水上勉のレビュー一覧
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わりと牧歌的な話なのかと思っていたら、かなり弱肉強食な話で驚いた。児童向けなので、ひらがなが多くて読みにくいのは仕方ない。
トノサマカエルのブンナは椎の木に登る。頂上にはふかふかの土があって潜っていると、鳶がきた。雀と百舌が連れてこられて、会話を聞いているとそこは鳶の餌置き場らしい。百舌は鳶に連れ去られた。
ブンナは父や母が鳶や蛇に連れ去られた時のことを思い出す。おじいさんが悲しむだけ悲しむがいいと言ったことも思い出す。
今度はネズミが鳶に連れられてくる。雀が連れ去られる。ネズミは脱走しようとして、木から落ちてしまう。ネズミは死んだのかと思っていたら、また鳶に見つかったらしく連れてこられた。次に来たのは蛇。ブンナは少しも穴から出られない。次にウシガエルが連れてこられる。 -
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表題作「越前竹人形」に惹かれたのが、本書を読むきっかけです。越前竹人形、うちにあります。小さな干支の飾り物です。竹の曲線をうまく利用して工夫されているところが気に入って、旅行先で購入しました。思いきって12支セットで。思い出の品です。「雁の寺」は第45回直木賞受賞作品
「雁の寺」
師匠の慈海から手荒い対応を受けている、少年僧慈念。慈海には里子という愛人がいる。慈念は2人の情事を目撃する。里子が慈念にとった行動が慈念の感情爆発の引き金に。慈海も里子も慈念の心を踏みにじっている。襖絵の母親雁を破った慈念。母親に捨てられてからの、様々に鬱屈した慈念の気持ちを想像すると不憫でならない。
「越前竹人形」
こんなにも心の綺麗な人がいるんだなあ。竹人形を作る嘉助と、竹の精のように美しい玉枝の互いを思う心が、せつせつと伝わってくる。悲しい現実に立ち向かう玉枝。辛すぎた。この夫婦、天国でもう一度結ばれてほしい。 -
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とても印象的な本。
読み終えたあと、メラメラを赤い炎を上げて燃える寺と、汚れた着物を着て絶命している夕子の様子が脳裏から離れなかった。
金閣寺 という話と似ている箇所が多いが、本作は 娼妓として店に売られ、命を削りながら生き、儚く命を散らしていった夕子の生き様がメインのようだ。
ただ、そんなふうに読んだとしても寺の炎上の事件はインパクトが大きく、読者の関心を掴んで離さない。
京都の寒村から京へやってくるというストーリーがまず良い。
薄幸そうなイメージを植え付け、男に頼らないと生きていけないという女の立場を明らかにするからだ。
小金が入ったからといって散財するわけではなく、病身の親へ送金する健気な夕子。
途中、貯金額が書かれている場面では不覚にも涙腺が緩みそうになった。
夕子の生真面目さに心が震えた。
フィクションとはいえ、こういう田舎者って多いんだろうなと想像できる。
そんな自分も田舎人間。いくつになっても浪費は怖くて出来ない。
かたや夕子はまだ19歳。
親の為に身を売って働く、立派である。
この話は夕子の内面的描写を避け、他の人物から見た彼女の姿によって、物語を進めていくところが特徴的だ。
夕霧楼の太客から嬲られていたり、問題の修行僧が何度もやってきても、作者は夕子の心情を決して描写することはない。
ただ、修行僧の正体が明らかになり、世間が彼に批判的な目を向けるようになったとき、やっと夕子の口は開かれるのだ。
失踪劇の終わりは夕霧楼の皆を驚愕させる。最後まで手を抜かないストラーリーテラーとしての水上勉が大好きだ。
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#ブンナよ木からおりてこい
#水上勉
#新潮社
#読書記録
小さな生き物たちが作り出す
壮大なストーリー。
トノサマガエルのブンナが木の上という
非日常的な空間で一冬を過ごして
命とは何かを学ぶ。
食べることは生きること。
生きることは食べること。
みんな命をいただいて、命をつないでいる。
当たり前だけど
その当たり前をちゃんと教えてくれる小説。
表現が直接的で苦手な人もいるかもしれないけど
それが現実。
とても素敵なテーマ性、メッセージ性のある小説でした。
#Bunna, Come Down From the Tree
#Mizukami Tsutomu
#Shinchosha
#ReadingLog
A magnificent story created by tiny creatures.
Bunna, a tree frog, spends a winter in the extraordinary space of a tree,
and learns what life is.
Eating is living.
Living is eating.
We all receive life and sustain it.
It's a simple fact, but
this novel clearly teaches us this simple truth.
Some people may find the directness of the language difficult to understand,
but that's reality.
This novel has a wonderful theme and message. -
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『雁の寺』、『飢餓海峡』、『金閣炎上』などの社会の現実を重厚に描く小説でよく知られている著者は、数多くのエッセイも残していますが、それらのエッセイの中でもこの本は少し異質で、十二ヶ月の章立てで構成され、執筆時、軽井沢に居を構えていた著者の生活を描いたものです。雪に覆われる冬には秋に貯蔵した芋などの穀物、春になれば山菜・筍、夏には茄子・大根、年の瀬には栗・根菜など、手に入る食材と、自らの「料理の心」に従って作られた料理が、鮮やかに描き出されているのです。◆この本で特に学ぶべきは、作者が若き日に京都の禅寺で学んだ食材に対する慈しみの心です。食材に上下の差などないと考える、その根底にあるのが、禅の教えを元にした以下の考え方です。「どうして、一体粗末なものをいやがる法があるのか。粗末なものでもなまけることなく、上等になるように努力すればいいではないか。ゆめゆめ品物のよしわるしにとらわれて心をうごかしてはならぬ。物によって心をかえ、人によってことばを改めるのは、道心あるもののすることではない。」食についてのみならず、生きるということにも通じる考え方だと思います。◆著者のように好んで田舎に住み、手に入る食材を自らの信念に従って料理し、それを食すというのは誰にでもできる生き方ではありません。しかし、食材を慈しみ、別け隔てなく接する心は学ぶべきものだと思います。「生きる」ことの根底にある『食』について、またひいては「生きる」ことそのものについて、考える上で、一読に値する一冊です。〈T〉
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2012年6月号掲載 -
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幼い頃に京都の禅寺で精進料理の作り方を教えられた著者の暮らしと料理のエッセイ。
貧乏寺だったと表現される少年時代はそこにある物で食事を作るしかなく、工夫を重ね作り上げた料理は文章からでも美味しさが伝わってきます。
今のように何でもかんでも手に入ることはもちろんなく、逆に今の時代の方が豊かではないと感じてしまうほど、ありきたりな世の中になってしまったかもなと考えさせられました。
追い詰められることもなく、責められることもなく、それではモチベーションや意欲は正直保ちにくく本人の意思に委ねられ過ぎている気がします。どの時代が良いとか関係なく今生きているので色々と頑張らなきゃと思いました。
作中に何度も出てくる『典座教訓』も今度購読してみます。 -
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水上勉氏は、少年自宅に禅寺に預けられ、そこにて修行体験をする。16歳からは、京都の等持院にて老師の隠侍、すなわち食事、洗濯、掃除などをおこない、数々の教えと共に精進料理について学ぶ事となった。
スーパーやネット販売などなく、何もない台所から絞り出し、料理をするのが、精進料理。旬なもの、畑から出ていりものを食べるのであり、畑と相談して決める、つまり土を喰うのである。
土から出てきたものには、平等の価値があり、根っこでも、無駄にはしない。
何もないら台所から、客の心を忖度し、料理をすることは、修行であり、哲学でもあるのだ。
季節の精進料理が紹介されており、教え、教訓的なものもあり、読んでいて楽しい。 -
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ネタバレ東舞鶴の海岸で東京都亀戸の娼婦 杉戸八重と、地元の名士 樽見京一郎宅の書生 竹中誠一が遺体で見つかる。樽見の証言もあり当初は心中と思われたが、舞鶴東署の味村時雄警部補は状況の不自然さから他殺を疑う。さらに杉戸八重の身元照会を機に、彼女が10年前の未解決事件--北海道岩幌町の大火を引き起こした質店強盗殺人放火と、青函連絡船「層雲丸」転覆事故現場での乗客ではない男2人の変死体発見--の容疑者 犬飼多吉の関係者と判明。関西訛りの大男という犯人の特徴から味村は樽見が犬飼であると推理、元・函館警察署警部補の弓坂吉太郎と共に事件の謎及び樽見の正体を追う……。
戦後間も無くの、誰であろうと多少は手を汚さねば生き残れなかった混乱期に犯された罪悪。その罪悪が長らく秘匿され、また時を経て曝露されるまでのドラマの描写に圧倒される。犯罪者・刑余者・貧困者・女性に対する捜査陣の予断と偏見は強めだが、クライマックスにはやや軟化しているので読後感は悪くなかった。上巻中盤に登場した、東京都神田末広町の葛城時子宅に杉戸八重の消息を尋ねに現れた男の正体が判らず終いな点だけが惜しい。 -
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ネタバレ昭和22年9月20日、青函連絡船「層雲丸」は颱風の影響を受けて転覆。854名の乗員乗客のうち半数が死亡する大惨事となった。対策本部がある函館警察署の弓坂吉太郎警部補は、乗客名簿に該当しない男性2名の遺体があることに注目する……。
同日の朝、函館から20㎞ほど離れた岩幌町にて全町の⅔が焼失する大火災が発生。火元と見られる質店の一家強殺犯による放火が原因と推定された。警察は同年3ヶ月前に仮釈放された受刑者2名と、彼らと行動を共にしていた大男“犬飼多吉”による犯行と断定。その行方を追うも捜査はなかなか進展しなかった……。
青森県大湊の娼婦 杉戸八重は軌道車で知り合った関西訛りの大男を客に取った。“犬飼多吉”と名乗った男は返礼に6万8千円の札束を渡して去る。戸惑う八重だったが曖昧宿への借金返済と、上京・再出発への資金に用いんと決意する……。
戦後間も無い、ヤミが跳梁跋扈する日本社会が舞台のミステリー作品。ヤミに頼らねば生き残れぬ都市部の厳しさと、ヤミすら手に入らぬ地方部の貧しさ、そして双方の住民たちの生存への執着の描写が凄まじい。また内田吐夢監督の映画版と比べ、本作では弓坂の執念の捜査や、八重の苦難と強かさがより詳細且つ叮嚀に描かれている。これは下巻にも大いに期待できる! -
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ネタバレ『櫻守』と『凩(こがらし)』の中編二作を収録。どちらも、死場所を求めて旅を重ねる物語のように思える。
「死にたい」という意味ではない。
どちらの主人公も、己の生業(なりわい)に真摯に生きた人生の「上がり」の場所を定め、そこで静かに眠りに就きたいのだ。
変わってゆく世の中への嘆きや不満はある。しかし、自分の人生を生ききればそこで潔く終わる。
作者の死生観があらわれている。
どちらも自然の描写がとても美しく、葉ずれの音、その色、風や光、水の流れを近くに感じる。
【櫻守】
木樵であった祖父について小さな頃から毎日のように山に入っていた、北弥吉(きた やきち)。
山桜の散る中で見た、母と祖父の姿が目に焼き付いていた。
やがて庭師となり、桜の研究者・竹部庸太郎の片腕となる。弥吉は師にならい、あちこちの桜を見て回り、無償で手入れをした。
多くを語らない人物だったが、見て回った木のことを「桜日記」に残す。
40代で病を得た時、彼は故郷ではなく、年に何度となく手入れに行った、一本の桜の下に眠ることを望んだ。
【凩】
宮大工の倉持清右衛門(くらもち せいえもん)は、老いて脚に神経痛を患い、思うように働けなくなった。
村民たちとそりが合わず、自分の葬式には何人来るだろうということばかりを考える。
京の町中で暮らす娘のめぐみに、家と土地を売って自分たちの近くで暮らすよう勧められるが、娘とその相方・達之の生き方にはことごとに反発を覚える。
達之の、己の手では何も作り出さない、インテリアデザイナーという仕事も理解の範疇を越える。
近代化を頭ごなしに否定するわけではないが、やはり木造建築の、何百年と変わらない美しさを保つ寺社を見れば、自分のしてきた仕事を誇りに思うのである。
やがて清右衛門は、自分の死場所としての堂を建てることに、宮大工としての技術の全てをつぎ込んでいく。