マルクスのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
私は自らの研究の最も重要なテーマの一つにイデオロギーを据えながらも,イデオロギー研究の出発点ともいえる『ドイツ・イデオロギー』を読んでいなかった。そもそも,マルクスの著自体,『共産主義者宣言』(太田出版),『哲学の貧困』(岩波文庫)に続いて,3冊目にすぎない。だから,そもそもマルクスの人生において,本書がどの辺に位置づくかも知らなかったし,そもそも,本書がエンゲルスとの共著ということすら知らなかったのだ。
そんな浅はかな私だから,ともかく新しい版の方がよいと思って,この岩波文庫版を古書店で見つけて購入したわけだが,内容以前にもいろいろ考えさせられる本であった。まず,『ドイツ・イデオロギー』はマルクスの生前には出版されなかったということ。だから故に,未完のままであり,その構成および構想も決定しないまま残されたようだ。なので,さまざまに出版されている『ドイツ・イデオロギー』は少なからず編集者の解釈を含んだものであるらしい。そんなことから日本のマルクス研究者である廣松 渉氏が1974年に河出書房からドイツ語の原語と併記して出版したということだ。それは『ドイツ・イデオロギー』を初めて読む人のためのものというよりは,マルクス研究者のための文献学的な成果ともいえるものだったようだ。それがその後,他の訳者による版も有している岩波文庫として出版される計画があったが,その後廣松氏が亡くなってしまい,その後の作業を小林氏が引き継いだとのこと。
ということで,本書にはドイツ語は併記されていないが,マルクスとエンゲルスの手書き原稿と丁寧につき合わせて日本語化したのが本書。エンゲルスの原稿は明朝体で,マルクスの原稿はゴシック体で,それぞれの草稿に対して各々が書き入れた補足文や削除箇所,訂正なども何種類かのボールド体を使って区別され,さらにさまざまな注から成り立っている。正直いって,私のような読者にはとても読みにくいが,この2人の努力を思うとありがたく,丁寧に読むしかない。そして,本書には数枚の手書き原稿の写真が印刷されているが,これがとても面白い。といっても,文字が読めるはずはないのだが,面白いのは文字ではなくイラスト。
さて,本書から学ぶことは大きかった。といっても,いわゆるドイツ観念論批判は前半に集中していて,後半はイデオロギーとはほとんど関係ない,歴史的記述に移行する。そういえば,『共産主義者宣言』を読んだときもそうだったなと思い出す。さて,私は10年以上前から「唯物論」とは何か,ということを時折考えている。地理的表象を研究している私の立場は大雑把にいえば観念論的である。しかし,よって立つ立場からいえば「文化唯物論」を参照すべきなのだ。しかし,いまだにウィリアムズをきちんと読んでいないし,唯物論について書かれた本からもどうも納得したものはない。ちなみに,本書でよく出てくるフォイエルバッハの『唯心論と唯物論』も実は読んだことがあったのだ。しかし,マルクスとエンゲルのフォイエルバッハに対する評価も一筋縄ではなく難しい。
ちなみに,現在の地理学では20年前に流行った表象研究の行き過ぎに対して,「物質」なるものの復権が叫ばれている。しかし,そこでいうところの「物質」とは何を示しているのか判然とせず,どうにもこの種の議論には違和感を抱いていたのだが,それについては本書を読んですっきりとした。本書において「物質」という言葉はよく出てくるが,それは自然科学が対象とするような物質ではない。物質的交通と精神的交通(ここでいう交通とは関係性やコミュニケーションのこと),物質的労働と精神的労働などといった対比で用いられ,経済活動こそが社会編成の基礎だという。ここに,有名な土台-上部構造の理論も垣間見れるし,精神というものが社会的な生産物であるという今日的議論も登場する。そして,極めつけが「われわれはただ一つの学,歴史の学しか知らない」(p.24)というエンゲルスの言葉こそ,まさしくマルクス主義的な立場であり,だからこそ本書の前半で歴史と乖離した観念学を批判し,後半で自ら歴史記述を実践した,といえるのだろうか。 -
Posted by ブクログ
「そして貨幣はあたかも人間や商品の価値を決定する神のようにふるまい始める」
貨幣の成り立ち、資本主義が生み出す経済的格差、経済発展、商品付加価値の向上および景気サイクル。
このような金と資本主義の原点を見直す事が出来る一冊。
漫画と侮るなかれ、だと思う。
資産バブルとは違う、実態経済の過熱を資本主義が引き起こすということは致し方ないことであり、逆回転後の批判もあるかとは思うが、その競争課程で生まれた商品の高付加価値化を無視しての主張は受け入れがたい。
公平だとか維持だとかそんな「安定」はあり得ないと思う。
参加者は「人間」なのだから。
個性があるかぎりそれを理想として動くのは無理がある。
本書はシンプルなだけに、ポストサブプライムを生きる上で非常に考えさせる一冊。 -
Posted by ブクログ
前作よりは解説面で一歩踏み込んだ内容に。なんとなく感じてはいたけど、漫画じゃなかったら手に取らなかったと思う。
【概要】
資本主義社会とは、「資本」が利益を生み出すシステムのこと。利益=「剰余価値」、つまり労働力から生み出される付加価値のこと。(10万円で15万円分の価値を生み出したりね。)
資本家は剰余価値をより多く得ることを目的とする。
企業はより多くの剰余価値を生むため、技術革新を進めるが、ここに矛盾点が存在する。
剰余価値は機械からは生まれない。不変資本である機械は投資額以上の価値を生み出せない。可変資本である労働力からしか生み出せない。
それでも企業は競争に勝つために機械を増やす→労働者の負担が減る→人件費が減る→(資本家の利益は増す)→更なる技術革新に充てる→労働力の価値は更に減少→… -
Posted by ブクログ
『共産党宣言』は、人類の歴史を支配階級と被支配階級との階級闘争の歴史として捉えた書物である。マルクスは、封建社会から資本主義社会への移行によって経済は発展した一方、生産手段を所有する資本家と、それを持たない労働者との間に搾取の構造が存在すると分析した。そして、その原因を生産手段の私的所有に求め、これを廃して階級のない社会を実現すべきだと主張した。これが本書の核心である。
では、なぜマルクスが描いた共産主義社会は実現されなかったのか。その理由は、大きく二つある。一つは、資本主義が労働運動や民主化の進展を受け、労働環境の改善や社会保障制度の整備などを進めたことだ。その結果、資本主義はマルクスが想定した19世紀の姿から変化し、革命を求める機運が弱まっていった。
もう一つは、社会主義国家の実践において、マルクスが想定した労働者階級による社会運営が行われなかったことだ。実際には共産党官僚に権力が集中し、新たな支配階級が形成された。特にソ連では、この権力集中により、マルクスが理想とした共産主義社会には到達しなかった。
しかし、資本主義にも多くの課題が残されている。資本主義は経済成長を通じて社会の発展をもたらしてきた一方で、資源や環境に限界がある現代社会では、そのあり方や持続可能性が問われている。近年、SDGsや脱成長といった考え方が注目されている。本書は、資本主義の問題点を指摘するだけでなく、より良い社会のあり方について考えるきっかけを与えてくれると感じた。 -
Posted by ブクログ
pp. 240
「機械は絶え間なく労働と競争しており、しばしば、労働の価格がある一定の高さに達した場合のみ導入されるのだが、機械の採用は労働の生産力を引き上げるための多くの方法の一つにすぎない。肉体労働を相対的に過剰にするのとまさにこの同じ発展が、他方では、熟練労働を単純化して、したがってそれを減価させるのである」
訳者は解説で、「とっくに工業化を終えサービス経済化と情報化を経た今日においても、まったく過去のものにはなっていない」と述べている(p. 278)が、このことは機械をAIに置き換えても当てはまる。しかし、AIの方は、マルクスの想定する労働者ではなく、いわゆる“ホワイトカラー”が対象となる。既にそういう時代に来ている。 -
Posted by ブクログ
共産党宣言
著:K・マルクス
著:フリードリヒ・エンゲルス
訳:大内 兵衛
岩波文庫 白124-5
1848年フランスの2月革命、オーストリア、プロイセンの3月革命をはじめ、ヨーロッパは諸国民の春と呼ばれる、「1848年革命」という転機を迎えていた それは、ヨーロッパをナポレオン以前に戻そうとする、ウィーン体制が崩壊した年でもあった。
2人のドイツ人である、マルクスとエンゲルスが、同年に発したのが、本書である、「共産党宣言」である
当時も産業革命を背景として、強欲な資本主義があって、その対極に、共産主義という概念が生じた
いわゆる二元論的な世界である
これまでは、ブルジョアが握っていた、社会資本を、共有化して、貧富のない世界にするというのが、本旨である そして、そのために、ブルジョアから政権を、プロレタリアが奪還するという革命の宣言なのである
気になったのは、以下です
■ブルジョアとプロレタリア
・今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である
・ブルジョア社会はいきなりできたのではない
・農奴⇒城外市民⇒大航海時代⇒マニファクチャラー⇒近代ブルジョア社会
・近代ブルジョアとは、封建社会の崩壊と産業革命が生み出した新しい支配層であることをいっている
・封建社会においては、圧迫された身分であり、自由都市にあっては、武装し、自治をもった組合をなした
・独立した都市共和国は、農村を取り込んで巨大化し、近代的代議士制国家を築く
・近代的国家権力とは、全ブルジョア階級の共通の事務をつかさどる委員会にすぎないといっている
・ブルジョアは、医師、法律家、僧侶らを特権階級から単なる賃金労働者に変えた
・これまでは変わることがなかった社会について、生産のたえまない変革、あらゆる社会状態のやむことのない動揺 永遠の不安定と運動が、ブルジョア社会の特徴である
・ブルジョア階級は封建制を打ち倒すのに用いた武器は、いまやブルジョア階級自身に向けられる
・それは、近代労働者の階級をいう
・機械の拡張、分業などで、労働者にとって機械の単なる付属物となったといっている 単純で、単調な、だれでも習得できるこつを要求されるだけになった
・全国に分散されている労働者が結集したものがプロレタリアである
・プロレタリアは、ブルジョアに対立する、ほんとうに革命的な階級である
■プロレタリアと共産主義者
・共産主義者の目的とは
①プロレタリア階級の形成
②プルジョア支配の打倒
③プロレタリア階級による政治権力の奪取
・私有財産の廃止をしようとするも、10人に9人については、既に廃止されているのだ
・個人的財産がブロジョア的資産に転化し得なくなる瞬間から、個人が廃止されたとみなされる
・労働者革命の第1歩は、プロレタリア階級を支配階級まで高めること、民主主義を闘いとること
・変革への手段
①土地収用を収奪し、地代を国家支出に振り分ける
②強度の累進税
③相続税の廃止
④すべての亡命者および反逆者の財産の没収
⑤国家資本および排他的独占をもつ国立銀行によって、信用を国家の手に集中する
⑥すべての運輸機関を国家の手に集中する
⑦国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良
⑧すべての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成
⑨農業と工業の経営を結合し、都市と農村との対立を次第に除く
⑩すべての自動の公共的無償教育、児童の工場労働の撤廃
■社会主義的及び共産主義的文献
・封建的社会主義
・小市民的社会主義 小市民層 プロレタリアとブルジョアの間の階級層
・ドイツの社会主義、または、「真正」社会主義 フランス人の主張の下に哲学的空語をさしこむこと
・保守的社会主義 ブルジョアによる改良
・批判的・空想的社会主義 プロレタリア階級未発達時に現れる
■種々の反対党に対する共産主義者の立場
・共産主義者は、労働者階級の直接当面する目的や利益を達成するために闘う
フランス 保守的、急進的ブルジョア階級に反対して、社会主義、民主党に結びついている
スイス 急進派を支持する
ポーランド 農業革命こそ、国民的解放の条件
ドイツ ブルジョア階級が革命的に振舞うかぎり、共同して、絶対王制、封建的土地所有、小市民派と闘う
・共産主義者は、どこにおいても、現存の社会的ならびに政治的状態に反対するあらゆる革命運動を支持する
・これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ、自己の目的が達成される
結論 万国のプロレタリア団結せよ
目次
ドイツ語版への序文
一八七二年(マルクス・エンゲルス)
一八八三年(エンゲルス)
一八九〇年(エンゲルス)—— 一八八二年ロシア語版への序文(マルクス・エンゲルス)を含む
英語版への序文(一八八八年 エンゲルス)
ポーランド語版への序文(一八九二年 エンゲルス)
イタリー語版への序文(一八九三年 エンゲルス)
共産党宣言
第一章 ブルジョアとプロレタリア
第二章 プロレタリアと共産主義者
第三章 社会主義的および共産主義的文献
第四章 種々の反対党に対する共産主義者の立場
校 註
一八八八年英語版との対照
解 説
ISBN:9784003412459
出版社:岩波書店
判型:文庫
ページ数:116ページ
定価:570円(本体)
1951年12月10日第1刷
2007年04月05日第86刷改版発行 -
Posted by ブクログ
前作の『まんかで読破 資本論』よりも論理的な解説が増えたおかげで、資本主義のどこに問題があるのかという点が分かりやすくなっている。
正直、前作は何が言いたいのかよく分からなかった。そもそも難解といわれる資本論の第一部なので仕方ないのはわかる。ただ、そこを加味しても前作には漫画化した意味がほとんど見出せずに残念に思っていた。
対して、今作はかなりよく漫画化されている気がしておすすめできる。最後の終わり方には少し無理やり感はあるが、所々で入る解説が漫画では表現出来ていない部分をうまく補足している。これなら資本主義の問題点が誰にでも理解できると思う。
基本的なお金の勉強にもなる本書は、『資本論』や『マルクス&エンゲルス』に興味がない人にもおすすめしたい。『まんがで読破』シリーズはこうであってほしいと思える一冊になっている。 -
Posted by ブクログ
『共産党宣言』マルクス・エンゲルス著を読む。
自殺者が年間十万人を超え、
不登校引きこもり、無気力が多く、
鬱病などの精神疾患が席巻しているわけは、
やはり、
「人間が人間らしく生きられず、
生産を高めるための機械であることが生きる意味」になっている社会の現状があると思います。
いかに心が優しくても、人を思いやる心があろうとも、絵を描いたり音楽を奏でる才能や、美しい文章が書ける人、いかに知識や教養のある人でも、
資本を拡大するための定められた単純な作業さえもできなければ、
「社会不適応」
「お前には生きる権利はない」
という扱いを受けることになります。
鬱になろうが、病気になろうが、人がその結果死のうが、
資本と生産性が、人命よりも優先されることになります。
人命や人権の尊重は、「そうしないと結果生産性が上がらないから」という建前で守られているだけです。
いわば、世界は資本主義という宗教に侵略され、洗脳されており、
貨幣というお札に宿る神さまに対する偶像崇拝を強制され、
そのために人が死んだり殺しあったりするわけです。
星空の美しさや、大海原や大自然の美しさ、
人間存在の神秘にゆっくり想いを馳せる余裕もない。
マルクスは、
資本主義社会の問題点を提起し、
「一人ひとりの自由な発展なくして、
全ての人の自由な発展はない」
という互いに助け合う社会の理想を説いたわけです。
資本主義社会というのは、
お金を生み出す仕組みを持っている金持ちがますますお金持ちになる。
というか、どんどん発展していかないと、潰れてしまう運命にあるから、
馬車馬のように資本を拡大させ続けなければいけない。
働く人は、
その資本を拡大させるための「商品」であり、利潤を生み出す機械の一部でしかない。
たとえ、何でも生産してくれる機械ができたとしても、
それでも、「人間」から「人間」が搾り取る構図は変わりません。
それどころか、仕事の喜びや特殊技能は、ますます機械に奪われます。
誰が悪いというわけでなく、
「そういうゲーム」なのです。
「モノポリー」というゲームの勝敗は、
誰か一人が、全ての市場を独占し、ほかの全てのプレイヤーを破産させることで決まりますが、
ゴールが破綻と決まっているのが、資本主義というゲームのシステムなのです。
そして、誰一人としてこのゲームから降りることはできません。
マルクスは、資本主義の終焉を予言し、
世界中の労働者が、国境を越えて団結し、革命を起こして、
工場や資本を全員で共有する、分かち合う社会を言いましたが、
社会主義の歴史実験は失敗に終わり、
百年経っても、現状は変わっていません。
ただ、
マルクスさんの分析は「正しい」かもしれないけれども、
真ん中の一行を除いてはほかに、
「ワクワク」はしないのです。
世の中こういう風におかしい、
社会の構造のため、こんなに苦しんでいる人がいる、
こういう風に変えなければ!
というのはものすごく共感できるのですが、
これって果たして「生命の原理」に合致するのかという問題です。
生命の原理とは、宇宙が膨張し生成発展していくのと同じで、
自己の可能性を最大限に発揮していくことだと思うのです。
自然界って、強いものと弱いもののバランスで成り立っているわけで、
「捕食者は許せない」と、捕食者を一掃して、みんな草食動物だけにしたら、結局みんな死ぬよ?
正しい階級分け、正しい差別、正しい格差は必要です。
強者は弱者を搾取するのでなく、威張るけれども、護る。
弱者は、自分の分を受け入れる。
武道には強さによって帯がヒエラルキーのように見事に分かれていますけれども、いい仕組みだと思うのです。
無論、日本にも部落差別などありましたし、支配者の差別的な政策もありました。
そういうところは、変えていかねばなりません。
共産主義がうまく立ちいかなかった原因って、
ある意味この、「ワクワクのなさ」だと思うんです。
世の中こうじゃなきゃいけないばっかりで、
個人の立身出世や夢や自己実現というものが押さえつけられているわけです。
より高次の理想社会のために個人が犠牲になる全体主義は、
ナチスにも言えました。
日本やアメリカの発展は、
頑張ったら、テレビやクーラーが買える、彼女とデートに行けるみたいな些細な夢だったりしたんですね。
あと、精神性を大切にしたこと。
祈りと言ってもいいかもしれません。
全てを唯物的に考えた社会主義諸国が物質的に没落して、
精神性を大切にした自由主義諸国が発展したのは皮肉としか言いようがありません。
資本主義の権化と言われたロックフェラーは、
実は経験なクリスチャンで、ずっと教会への十一献金を欠かさず、人生後半生は慈善事業に財産を使っています。
マルクスは、思想も哲学も真理も法も普遍的なものでなく、
所詮は物質的な経済状況の上に置かれるものでしかないと言いました。
マックス・ウェーバーという社会学者は、
マルクスの言い分を認めつつも、
精神性が物質的世界を変えてしまうケースがあることを指摘しました。
「哀しみ」「憎しみ」「許せない」「被害者意識」ベースではじめたものって、
確かに、「正しい」し、「共感」もできます。
ですが、その先が見えないんです。
負の感情で巻いた種や、起こした行動は、
それが「正義」に満ちたものであればあるほど、
負の結果を刈り取ることになると思うのです。
左翼の方々や、社会活動をしておられる方は、
誠実で優しくて、弱者の苦しみや不正義に対して敏感という方は多いのです。
そしてその問題に対してしっかり行動を起こして訴えかけている。
でも、それで幸せになった人って見たことないんです。
それどころか、余計自分自身に苦しみが跳ね返って、矛盾は大きくなったり、
仲間同士で憎しみあいや暴力が始まる。
「許せない」「こんな社会間違っている」ではじめたものは、
同じものを、自らの内部に抱くようになります。
同情をやめろとか、差別や貧困を放置せよ無関心になれというのではなく、
根っこにある心の部分を見直して欲しいのです。
マザーテレサは、
「反戦活動」はしませんでした。
そのかわり「平和活動」を喜んでしました。
物事何でも、言葉が大切です。
初めっから、
「ヨーロッパに共産主義という幽霊が出て、みんな恐れているぜ!」
「階級闘争こそ歴史」
と、敵とバトる前提ではじめているじゃないですか。
締め括りも、堂々と、
「これまでの一切の社会秩序を暴力によって転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。」
って、恨みベースでやってるから、
どこまで行っても、敵と憎しみと闘争を必要とするんです。
平和や人権を唱えながら、暴力的になる左翼活動家、
なんでもかんでも、被害者になって取るに足らない些細なことを差別だと騒ぎ立てる人々、
実際のところ、本人に原因のあるコンプレックスを社会のせいにして無限に正当化して、怒ってるだけではないでしょうか。
これは、もちろん、他国に対して差別的になる右翼にも言えることですが。
被害者意識や苦しみで団結するのではなく、
愛と尊敬と夢を叶えるビジョンによって団結し、
それぞれのフルパワーを出しながら、みんなの夢の実現に寄与する団結が必要です。
キリストの言う、それぞれの十字架というのは、
自分が自分であること全ての苦しみだけれども、
それを愛と生命と喜びにつなげていく連帯だと思うのです。
愛と光で連帯していこう、
愛と祈りで革命を起こしていこう。
具体的にやることはそれぞれ違うですが、
根っこの種のところそれを置くことが一番大切だと思うんですね。