っていられたんだと思う。だから「ここに男の人はいない」というおまじないは、自分にかけるものでもあったのかな、と思った。)
だからこそ、アニメ版では、ヒナを見捨ててしまったこと、サンに見損なわれたこと、
サンが兵隊に襲われてしまったこと、
男であることがバレたこと、
兵隊を殺したこと...
そうしたことが連なり、マユが自暴自棄になり、サンは自分の選択と力で急速に繭を破ったという展開には、原作とはまた別のサンの力強さがあった。
そして、最後にサンがマユを“ありのまま”として受け入れる姿には、わずかな救いのようなものも感じた。
それでも最終的に、サンは「蚕は飛べない」という言葉の通り、
空を目指すのではなく、地に足をつけて現実を生きることを選んだ。
命を奪われ、サンの手を引いてくれていたマユの手はもう無くなってしまったこと、マユは男であったこと、それによってあの関係性は終わらざるを得なかったという、どこまでも現実的で残酷な結末。
それでもサンの中で、おまじないが解けたあとも、回想の中のマユは女の子のままだった。
ふたりの特別な絆は、たとえ繭が破れても、想像の世界が終わっても、
確かに本物だったのだと思う。
表示されていない作品があります
セーフサーチが「中・強」になっているため、一部の作品が表示されていません。お探しの作品がない場合は、セーフサーチをOFFに変更してください。