Posted by ブクログ
2021年11月28日
1963(昭和38)年刊、昭和のミステリの名作ということなので、読んでみた。作者の水上勉はミステリ作家というより普通小説の作家のイメージで、以前読んだものにはあまり魅力を感じなかったので興味を抱けない作家だった。
本作は全体としてミステリの大枠を持つ。殺人等の犯人は最初から分かっているが、具体的...続きを読むな行為や背景の真実を求める形のミステリである。
しかし、下北半島出身の娼婦杉戸八重の境遇の変化が上巻の後半で延々と語られ、人間の生き様や運命をヒューマニスティックに描く普通小説としての側面が強い。単純にミステリを読みたいと思ったこんにちの読者なら、本作を長すぎて退屈なものと感じる可能性があるだろう。刑事たちが試行錯誤を繰り返しながら捜査を続けるさまも、延々と続く。
昭和22年あたりから物語は進み、その頃の東京などの風俗が丁寧に描かれ、同じ時代を扱いながら横溝正史作品などとはやはり違う観察があって、私にはとても興味深かった。
巻末の作者あとがきに書かれているように、娼婦杉戸八重の人物像には、ドストエフスキー『罪と罰』のソーニャのイメージが、確かに重ねられているが、魅力的だ。もっとも、彼女は上巻の最後で死んでしまう。
昭和22年の殺人放火事件を北海道から東北と東京にまで執拗に捜査を続け未完となった刑事の努力と、下巻の初めから描写される10年後の殺人事件を追う京都府の日本海側、舞鶴市の刑事の捜査とがやっと結び付いた場面は快感であった。さあ、いよいよ捜査が大詰めを迎え、一気に盛り上がるぞと思ったら。かなり冗長な捜査の描写が続き、辟易した。
容疑者や被害者の生い立ちを現地に行って調べる場面が長く続き、ミステリとしては緊張感を欠く。が、きっと作者はこのように書きたかったのだろうと納得する面もある。人物たちの生涯を浮かび上がらせたいという普通小説としての欲求が強いのである。しかも、それを追求する刑事たちの姿も細やかに書きたかったようだ。だが、被害者の遺族に毎度毎度強く同情する刑事たちは、ちょっと主情的すぎる感じがした。
松本清張なら冗長さを省略し、端的に事実をまとめて記述するだろうと思う。清張のドライで冷酷な傾向と、本作のウェットな文学スタイルはかなり正反対に近いようだ。
結局無駄足になる捜査の描写が延々と続くし、刑事たちの間違った推測も長々と維持される。上巻の杉戸八重を中心としたストーリー描写によって読者はとっくに知っているのに、数百ページにわたって刑事たちがずっと思い違いを続けている事に、読者は「だから、それ違うって」と苛立ってくるに違いない。おまけに、最後まで読んでも判然としない犯罪のディテールは残るし、長々と記述された推理の伏線もいくつか回収されずに終わってしまう。
これでは、ミステリとして期待して読んだ者をがっかりさせてしまうだろう。
人間ドラマとしては、杉戸八重など娼婦たちの人物像は魅力的に感じたが、「犬飼多吉」の方にはほとんど共感できなかった。戦後の風俗や僻地の貧しい村の描写については、大変よく書かれていて良かった。
が、数十ページにわたって克明に描写された捜査内容を、その後の捜査本部会議で刑事たちがまた克明に口頭報告するのをそのまま長々と書くような冗長さには、呆れてしまった。読者はとっくに知っていることなら、「刑事は調査結果を報告した」と簡潔に書けば済むのに。
とはいえ、全体としては面白く、楽しませて貰った。記憶に残りそうなイメージも多かったと思う。