水上勉のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
福井で生まれ京都の禅寺で育った水上と、東京で一生を過ごし若い頃は株の仲買人をしていた同世代の池波正太郎(1923年生まれ)の食エッセイを比較してしまう。
片や精進料理について書き(肉魚も食べただろうが、経歴的にそういった需要が高かったのであろう)、片や各地の豪勢な料理や今で言うB級グルメについて書く。
今はまだ池波のエッセイの料理に引かれるが、いつか逆転する時が来るだろうか。
檀流クッキングは読んだ事がないが、檀一雄と読み比べてみるとどうなるのだろう。
写真が多いが水上が写っているカットが多い。「ミセス」誌を読むミセスを意識した美男、だからか。映画化で水上に擬せられる主人公をジュリーが演じるのも納得。
パルネット ベルマージュ堺店にて購入。 -
Posted by ブクログ
読み終わった。最初は「ゼロの焦点」っぽい感じかなーふむふむ、と読み進めて、なんとなく刑事側に肩入れできずに読みすすむ。
語り口が事件調で、サスペンスっぽいなんか起こりそうな不吉さにヒヤヒヤして引き込まれ、あっという間に前半読み終わる。
ただ後半の八重ちゃん事件後になると、刑事たちの謎解き?パートがやったらと長くて、何回同じことしゃべんねん、あと何回出張いくねん、無駄遣いすぎやろ!!と突っ込んでしまう。
最後のあとがきで作者自身がミステリーに飽いてしまい、人間ドラマや社会を描きたかったと言っていたのを読んで、なるほど刑事たちは今まで書こうとしてきたミステリーが作らせたキャラで、犯人の主人公たちはそれに抗う筆者自身だったのかもしれないなと思った。
だからこそ、リアクション側、やっぱり刑事側のリアクションにイマイチ真実味や人間味がないというか、嘘っぽくて読みにくいのかもしれない。
無理に事件解決を焦点にあてなくてもよかったかも、あるいは刑事側のドラマや人間味をもう少し掘り下げてもよかったかも。そっちの方はなんの事件もなく、ただ〇〇な人間であった、という説明だけでどの人もまったく感情移入できなかった。むしろ警察側は私たち読者目線というか、ただ物語を読みたいだけの人に見えた。犯人側じゃなくて正義側の動機が抽象的で響かなかった。
そもそも犯罪者が増えるのは社会の不手際だと思うし、むしろ警察組織とか刑務所とかにかけるコストは社会問題を解決するためのコストに回したらいいんじゃないか、悪者ばかり作って弱いものイジメをして何の正義があるのだろうと思った。
主人公たちこそ貧しい田舎に恩を返そうとしていて立派だし、警察の方がのうのうと税金で暮らしてめっちゃ捜査にお金をかけてていらないなと思った。この本の中の世界の話では。
むしろ作者のあとがき含めて謎解きになっていた。書きたくて書いてたはずなのに、書き続けたことで抑圧されて書くことのエネルギーになったという不思議な話で印象強かった。書ける作家の方が情熱的にも思えるけど、作家が書けない、書かないというのは本当に困った、書けることよりももっと根強い感情があると思う。もはやどう書こうか、という葛藤そのものを私たちは見せられている気がする。だから最後まで読めました。
そう考えると、たしかに人の悩みとか愚痴とか、長々と聞けなくて途中で打ち切っちゃうタイプかも。だから同じことの繰り返しに飽きたのかも。ごめんなさい。
最後の独白のシーンはとてもよかった。あと戦後の日本の描写が好きなのでその街並みとか産業とかもおもしろかった。やっぱり戦争がらみの本は好きだなと思う。ちょうど一昨年くらいに亡くなった101歳の曾祖母と作者が同世代で、「やっぱり、厳しいのが好きだねぇ。生ぬるいのはダメだね」と言ってミステリーばっかり読んでいた曾祖母を思い出した。彼女と同時代を生きた人が書いた小説なんだなぁと思うと、より感慨深かった。その点でもこの本がミステリーじゃなくて社会や人を書いてくれていてよかった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ昭和25年7月2日未明に金閣寺が寺の小僧による放火で全焼した事件を考察したドキュメンタリー小説。
筆者は自身もかつては修行をしたことがあり、犯人である林養賢とも一度だけ会ったことがあるといい、ジャーナリストが描いたものとは一線を画す、私小説のような、身近なこととして扱っているような感じだった。
時間をおいて、三島由紀夫の書いた『金閣寺』と、水上氏の金閣寺での火事を題材とした小説『五番町夕霧楼』も読んでみようと思う。
それにしても、最近こんなに改行が少なく、文字数の多い本を読んでいなかったので、とても読むのに時間がかかってしまった。
情けない。 -
Posted by ブクログ
水上作品にしては珍しく可愛らしい、そんな印象の本です。
私は水上さんの作品では「般若心経を読む」が一番好きです。
この本に流れている思想は「ブンナ」にも描かれているのではと考えます。
そこで、ちょっとだけ「般若心経を読む」の紹介も書きます。
これは、小説ではなくて、水上さんがご自分の一生を、般若心経の教えに鏤められている「色即是空」と、照らし合わせて書かれているエッセィーです。
私は、それまで多くの「般若心経」の解釈や解説を読みましたが、
水上さんの本ほど、頭をガ〜〜〜ンと打たれ、
一言で言えば、
「壮絶」
なのです。
本の帯には、こう書いてあります。
〜〜〜〜〜〜
人間はなぜ瑣事に悩み、色に惑うのか。
悩み、惑い続けながら、なぜ「生」に執着し「色」に執着するのか。
自ら煩悩の熱い炎に焼かれ身悶えしながら、なお人間の真実に迫ろうとする水上勉が、一筋の光明を求め、「心経」を一休和尚に問い、正眼国師に質す。
その苦悩の果ての悟りとは、、、、、
〜〜〜〜〜〜
のたうち回り、自らを「愚かだ」、おろかだと、言い、
這いずり回って、その生を生き抜いた水上勉。
読者が「安心」できる本でした。
人間の極限に追い詰められた「愚かさ」は、まさに自分のものであり、
自分こそが、「この のたうち回っている水上勉である」。
「生きる」ということが、どんなに凄まじいものであるかを、教えてくれます。
そして、
「不浄である」人間に一縷の光を、確かに指し示してくれる本であると、私は思います。
人間が、間違いを犯す者であることは、古今東西、多くの哲学、文学で語られています。
間違いをおかす 故、
神(仏)は無謬である、と思いたい。
しかし、その神(仏)とて、人間が愚かな知恵で生み出したものである。
神(仏)もまた然り。
人は、神(仏)と共に、
愚かさを共有して、生きていかなければならないのでしょうか???
ひたすら、
愚かに、生きまくった水上勉。
ブンナもそうでしたが、
作者は読者に近い位置にいるんだと、改めて思うものです。