あらすじ
シマいちばんの女学校に通う主人公・サンらは、クラスメイトとともに学徒隊として戦地に赴く。戦況の悪化とともに、ひとり、またひとりと仲間を喪っていく中、世界の凄惨さと自己の少女性との狭間でサンは……。 戦後65年。新世代の叙情作家が挑み描いた衝撃の長編傑作。
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胸の痛みは怒りに変わる。
戦争で日本の将来、未来を担う筈だった若者を自死に追い込んだ、大日本帝国の話を見聞する度に、若者を追い詰めておいて己は自決せず、のうのうと生き残った組織人達に怒りを感じる。「英霊」と若者達を称える行為の裏には、そういう大日本帝国の構成者達の責任回避を考えざるを得ない。
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シンプルで可愛らしいこの絵柄で、沖縄戦で少女たちが死んでゆく描写や、ボロボロの腐敗しつつある遺体は、読んでいて精神がえぐられます。
再読するには
「さぁ、読むぞぅ!!」
と気合いを入れて挑まないといけません……。
Posted by ブクログ
戦争を知らない世代で、ひめゆり学徒隊のこともよく知りません。でも、柔らかく優しい画で描かれる物語には、心が揺れ動きました。
とてもずっしりと、深いところまで浸透してくように読むことができました。でも、読み終わったあとの気持ちをうまく言葉にするのは難しいです。
Posted by ブクログ
あまりに強大な敵や残酷な現実に、か弱い少女たちが唯一戦えるとすれば、甘い想像力しかないという言葉が印象的だった。
自分も読んでいて、少女たちの綺麗な言葉遣いや何気ない等身大の少女たちの日常や感性の中に、明らかに残酷で異常で、凄惨な日常が同居していることの異様さ。そして、人が人でない死に方をしたり、人間らしさが奪われることが当たり前の現実を生きるしかなくて、その全てが現実として彼女たちを襲い、それをも日常として受け入れてしまうというか、耐えれてしまうことがすごく恐ろしいことだと思った。
繭は羽化するまでの間を守ってくれるもの。
その中にある糸が紡いだ空想の雪空に寝そべっていられるからこそ、サンは凄惨な現実から離れていられた。
でも、繭は最終的には破られるために存在していて、想像もまた、いつかは壊れてしまうものなのだと思う。
戦争によって、サンとマユの特別な絆がそのままでいられることはなく、どこかで失なわれなければならないことも含めて、それはとても切なく、凄惨で厳しい現実として迫ってくる。
サンが「こんな世界だと知っていたら、出ようとなんてしなかった」と言った気持ちもわかる。
そして蚕の羽化は、決して空を飛べるようになるわけでもない。
糸が紡いでくれた雪空にも、その雲の上にも羽ばたけない。
それでも出ていかなくてはならない。その事実に心が締めつけられる。
サンがマユの繭を破る場面は、アニメと原作で大きく異なっていて、破り方にも強い対比があった。
でも共通しているのは、マユのおまじないも、想像の繭の中の世界も、雪空も、本当は現実ではなかったということ。
そして、サンがそれを受け入れる瞬間には、マユが「男」であったという事実が(多分)関係してるということ。
マユの気持ちを想像すると本当に胸が痛い。
サンの無自覚な自己中心さは、サンが生き残るため...ある意味でマユにとって「繭のまま」サンを守るため...に必要だったのかもしれない。
マユは凄惨な現実や闇からサンを守り、最後まで繭のまま破られて死んでいく運命を、初めから受け入れていたように思える。
それほどサンを愛していたのではないか、と原作を読んで感じた。(マユが死に際に、サンの方からマユに同じおまじないをかけるようにお願いする描写は、それを象徴していたと思う。マユ自身もまた繭の想像の世界を信じることで、自分を保っていられたんだと思う。だから「ここに男の人はいない」というおまじないは、自分にかけるものでもあったのかな、と思った。)
だからこそ、アニメ版では、ヒナを見捨ててしまったこと、サンに見損なわれたこと、
サンが兵隊に襲われてしまったこと、
男であることがバレたこと、
兵隊を殺したこと...
そうしたことが連なり、マユが自暴自棄になり、サンは自分の選択と力で急速に繭を破ったという展開には、原作とはまた別のサンの力強さがあった。
そして、最後にサンがマユを“ありのまま”として受け入れる姿には、わずかな救いのようなものも感じた。
それでも最終的に、サンは「蚕は飛べない」という言葉の通り、
空を目指すのではなく、地に足をつけて現実を生きることを選んだ。
命を奪われ、サンの手を引いてくれていたマユの手はもう無くなってしまったこと、マユは男であったこと、それによってあの関係性は終わらざるを得なかったという、どこまでも現実的で残酷な結末。
それでもサンの中で、おまじないが解けたあとも、回想の中のマユは女の子のままだった。
ふたりの特別な絆は、たとえ繭が破れても、想像の世界が終わっても、
確かに本物だったのだと思う。
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ひめゆり学徒隊がモチーフの作品です。
戦争という出来事が、遠い過去へと隔離された特別な物語としてではなく、今を生きる私たちと同じような目線や価値観で描かれています。
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ただただ、いまの平和が愛おしい。
一方で、いまもまだ世界にはこの作品と同じ、むしろそれ以下の生活を強いられている人がいて、その現状を本当は今すぐにでも変えたいのに、変えることができない自分の無力さに愕然とする。
自分の地位や名誉、財産を守る・増やすことだけを考えて、他人の幸せを顧みない愚かなことは辞めよう。
すべての命は等しく幸せになる権利がある。
Posted by ブクログ
こんなにつらい漫画だと思わなかった
戦争時の沖縄の現実
今まで、ひめゆりの生徒のことや、沖縄の地上戦の写真を見たことはあったけど、こらは漫画なのにもっとずっと生々しく当時の姿が伝わってくる
戦争は悲惨
全世界の人に読んでもらいたいと同時に
戦争で亡くなったり、犠牲になった全ての人に対して
哀悼の念
反省の気持ち
御冥福
どれもうまく言い表す言葉が見つからないけれど
そんな気持ちになる
本当に戦争やめて
Posted by ブクログ
戦争を知らない世代ばかりになるこれから。次の世代へと繋いでいくメッセージ。『戦争をしてはいけない』ということ。中高生も読みやすい、でもリアルでしっかりメッセージが伝わる内容。
Posted by ブクログ
当時の女学生の目線で描かれた沖縄線。
戦地で酷く、苦しんで亡くなっていった方達がどんなに辛かったのだろうかと思うと同時に、その全てを目にし、体験した上で、生き延びてその後の人生を生きていかねばならなかった方達がどんなに苦しく辛かったのだろうかと、想像してもしきれない。
そして、その辛い記憶を掘り起こしてまで後世に伝えようとしておられる方々に心から敬意を表したいし、私たちの世代においてもこのように作品として残してくださる方がいることに本当に感謝したい。
これから何年にも渡って読み返したいし、自分の子どもにも読ませたい。
人によって差はあるだろうけど、読むとしばらく気分がふさいでしまう...
ふんわりした絵柄が逆に凄惨さを強調してる
良い意味で買うんじゃなかった、読むんじゃなかったとさえ思う
でもまた読まずにはいられない
軽い気持ちで買ってはいけない、弱った心で読んではならない
だけどお勧めしたい、そんなお話でした
「好きだよ」「ずっと一緒にいたいよ」
今際の際で告げたこの言葉が特に悲しすぎる...
Posted by ブクログ
怖い。怖すぎる。
幼い頃に読んだら確実にトラウマになる。
わずか70年くらい前にあった現実。
戦争はやはり絶対にしてはいけない。
忘れてはいけない。
Posted by ブクログ
戦争のお話。戦争系は自分がその立場ならを想像し、ゾッとするからあまり自分からは読みません。
今日マチ子さんの作品だから見ようと思いました
私は、この時代に産まれていたら
己の弱さに自ら自決を選んでいるだろう。そう思う
Posted by ブクログ
今日マチコさんの文章にはあまり触れたことがなかったので、あとがきがけっこう印象に残ってたりする。自分はこう思った、一方作者はこんなことを思っていた。という比較の機会はなかなかなくて。
沖縄戦を下敷きに描かれる今日マチコの世界。戦争は残酷で、それでも人は深くて強い。
Posted by ブクログ
色々な場所で話題になっているのを見て興味を持ちました。
一度読んだだけで、どっと疲れが……。
たくさんの音があるはずなのに無音で、真っ白な世界でサンのいる場所だけにスポットライトがあたっているような不思議な感覚で、それが余計に重苦しく感じる作品です。
もう一度、読むには気力がいるな……。
Posted by ブクログ
絵の良し悪しはさておき、細かい書き込みを極力排除することによって、その悲惨さを、簡潔にかつ誰にでも分かりやすく描き抜くっていう点では成功していて、十分な評価に値すると思います。逆に普段から活字に慣れ親しんでいて、読み込み系の漫画もいくらでも来いっていう、自分みたいな向きには、やや喰い足りなさが残る気がします。でもそもそも、誰にでも読めて、かつ面白いってのが漫画の第一条件と考えれば、本作も優れた一作だと思います。
Posted by ブクログ
とんでもない漫画をライトに買ってしまった…しかし出会えてよかったと思えた作品。残酷な出来事を残酷なまま、この絵のタッチで描かれることはとても意味があることだと思う。先日、同期の番組を観て若い世代がどのように戦争というもはや想像でしか語れない出来事を、どのように受け取るればよいのかということを考えていたので、ひとつの答えだなあと思った。読んでいるとつい顔が歪んでしまう漫画ではあるけど、ギリギリのラインでスラスラ読めた。こういう作品で、戦争の当事者でない人が戦争を語り継ぐ意味というのはとても大きい!!
Posted by ブクログ
修学旅行の事前学習用に購入。
今日マチ子さんのかわいい絵だけれど、ひめゆり学徒隊に起こった、あの悲劇がよく伝わる。
残酷なシーンは文章がない。
でも、絵で十分伝わってくる。
Posted by ブクログ
今度、マームとジプシーがこの漫画を原作とした作品を上演するのを見に行くので、予習としてネットカフェで読みました。
すごい作品でした。これがマームとジプシーの女優たちで執拗なリフレインを通じて表現されるかと思うと、それだけで涙が出てきます。
Posted by ブクログ
これは……恐ろしい漫画だ。
凄まじい。怖い。この絵でここまでとは……。
最後まで生きようとしたマユが切ない。
私だったら早々に離脱しているかもしれない。耐えられないこんなの。
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トゲだらけの甘いお菓子、という感じだった。いま、自分の身を守るために、もっと、ここではないどこかに思いを馳せることを大事にしたいと思いました。
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☆3.5 徹底的な男性性の排除でのきらきらは過剰すぎやしないか
『編集とは何か。』(星海社新書)に、「cocoon」の秋田書店の担当編集者だった金城小百合へのインタヴューが載ってゐる。
金城といふ苗字のとほり、沖縄のかた。
インタヴューによると、当時まだ20代の若手だった今日マチ子は、ひめゆり学徒隊の話を引き受けるのに躊躇した。しかし金城が作家の描く描かないの決意表明のまへに、先に沖縄につれていって取材をさせ、金城の叔父の家に泊めて、もてなしもした。
つまり、編集者が「引き返せない」やりかたまでさせた作品なのだ。
そしてこの「cocoon」が、今後の作者の方向性を決定させもした。
それが気になって読んでみた。
この話は、今日マチ子のあとがきにあるとほり《時代も場所もあやふやな、夢のなかで再生される戦争の話です。》が正確だとおもふ。
どことなく少女どうしの強い結束感がありながら、戦中のグロテスクさが遍在してゐる。
しかし戦中とはおもへぬ、妙に透明で乾いたタッチにきらきらがある。作者が女性であり、かつ絵の非写実的なタッチもそれをふくらませてゐる。そしてその、どこかハードボイルドのタッチの少女世界が、ふいにあらはれるグロテスクさをきはだたせる。
この印象に残る艶っぽさは、どうやら、少女しかゐない世界にあらはれた、東京からの器量よしの転校生・マユの存在と、そして蚕の繭=ガマに代表される少女的な空想メタファー(マユといふ名前もさうだ)が大きい。そして、マユといふ自律した存在の恢復役、または頼り頼られといった関係は、どこか百合のやうに見えなくもなかった。(真相は異なるが。)
私には、いくらかきらきらが誇張されてゐるやうに感じるこの作品の少女世界が、実際に沖縄で経験されたことなのか、わからなかった。
当時の男性的な戦争のさしせまる終局に、それも人間性すら木端微塵に破壊されうる緊迫に、こんな空想する余裕が、しかも少女性がはたして残ってゐたのか? それとも空想しかできぬほど追ひ詰められてゐたのか?
この作品の主人公・サンは後者だ。グロテスクさも、まるでどこかファンタジー上のグロテスクさのやうな……
さらにマユのやうに自律して正気を保ち、自決からも逃れる人間が当時実際ゐたのか? 現在の価値観をもった作者によって設定されたキャラクターと感じなくもない。
乾いた筆致は少女の空想のうちでとまって、つきぬけなかった。いはば空想もまじへて追体験させる物語が、どれだけ実際であるか? 作者が体験したものでない以上、これが現実と地続きなのか、あやうさがつねにつきまとってゐた。
それはなかばフィクションであるゆゑの問題でもあるのだ。
やはり《夢のなかで再生される戦争の話》といふのが適当なところだらう。
私がこれを読んで思ひ出すのは、メタファーにたいするスーザン・ソンタグの決意表明である。ソンタグは大江健三郎との往復書簡でも、大江の用ゐたメタファーを批判した(『暴力に逆らって書く』朝日文庫)。
それは、危機的状況のなかでみづからメタファーに陥ることなく、むしろメタファーに抵抗する姿勢そのものだった。
そして私も、できるならばさうありたいと希求するのだ。
Posted by ブクログ
2016/02
息苦しいけど読み終わらないと逃れられないから一気に読むしかなかった。
沢山の音が鳴っているはずなのに、ずっと静かな、少女たちの声以外は無音の世界のように感じて、それが息苦しさを呼んでいたのかも。
バースデーケーキが秀逸でした。
Posted by ブクログ
どうやら戦争中らしい南の島でキャアキャアと笑いながら戦闘にそなえる女子学生たち。沖縄のひめゆり部隊のようでもあるけれど、細くて透明な画線や、時折混じる現代的表現のせいもあり、それにしてはどこか非現実感が漂っていて、まるでSF映画のようだ。
と思っているうちに、彼女たちはいつのまにかどんどん本物のひめゆり部隊のように戦争に巻き込まれて残酷な形で命を落としていく。どこか非現実的な感触を残したままで。
作者によれば、これは現代を生きる少女が、昔の戦争のお話を読んで見る夢なのだという。あるいは、いつか戦争で死んでいくことになるかつての少女が見る夢なのかもしれない。巻末におさめられた印象的なサイドストーリーのように、少女たちの見る夢と現実、過去と未来は、いつどんな形で反転しつながるかわからないのだから。
リアリティに欠けた奇妙な夢のような世界。しかしそれは、現在の平和のすぐ裏にある恐怖を指ししめして奇妙なリアリティに満ちている。
Posted by ブクログ
今になって、戦争の話を見聞きすると、考えることが多い。子どもの頃は、平和な環境はずっと続くと信じてた。でも今になって、大人になっても人は間違えるっていう事実を肌で感じている。だからこそ。