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天職とは最初からあるものではなく、働きながら育った人格があとから見出すもの、心のあり様次第のもの――。僧侶、販売員、役所勤め、中国での苦力監督、代用教員、新聞記者など様々な職業を体験した著者。棺づくり下駄直しなど生活のために働く父母、一品に心をこめる竹人形職人達。職に徹する人々を見つめ続けて感じた誇りをもつ明るさ。仕事から教えられる幸せと人生を綴る、珠玉のエッセイ。
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Posted by ブクログ
水上勉の小説で読んだ記憶があるのは『はなれ瞽女おりん』くらい。『飢餓海峡』も読んだことがあったかもくらいなんだけど、自分のなかの印象としては弱い者、小さき者、名もなき者に目を向ける作家という印象で、そういう人が書いたものらしい働くことに関する本だった。 水上勉自身の職業遍歴とそこから学んだことに大部...続きを読む分が割かれているんだけど、禅寺の小僧さんから膏薬づくり、公務員、中国大陸での苦力監督、記者、代用教員などさまざまな仕事を転々としていることにびっくり。こういういろいろな立場を経験し、そこでいろいろな状況の人に出会ったことが彼の小説に影響しているのだろう。 しかも戦前・戦中の話でそういった頃の職業観とか働き方、就職口の見つけ方などを知ることができたのも面白かった。お役所でも伝手一本で行ったその場で採用が決まっちゃったりする。逆にいえば、仕事に就くときはそんなものでよくて、人のスペックによる大きな違いなどないってことじゃないだろうか。そこから与えられたあるいは獲得した仕事と向き合って切磋琢磨していけるかどうかが大事ということじゃないだろうか。このことと結びつくようなことが、東北の火葬場の守り人をしているおじいさんについて書いたところにあるので、少し引用してみる。 天職ということばをどう誤解していたか。それは、人がいろいろやっている職業のうちで、これが天職だと思えるような仕事というものは、その人の性格や、その他の条件にうまく合致して、その仕事にたずさわっていると幸福であるという、そういう恵まれた職業にちがいない、という思いがあったのだが。そしてそれは、自分で見つけ出したものだという思いもあったのだが、この老爺の述懐をきいて、職業というものは、それにたずさわる側の人の心で、ずいぶんちがうものであり、いいかえれば、天職にもなるし、ならぬこともあるという思いをつよくしたのだ。親が、人からオンボーさん、穴堀りさんと、さんづけでよばれても、他人の死体を始末しなければならないなりわいをよろこぶ者があろうか。誰もがといっていいぐらいいやな仕事を、この老爺は、楽しいといったのだった。(p.186) 天職を得るのも(天職にするのも)自分しだいということか……。 しかし、こういうふうに自分にとって働くって、仕事って何なのだろうって考えたり、仕事と人生と自分像を密着させて考えるのってわりと男性に特有かなという感じがするなあ。
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