【感想・ネタバレ】承久の乱 日本史のターニングポイントのレビュー

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Posted by ブクログ

鎌倉殿の13人を楽しませてもらい、この時代に強く関心を抱いて読みました。
大河の話が、吾妻鏡で描かれていたことがもとなんだなぁ、と知りつつ、北条家が執権まで上り詰める闘争は、源平合戦を忘れてしまうぐらい興味深い。

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2023年02月19日

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「鎌倉殿の十三人」でやる前に何とか読みたいと思ってた。面白いし、読みやすい。これは予習にピッタリだ!

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2022年11月12日

購入済み

陰謀と暗殺と

組織 システム 建前ではなく、人 腕力 本音で勝負した時代だ ということがしみじみ理解できる良作である。腕力勝負だから、陰謀と暗殺を多用する権力闘争の連続となるのも納得できる。いい子ぶるのが得意なNHK大河ドラマがこの悪人だらけの時代をどのように繕ってみせるのかそれなりに興味がある。

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2021年12月14日

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承久の乱といえば北条政子の演説により武士団が結束して勝利を掴んだという話ばかり印象に残るが、実は乱に至るまでのに権謀術数が非常に面白いと認識させてくれた。また、鎌倉幕府の本質は土地の安堵の保証で結びついた頼朝とその仲間達であるとの指摘も腑に落ちるものでした。本郷先生は、鎌倉時代の専門家でもあり、実にノリノリで書いておられるのがわかる。

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2021年02月03日

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面白い。これから、この本郷先生の本を探して、読みたくなった。古代から連なる武の系譜が、この時代から戦国、江戸へと、自分たちのイメージする武士へと繋がって、理解できるようになった。

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2021年01月28日

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テレビによく登場される本郷先生の本はこれまで読んだことなかったのだが、2021年は「承久の乱」からちょうど800年。再来年の大河ドラマも三谷幸喜脚本の『鎌倉殿の13人』が決定ということで、読んでみた。

武士の時代の本格的幕開けを告げる画期となった「承久の乱」だが、普通はあまり注目されない事件。後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうと挙兵。北条政子が鎌倉武士たちに檄を飛ばすシーンが何となく頭に浮かぶ程度であった。

本書はそのあまり馴染みのない「承久の乱」について、「東国国家論」(佐藤進一)説に近い立場から、「在地領主 vs.朝廷支配」の構図から明快に解説している。語り口は平易でありながら、重要なポイントはきちんと押さえられている印象。

たとえば、著者は「鎌倉幕府」なるものは存在しなかったと言い切る。あったのは、「源頼朝とその仲間たち」や「北条義時とその仲間たち」といった存在。その中における闘争で勝ち残ったのが、北条義時であった。

ほかにも謎の多い源実朝が暗殺された理由も説得的な説明であったし、後鳥羽上皇が文武に秀でて経済力があったにもかかわらず、完敗した理由もよくわかったように思う。

著者は日本社会は、「地位より人」が日本の歴史を貫徹する原理だという(99ページ)。とくにこの時期は院政というルールにない権力が重要な時代。この点の指摘は重要だと思われる。

国家構想については、後鳥羽上皇の「権威のピラミッド」vs.北条義時の「対面型主従関係」の対立に収斂し、その後、ながく日本史を規定していく。明治時代には「王政復古」となるわけであるが、幕末の朝幕関係から明治期の天皇主権時代への変化も、承久の乱あたりから考えてみるのも面白いかもしれない。

取りあえず、次は中公新書の坂井孝一『承久の乱』を読もうかと思う。

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2020年10月27日

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個人的には、この「承久の乱(自分は「変」と習った世代w)」と「応仁の乱」の二つが、誰でもその名称を知っているのに、どんなことが起きたのか、具体的なことはほとんどの人が説明できない日本史の二大事件だと思っている。
「壬申の乱」もそれに近いのかなーと思うのだけれど、古代史はあまり興味ないのでとりあえずそれはいいw

ただ、こうして「承久の乱」として書かれた本を読んでみると、「承久の乱」って、「乱」そのものは(歴史的な影響は別として)そんな大きな事件でもなく、また、それこそ「応仁の乱」のような複雑な話でもなかったんだなーと。
というのも、これは別に自慢でもなんでもなく、正直な感想なのだが、この本に書かれていたことって、ほぼ知っていたのだ。
もちろん、乱に直接関わったのが、推定で鎌倉側が1万数千騎。朝廷側が1700騎みたいな細かいことや、朝廷側の兵は、守護が大番役として都の警護させていた者たちだけだった(著者の推測)みたいなことまでは知らない。
でも、「瀬田の戦い」で朝廷側が橋の板を外しちゃったこととか、「宇治川の戦い」での北条泰時と家臣の会話とか。
あと、「承久の乱」のクライマックスともいうべき、北条政子が御家人を前に演説する場面って、実は安達景盛を通してだったとかも、この本を読んでみれば、「あー、そうそう。そうだったよね」みたいな。
いや、それが安達景盛という人だったとまではおぼえてなかったけどw

それは、「乱」以前の、鎌倉幕府をめぐる様々な出来事や内幕についても同じで。
読みながら、この辺は結構知ってたなーという感じだったんだけど、なんだろう?
ずいぶん前に『逆説の日本史』の鎌倉幕府編を読んだ時、あまりに面白くて、鎌倉時代の歴史ついて書かれた本を2冊くらい読んだから、その記憶なのかな?
ていうか、大河ドラマの「草燃える」は子供の頃見ていたから、その記憶もあるんだろう。
「草燃える」は凄惨な話のオンパレードで(だって、鎌倉時代だw)、子供心にもウンザリなドラマだったけど、この本を読んでみると、意外と史実に沿っていた(この本とそんなに違和感がないという意味で)んだなーと、今さら感心した。
(ま、「草燃える」は娯楽目的のドラマだから、北条政子は御家人たちを前に直接演説ぶってたけどw)
そういう意味じゃ、昔の大河ドラマって、今みたいに視聴率至上でつくられてないせいなのか、視聴者に媚びた部分が少なくてよかったなぁー。

……と、この前に読んだ『関ケ原合戦は「作り話」だったのか』と比べて、やけに感想が少ないのだがw、それはこの本が面白くなかったということではなく、読んで納得してしまったからということが大きいと思う。
いや、だからって『関ケ原合戦は「作り話」だったのか』は納得しなかったというわけでは全然ないのだがw、そこは一般読者が読む「新書」なんだから。一般読者にちょっとは媚びて書いてよ、と思うのだ(爆)
(ま、大河ドラマの方は、視聴者に媚びない方が面白くなると思うけどねw)

著者は、あとがきで「ちゃんとした日本史の本を出すことはなかなか難しい」云々と書いているが、そういう意味では、教科書のように出来事がこま切れで出てくるのでなく、流れと因果関係がわかるようになって、よかったと思う。
ただ、それは「承久の乱」だったから、という面もあるような気もしないでもないでもない…、のかな?(爆)
冗談はともかく、鎌倉時代は無茶苦茶面白いのに、そのくせあまり詳しくは知らなかったりするので、また次を期待!

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2020年09月21日

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2019/12/29
教科書的な事実は知っていたけど、その背景にあるものまで深く考えたことがあまりなかったので、それを考えるキッカケになった。
頼朝が作り上げたものはあくまでも土地の安堵によるつながりであり、2代、3代となっていくとそのつながりは薄れていった。北条氏が台頭してくるのは体制ではなく人のもとで権力体制が出来上がっていたからという話にも納得。北条時政、義時はすごくしたたかで、謀略や知略に秀でていたんだなとも思いました。
時政と周囲の人々との繋がり、義時と時政の親子関係にも改めて注目です。
そして、当時は鎌倉幕府としての支配体制ではなく、頼朝が作り上げた東国の権力体制と、俺たちの支配下じゃね?と思っている朝廷サイドとの巧妙な政治の駆け引きがあったことも承久の乱の背景にあったこと。実朝暗殺のあと、後鳥羽上皇が反乱を起こしたけど1万vs1700程度では到底歯が立ちませんね、とも思いました。
後鳥羽上皇は三関の守りも固めてなかったとのことで、作戦ミス感は否めないと思います。そして、なぜ後鳥羽上皇サイドが兵力をあまり集められなかったのかについても言及されています。
この承久の乱がきっかけで西国の方へも鎌倉幕府の支配が広がり、六波羅探題が置かれて、いよいよ朝廷の出る幕がほとんどなくなってしまった。朝廷が存続のために裁判サービスを始めるけども武力もないから幕府から借りたり、基準はといえば空気、慣例で判断するということでガバガバだったんだなーとも改めて思いました。
律令が古すぎるから、客観的な法という判断基準を武士の世の中の実情に合わせて御成敗式目を作った泰時はさすがだなと思います。
歴史って色々な繋がりがあって面白いです。

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2019年12月29日

Posted by ブクログ

教科書で習ったが、実は承久の乱についてなにもわかっていなかったことがわかった。人名とその関係がなかなか頭に入らず、難儀したが、構成が見事なので、要はこういうことなのですね。ということは理解できた。あとがきを読んで、著者と編集者の労力に敬意を表します。

・幕府と言い始めたのは江戸時代。幕府という用語は室町時代。
・鎌倉幕府は、保証人ならぬ保障人・源頼朝と主従関係を結んだ仲間たちが、東国に築き上げた安全保障体制。
・刀が武士の象徴になるのは、実践から遠ざかった江戸時代のこと。
・『吾妻鏡』は基本的に北条氏支配を正当化するもの。
・鎌倉時代は女性の地位が高い時代。
・「権門体制論」と「東国国家論」
・この時代、一番大切なのは、土地の安堵。そこから「恩」の考え方が出る。

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2019年04月19日

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シンプルで面白く、すこしドラマ調に。
この時代の支配や幕府、朝廷の及ぼす範囲にとても興味があって、非常にわかりやすい言葉で伝えてくれた。
伝える。という難しさが歴史書の課題だと思う。
それを理解した上で書いているのが良く分かる良著でした。他の作品も読んでみます

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2019年03月27日

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満を持しての言葉通り、自分の専門分野について書いた本。鎌倉時代の血生臭さや、北条氏の権力への道のり、朝廷と幕府の関係などが、平易でありながら奥深く読ませる。おすすめします。「応仁の乱」より面白いと思うのですが。

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2019年03月15日

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表題の承久の乱に関するトピックは後半から。前半はこの時代の政治、土地、主従関係などの社会全般について書かれており、これがおもしろい。

・鎌倉幕府は、江戸時代のように確固とした政治システムがあったわけではなく、「頼朝とその仲間たち」くらいの集団だったという説
・当時の社会は弱肉強食。朝廷の支配が及んでいたのは局所的かつ間接的という説
・自分の土地は自分で守らねばならない。関東では在地の武士が頼朝を中心に集まっただけという説
・当時の関東武士は朝廷と幕府の2つの主人がいる状況が普通にあったという説
・後鳥羽上皇は武勇にも学問にも優れ、傑出した存在だったという説

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2023年05月13日

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鎌倉殿の13人を見てからだと情景が
浮かぶように読めて、めちゃくちゃ
面白かった。

この時代ってまずちゃんと知ろうとならないもんなー。

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2023年02月05日

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朝廷中心の世を覆し、武士が優位に立った歴史の転換となる
承久の乱。武士とは、鎌倉幕府とは、そして承久の乱に
至った経緯とその後について、著者の考察を交え、解説する。
第一章 「鎌倉幕府」とはどんな政権なのか
第二章 北条時政の“将軍殺し”
第三章 希代のカリスマ後鳥羽上皇の登場
第四章 義時、鎌倉の「王」となる
第五章 後鳥羽上皇の軍拡政策  第六章 実朝暗殺事件
第七章 乱、起こる     第八章 後鳥羽上皇の敗因
第九章 承久の乱がもたらしたもの
現在の都道府県と旧国名、各章初めに略年表有り。

大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」の後、承久の乱について
知りたくなっての読書ですが平安時代後期から鎌倉時代、
承久の乱へ至るまでの、歴史の流れと、武士と朝廷の状況に
ついても、分かり易く解き明かしています。
何はともあれ、土地!
在地領主が守りたい土地、得たい土地。
朝廷が入手するのも土地。経済の基盤たる荘園。
武士の、武士による、武士のための政権を目指す、
頼朝とその仲間たち。
だが、将軍への権力集中や朝廷との関係の危うさから、
元首としての将軍から象徴としての将軍へ。
それは、御家人による御家人のための政治。
仁義なき政争を制した北条義時と、その仲間たち。
院政は天皇家の家長である上皇による政治。
摂関政治が最盛期から急に衰退した理由も。
朝廷中心の秩序と理念の実現のため、多くの荘園を支配するため、
最高権力者「治天の君」後鳥羽上皇による軍拡政策。
実朝を手の内に収めようとしたが、彼は暗殺されてしまう。
そして両者が真っ向から対決する承久の乱へ。
乱後の戦後処理は、武士の論理による処断で、貴族すら追放や
処刑、そして天皇や上皇にも及ぶものでした。
その後の朝廷と幕府の変化にまでも言及し、
かなり面白く読み進めることができました。
う~む、なんか更に他の承久の乱に関する歴史書や
「吾妻鏡」も読んでみたくなってしまったぞ。

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2023年01月27日

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大河の「鎌倉殿の13人」「平清盛」から、この時代をもっと知りたいと思い読み始めた。研究者の方の本だから、難し過ぎたらやめようと思っていたが、とても読みやすく、面白い。大河のおかげで人物名や地名、官位にも馴染みがあったが、よりスッキリ理解できた。こういう本があれば、歴史がもっと好きになると思う。

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2023年01月14日

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この本は本当に分かりやすく、おもしろい。後鳥羽上皇の目指すところと頼朝と、その仲間たち、その後の義時とその仲間たちが護りたかったところのギャップを浮き彫りにするための背景を遡って分かりやすく説明してくれている。本郷先生曰く、乱そのものではなく、そこに至るまでが非常に重要であることも納得。さらにはこの乱の結果の歴史的な意味、そして個人的には三上皇配流の説明が分かりやすくまとまっていて、この流れを他の資料を見ていたのだけど、よく分からず困っていたので目から鱗。またそちらの資料に戻ってみよう。

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2022年12月23日

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『龍馬伝』以来、久々に放送を心待ちにしている
大河ドラマ『鎌倉殿と13人』。

平家を滅亡せしめ、いよいよ征夷大将軍に…という段階にたどり着いたというのに、義経追討の宣旨…そこに泰平さはなく、不穏な空気が漂う。

ただ、これはあくまでも前半の山場。今後は頼朝急死後に繰り広げられる、濡れ衣・謀殺・暗殺…血で血を洗うサバイバルトーナメントが待ち構える。

御家人の権力闘争となると大学受験の日本史程度の知識では歯が立たないので、承久の乱までの流れをより深く理解するべく中世史が専門の本郷先生の冴え渡る解説書を手に取った。

さて鎌倉幕府というと、朝廷政治から武家政権への転回点。以後650年間、武士が政治を司る起点となった。その先駆者である源頼朝には政権奪取後の〈平時の手本〉がなかった。有事には頼りになる強者揃いであったが、いかんせん字の読み書きができない武装集団。

そこで、行政事務を担う人材を求め、大江広元を筆頭に下級公家を片っ端からスカウトし、文官集団を組織し、統治力の整備に腐心。無手勝流に走らざるを得ないにもかかわらず、頼朝は政治家として現実課題に対処する、極めてプラグマティストな人であった。

著者はその鎌倉幕府を指して〈源頼朝とその仲間たち〉と表現。絶対的味方がいない中での天下取りには、御家人との良好な関係づくりが必須。

所謂『御恩と奉公』。いつの世も、土地をめぐる係争は同じ。豪族たちに〈ここはお前の土地だと安堵をしてやる〉。誰かが奪い取ろうとすれば、頼朝が時に武力を持って撃退する。代わりに、あいつを懲らしめるからすぐに来い!と言われれば駆けつけ、奉公に励む。あまりにも有名な、『いざ鎌倉』。

本書を読んで驚いたのは、ドラマにみる北条義時の父親である北条時政の描かれ方。NHKの番宣では愛すべき田舎侍と紹介されているが、実際は何の何のとんでもない権力闘争に明け暮れた人であった。

頼朝亡き後の〈13人による合議制〉を企図し、北条家台頭のきっかけを作るのはまだまだ序章。ライバルの有力御家人 梶原景時・比企一族を誅殺し、自らが殺害を命じておきながら実行犯を口封じで殺害なんて…どこを指して愛すべき人なのか。二代将軍 頼家の後継者問題においても周到な準備に整えるなど機を見るに敏な権謀術数の人であった。

息子の義時も然り。現時点では人の痛みを理解する心優しき人物として描かれるが、史実では父親を追放するなど、時政顔負けの悪漢。ドラマでは三浦義村が義時に対して『おまえ、鎌倉殿に似てきたぞ』というくだりは今後変貌していく義時を示唆しているが、はたしてその変貌たるやいかなるものか…。

源氏の棟梁といえども所詮流浪者。頼朝を一か八か担いだことから始まる時政・義時の権力闘争への旅路。突然、田舎侍の親子が歴史の表舞台に躍り出、覇者への階段を駆け上がる。

朝廷から武家への歴史の転換点でもありながら、北条父子にとっては自身の運命が宿命と悟った時から始まる国盗り物語とも読める。

頼朝の鎌倉入りから承久の乱までの41年間。その間の政治は〈頼朝とその仲間たち〉から〈義時のその仲間たち〉へと移り、承久の乱後はそれまでの血生臭さは一掃され、1世紀にわたり北条政権が本格稼働し、100年余りその地位を独占する。

本書は平易に書かれた学術書だけど、壮大な叙事詩を読み終えた感がある一冊。

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2022年05月16日

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源頼朝が作った鎌倉幕府がたった三代で終わってしまったわけがようく分かった気がする。たしかに鎌倉時代は大河にもあまり見当たらないような気がするし、小説もない。子供の頃に読んだ何かで義経は可哀想な弟、頼朝はワルイ奴という話しかアタマに残って無かったもんな。
著者が言うように、この時代は本当に仁義なき戦いの時代で、昨年の大河の明智光秀みたいな考え方してたら、気が狂うようなことになっていたんじゃなかろうか。
「御恩」と「奉公」が結局は承久の乱の勝敗を決し、それから約650年の長きにわたる武士の世何始まるきっかけになった…とまでは学生当時考えもしなかったな。
面白かった。

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2021年07月08日

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鎌倉幕府とは、「頼朝とその仲間たち」が土地の安堵を目的として立ち上がった権力であった。
(「幕府」という言葉はこの当時なく、使われるようになったのは江戸後期からだという)

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2020年11月30日

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ネタバレ

純粋に面白かったです。
ただ、やはり歴史書を唄うのであれば、史料と索引は必要かな。
あと初心者向けなら、年表をまとめて、家系図があればよかったんですが。

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2020年11月27日

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ネタバレ

誰もが日本史上の重要トピックとして覚えた経験はあるが、敗れた後鳥羽上皇が隠岐島に島流しにされたこと、北条政子の演説で鎌倉武士がひとつにまとまったことくらいで、実はよく知られていない「承久の乱」。
そもそも後鳥羽上皇はなぜ幕府に戦いを挑んだのか?
「錦の御旗」を敵に回して勝利したリーダー、北条義時はどんな人物だったのか?


承久の乱に至るまで過程や承久の乱がもたらした影響などを、
時の時代背景や人物相関などの観点からわかりやすく説明している。
鎌倉幕府を語る上でキーマンとなる北条氏について、
とても明確な解説である。
「武士の時代」を決定づけたのは、まさに北条義時と後鳥羽上皇そして承久の乱である。

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2019年09月16日

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ネタバレ

「応仁の乱」以降、中世の歴史学者による、新書が面白い。本書も例外ではない。研究による背景はあるのだろうが、読み物としても、読者を飽きさせない。
もう一つの「承久の乱」も読んでみよう。

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2019年06月07日

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日本史における重要なターニングポイントとされる「承久の乱」について解説する本。京都朝廷が鎌倉武士に完膚なきまでに叩きのめされた衝撃は大きいのであった。朝廷が「西国の守護」たちを政治的に押さえたにも関わらず、西国の土豪たちが(東国から来た落下傘の)守護の言うことを聞かなかったため戦力にならなかったという観察は、歴史から得られる大きな教訓と言える。

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2019年05月30日

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この本に出合うまで、日本史の転換点(折り返し点)は、関ケ原の戦い、若しくは、応仁の乱だと思っていました。それが、この本のテーマである「承久の乱」なのですね。恥ずかしながら、この事件について名前こそ、高校三年生の世界史の授業で聞いた覚えがありましたが、内容をほとんど知りませんでした。日本史を変えてしまうような事件だったにもかからわず。。

と、このような新しい気づきを与えてくれたのが、この本でした。本郷氏の本の中での語り口を面白く、講演を聴いている気分にもなりました。今後の作品にも期待したいですね。

以下は気になったポイントです。

・承久の乱が日本史最大の転換点といえるのは、この乱以後、明治維新に至るまで、実に約650年にわたって武士が日本の政治を司ることになる(p4)

・承久の乱の最大のみどころは、実際の戦争が始まる前段階にある。これが広く伝わっていないので、関心が低いといえる(p3)

・鎌倉幕府は、室町幕府(足利氏)江戸幕府(徳川氏)と違って、創業家が将軍の座を独占できなかった。150年続く鎌倉幕府は三代で絶えた。(p7)

・当時はだれも鎌倉幕府が生まれたとは考えていなかった、武士が政治を司った体制・政権を一般に幕府と呼ぶようになったのは、明治時代のこと(p21)

・関東で勢力を広げた平家のなかで、もっと豊かな西国に移ろうと考えた一族が、平清盛を生んだ伊勢平氏(p29)

・義朝を父とする頼朝は、母方の家柄の良さ(熱田神宮の大宮司の娘)もあり、三男なのに生まれた時から源氏の跡取りとみなされていた(p31)

・頼朝が反平家を掲げて蜂起したときに従ったのは、舅の北条時政とその家来、地元合わせて90人あまり。石橋山の戦いで大敗北を喫したのちに、千葉氏、上総氏等の豪族を味方につけて、河越氏、畠山氏を従えて相模、鎌倉に入って本拠地とした、この時に事実上、鎌倉幕府は誕生した(p33)

・関東の在地領主が求めたものは平家の討伐などではなく、東国の新しい秩序の樹立であり、そのトップとなることを頼朝に求めた、旧来の朝廷による支配か、在地領主の権利の保障かが大事であった(p35、36)


・刀が武士の象徴となるのは、実戦から遠ざかった江戸時代のこと、それまでは弓や槍が有効な武器とされ、刀はよほどの接近戦にならないと出番はなかった(p41)

・駿河、伊豆、相模(鎌倉)、武蔵の4か国は東海道で連なり、政治・経済・文化の面で深い連関をもっていた。これが鎌倉武士の本場であった。(p47)

・頼朝政権の権力が及ぶ範囲はあくまで東国中心、地頭を任命できたのは、もともとの東国武士の土地に加えて、「平家没官領」という平家の旧領や謀反人の土地に限定されていた(p49)

・頼朝が最も信頼を寄せていたのは、比企氏であった、梶原氏(頼朝・頼家に重用)の両氏を滅ぼすことで、北条時政は幕府の主導権を握った(p65)

・北条時政をなぜ他の御家人たちが支持したかというと、頼家の将軍としての権力が強くなりすぎているという危機感を持ち始めていたから(p71)

・頼家が病に倒れて、関西38か国を千幡(のちの実朝)、関東28か国を一幡(頼家の長男)の分割統治となった(p83)

・平安後期から鎌倉初期に関しては、天皇という地位よりも、天皇家の家長である「上皇」の方が力を持った、これが院政である(p100)

・治暦4(1068)年、実に170年ぶりに母が藤原氏でない天皇、後三条天皇が即位し、天皇親政を復活させた。切り札は、荘園整理令であった、これにより藤原氏は荘園の3分の1を失うことになり権力基盤を削られた(p102)

・当時の相続は子供が二人いれば土地は二分割とされていたので、上皇や天皇の娘である内親王は、結婚せずに独身のまま一生を終えることがほとんど、生活費としては荘園を与えられて、そこの番人として暮らした(p106

・北条義時は、和田義盛から、侍所別当(長官)を奪い取ることに成功し、政治・軍事とも握る体制が確立した(p130)

・大内惟義は幕府によって、近畿周辺の6か国(越前、美濃、伊勢、伊賀、丹波、摂津の守護に任命された、特に、日本を東西に分断する越前・美濃・伊勢には、愛発(あらち)・不破・鈴鹿関があり重要である(p140)

・幕府は、天皇の息子である親王を将軍に迎えることは、朝廷も幕府もともに天皇家をいただくものとして同格の存在となり、より独立した国家として歩む大義名分ができると考えた、朝廷はこれが朝廷による幕府支配の実現と考えた(p164)

・承久3年5月15日、後鳥羽上皇はついに鎌倉幕府の追悼を決意した、それが正式文書である「官宣旨」なのか、略式版の「院宣」なのかは議論が分かれる(p169)

・近代の戦争では三割が死傷すると、ほぼ全滅とみなされる。命令系統がズタズタになり軍隊の体をなさなくなるから(p181)

・後鳥羽上皇は北条泰時に使いを送り、全面降伏ともとれる院宣を伝えた、ポイントは、1)もう政務には口出ししない、2)これから武士たちを出仕させない、貴族でも家業をつがず武芸のけいこをしているものは朝廷に出仕させない、これは武力放棄を宣言している(p189)

・西国の守護達の権力の源泉は、「地位」の論理、東国のそれは「人」の論理である、この差が動員力の差となった(p198)

・承久の乱で幕府が得た後鳥羽系の荘園は3000に及んだ、平家を倒したときの領地の6倍となり北条政権は盤石なものとなった、これはそれまで東国中心だった幕府の支配地域を日本全国に広げるものであった(p208)

・日本という国のメインプレーヤーが貴族から武士という在家領主へ、そしてそれ以外の一般の民へと広がっていく過程であった、その大きな画期となったのが、承久の乱であった(p213)

2019年4月29日

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2019年04月29日

Posted by ブクログ

素直に評価すれば、わかりやすく、面白く読める本です。ということで、著者の狙いは達成されていると思います。願わくば、これよりもう少しく詳しく学びたい読者のために、参考文献等の紹介ぐらいはつけてほしいところです。

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2019年04月28日

Posted by ブクログ

修羅政権鎌倉幕府の暴虐の論理を分かりやすく解説してくれる良書。
どこをどう解釈したら、平安期がろくでもなくって、鎌倉時代は現実的な政治が行われたとか思えるんだろう。いや、全然違う本の評ですな。

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2019年02月12日

Posted by ブクログ

「鎌倉殿の十三人」は割りと視聴率が高かったようで、テレビを殆ど見ない自分にとっては、それが興味の対象となった。
歴史の教科書で、鎌倉時代の記述ってせいぜいで1ページくらいだったような、あまり意識したことのない時代だったけど、考えてみれば、それまでの天皇(朝廷)による統治から、武士による統治と言う、歴史的には大きな変化点だったのだよね。そしてその急所が「承久の乱」。

権力を目指す人は、親であろうが兄弟であろうが、殺し殺される。これは武士でも皇族であってもだ。
中世ヨーロッパでも同じようなものだったろうし、人間って、離れていても同じ奇跡を辿るもんだなと、変なところに意識が及んだ。

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2023年06月15日

Posted by ブクログ

『鎌倉殿』では承久の乱、一瞬でしたね…。
朝廷にはむかって、流罪までした鎌倉幕府。
すごーく興味深い内容です。

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2023年02月14日

Posted by ブクログ

文字通り大河の予習です。
この新書は雑誌寄りなのかな?と思っているので、気楽に予備知識を得られます。
あとは義時がどれくらいダークに堕ちていくか?やね。これって本書の感想ではないですな、すいません。

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2022年10月11日

Posted by ブクログ

分かりやすくてオモシロイ。けど何だかなぁ。
歴史を扱うってのは、どこまで推論や想像が許容されるんだろう。小説なら資料の隙間を作家の想像力で埋めていくのが当然だけど。とはいえ、資料がないと何も断定できない歴史学では「これこれこういう事があったのではないか」と誠に歯切れが悪い。これが歴史書の分かりにくさに繋がっている。その意味でこの書は作者の言う通り、一般への分かりやすさを優先した、企画通りの仕上がりなんだろうね。だけど酔っ払いのオヤジが言うこととあんまり違いがないような。これが中公新書と文春新書の違いでもあるよね。

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2019年04月21日

Posted by ブクログ

坂井孝一氏の「承久の乱」はかなり突っ込んだ内容で、難しいものの、読んだ満足感は大きかった。(満足感の大きさで測るのもいかがか)しかしこちらは読みやすいものの薄っぺらな印象があった。しかし読んでみると、違う視点から書かれていて、それも面白かった。

218頁あって、承久の乱が登場するのは、169頁になったから。乱に至るまでの過程を、鎌倉幕府とはとか、北条時政や義時の説明を通して教えてくれる。

多分読む順番は間違えていて、読みやすいこっちを読んでからあっちに行くべきだった。

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2019年03月07日

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