あらすじ
日本史は暗記科目じゃない!
天皇、土地、宗教、軍事、地域、女性、経済。七つのツボを押さえれば、日本史の流れが一気につかめる。
最もコンパクトな日本通史、登場。
大事なのは疑問を出す力、仮説を立てる力、そして常識の力。
人気歴史学者が面白くかつ明快に日本史を解説する。
「天下分け目の関ヶ原」は三度あった
律令制は「絵に描いた餅」
応仁の乱、本当の勝者は?
銭が滅ぼした鎌倉幕府
皇位継承 ヨコとタテの違い
川中島の戦い、真の勝者は武田信玄
貴族と武士の年収は一桁違う?
などなど、目からウロコのトピックも満載
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
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師直ほどの 傲岸 不遜 な武士でさえも、天皇を必要としたのはなぜなのでしょうか。その鍵は、やはり「職の体系」にあると思います。 室町時代の武士は、土地の権利をめぐる論理として、「職の体系」以上のものをまだ構築できなかった。もし今、天皇家を滅ぼしてしまったら、土地の権利は大混乱をきたす。領主たちの自力救済にまかせたら武力抗争が頻発するだろうし、武士たちに対する幕府の信用も丸潰れになってしまう。今以上の混乱が訪れる。師直をはじめ室町幕府を支える武士たちは、そのように考えていたのではないでしょう
軍事がわからないと日本史はわからない。と言っても、別に私はタカ派でもなんでもありません。事実に基づいてこの国のあり方を考えていく上で、軍事というものの考察は非常に重要だ、と言いたいの
にもかかわらず、ことに太平洋戦争ののち、軍事史の研究はなおざりになってしまいました。 その原因のひとつはやはり敗戦のショックでしょう。何百万人という犠牲を出したことで、戦争=悪、軍事=悪であるという認識が日本国民のなかに刷り込まれた。これは心情的にはよくわかります。 そして、もうひとつはイデオロギー的なものです。戦後、皇国史観を奉じてきた歴史家たちがパージされると、今度はその反動でマルクス主義的な唯物史観が勢いを持つ。そのなかで戦前の軍国主義の否定から、軍隊=悪、自衛隊=悪という図式がつくられてしまった。こうした事情で、トータルな歴史科学としての軍事史研究はほとんど進まなかった、というのが私の考え
なぜ江戸時代になって女性の地位は低下したのか? ひとつには儒教の影響が強まったことが挙げられるでしょ
こうしてみると、「日本は昔から女性の地位が低かった」と批判されるときの「昔」とは、相当の部分、江戸時代を指していて、それ以外の時代には、女性はその時代なりの地位を占め、影響力を発揮していた、といえるでしょ
Posted by ブクログ
日本史を一気通貫でざっくりと改めて学びたい、そんな欲求からこの本を読んだ。
結果としてこの本ほど当初の目的に見合うものはない。
日本の誕生〜江戸時代までを7つの軸でざっくり読む。
それにより日本がこれまでどういうベクトルで変わってきたのか、それがいまの日本にどうつながっているかを知ることができた。
当たり前だが、日本史は人名や役職、当時の呼び名など、専門用語が多い。
にも関わらず読みやすい文章なのは筆者の筆力があることは言うまでもなく、親しみやすい人柄が浮き出ているように感じる。(筆者のことは知らないが.
...)
日本史をもう少し勉強したい、そんな気持ちも芽生えるいい読書体験でした。
Posted by ブクログ
歴史が好きだからかな、日本史を疑え、に引き続き楽しめました。女性の地位の歴史、経済から見た歴史、鎌倉武士の年収等々。
最後にあったように現代につなげて比較してくれると、わかりやすいし、興味深くなる。
Posted by ブクログ
歴史好きといっても池波正太郎と司馬遼太郎の小説を読んで大河ドラマを観るくらいで歴史に詳しいわけでもない。そんな私が本郷さんのこの本を読んで、もう一度これまで読んだ本を読み直したいと思いました。歴史を学ぶことは今を理解することにつながります。
Posted by ブクログ
2019/10/28
今まで分かりやすい歴史の本ってあまり無いなーというイメージを覆してくれる内容です。
日本の古代から近代までの流れを7つの視点(天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済)から検証して流れをつかむことができます。
日本史の学習は政治のことが出てきたり、文化のことが後になって出てきたり、土地のことが出てきたり、かと思えば民衆のことが出てきたりと、時代の流れに沿ってはいますが、一つの事柄を一生懸命考えていると次には全然違う分野の歴史が出てくるから分かりづらいのでは無いかと思います。
この本のように一つのテーマに則って日本の歴史での人々の動きを考えてみると、意外と7つの視点を跨ぐものもあったり、共通するものもあったりします。
個々の歴史上の出来事には必ず原因があるわけですが、その原因を考えていくための材料にもなると思います。
ただ、鎌倉幕府ができた、室町幕府は京都に置かれたなどではなく、どうしてそこだったのか、なんで為政者はこのときこういう判断をしたのか、など考えていくときにはやはり歴史の大きな見方で流れを理解していないと分かりやすく伝えることもできないなと感じました。
史実として記録は残っているけれども、政策の実情はその程を為していたのか疑問に思う政策、その疑問が提言されている政策もたくさんあります。読んでてわかりやすくて本当に面白かったので他の本も読んでみたくなりました。
Posted by ブクログ
わかりやすい!
かくも歴史をわかりやすく書いた本があるのだろうか。
中学程度の知識があれば充分。歴史学の最先端の人が我々にわかりやすく書いてくれている。
面白くないはずがない。
それも、時代毎に区切るのではなく、7つのテーマを基にして通史で語ってくれている。すーっと頭に入ってくる。
地域の項が心に残った。「日本」はどこまでか。当時の人々はどこまで「我が国」と意識していたか。
「日本」と聞いて北海道から沖縄までを浮かべるのは現代だから。「日本」の範囲は時代によって異なる。
まさにアハ体験。是非一度。
Posted by ブクログ
具体的なテーマごとの切り口で学者ながらに堅苦しくなり過ぎず、非常に面白い本。読みながら著者の思想を調べてみると、見えてきたのは「仮説主義への寛容の延長で司馬遼太郎も擁護し、実証主義に頑なな他の学者を批判したことで、賛否ある立ち位置にある、という印象」。要は、ただの作り話だろうと司馬遼太郎的歴史観を痛切に批判する学者を批判した学者であり、歴史における〝遊びの部分“の必要性に理解を示した。そりゃあ、この本も面白いはずだろうと合点した。
― おそらくヤマト王権は白村江の敗戦によって、自分たちは何者なのか、というアイデンティティ・クライシスに陥ったと考えられます。なぜなら、天智、天武、持統といった天皇は、その後、相次いで独自のアイデンティティの核となる「ヴィジョン」を打ち出していったからです。そもそも「天皇」という呼称自体が、この時期に生まれました。それまでの「大王」から名前を変更し、自分が中国や朝鮮とは異なる、独自の存在であることを強調したかったのだと考えられます。『古事記』(七一二年)や『日本書紀』(七二〇年)の編纂もこの時代に始まります。
― 歴史をみるうえで重要なのは、文書に示された建前や形式よりも、それが実際にどのように機能していたか、現実を動かす力を行使していたのは誰かだと私は考えます。そこで承久の乱以降の幕府と朝廷の関係をみていきましょう。昔も今も誰が実権を握っているかを最も雄弁に語るのは、人事です。承久の乱以後、次の天皇を誰にするかは、朝廷の一存では決められなくなりました。鎌倉幕府の承認が必要となったのです・・・幕府によって、天皇は現実の政治と関わることも厳しく制限されます。武家に官位を与えることは禁じられ、諸大名の京都立ち入りも制限されました。天皇は御所から出ることも禁じられ、外出するには幕府の許可が必要でした。
ー なぜ天皇が必要なのか?その根本的な要素のひとつが、土地です。つまり室町幕府は、複雑な土地の権利関係を整理することができなかった・・・これを変えたのが戦国大名。
天皇を切り口とした論理展開だ。この流れを見るだけでも、ただ単に事実の列挙ではなく、物事の本質を見抜くような論理構築があって、その論理の不足を仮説で補ったり、実証の繋ぎ方を工夫している様子が分かる。読み手もこの方が面白い。
― これは余談になりますが、江戸時代になると、遊女、女郎といった職業への差別意識が強くなっていきます。おそらく、これは性の問題と関係していると思います。梅毒が日本に入ってくるのは戦国時代で、用心深い徳川家康などは遊女との接触を自ら禁じていた。遊女が歴史的な事件を引き起こした例で有名なのは、後鳥羽上皇の寵愛を受けた亀菊という人ですね。彼女は後鳥羽から摂津国の荘園を与えられたのですが、この荘園の地頭が命令を聞かない、というので、後鳥羽が怒る。そして幕府に地頭を廃止せよと要求したことが、上皇と幕府の関係を悪化させ、承久の乱の一因となるのです。
この「・・・と思います」の「思います」が仮説である。だが、歴史は残された文書からしか把握しきれない限界があるため、こうした解釈の余地というのはどうしても出て来るものだと思う。歴史は仮説を用いずに認識し得ないものではないのか。ストーリーテラーの面白さと共にそんなことを考えた。
Posted by ブクログ
オーディブルにて。
この方が監修された歴史マンガでの解説が面白くて好きになった。「日本史を疑え」も面白かったので他の本も手に取ってみた。
天皇、宗教、土地など日本史を横串で見る視点がとてもわかりやすい。女性の私からすると、「女性」から見る日本史が最も興味深かった。日本では女性の地位が低いと言われるが、それは江戸時代に徳川家康が儒教を重んじたためだと言う。歴史から振り返って今の日本の現状についても考えてみたい。
Posted by ブクログ
豊臣政権
西向き、朝鮮出兵、中央集権、重商主義、貨幣経済、
貿易重視
新自由主義、貧富の格差
徳川政権
東日本重視、地方分権、農本主義、内需拡大
格差が少ない、セーフティネット
清盛
西日本中心の日宋貿易
頼朝
関東、土地の安堵
天智天皇
朝鮮進出、白村江の戦い
天武天皇
遣唐使一次廃止、古事記、国内集中
明治政府
朝鮮併合、薩長を中心とした中央集権、貿易重視
現代
冷戦終結以降新自由主義、グローバリズムに触れ過ぎた反動が来て、国家主義、ナショナリズムの内向きの傾向。逆に触れ過ぎない様に気をつけつつ、歴史に学び、東京一極集中を防ぎ、地方分権、内需拡大を目指すべき。
Posted by ブクログ
鈴木保奈美さんが案内役を務める『あの本、読みました?』を毎週楽しみにしている。
今回は「新書」を取り上げていた。そこに出ていた本郷和人さんの本を読んでみた。
天皇・宗教・土地・軍事・地域・女性・経済の7つの視点から歴史を語る。
当たり前だと思ったことが当たり前じゃない。
「川中島の戦い」は引き分けじゃなく、信玄の勝ちと言い切るところが面白い。
戦いの勝ち負けは犠牲者の数でも、大将の首でもなく、その戦いが何の目的かによるという立場。
謙信が北信濃の領地を狙ったのに、結果的に占領するに至らず越後に帰ったのだから信玄の勝ち!
なるほどと思った。
目から鱗の歴史講義だった。さらに本郷説を知りたくなる。
Posted by ブクログ
日本史のこぼれ話を集めたような一冊。
天皇と将軍、どちらが上か? きっかけは1221年の後鳥羽上皇が敗北した承久の乱で形勢逆転。
神道と仏教の関係
江戸のお寺は「役所」の存在も兼ね備えていた。
荘園は口利き的な要素もあり、自分達の土地を自分達で守ろう!という意識のもと、武士が発生した。 田舎の武士は在地領主、京都の武士は貴族を守るため、と起こりは異なれど、発生したのはこの辺りから。
貨幣経済の発展により、鎌倉幕府は潰えた。
信長が実現させた自由とは?
悪党たちが戦い方を変えた(ルール無用)
日本は「ひとつの国」ではなかった?
Posted by ブクログ
本郷先生の本はわかりやすいですね。
歴史好きだけど、研究者じゃない人にぴったり。
特に「女性を知れば日本史がわかる」章が面白かったです。
だから、江戸時代ひいては徳川家康が苦手です。
Posted by ブクログ
おおまかな流れで日本史を論じていてもっと勉強してみたいとモチベーションが上がる本だった。
著者がわかりやすさを重視しているおかげかなと。
内容はどれも興味深いが、1番印象的なのは土地や経済の問題といったバックボーンがあるからこそ歴史が動いていくという主張だった。
Posted by ブクログ
出来事の羅列ではなく、天皇や軍事、女性など7つのテーマに分けて日本の歴史の流れを説明してあるので、面白かった。
天皇の権力が強いと後継者が兄弟など横に広がるというのが、なるほどと思った。
Posted by ブクログ
日本の歴史を、7つのカテゴリーで通史として考えてみるという本書。天皇、女性のカテゴリーが面白かった。本郷先生の持論炸裂的なところもあり。
歴史をもう一度学びなおしたい私にはよかった。
Posted by ブクログ
令和元年の夏休みの部屋の片づけをしていて見つけた本です、記録によれば今年のGW明けに読んでいたものですが、レビューを書くのがこの時期になりました。
本郷氏の本はここ1年くらいで数冊読みましたが、好きだったれ歴史を別の角度から解説してくれていて、楽しく読ませてもらっています。特に、この本では全体を理解している方でなければ書けない「通史」を通して、日本史のツボを解説してくれています。歴史というのは、現在にまでつながっているな、と感じることができる一冊です。
以下は気になったポイントです。
・天皇が他豪族への優越を保つ機能を確立するのに重要な役割を果たしたのは、天智天皇(-671)、天武天皇(-686)、持統天皇(-702)である。日本ブランドの創生をし、それを促進したのは外圧であった、天武・持統の時代には、律令制の導入により土地はすべて天皇のものであるという公地公民制がひかれ、701年には大宝律令が整備された(p15、18)
・乙巳(いっし)の変(645)に勝った天智、壬申の乱(672)に勝った天武が強い力を誇ったのは、実力で天皇の座を手に入れたことが大きい。権力闘争に明け暮れていた時期には、継承が安定しないので系図は横に広がる、天皇が権力を失うと皇統が乱れずに系図は縦一直線となる(p23)
・日本全体が土地争奪戦に突入、つまり律令制(公地公民)が崩壊したことが、日本における中世の幕開けと言える(p26)
・鎌倉幕府が1192年に開かれた時点では、西の朝廷は辺境の武士たちの軍閥くらいと考えていたが、鎌倉幕府の優位が決定的になるのは、1221年の承久の乱で、後鳥羽上皇がこの戦いで大敗して天皇の権力を大きく減退させてから(p27)
・江戸時代に入ると天皇の仕事は、学問と定められた、改元も仕事とされたが、将軍の代替わりには必ず改元されたが、天皇の場合には行っていないときもある。暦も1685年には、渋川春海が完成させた、貞享暦に代わった(p37)
・白村江の戦い(663)は、唐に侵略されるかもしれないという脅威の大きさにおいて、後の元寇、黒船襲来、昭和の敗戦に匹敵するほどの国家の危機であった(p45)
・天皇家では仏教が神道よりも重視されてきた、神官よりも僧侶のほうが格段に位が高い。神官の最高位である神祇伯は従四位下で公卿ではない、仏教では入道親王が数多くいる(p46)
・仏教は、あくまでも修行僧個人の信仰であったが、平安時代に大寺院の内部に「院家」ができて変質していった、延暦寺の中の青蓮院、妙法院、三千院、興福寺の大乗院、醍醐寺の三宝院等がある(p51)
・平安仏教の在り方に異議を唱えて、仏教だけでなく政治・社会の在り方をも変えようとしたのが、鎌倉新仏教である。法然が説いた教えは、2つの意味で「やさしい教え」であった。誰でも救済するので、優しい、誰でもできるので。易しい(p55)
・信長が目指したものは、自らを頂点としてピラミッド型・縦の支配体制であった、惣村+一向宗の平等型の共同体は、それと真っ向から対立する原理であった(p62)
・日本の宗教史において、白村江につぐ外圧は「キリスト教伝来」である、宣教師がバチカンへの報告書に「カトリックと類似する考えをもち、ライバルとなるのは浄土宗である」と書いている(p60)
・在地領主は、教科書において「土地を寄進した」と表現されているが、毎年お米(例:400石)を年貢として納めるので、土地を国司から守ってください、という口利きの依頼である(p76)
・中央があてにならないとなると、地方の在地領主は自力救済しかない、これが武士の誕生である。国衙では4年に1度、大きな狩りを行って土地の神様に祈りを捧げていた。この狩りに出られる者(在地領主層)までが武士である(p80)
・貨幣経済が日本の隅々にまで浸透するのは、13世紀の半ば、1225-1250年くらいである。土地を売るときの証文は、それまでがコメであったが銭に代わる(p84)
・京都に室町幕府を開くが、京都を選んだ理由として、1)銭への対応、鎌倉幕府は貨幣経済に対応できずに滅んだ、2)足利政権が弱体で、朝廷などの京都の旧勢力と交渉せざるを得なかった(p88)
・戦争に勝つための条件は、古今東西問わない、1)敵を上回る兵力、2)優れた装備、3)大義名分(p98)
・通説では、応仁の乱は、十年戦って引き分けとされるが、終わってから、細川家が管領の座を独占、幕府の中で専制的な権力を振舞うことになるので、細川家・東軍の勝利である(p107)
・関東という言葉は、本来、愛発(琵琶湖の北、越前=北陸道)・鈴鹿(東海道)・不破(関ヶ原=東山道)の東側を指す、朝廷のある近畿地方は「西」ではなく、中央であった。(p120)
・日本の神社で、稲荷神社の次に多いのは八幡神社、戦いの神様でおおもとは、大分にある宇佐八幡宮である、近畿から瀬戸内海を通って北九州に至るエリアが、古代朝廷が自分の国であると実感できるゾーンであった、なので西には関所がなかった(p121)
・関東で勢力を持つのは源氏より平氏が先である、平将門が良い例、平家で関東に留まったグループとしては、相模国の三浦氏、上総の上総氏、下総の千葉氏である、北条氏もそうである(p131)
・承久の乱の後、鎌倉幕府は、朝廷監視として、六波羅探題を設置、尾張から西が管轄となった、三河から東が鎌倉の管轄であった。東西の境界線=三河に配置されたのが、足利氏であった。だから三河と尾張のあたりは、東西の文化や経済の境でもあり、両方が交流しあう場所でもあった(p134)
・尊氏が開いた足利政権が本格的に確立するのは、尊氏の孫である三代将軍・足利義満の時代である、室町幕府という呼び名も、京都の北小路室町に花の御所を建てたことに由来する(p138)
・義満の補佐役を務めた細川頼之は1392年(前年末、山名氏を討伐)、関東地方・東北地方を切り離した、関東公方に関東地方だけでなく東北地方も任せた、つまり室町幕府の責任範囲を中部地方から西に限定させた、博多は山口の大内氏、関東公方のお目付け役を今川氏とし、この2大名のみ現地に住んだ(p138)
・室町時代の日本を、都と「鄙=ひな」に分けている。都には、京都・近畿・中部・中国・四国の4つが含まれている、鄙は、関東・東北・博多以外の九州=鎮西、ここでいう「都」が室町幕府の統治範囲である、この関係がひっくり返るのが戦国時代である(p140)
・1467年の応仁の乱は、戦っているのは都の守護大名たちであり、鄙の大名は対象外、京都が戦場となり焼け野原となり室町幕府が機能しなくなったので、大名たちはそれぞれの国に帰っていった、しかし守護大名から戦国大名になれたのは、武田・大友・島津・少弐・大内・今川くらい(p141)
・信長のライバルとして、1)越前(福井)、最大の強みは京都へのアクセスの良さ、三国港を擁しているのもメリット、2)播磨(兵庫)、京都に近くて鉄も産出、瀬戸内海に面している(p143)
・関ヶ原の地は天下分け目の戦場となる、最初の戦い(壬申の乱)では天皇が誕生、二度の戦い(青野ヶ原の戦い)では、室町幕府が誕生、関ヶ原の戦いでは、江戸幕府が誕生した(p147)
・豊臣政権が崩壊したのは、秀頼が幼かったからではない、朝鮮出兵がもたらした疲弊・混乱によって、人心が離れてしまったこと(p147)
・日本が男女別姓だったのは事実であるが、それは実家の家父長権が強くて結婚してもそこから抜けられなかったため、実父の苗字を名乗っていた、だから父の支配権の強さと、結婚後も女性に一定の財産などが確保されていた(p169)
・夫婦墓の時代は夫婦別姓である、それが江戸時代の元禄期あたりに家族墓となり、手請制度ができて宗門人別帳などで住民を管理するようになる、このあたりから夫婦同姓になる(p180)
・遣唐使の廃止(894)は国風文化が花開く面もあるが、一方で律令的経済が本格的に崩壊していく時期でもあった(p195)
・欧州にたとえると、瀬戸内海が地中海、日本海交易が、北海・バルト海貿易になる(p198)
・平清盛は、日宋貿易に着目して、京都の外港として福原(兵庫)に港をつくる、これが後の神戸港である。神戸と博多を結ぶ途中に、宗教的・経済的拠点としたのが、広島の厳島神社である(p200)
・日本と中国を行き来するときに、当時はバラスト(重し)が必要であった、日本から行くときには材木であったが、帰りは、宋の銅銭であった(p202)
・国司のポストが売り買いされていた、三河の国の国司が文永元年(1264)で、3600貫=3.6億円であった。地位は中納言以下(p204)
・なぜ江戸時代には銭からコメへと逆転現象が起きたのか、関東地方、東北地方で銭本位経済についていくのは非常に難しかったからではないか(p205)
・江戸の人間にとって、上方から下ってきたものが高級品、下ってこないもの=上方のものでない品は、品質が落ちる=「下らない」という表現が生まれた、これは東西格差を表す言葉であった(p216)
2019年9月16日作成
Posted by ブクログ
また違った視点で、歴史を俯瞰することができ、とても面白かったです。
複雑な土地支配の仕組み、なるほどそういうことだったのだと、よく分かりました。
戦争に勝ったということは、結局、どういうことなのか。
著者の立てた基準は、戦争目的を達成できたかどうか。
この視点で、応仁の乱などの著名な戦いを語るのが新鮮でした。
応仁の乱は、複雑すぎて、勝ち負けもよく分からず、ただ京都を荒廃させた戦いという印象しか持ってなかったので、この乱への理解が少し進んだ気がします。
豊臣秀吉が、兵站の天才というのも、新たな視点でした。
この観点からすると、朝鮮出兵は秀吉が正常な判断能力をもはや持ってなかったのではないかと、思わされました。
Posted by ブクログ
暗記のために覚える歴史はあるのではなく、いろんな視点から歴史を解説し、なぜ歴史を学ぶのか、その有用性がわかる本でした。
例えば「土地」や「経済」をキーワードにして歴史を解説している章では、経済学が学べ、勉強になりました。
知らなかったこと:
・白村江の戦いに負けたことによる、日本に対するインパクトの大きさ。(白村江ショック)
・中央から見た地方。ヤマト朝廷は全国統一できてない。
「化外の地」は、影響範囲外で、律令制は努力目標。
・「職の体系」と呼ばれる土地システム、その不完全さから生まれた武士
Posted by ブクログ
著者は東京大学史料編纂所で「大日本史料」第五編の資料集の編纂が仕事。建長年間(1249~1256)の史料を読んでいる方。天皇・宗教・土地・郡司・地域・女性・経済の7項目を選びその「時代の流れ」を把握すべく本書を書いた。項目ごとの移り変わりがすっきりとし、また相互のかかわり具合もわかった。教科書とはまた違った著者の見解はおもしろい。・・と言って読んでる時は分かったつもりでも右から左に抜けてしまうのでメモ。
メモ
〇天皇 皇位継承がタテに繫がると安定、横に伸びると騒乱。親から子に継承されるともめごとは起きず、兄から弟、甥とかになると壬申の乱のように騒乱が起きる。当初は政治も行っていたが江戸になり権力は最小に。白村江の戦い、幕末、昭和の敗戦、と日本が「外圧」に晒されると、新しい期待を担って「ヴィジョン」(未来図)を掲げる。その時のシンボルになるのが天皇だった。
〇宗教 基本は「八百万の神々」の多神教で「安定&まったり」。外からいろいろな宗教が入り込んでもどんどん取り込み現地化する。世界的に古くからあるのは多神教で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教は中東の厳しい自然の中で生まれ、正しい神は一つで非常に伝播力が強い。
8世紀初めの記紀神話で天皇が他の豪族より卓越した存在であると担保し「神道」の基礎ができた。が、大仏建立など仏教も天皇家により受容された。が仏教と政治が密接に結びつき教義の研究などより、形骸化した儀式を重んじ「おまじない化」した。
明治維新では天皇を中心とした新国家づくりに、神道を持ってきたが、もともと多神教なのに天皇中心の一神教的体裁を整えた。が結局は江戸以来の葬式仏教と、建前としての天皇教が共存することになり迷走。そして昭和の敗戦により天皇教が否定されると宗教そのものの軽視が起きた。
〇土地 律令の公地公民は理想であって、「実態」はなく土地を開いた者がその土地を自分のものにするという「現実」を「墾田永年私財法」で追認した。荘園は権利が京と在地と幾重にも重なっていたが、鎌倉室町でもそれは同じだった。それを乗り越えたのが戦国大名で、自領の土地所有はその地の戦国大名が武力により保証し中央に税を払うことも無い。これを全国規模で、一元的な統治能力による、所有権の保証を実現しようとしたのが織田信長だった。
〇軍事 戦国時代になると戦は国を賭けたものとなり、兵器を整え、足軽などの兵力を維持するにもお金が必要。つまり国が豊かでなければ戦争には勝てない。優れた戦国大名は優れた経済感覚を持った経営者だった。
〇地域 古代では進んだ文化は常に西から来た。朝廷のある狭い地域が畿内。それ以外は異界の地。日本の歴史は東と西をいったりきたりしながら進んできた。西(朝廷)~江戸幕府(東)~明治維新(西からの逆襲)~東京
〇女性 エマニュエル・ドットの家族類型論では、最も原始的なのが「核家族」で子供は結婚すると独立し親元を離れる、次に男子が一人相続人となり財産を受け継ぐ「直系家族」となり、最後に父親の元に男子の家族たちが同居する「共同体家族」となる。
日本では女性は政治の外側に置かれていたが、制度の外側で、イレギュラーな力を行使する存在として恐れられた。薬子、北条政子、日野富子、大奥など。・・恐れられた、とはまさにレギュラーなものが男性ってことですね。
〇経済 1225年から1250年の間に日本全体に貨幣経済が浸透した。が、鎌倉では売れるものが無かった。そこで室町幕府は金と物が集まる京都に置いた。信長が京都をめざしたのも同じ。江戸幕府が開かれたことで江戸と大阪と二つの経済の中心ができ文化も花開いた。
まとめとして、今の東京一極集中は京都中心だった室町幕府の東京版ではないか。次に来るべきは東と西、日本の各地がしのぎを削る、経済・文化の群雄割拠時代ではないか。
Posted by ブクログ
著者は最近よくTVのクイズ番組で見かけるのでチャラチャラした人物かと思っていたら、本職は「大日本史料」の第5編という史料集を編纂することで、そのため来る日も来る日も建長年間(1249~1256年)の資料を読んでいる真面目(?)な東大教授でした。
その本職から離れて、歴史学によって「むかし」を知ることを「いま」に結びつける、という過程の中で、歴史はどういうベクトルで動いているかを知るために、つまり日本の古代~明治以前までの流れを把握するために、「天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済」の7つの観点から、歴史の流れを捉えている。
読んで驚いたのは、本当に「ツボ」と思われる箇所をしっかりと押さえ、新しい歴史の見方を分かり易く解説しています。
一部下記に紹介します。
天皇
何故「天皇」が出来上がった?⇒白村江の敗戦による「日本ブランド」の確立???(詳細は本書をお読み下さい)
結果論ではあるが、白村江、幕末維新、昭和の敗戦と日本が「外圧」による危機に晒されたとき、新しい「ヴィジョン」を掲げる。それが日本の歴史における天皇の役割だと言えるかも知れない。
宗教
神道と仏教はどちらも天皇家によって、形成され受容されていた。
また、日本の宗教は政権と結びつくことによって、形式化して本来の内容を失った。
明治政府が打ち出した方針は、天皇を中心とした国家づくりを、思想的に補強するために、仏教や儒教といった外来の宗教ではなく、日本古来の神道を持ってくることでした・・・(略)・・・しかも明治維新でいきなり表舞台に引っ張り出されるまでは、肝心の天皇はむしろ仏教との繋がりの方が強かった。そこで、邪魔な仏教を排除しようとしたのが廃仏毀釈でした。
具体的には、天皇・皇后などの葬儀も、聖武天皇(724~749年)から江戸末期までずっと仏式で行われていて、神式でやるのは、明治以降のことだそうです。
土地
日本の土地制度の歴史として、教科書などでも最初に登場するのが、「律令制」であり、「公地公民」です。著者は、「実態とかけ離れたフィクションに近い説明なのではないか」と、この記述に異論を挟む。
この時代の政権は「そこに書かれている内容を実現できるだけの行政システムもなければ、インフラも未発達、支配の対象となるような公民というまとまりも未だ成熟していなかった」
以上内容の一部を紹介しただけですが、新しい切り口からのアプローチが面白く、本当に歴史を理解できた(?)ような心境になります。
Posted by ブクログ
時代を貫く“軸”を示す。天皇とは、政治と宗教の結びつき、土地の支配をめぐる争い、経済の変遷、女性の役割、地域の自立性、そして軍事の実像。複雑な出来事の背後には共通する構造がある。表層にとらわれず“ツボ”を押さえることで歴史の姿が鮮やかに立ち上がる。点を面に、時代を流れに――見方をしぼると学びは深くなる。
Posted by ブクログ
既にツボ抑えてた おさらいにはなったと思う。宗教関係は、わりかし知らぬ情報あったので後々深掘り。歴史をザーッと通して学び直すにはいいと思うが、筆者の予想も結構混ざってる。その予想の元になったデータがあったら説得力も増したと思う。だから、鵜呑みにしないように気をつけて読んだほうがいい。
Posted by ブクログ
通史に真正面から取り組もうとすると疲れるし、いろいろなところで引っ掛かって、たいてい途中で心が折れる。
本書は、コンパクトにまとめまっていて短時間で最後まで読み通しすことができるのが、まず一番よいです。
かなり前に出版されたものですが、取り上げられているテーマ自体は定石で、気になりませんでした。
一般書であることが意識されていますが、専門研究者としての著者の見方や個性もうかがえ、読みやすさにつながっていると思います。
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■ Before(本の選定理由)
日本史を年号では無く、7つのフィルタを使ってみると流れが見えてくる、という趣旨らしい。発送が素敵。
■ 気づき
7つのうち、女性と経済が面白かった。のだけど、新書に詰め込んだこともあって、7つのテーマはバラバラ点在し、別個の話のよう。勿体ない感じがした。
■ Todo
溢れた情報もキュレーションの方法次第で、新しい価値は生み出せる。
Posted by ブクログ
7テーマで日本史を見ていく本。
荘園制度などの土地制度が完全に頭から抜けていてそのあたりの理解を取り戻すのに手間取った。
通説に対する本郷説がどのように批判されているのかは分からないが、新書レベルではおおむね筋は通せていたように読めた
Posted by ブクログ
いくつかのテーマに沿って日本の通史が解説されている。著者の専門である中世、特に鎌倉時代を引用する記述が多い。天皇の章と女性の章が面白く読めた。
Posted by ブクログ
歴史を読み解く鍵を示してくれる。視点の当て方が、分かりやすく、明快。難しい事をこれ程平易に明らかにしてくれるので、有難いです。あとがきも、楽しくてgood