マルクスのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「ヨーロッパには幽霊が出る―――共産主義という幽霊が。古いヨーロッパの強国は全て、この幽霊を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる。教皇とツァー、メテルニヒとギゾー、フランス急進派とドイツ官憲。」は、本書の冒頭部分である。説明が必要なのは、ツァー=国王や有力領主、メッテルニヒ=オーストリアの外相、ギゾー=フランス王制最後の首相。「個人の獲得した財産、自ら働いて得た財産を、すなわち一切の個人的な自由、活動、独立の基礎をなす財産を、我々共産主義者は廃棄しようとする、という非難が我々はに対してなされる。働いて得た、苦労して得た自分で儲けた財産!諸君は、ブルジョア的財産以前からあった小市民の、小農民の財産のことを言っているのか?我々はそんなものを廃棄する必要を認めない。工業の発展がそれを廃棄したし、また毎日廃棄しつつある。それとも諸君は、近代のブルジョア的私有財産のことを言うのか?」
つまりは、マルクス・エンゲルスの言うところの共産主義はプロテリアアートにはブルジョアとは違い、階級闘争の役割があり、私有財産は保証されるとしている。すなわち、後のソ連邦のヨシフ・スターリンや中華人民共和国の毛沢東のそれは、共産主義ではない。笑えることに、統一教会やオウム真理教などの宗教団体は私有財産を認めない。
最終章では、暴力革命を標榜し労働者の団結を呼びかけて終わる。これを曲解して突き進んだのが全学連過激派である。「われわれは明日のジョーである。」よど号ハイジャック事件の首謀者たちはやはり、頭が悪い。漫画しか読まなかったのか?(笑)
弱者が強者に立ち向かう時、そこには言葉だけではどうしようもない状態が横たわる、今のパレスチナを見よ、イスラエルの死者数や拉致人質数に比して、ガザの死者数はいくらか?村上春樹がくしくも言った「一方に大きな壁があり、一方に壁に投げつけられる卵がある場合、私は卵の側に立つ」と。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「あの本、読みました?」を観ていたら、この本が紹介されていたので読んでみました。この番組が好きなので、紹介された本をどんどん読んでいきたいなぁ、と思っています。
主人公のロビンは父と慎ましくチーズを生産・販売して暮らしていた。しかし、「中間の暮らし」こそ人間にふさわしいと考える父に反発し、ロビンは投資家のダニエルにアドバイスを受けながら工場でチーズを作り始める…
ロビンは上手く工場経営ができるのか。労働者を暴力で押さえつけるようになっていくロビンの方針に、ロビン、大丈夫か???と心配しながら読みました。あまりのハラハラドキドキさに、私は資本家にはなれないなあ、と実感。
山崎元さんによる解説もあります。
解説によると、労働力を維持・発展させるために必要な費用とは、本来、労働者が明日、今日と同程度の元気を取り戻すためだけでなく、未来の労働者である子供を育てるに十分な程度の額だと考えられていた。しかし、今の日本では、子供を持つことが経済的に不可能だと思えるような労働条件が横行されていると言及されています。
その通りです。私の職場でも、ここの給料では暮らしていけない、と辞めていく若者がいます。
安い安定にしがみつかず、他人と同じ労働者にならないよう努力しつつ、社会の仕組みを変えるために働きかけをする…。ほんと大切です。
最後のページに書かれているメッセージ
(1)他人と同じは不利なのだから、それぞれに「工夫せよ」
(2) 損する側に回らないためには、「適度なリスク」を取ることを恐れるな
を肝に銘じます。
うーん、マルクスとエンゲルスは偉大だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ2024年に亡くなられた山崎元さんの解説が入った漫画で読破 資本論の2023年改訂版。病気療養中の記事でも、資本論の解説を書いたと聞いていたので改めて拝読。
そもそも、氏は資本論好きではないと思っていたが、氏によると資本論は聖書、コーランとならぶ難解で解釈に幅がある奥深い書物、つまり聖典としてとらえている。
また、”資本論には政府がいない”、”資本自体は意思を持った怪物ではない”など、本編に対する批判も忘れない。本編は単純に描かれているが、解説と併せて、とても分かりやすくまとめられている。感服。
この解説を書いたことで、亡くなられる直前の著書における働き方、カネの稼ぎ方の氏の意見が大きく影響されていると思われる。それまでは社会における搾取構造の話などは、それほど出されていなかったが、”資本主義は、資本を提供する形でリスクをとる資本家が、安定と無リスクを求めて労働力を安く売る労働者から剰余価値を集める仕組み”と喝破。他の働き方でも積極的に株式に基づく報酬を得られるよう、積極的にリスクをとるべき、と彼の意見が収束した。
やはり大著の解説で、考え方にも大きく影響が出たのかも。名著の再読・精読の価値についても考えさせられる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ題の通り、当時の共産主義の理論と実践が記述されている。現代で共産主義というとイデオロギー的な他意を含みがちであるが、本書ではその根幹を成すロジックに触れることができる。
ありがちな誤解として一切の財産の私有の廃棄というものがあるが、本書ではそれは明確に否定されている。本書で述べられているのはあくまで生産手段たる資本の共有財産化であり、それはプロレタリアが元々所有していない、所有できないものを指している。また同時に、相続も資本の拡大と階級間の対立を助長するものにすぎないことから、これも否定している。
これらの原則は、突飛で理解に苦しむような類の思想というよりはむしろ、現代の価値観に照らしても妥当なもののようにも感じられる。多く働いた者、能力の高い者は社会への貢献も大きいことから高い報酬を得ることは正当化されるし、また同時に、この報酬が人々の社会貢献を動機づける。一方、多くの相続を受けた者はその財産の一部を資本として所有することで、働くこともなく資本が財を生み、報酬を受ける。この報酬を前者の報酬と比較すると、その正当性は低いように感じられる。労働とその成果こそが報酬を与えられるべきものであり、資本の所有に対する報酬は正当性に欠けることから、これを廃止し、資本を共有財産化する。それにより歴史上初めて階級間の対立を排除し、理想社会を実現できるのではないか。
一方で、現代の社会の観察を考察に含めると、本書の執筆当時と比べて二つの点で状況が異なっていることが分かる。1点目は、資本投資による生産性の向上である。資本主義社会では、資本家の資本投資により生産性が向上する。この生産性の向上こそが市場における競争の一つの恩恵である。競争がなければここまでの資本投資は実現しなかっただろうし、当時の社会では資本投資によって現代ほどの高い生産性が実現可能であるとも想像できなかったであろう。(本書執筆からの150年で生産性は100倍になったとも言われている。)2点目は、資本コストの低廉化である。当時想定していた資本というのは工場、機械、土地、といったものであり、それらは大きなコストを要求した。それ故、資本を持たぬ者たるプロレタリアには、労働による賃金を蓄積したところで資本の所有に到達することは不可能であるように思われた。(正確には、マルクスの資本論において労働賃金は労働の再生産費用に他ならないため、そもそも蓄積すること自体が不可能であるという理論であるが。) しかし、インターネットの到来以降資本の所有に必要なコストは下がり続け、現在では誰もが持つスマートフォン一つでもアプリケーション開発が可能となった。さらに、本書で述べられている生産諸関係も大きく変化した。当時は資本を持つブルジョワと資本を持たず労働で賃金を得るプロレタリアの関係構造であったが、現代では個人がブログ投稿やYoutube動画投稿によって広告収入を得られるようになり、その生産諸関係はより複雑化したと言える。
以上の考察より、本書の執筆当時と社会構造が変化していることは明らかであるが、それは決して本書が無意味な過去の産物と化したことは意味しない。本書内でも述べられている通り、社会の変化とともに本書内に時代と合致しない箇所が出現し、それらに改変が必要であるとしても、歴史的文書として本書を参照し理解することには大きな意味を持つと感じている。
そしてなにより、とても薄い!たった50頁ほどである!もちろんより深い理解のためには他書物の参照が不可欠であるため、この50頁で全てが分かるというわけではないが、一つの思想体系のエッセンスであることに違いはない。一度は自身で読んでみることを推奨したい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ久しぶりに読んだなあ,マルクス・エンゲルスの文章。
いま,
内田樹✕石川康宏著『若者よ,マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱』(かもがわ出版,2010年)
を読んでいる。高校生以上向きに書かれた本書は,二人の手紙のやりとりという形をとってマルクス・エンゲルスの著書を順に読み解いていく。二人の手紙風の文章は,「簡潔!」とまではいかないけれど,これまで読んだどのマルクス解説書よりもわかりやすいし読みやすい。今の日本の社会で,ほとんど消えかかっているマルクス(の著作や思想)の現代的な意味を掘り起こしていこうという本だ。
その最初に取り上げられているのが『共産党宣言』である。『共産党宣言』には,なぜ共産党が生まれる必要があるのか,これまでの社会はどんな歴史をたどり,結果,今(1850年代ごろ)はどんな時代であり,このあとどのような社会をつくる必要があるのか,その歴史の流れを必然として描き出している。熱い思いは十分伝わってくる。ブルジョアジーやプロレタリアートなんて言葉は,若い子知っているのかな。高校生なら習っているか。
一箇所だけ引用。
そしてついに,(ブルジョアジーは)大工業と世界市場とがつくりだされてからは,近代の代議制国家において独占的な政治的支配をたたかいとった。近代の国家権力は,ブルジョアジー階級全体の共同事務を処理する委員会にすぎない。(下記著書のp.64)
今の日本で自民党を支持しているのは経団連など財界だ。まさにブルジョアジーが日本政府を圧力で指導している。
さて,わたしが読んだ「共産党宣言」は,岩波文庫版ではなく『マルクス=エンゲルス8巻選集』(大月書店刊)に収録されている文章である。この『8巻選集』は,40年前,学生時代に購入したモノだ。これをきっかけに,もう一度,パラパラと読んでみようと思う。1200円/冊✕8冊=9600円もしたんだな。
ちなみに『共産党宣言』は「第2巻」に掲載されている。 -
Posted by ブクログ
「経済学・哲学草稿」は、昔、岩波文庫を買ったことがあり、長い間――数十年間(笑)――持っていたのだが、結局、中をチラと覗いたっきり、1ページも読まないで棄ててしまった。
なぜ読まなかったかといえば、もちろん難しかったから。
いや、1ページも読んでないんで、難しかったかどうかもわからん。
難しそうに感じたからというのが正確か。なんか漢字も多かったし。
そして実際読んでもやっぱり難しかったはずである。
なんせマルクスの本ですから。
ところで、長谷川宏という人の名前は、ヘーゲルをわかりやすく訳した人らしいということをどこかで聞いていて、光文社古典新訳文庫もなかなか粒のそろったラインナップで、表紙のデザインもいいので、つい手にとってみた。
冒頭、こういうふうに始まる。
「賃金は、資本家と労働者の敵対する闘争によって決まってくる。資本家の勝利は動かない。資本家が労働者なしで生きのびられる期間は、労働者が資本家なしで生きのびられる期間より長いからだ。」(第一草稿「賃金」p17)
なんと、非常に分かりやすい。
「賃金を決定する際の、これだけは外せない最低限の基準は、労働期間中の労働者の生活が維持できることと、労働者が家族を扶養でき、労働者という種族が死に絶えないこととに置かれる。通常の賃金は、アダム・スミスによれば、ただの人間として生きていくこと、つまり、家畜なみの生存に見合う最低線に抑えられている。」(同p18)
「労働者は、資本家がもうけるときいっしょにもうけにあずかるとは限らないが、資本家が損をすれば必ずいっしょに損をする」(同p19)
「労働者と資本家がともに苦境にあるとき、労働者は生きていけるかどうかで苦しんでいるが、資本家は金もうけできるかどうかで苦しんでいる」(同p20)
かっこいいなマルクス。
「分業の細密化は、労働者をますます一面的かつ従属的な存在とし、とともに、人間同士の競争だけでなく、機械との競争までも招きよせる。労働者が機械に転落したとなると、機械が競争相手になるというわけだ。」(同p23-24)
「国民経済学はプロレタリアを――つまり、資本も地代もなく、純粋に労働によって、すなわち一面的・抽象的な労働によって生きていく人間を――労働する者としか見ない。そこで、プロレタリアは、すべての馬と同じく、働くことができる程度に稼がねばならない。それが国民経済学の掲げる命題だ。国民経済学は働いていないときのプロレタリア――人間としてのプロレタリア――を考察の対象とすることがない。その考察は、刑事裁判所や医者や宗教や統計表や政治や乞食や取り締まり官にゆだねられている。」(同p28-29)
正直、分からないところもあちこちあるが、ずいぶん理解しやすい。
これはありがたい。
マルクスがこの「経済学・哲学草稿」を書いたのは、なんと26歳のときだ。
凄い人は凄いとしかいいようがないな。 -
Posted by ブクログ
マルクスが26歳の時に書き著した草案。
全体を通して感じることは、
労働者の隷属状態に対しての批判。
これが書かれたのは1844年。
産業革命は1700年代後半からイギリスでおこっていった。
マルクスはドイツ人だ。
この時にはドイツにも産業革命の波は届いていただろう。
波とは、工業化の波である。
前提として意識しておきたいのは、マルクスの批判しているのはこの時代の主産業が工業であるということだ。
工場というのは、
なるだけ24時間フル稼働させている方が工場にとって利益が出る構造になっている。
すなわち、労働者にとっての長時間労働が工場主にとっての利益につながる。
自然と労働者をできるだけ長時間働かせて、フル稼働で工場を動かそうとするインセンティブが工場側に働く。
といった背景がある。
マルクスは、
労働者のことを奴隷とし、
労働のことを奴隷労働と言っている。
資本家が労働者を牛耳っていると見ているからだ。
結果的には、
失敗したマルクス主義であるが、
何故マルクス主義はあれほどに世界を巻き込み影響を与えたのか?
その中に含まれる今でも通用するような原則はなにか?
などの視点を持って見てみても非常に面白い。
マルクスはシンプルに言って何を書いてるのか?
お金と人のこの世界で、
在るべき関係性だ。 -
Posted by ブクログ
これを読んだ当時はマルクスの慧眼に気付かなかったが、ブルデューなどの階級社会論を読んでから、なるほどと思った。かつてから階級社会では、上位の階級は国際的にラテン語でコミュニケーションを取り、さらに上位の王室では婚姻により女性を通じたコミュニケーションがあった。フランス革命時に対仏大同盟、対革命の連合が出来たのはそのような横のつながりが、国を別にしても潜在的に存在していたからである。上位こそ横の連帯が強く、国際的に融通が利くが、末端に行くにつれ人々は分割され、いわゆる分割統治の形態がとられる。中間共同体を失った近代以降では、末端の人々をむずびつけるものは無きに等しい。国単位でみても、ウォーラーステインの世界システム論では、中核国家、覇権国家程横の融通が利く産業形態を持ち(金融など第三次産業)、周縁など末端に行くにつれて潰しの利かない(すぐに産業の転換が出来ない)モノカルチャー経済化して、結果的に分割統治の垂直的関係が存在していると紹介されていると私は思う。さて、そこでマルクスが放った大号令が共産党宣言―「労働者よ、団結せよ」―である。上位の横の連帯に対抗すべく、ブルジョワの欺瞞を打ち砕くべく、下位の労働者こそが団結する必要がある。そう言ったのである。共産党宣言にこんな歴史的意義があることを、もっと早く知りたかった。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ講談社学術文庫が送る「西洋中世奇譚集成」シリーズの第3巻であり、中世ヨーロッパににて流布した死後世界巡りの物語を二編収録した書。それぞれ12世紀に著された『トゥヌクダルスの煉獄(Visio Tnugdali)』、『聖パトリキウスの煉獄譚(Tractatus de Purgatorio sancti Patricii)』の邦訳を収録する。
本書は、中世ヨーロッパにて流布した二つの冥界巡り譚を訳したものである。「大洋(オケアノス)の最西端」、中世人にとっての世界の果てたるヒベルニア(アイルランド)を舞台とした両作品は、神の働きの下死後の世界を目撃した人間を主人公とするものである。神の計らいによって臨死体験をする騎士トゥヌクダルス、己が浄罪の為実在した煉獄「聖パトリックの煉獄」に入り込む騎士オウェインの前に現れるのは、凄惨極まる煉獄や地獄の拷問風景、或いは豪華絢爛なる至福の天国であった。そこには当時の人々の死後世界観が反映されると共に、生死を巡る観念までもが浮き彫りとなっている。個人的に目を惹かれたのは、『トゥヌクダルスの煉獄』において描かれる「異教」の事物(強欲者を喰らう獣アケロンとその口を支える「食客」フェルグシウスとコナルス、地獄の鍛冶場を仕切る「拷問人」ヴルカヌス)、また地獄の底に縛られた異形として描かれるルシフェルの姿であった。
本書には詳細な注釈や解説、更には関連する地名を付した地図が付いていて非常に分かり易い。特に両作品で描かれる死後世界の構造を図にしたもの(p204,p215)は、中世人の世界観を考える上で大いに興味深かった。 -
Posted by ブクログ
「今日までの歴史は階級闘争の歴史である」という有名なフレーズで始まる本書。あたかも、社会に支配者がいて被支配者を搾取しているという対立構造を設定して、いたずらに対立を煽っている扇動的な虚構理論。
古来、我が国は、農業集団、職工集団、芸能集団、治安集団(武士)、権威集団(朝廷)、などの各職能集団が調和し、歴史を形成してきた。
ゆえにこれら集団が比較的分かりやすく分類されているため、対立軸を持ち出すとあたかも階級闘争が現実に存在すると錯覚してしまう。
我が国の諸集団は相互補完し、社会を循環させてきた。
一部のインテリ層はこれを悪用し先の大戦で我が国を「敗戦革命」に落とし入れようとした。
しかし、現代日本をみよ!彼らは決して主流ではないではないか。
我が国の国体に決してそぐわない、いや、ソ連崩壊に見られるように、人類にとっても虚構理論にすぎない本書は、暗躍する共産主義に対処するために必読でしょう。 -
Posted by ブクログ
資本論の続きですが、続から読んでも差し支えなさそうでした。資本論は経済とは資本論とはの本当に基本的なところしか書かれていませんでしたが、続の方は資本主義の本質が書かれていてわかり易かったです。
成長し続けなければ、利益を生み出さない。逆をいうと成長が止まるとたちまち立ち往生するという弱みが、今の日本だと感じました。
泳ぎ続けなければ死んじゃうサメみたいなものですね。
資本主義を成功させている国として、福祉国家の北欧であることが、改めて納得できました。ようは資本主義で下げられた人材価値を国が保証してくれるんだから。
資本主義には社会保障が基盤にないとダメなんだなと感じました。 -
Posted by ブクログ
読みやすさに定評のある長谷川訳ではあるが、ついに読み通すことができたという感慨がある。
経済学のほうはたいして見るべきことはない。経済学史の授業で習うような事がわかっていればよいのだろう。
面白いのは、マルクスの疎外、外化の概念や類的存在の概念が説明されているところと、さらに面白いヘーゲル批判である。
マルクスのヘーゲル批判は、まず、マルクスは人間と生活手段を非理性的なもの、ヘーゲルは理性的になりうるものと考えていたという前提の違いから始まる。そしてマルクスは、ヘーゲルの論は意識に始まり精神で終わり、理念の域を出ないものであると批判する。さらに進んで価値の点で、ヘーゲルの考える人間は神、絶対知によって確証を得るが、マルクスはその否定と破棄によって確証されるという(p193)。それは人間の現実的な本質を生成するような運動であるというのだ(p.197)。この辺りが最高に面白い。その本質とはなにかについてもこの本の中に散りばめられているが、やや具体性に欠ける。僕の読解力不足か。
また、アレントの人間の条件を読んだあとだったので、アレントの概念に手伝ってもらいながら楽に読んだふしもあり、もう少し無垢な視点から読めるようになりたいとも思った。
最後に付け加えれば、長谷川氏の解説は学者の良心に基づいて大変簡素にまとめられているが、もうちょっとボリュームがあるとよかったろう。あるいは、彼の『初期マルクスを読む』を読めということか。
とにもかくにも、これは読める人は必ず読むべき本である。これは近代の最後の良心なのであるから。 -
Posted by ブクログ
読書に有する所要時間はおよそ15分、読み進めていて思うのだ。『時代は廻る』と言う言葉のなんと適切な表現な事か。と。物語の背景は19世紀イギリス。そこで行われている事は、オートメーション化に伴う労働力の価値低下。つまり、人間不要の現場。資本家は、労働者が持つ唯一の商品『労働』を自社の製品のため購入しているのだと言う。
資本家の財力のもと会社を興し従業員の労働環境をなんとか改善しようと願う雇われ社長。その為に進む工場の機械化。結果、従業員達は更なる低賃金で働くか、リストラを余儀なくされる。2010年、同じニュースを見た様ないない様な。不思議な感覚に陥りつつも覚えた感情それは、
資本主義って怖い。
そして、金・自由・市場のアンバランス感の中にこそ利益を生み出す仕組みがあるという事。
当然だ、なんてったって本書は共産主義者が書いた“資本主義批判書”なのだから。
最近良く目にする言葉がある。「真面目は、賃金の低い真面目に淘汰される。」「真面目が真面目を殺す。」いずれも、愚直な労働力はより安価なものが選択され最終的にはタダで一生懸命働く労働力に仕事を奪われるという資本主義の宿命的l課題とされるものだ。なんと目新しい言葉かと目を輝かせつつその言葉の意味を考えていたものだが、よくよく考えると既に19世紀に同様の考えは出ていたのだと言う事が本書を読み判明。
19世紀に不安視されていた労働が、現在も尚そのままの姿で不安視されている・・・と、言う事はだ。それまでずーっと、労働力の価値は低下し続けて来たのだろうか。だとするならば、現代の大工は一体どれだけ低賃金を強いられなければならないか。トヨタの工場で働く派遣社員の月給は一体どれだけ低いのだろうか。否、決してそんなに安くは無い。むしろ、手取りだけで言えば大卒の初任給よりも遥かに高い水準だ。なぜだろう・・・答えは一つじゃない。が、私は思う。“みんな不真面目だから”だと。
マルクスとエンゲルスが思い描いた未来は、今よりももっと悲惨だったに違いない。
が、残念な事に“今”は彼らが生きていた時代と、そう違いは無い。
それは資本主義が普遍的なものだからなのだろうか、それとも我々が進化の術を見いだしていないだけなのだろうか。
自分の頭の中に、問題定義を起こす良いきっかけになってくれた本書に感謝。 -
Posted by ブクログ
岩波版の「経済学・哲学草稿」を一度通読した限りでは、さっぱりわからない事が多かったものの、光文社版では非常にわかり易い文章となっていた。
マルクスの文章はまだ岩波版が多勢を占めているが、数少ない光文社版であることからも、初めてマルクスを読む人はこれがいいかもしれない。
個人的には、経済学的思索の部分より哲学的思索の部分のほうが興味を持てた。例えばマルクスは、「資本主義のもとでは、労働者が作った商品が自分のものにならないことに『疎外』がある」と云った。元々労働は自分の為にあるのに、他人に強制されることは非人間的で非自然的である、ということだ。
その疎外を克服するところに、社会主義があり、共産主義がある、ということになる。
また「自然的性質」「人間的性質」を混同させ転倒させ、全てを金銭の関係に変えてしまうところに、貨幣の恐ろしさがある。かつこれは労働による疎外によって生まれるから、これは疎外そのものだ。
以上がこれを読んで大体把握できたことである。
最後にひとつだけ。相変わらずヘーゲルの精神現象学のページは、相変わらずよく分からなかったが、マルクスを通じて大体を把握した。ヘーゲルは抽象的精神的な段階でしか話をしないが、マルクスはそれを現実の話にまで持ってきたといころに意味があるようだ。