本郷和人のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この数年で私の老眼が進んで、本を読むのが大変になってきたので、そのせいもあり、読む本を選ぶようになってきました。社会人生活も後半を迎えた今、以前のような「ビジネス術」を解説したものよりも、小説を読むのが楽しくなってきました。
そんな私が出会った素晴らしい人として、この本の著者である「本郷和人」さんがその一人に挙げられます。今までの通説を疑ってみて、実際には何が起きていたのだろう、と思いを巡らすのに、最適な本です。今年は、本郷氏の本から目が離せませんね。
以下は気になったポイントです。
・戦国時代の合戦における兵力は誇大である、不退転の覚悟で佐和山を出発した石田三成が、20万石で6000、基本的には100石で三人と計算しているのが妥当(p27)
・兵農分離を徹底してやると、つまり兵種別編成をやると、褒美が出せなくなる。プロの武士ばかりで軍隊を編成したならばこの問題は解決できるだろうが、半農半武士であれば兵種別は不可能である(p37)
・小牧長久手の戦いでは、秀吉や尾張の犬山城に、家康は小牧山城に本営を置き、砦や土塁を修築して防御機能の向上(野戦築城)をした。こうすると両軍ともにうかつに攻撃できなくなる、だから先に手を出したほうが不利になる(p66)
・欧州や中国では道が城内を通っているので、旅人は城門でチェックをうけて行き来する、なのでここで攻城戦が始まる。日本では、道を場内に取り込んでいないので、城を無理に落とさなくても城兵に対しての備えを配置すれば先に進めてしまう(p96)
・織田信長は小牧山城を築くときに初めて石垣を積んだ、寺院にあった技術を応用した。あっという間に堅固な石垣が各地の城に用いられるようになり、山城から平山城、さらに平城へと変容した。都市全体を石垣で囲む「惣構え」も登場する(p96)
・福島正則は「できる男」でキーパーソンとの評価があったからこそ、関ヶ原の戦い以前に家康は、福島家との縁組を実行した。家康の姪にあたる満天姫を養女とし、正則の養子で跡取り、正之(かつて播磨三木城に籠城して秀吉と戦った別所長治の叔父)と結婚させた。関ヶ原後は毛利輝元の城だった広島城を与えられた(p109)
・大坂夏の陣の開戦時点で、大坂城は堀を失い、二の丸・三の丸を破壊され勝負はついていた。織田信雄、織田長益(有楽斎
)などは城を出ている(p124)
・今川義元は大軍(今川の総力をあげて)を催し尾張になぜ侵攻したのか、一番納得できる考えは、鳴海・大高両城の後詰である。尾張、三河国境付近を今川領に取り込み、信長の本城である清州城を狙う拠点とする(p143)
・上野甘楽郡(三万石)は小幡藩と呼ばれるが、織田信長次男の信雄(かつて100万石)は淀殿の縁(従兄弟)で秀頼につかえて大阪城内にいたが、冬の陣の直前に城を出たので、家康に大名に取り立てられた(p162)
・大坂夏の陣で、天王寺・岡山の戦いにおいて、家康本陣を守るように位置していた、本多隊・小笠原隊は真田幸村・毛利勝永らの猛攻にさらされる。小笠原隊はほぼ壊滅(当主忠なが戦死)、本多隊も分家筋の忠朝が戦死、小笠総力原家は播磨・明石10万石へ加増、そして豊前小倉15万石へ躍進して明治維新まで続く、本多家は播磨・姫路15万石に加増(p182)
・忠節無比の三河武士とは、物語に過ぎないのではないか。駿府という都会育ちの青年家康は、困り果てたと思われる。将軍の座を退いてから、家康は岡崎に帰っていない、家康にとっての故郷は駿府であり岡崎ではない(p186)
・花押とは実名の代わり、花押を用いる以前は自分の名前をくずして草書で書いていた、これを草名(そうみょう)という。なので、実名プラス花押という組み合わせは無い。(p231)
2019年7月21日 -
Posted by ブクログ
同じ場所で行われた、「壬申の乱」、「青野ヶ原の戦い」、「関ヶ原の戦い」の3つの合戦を説明し、その場所のもつ意味を分析した本。将軍とは何かについて「将軍権力の二元論」の考え方が参考になった。
「三種の神器は、少なくとも3セットある(後醍醐天皇が恒良親王に持たせたもの、後醍醐天皇が光明天皇に渡したもの、後醍醐天皇が吉野に逃げたときに示したもの)」p102
「将軍権力の二元論。主従制的支配権(将軍が武士に対し方向を求めること)と統治権的支配権(政治権力、国を民を含めて支配すること)。頼朝は、主従制的支配権のみ。足利氏から統治権的支配権が芽生え、徳川では統治権的支配権に移行している」p106
「言いがかりをつけて潰すのは、徳川のお家芸」p123 -
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<目次>
第1章 細川の巻
第2章 前田の巻
第3章 上杉の巻
<内容>
「夜話」と名乗るだけあって、戦国大名というよりも、その一族や家臣の話を中心に、気軽に歴史に触れることができる(「週刊新潮」連載です)。記念はテレビによく出て、歴史学者の敷居をかなり低くしてくれている著者。かつてから読みやすい本を多く執筆していて、歴史をとっつきやすいものにすべく悪戦苦闘されているようです。が、この本はまるで芸人コンビ”ハライチ”の漫才のような感じ。例えば、細川さんの話から6代将軍足利義教のくじ引き、武蔵・小次郎の巌流島決戦の裏話(これはこれで「へぇ~」なネタ)と、途中からどんどん脱線していき、最後は「わかんなくなっちゃったよ!」のオチ。いやいやちゃんと出発点には戻ってますが…。さりげなく自説が盛り込まれていたりして、ニヤニヤしながら読ませていただきました。 -
Posted by ブクログ
<目次>
第1章 戦いは、なぜ起きたのか~関が原考①
第2章 直江状に、家康は怒ったか~関が原考②
第3章 天下統一とは何か~関が原考③
第4章 官兵衛は軍師だったのか
第5章 女城主と日本無双の勇将
第6章 前田はなぜ100万石なのか
第7章 信長・秀吉・家康の夫人くらべ
第8章 城と命運をともに~女たちの戦国①
第9章 危機一髪の逃避行~女たちの戦国②
第10章 厚遇と冷遇の境界線~論功行賞
第11章 鳥居対井伊~譜代の争い
<内容>
「週刊新潮」連載の「戦国武将のROE」をまとめたもの。著者の本郷和人は、日テレ「世界一受けたい授業」で歴史物を解説しているが、中世史が本職。NHK[平清盛」の時代公証も担当した。しかし、テレビでAKB高城亜樹のファンを広言し、恥ずかしいことを言っているのを見て若干引いたのだが、もともと東大史料編纂所教授です。今まで書かれた一般向けの本も読みやすく(なので玄人受けしないのかもしれませんが)、彼の本はできるだけ読むようにしています。
この本では、関が原の戦いの裏情報や徳川譜代大名の裏かけひき、戦国期の女性の様子の一端、などが軽~い筆致で描かれてます。雑誌連載だけに読みやすい。内容も史料を駆使しているように見えます。
その中で気になったところは、中世の「都と鄙」、近世の「天下統一」の感覚の話。関が原の戦いの際に、上杉景勝の家臣直江兼継が、東北攻めをした話からだが、九州の黒田如水や島津勢も天下統一なんか考えずに、九州や東北の統一だけ考えていたのは、都(中国から中部地方)とそれ以外、という感覚があったのではないか?という話で、なかなかの視点だと思う。