水上勉のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
映画『土を喰らう十二ヵ月』のDVDを観て(映画の料理監修が、土井善晴先生なので、ちょっと気になっていたのだ)気に入り、原作を読みたいと思った。
元の本はけっこう昔に出版されていたらしいけれど、映画の情報が出た頃に再版されたのだと思う。
令和3年12月10日 32刷の本。
長く読まれているのだなと思う。
文章のテンポがまさに映画での沢田研二さんの語り口で、いい気持ちで読み進める。
映像も目に浮かび、またDVDを見たくなる。
原作はエッセイなので、女性編集者との関係などのストーリーは無い。
けれど、映画での物語は原作の雰囲気を壊していないし、おばあさんと山椒の佃煮のエピソードなどは人物の続柄を少し変えてうまく取り入れている。
映像も、原作も良い。
一月の食料は、雪の中から掘り出したり、貯蔵庫から乾物を取り出して料理したり、旬を喰う日の楽しみはまだ。
春の芽吹きから、夏の収穫、秋の山のめぐみを経て、十二月、寂しい冬となり土も眠る。
一周して戻った。人の一生のようである。
土の恵みを採り、料理をするという作業の間、作者の脳裏にはいつも、子供の頃に寺で修行していた頃の和尚さんの言葉や思い出が浮かんでいる。
禅寺での料理作り。それは精進の日々である。
その時期ある物で作る、または「何もない台所から絞り出す」
そして、精進の極意は季節を喰うところにある。
何度も読み返したい1冊がまた増えた。 -
Posted by ブクログ
偶然みたNHKアナザーストーリーという番組の再放送で、「金閣寺放火事件」が取り上げられ、そこでこの作品が紹介されていました。
戦争という時代背景、両親との関わり、自分の吃音障害、貧困、金閣寺での生活、理想と現実の大きな隔たり、様々な要因が重なって、この放火事件を起こしてしまったのだろうと推察されます。
確かに放火、という犯罪は決して許されないけれど、この犯人林養賢のことを考えるとその苦しみが痛いほど伝わってくる、そんなドキュメンタリーでした。
どうしても親目線で考えてしまう自分もいて、林養賢やまたその母志満子のことを思うと胸が痛みます。
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Posted by ブクログ
号泣。
全人類読んで。
八重ちゃん殺されたのがあまりにもショックすぎて
「作者許すまじ手紙にカミソリ入れてやる!!!」
って思ったし、犯人絶対バチゴリに追いつめられて欲しいって思ったの。
でも、どんどん犯人の過去や想いが明かされて、
だからといって罪が消えるわけではないんだけど、
あんなつらい境遇や尊い志があったなんて知ったらさぁ、
もう責められないよ生きててほしいよ。なんで…なんで……?
正しく生きようとすればするほど、罪の意識に押しつぶされて、
逃れられなくなっていく地獄があそこにあったんでしょ?
つら……
戦後のさぁぁ……
あんな、あんな貧しくてどんなに頑張っても這い上がれない中でさぁ、
村を豊かにするんだ!ってさぁ、
生きるためにあんなに足掻いた人が居て……
人間って何?
真実を明らかにするって、どういうこと?
ほんとつらい。
はやく読んで、人類。 -
Posted by ブクログ
水上勉の小説で読んだ記憶があるのは『はなれ瞽女おりん』くらい。『飢餓海峡』も読んだことがあったかもくらいなんだけど、自分のなかの印象としては弱い者、小さき者、名もなき者に目を向ける作家という印象で、そういう人が書いたものらしい働くことに関する本だった。
水上勉自身の職業遍歴とそこから学んだことに大部分が割かれているんだけど、禅寺の小僧さんから膏薬づくり、公務員、中国大陸での苦力監督、記者、代用教員などさまざまな仕事を転々としていることにびっくり。こういういろいろな立場を経験し、そこでいろいろな状況の人に出会ったことが彼の小説に影響しているのだろう。
しかも戦前・戦中の話でそういった頃の職業観とか働き方、就職口の見つけ方などを知ることができたのも面白かった。お役所でも伝手一本で行ったその場で採用が決まっちゃったりする。逆にいえば、仕事に就くときはそんなものでよくて、人のスペックによる大きな違いなどないってことじゃないだろうか。そこから与えられたあるいは獲得した仕事と向き合って切磋琢磨していけるかどうかが大事ということじゃないだろうか。このことと結びつくようなことが、東北の火葬場の守り人をしているおじいさんについて書いたところにあるので、少し引用してみる。
天職ということばをどう誤解していたか。それは、人がいろいろやっている職業のうちで、これが天職だと思えるような仕事というものは、その人の性格や、その他の条件にうまく合致して、その仕事にたずさわっていると幸福であるという、そういう恵まれた職業にちがいない、という思いがあったのだが。そしてそれは、自分で見つけ出したものだという思いもあったのだが、この老爺の述懐をきいて、職業というものは、それにたずさわる側の人の心で、ずいぶんちがうものであり、いいかえれば、天職にもなるし、ならぬこともあるという思いをつよくしたのだ。親が、人からオンボーさん、穴堀りさんと、さんづけでよばれても、他人の死体を始末しなければならないなりわいをよろこぶ者があろうか。誰もがといっていいぐらいいやな仕事を、この老爺は、楽しいといったのだった。(p.186)
天職を得るのも(天職にするのも)自分しだいということか……。
しかし、こういうふうに自分にとって働くって、仕事って何なのだろうって考えたり、仕事と人生と自分像を密着させて考えるのってわりと男性に特有かなという感じがするなあ。 -
Posted by ブクログ
時代は戦後間もない昭和29年。舞台は「もはや戦後ではない」の言葉には程遠い、荒涼たる北海道・函館。実際に起こった青函連絡船 洞爺丸沈没の海難事故に想を得て描く、上下巻合わせて1000ページの壮大なミステリー。
今や立志伝中の人物となった主人公の完全犯罪を老練な刑事が足を使った執念の捜査で切り崩していく。極貧と出自が犯罪に深く影を落とす下りは松本清張の砂の器同様の匂いがする。でも、まったく古さを感じさせないミステリー。昭和40年に内田吐夢が映画化。三國連太郎・左幸子・伴淳三郎らが出演で、当時の映画賞を総なめ。著者は三國連太郎を執筆時からイメージしながら書き進めたのではないかと思える程、当時48歳の三國連太
郎のキャスティングはピッタリと、観てもないのに確信する。秋の夜長に不朽の骨太ミステリー。睡眠不足必至です。 -
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西陣織が関連している小説を読んでみたいと思って、検索して見つけた。
ウィキペディアをみると、1962年の著作。
物語は、昭和27年、西陣の帯地問屋「山地商店」の当主地引佐太郎が信濃の有明村を訪ねたところから始まる。
有明紬の原料となる山まゆ糸をは「ヤマコ」という蚕からとれる。
山に植林したクヌギに蚕をはなし、自然の中でクヌギの葉を食べさせまゆ糸をとる。
厳しい自然の中で、希少な美しい生糸がとれる。
そのヤマコから糸をとる仕事をしている少女刈田紋は18歳。京都に奉公に出たいという希望がある。山地としても、西陣は人手不足のおり、若く美ぼうの少女紋を連れて、京都へもどることとなった。
この紋があまりに美しく、純朴な性格出であったために、数奇な運命に翻弄されていく。
戦後、西陣の業界が復興をかけて奔走する中で、今ならありえない(とも言えないのか?)セクハラとパワハラにあいながら、言いたいことも言えず、周りに気を遣うあまりに、どんどん思いもよらぬところにまきこまれていく紋。
まるで昼ドラみたいやわ。
と、思っている調べると、昼ドラでやってたみたい。1975年のFNNとあるので、「牡丹と薔薇」とか、「真珠婦人」の枠だ。
どんなドラマだったんだろう。見てみたい。
山地の店が今出川浄福寺。
紋のおもいびと、綴織職人松吉が勤める宍戸工房が寺ノ内新町。
紋が嫁ぐ絵師今畑冬葉の屋敷は仁和寺。
クライマックス、紋と松吉を決定的に引き離すきっかけを作ってしまう和江が岩倉。
岡崎の京都会館の緞帳の話がでてきたり、
帯地の展示会を相国寺の庭でやるというくだりがでてきたり、
町並みが脳内でばっちり再生される。
どんなドラマやったんやろう?
ほんま、
どこかで見れないかなぁ。
とにかくナチュラルな紋の立ち居振る舞いと美しさが、有明紬と西陣織の融合のなかで際立っていくという、表現。
読み終わって、うーー。となった。