あらすじ
シマいちばんの女学校に通う主人公・サンらは、クラスメイトとともに学徒隊として戦地に赴く。戦況の悪化とともに、ひとり、またひとりと仲間を喪っていく中、世界の凄惨さと自己の少女性との狭間でサンは……。 戦後65年。新世代の叙情作家が挑み描いた衝撃の長編傑作。
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Posted by ブクログ
あまりに強大な敵や残酷な現実に、か弱い少女たちが唯一戦えるとすれば、甘い想像力しかないという言葉が印象的だった。
自分も読んでいて、少女たちの綺麗な言葉遣いや何気ない等身大の少女たちの日常や感性の中に、明らかに残酷で異常で、凄惨な日常が同居していることの異様さ。そして、人が人でない死に方をしたり、人間らしさが奪われることが当たり前の現実を生きるしかなくて、その全てが現実として彼女たちを襲い、それをも日常として受け入れてしまうというか、耐えれてしまうことがすごく恐ろしいことだと思った。
繭は羽化するまでの間を守ってくれるもの。
その中にある糸が紡いだ空想の雪空に寝そべっていられるからこそ、サンは凄惨な現実から離れていられた。
でも、繭は最終的には破られるために存在していて、想像もまた、いつかは壊れてしまうものなのだと思う。
戦争によって、サンとマユの特別な絆がそのままでいられることはなく、どこかで失なわれなければならないことも含めて、それはとても切なく、凄惨で厳しい現実として迫ってくる。
サンが「こんな世界だと知っていたら、出ようとなんてしなかった」と言った気持ちもわかる。
そして蚕の羽化は、決して空を飛べるようになるわけでもない。
糸が紡いでくれた雪空にも、その雲の上にも羽ばたけない。
それでも出ていかなくてはならない。その事実に心が締めつけられる。
サンがマユの繭を破る場面は、アニメと原作で大きく異なっていて、破り方にも強い対比があった。
でも共通しているのは、マユのおまじないも、想像の繭の中の世界も、雪空も、本当は現実ではなかったということ。
そして、サンがそれを受け入れる瞬間には、マユが「男」であったという事実が(多分)関係してるということ。
マユの気持ちを想像すると本当に胸が痛い。
サンの無自覚な自己中心さは、サンが生き残るため...ある意味でマユにとって「繭のまま」サンを守るため...に必要だったのかもしれない。
マユは凄惨な現実や闇からサンを守り、最後まで繭のまま破られて死んでいく運命を、初めから受け入れていたように思える。
それほどサンを愛していたのではないか、と原作を読んで感じた。(マユが死に際に、サンの方からマユに同じおまじないをかけるようにお願いする描写は、それを象徴していたと思う。マユ自身もまた繭の想像の世界を信じることで、自分を保っていられたんだと思う。だから「ここに男の人はいない」というおまじないは、自分にかけるものでもあったのかな、と思った。)
だからこそ、アニメ版では、ヒナを見捨ててしまったこと、サンに見損なわれたこと、
サンが兵隊に襲われてしまったこと、
男であることがバレたこと、
兵隊を殺したこと...
そうしたことが連なり、マユが自暴自棄になり、サンは自分の選択と力で急速に繭を破ったという展開には、原作とはまた別のサンの力強さがあった。
そして、最後にサンがマユを“ありのまま”として受け入れる姿には、わずかな救いのようなものも感じた。
それでも最終的に、サンは「蚕は飛べない」という言葉の通り、
空を目指すのではなく、地に足をつけて現実を生きることを選んだ。
命を奪われ、サンの手を引いてくれていたマユの手はもう無くなってしまったこと、マユは男であったこと、それによってあの関係性は終わらざるを得なかったという、どこまでも現実的で残酷な結末。
それでもサンの中で、おまじないが解けたあとも、回想の中のマユは女の子のままだった。
ふたりの特別な絆は、たとえ繭が破れても、想像の世界が終わっても、
確かに本物だったのだと思う。
人によって差はあるだろうけど、読むとしばらく気分がふさいでしまう...
ふんわりした絵柄が逆に凄惨さを強調してる
良い意味で買うんじゃなかった、読むんじゃなかったとさえ思う
でもまた読まずにはいられない
軽い気持ちで買ってはいけない、弱った心で読んではならない
だけどお勧めしたい、そんなお話でした
「好きだよ」「ずっと一緒にいたいよ」
今際の際で告げたこの言葉が特に悲しすぎる...