本郷和人のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
令和4年のGW後半の中日、天気も良くどこかへ出かけようかと思いましたが部屋の大掃除が途中でもあり、読み終わった本の整理をすることにしました。レビューを書きたい本が50冊以上部屋の片隅にありますが、半分を目標にしたいと思います。従って、付箋をつけた箇所全てを書いていると処理しきれないので、各々10箇所程度に絞ることにしました。
以下は気になったポイントです。
・天武天皇の時代に関所を整備した、北陸から都に至る北陸道には、現在の福井県に愛発関、美濃国(現在の岐阜県)には不破関、三重県には鈴鹿関をおいた、この三つの関を閉じてしまえば、北陸道・東山道・東海道を押さえることができた、福井・岐阜・三重を縦に結ぶラインで日本列島を東西半分に分けた、このラインからの西が「こちら側」(p20)
・関東に土着した武士たちは元を辿れば平家、だから鎌倉幕府を支える有力御家人はみな平家である、源平の戦いとは、源氏と平氏の権力争いではなく在地領地の独立戦争であった(p29)
・承久の乱の場合は鎌倉幕府は3000箇所の荘園(西国中心)を得た、そこに東国の御家人が入って行ったので幕府の勢力は西へと延びていった(p35)
・1392年に室町幕府は南北朝合一を行い、幕府ほ京都への課税が実現した、その上で東北を直轄領から切り離して、鎌倉公方の管理下においた(p37)また、都と鄙(ひな)に分類した、都に分類されるのは、近畿・中国・四国、残りの関東と東北、九州は鄙であった(p39)守護大名(近畿、中国、四国)は京都に集まった(p40)
・皇統を二つに分けるメリットは、徳川幕府が本願寺を東と西に分けてしまったのと同じ、巨大な力を持っている勢力を二つに割ってしまえば大きな力を発揮できなくなる(p81)
・前方後円墳という不自然な形状は、奈良の王権と吉備の王権が連合し、それぞれの古墳の形が複合するとあの形となる(p99)
・邪馬台国において神を祀る神事がトップで、政治はその下に置かれていた(p134)
・700年くらいの時期に、単婚小家族から、直径相続への家族形態の移り変わりが重なる、それまでは天皇は兄弟の間で相続してきた(p215)
2022年5月8日作成 -
Posted by ブクログ
最近5年間で興味を持つようになった分野に「地政学」があり、同じような時期からこの本の著者である「本郷和人氏」の本を追いかけるようになりました。彼は私が今まであまり触れることのなかった「中世日本史」の面白さを解説してくれました。
その本郷史がなんと、地政学の観点から解説した本を出されました。本の中で日本の学会では、太平洋戦争の後からしばらく(つい最近まで)地政学を研究することはタブーとなっていたようです。それが解禁されたのがおそらく5年ほど前だったのでしょうか。
この本では今までの歴史の事件を、地政学の観点も含めて、実際に戦闘に参加させられた多くの人(いわゆる武将でなく農民兵)がどのような気持ちでいたのか、それを知った指揮官がどのように彼らの士気を上げていたのかが開設されています。それを読むと、豊臣秀吉が一代であのレベルまで上り詰めることができたのかがよく分かりました。また、戦争には「お金」が必要で、その経済力が重要であることも理解できました。
本郷氏の本を読むことで、実際にその時代に生きていた一般の人たちの思いがわかるような気がするので、これは社会人生活にも生かすことができるなと感じました。
以下は気になったポイントです。
・戦国時代になると集団戦が基本になり兵力は大規模な人数が動員されるが、幕末・明治維新の頃になると戦いに動員される数はガクンと激減する。これは、平安後期から鎌倉時代の合戦と同じように基本的には戦いのエキスパートである武士しか動員されないから(p22)
・当時(戦国時代)は太平洋側の海上交通は波が荒く危険視されており、日本海側の海上交通が交易ルートとして重宝されていた。そこに面している直江津を押さえておくことは上杉謙信にとって重要であった、日本海側で作られている焼き物を積み、蝦夷地で売買する、そこで仕入れた海産物をつみ直江津へ戻る、さらに越後では青そ、と言う植物が作られており、それを荷としてのせた船が京都へと行く。青そは、木綿が一般になるまでは衣服の原材料として重宝されていた(p53)
・川中島の戦いにおいて、武田は北信濃を含む信濃のほぼ全域を制圧していた、だからその北信濃を奪いたいと責めに来たのは上杉謙信の方である、つまり攻める側は上杉、守る方は武田となる、目的も北信濃をどちらが得るのか(p55)重要なのは、その合戦の目的とは何か、そしてその目的が達成されたのか否かと言う点に尽きる(p58)
・西暦600年の日本の人口は、600万人程度、1600年で1200万人程度、つまり1000年で人口は倍にしかなっていない、中世の頃は1000万人程度(p62)
・一騎打ちをする武士たちにとって重要なのは、まず馬術、そして弓矢の技術、弓の勝負で決着がつかなければ相手を取っ組み合いになるので力は強いほどよい。すなわち、鎌倉時代初期までの武士の理想像は、馬術が巧みで、弓の扱いに秀でている、そして大力であること、刀で切り合うチャンバラの要素はどこにもない。一対一の命のやり取りに唯一割り込めるのが「一の郎党」とも呼べる、主人と一心同体の家来である(p72)
・総力戦が始まるようになると相手よりも多くの兵を準備できた方が合戦に勝利する、合戦の勝敗を決めるのは戦場だけでない、準備の段階から勝負が始まっている。つまりより多くの兵を養える経済力があるものこそ、合戦の覇者となる(p76)
・何のために戦うのか、誰と戦うのか、どうすればその戦いは終結するのか、これが全て戦略の問題となる、これは合戦の勝敗の大前提とも直結する(p95)
・勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、と肥前国平戸藩の藩主、松浦静山は言っている。これは2020年に亡くなった元プロ野球監督の野村克也氏が自分の著書でよく用いたことで有名になった(p108)
・戦場での死に方として多い順に、1)鉄砲で撃たれる、2)弓矢で撃たれる、3)馬に踏みつけられる、刀を持って接近戦できりあって死ぬことは少ない(p115)
・合戦の褒賞は各家単位で行われるものなので、各家からきた兵士をバラバラに配置すると、褒賞を与える際に判断に困ってしまう。ですから、兵種別の編成とはあくまでも机上の空論に過ぎない、リアルな合戦ではそんな編成の仕方はまずできなかったと考えられる(p124)
・一騎討ちだった鎌倉時代初期までの戦いでは、相手の命を奪うことが目的とされたが、戦国時代になり集団戦・総力戦になると、相手の利益や権益を奪うのが目的になった、これは敵の命を奪うための城攻めから、敵が持っている経済的な利潤を奪うための城攻めというのと似ている(p165)
・城に立て籠もるというのは、後詰として他から援軍が来るまで耐え忍ぶということが作戦のメインになる(p170)
・1万人の軍勢を一月動かすだけで、現代の価値で1億円以上かかったと思われる、軍事は経済である(p173)
・江戸時代の初期において、1万石の領地を持っているものは、鉄砲隊20、槍隊50、弓隊10、騎馬隊14、旗持ち3となっている。戦国時代と比べて軍役は半分以下となっている(p242)
2022年3月26日作成 -
Posted by ブクログ
ここ数年はこの本の著者である本郷氏の本を追いかけています、今年(令和4年)の1月上旬に出版された本で、すぐに読みましたが、レビューを書くのが今になってしましました。
本郷氏の本の特徴は、単なる歴史的な事件の解説にとどまらず、なぜ現代人は歴史を学ぶべきなのか、それがどう活かせるかについても書かれていることです。私が歴史を学校で勉強した40年程前は、歴史とは単なる暗記科目というイメージでしたが、受験から解放された今、楽しむだけではなく、自分の今後の生活になんらか役に立たせたい、という思いで歴史に取り組みたく思っています。
以下は気になったポイントです。
・筆者(私)は因果の関係をきちんと説明して、物語性のある読み物として面白い教科書作りを心がけることで、学生達に歴史とは何かを考えてもらうかと思った。しかし、そのような教科書は受験では使えないからダメ、ということになった(p24)
・日本では、外圧が起因となった「白村江の戦い」「元寇」「幕末・明治維新」では、いずれもその後、国内の改革が進みました。言い方を変えれば外圧がなければ何も変わらないほど、日本は「ぬるい」のである(p31)
・キリスト教では唯一の存在である神を信じ善行を積めば神がいる天国に行くことができるとしている、それは一向宗も似ている。阿弥陀仏に帰依することで、阿弥陀仏がいる西方浄土に往生できると一向宗は解いている、なのでキリシタンも一向宗も一度弾圧されれば、甚大な被害あるいは全滅したりするまで抵抗を止めなかった。一神教を奉じる国の戦いが殲滅戦になるのは、多神教を信じる日本人にとっては考え難いことなのかもしれない(p33)
・史実から史像を組み立てるときには、どんな論理的な基準が必要か、これには帰納法(史実のさまざまな個別なデータを分析し、それぞれに共通するものや傾向を導き出して、史像を組み立ていく方法)と、演繹法(例えば、仮説をたててその歴史像から発送して、個別の史実を一つ一つ解釈すること)がある(p43)
・奈良は西の玄関口である九州からある程度距離をおいた安全な場所だった、古代日本において奈良は東の外れに位置していた。奈良に置かれた都に対する奥の院は、伊勢だったと考えられる、そこには天皇の祖先である天照大神を祀る伊勢神宮が置かれた(p57)
・663年、白村江の戦いに大敗を喫した中大兄皇子は、唐・新羅の侵攻に備えて、飛鳥から近江大津京に都を移し、668年に天智天皇となった(p59)
・壬申の乱において、大海人皇子(後の天武天皇)は東国精力を味方につけ、不破関をはじめとする東西を結ぶ要所を押さえることで勝利を得た、この不破のせきは戦国時代末期に行われた関ヶ原として知られる土地である(p63)天武天皇は、壬申の乱後に、北陸から都に至る北陸道には「愛発関」東山道には不破関、東海道には鈴鹿関を整備した。この3つの関所を結ぶラインは、日本列島をちょうど東西半分に分ける形になる、この関のラインから西が大和政権にとっての「こちら側=内側」反対に関の東側は関の外、すなわち「関東」である。古来、関東とは中部地方も含む広大な領域を指していた(p64)
・聖武天皇の時代には、全国に国分寺・国分尼寺が造営され、観念的には日本は一つであると意識されるようになったと言える。桓武天皇の頃には征夷大将軍として坂上田村麻呂を東北地方へ派遣し、中部地方は西国の勢力へと組み込まれたので、関東は箱根の関から東側、つまり現在の関東地方の姿を形作るようになった(p66)
・天武天皇以降、列島各地に国が置かれたが、これは今でいう県のようなもの。朝廷の出先機関として国衙(県庁)が置かれた。国衙には中央から派遣された地方官(国司)が赴任する、国司には、守・介・掾(じょう)目(さかん)という4つの等級がある、これらの中から私営田を開墾した在地領主になっていった(p80)
・関東には源氏よりも先に平氏が土着していた、鎌倉時代の有力な三浦氏(相模)上総氏(上総)千葉氏(下総)、畠山氏(武蔵)は、いずれも平氏である(p82)
・江戸の三大祭は、日枝神社の山王祭、富岡八幡宮の深川祭、神田神社の神田祭であるが、神田神社は平将門を祀っている(p85)
・中世に限らず現代においてもそうだが、クーデターを起こして権力の座についた新たな政権の正当性を、何が保証してくれるかという問題がある(p93)
・中世日本の国家に対する考え方は2つある、権門体制論と東国国家論である。権門体制論は、天皇という精力を、公家(貴族)・武家(武士)・寺家(僧)が支える体制、東国国家論は、西国の天皇を中心とする政権とは別に、東国には別の政権があったとする説である、どちらの立場を取るかで鎌倉幕府の成立年代は変わってくる(p113)
・承久の乱を境に明治維新に至るまで、約650年に渡って、日本の政治は武士が司るようになった。日本史最大のターニングポイントであったと言っても過言ではない(p118)
・戦場にルールがあることが常であった時代、その掟を破って仕舞えば、たとえ勝ったとしてもその他の武士からは認められなかった。だからこそ武士達は一定のルールに則って戦をした。だからこそ、義経は源平の合戦での活躍にもかかわらず大した恩賞には与えられず、兄頼朝と対立した際には付き従う武士はいなかった(p120)
・京都にいた守護大名の多くは、応仁の乱後、領国に戻り戦国大名に転身することができずに没落した、これとは逆に京都に常勤する義務のなかった関東、東北、九州の守護大名(関東東北は鎌倉公方、九州は九州探題)の多くは、もともと地元に張り付いていたので、そのまま戦国大名になることができた(p151、152)
・江戸時代を通じて天皇はあまり重視されてこなかったという実例として、江戸時代に女性天皇がいたという事実、明正天皇、後桜町天皇(p174)
2022年2月6日作成 -
Posted by ブクログ
021年3月刊。この筆者の本は初めて。筆者は『逃げ上手の若君』に関する歴史コラムを、『少年ジャンプ』に毎週、連載中。本書は歴史上の人物の「失敗」に焦点を当て、「あの時、どう行動すれば良かったのか?」「もし、その失敗がなければ、歴史はどう変わっていたのか?」を検証する一冊。鎌倉時代から関ヶ原の合戦までの時代の「失敗」を取り上げる。「元寇は、執権・北条時宗が、外交に無知だった為に起きた。モンゴル側の意を汲んで、適切な外交を行っていれば防げた」は、具体的な失敗ポイントを挙げ、特に説得力がある案件だった。
一方、「秀吉は何故、家康を放置したのか」を始めとする、幾つかの考察は、筆者が自説にこだわる余り、論理展開が「牽強付会に過ぎる」と個人的には感じられた。というわけで、本書全体を俯瞰すると、玉石混淆の感あり。とはいえ「歴史に『もしも』はない」とする唯物史観に、あえて一石を投じた試みは面白いし、さすが『ジャンプ』に連載を持つだけあって、語り口は平易で読みやすく、歴史を題材とした思考実験として楽しめた。(終) -
Posted by ブクログ
ネタバレ<目次>
第1章 日本は一つ、ではない~この国は西高東低
第2章 歴史も一つ、ではない~もしも、あのとき…
第3章 日本の歴史はぬるい~変わるときは外圧
第4章 信じる者は、救われない~信じると大虐殺が…
第5章 地位より、血より家~世襲が、強い
第6章 日本社会は平等より平和を選び、自由をはぐくんでいた
<内容>
日本の歴史学者としては、かなり勇気を持った本だと思う。個々の事件などを緻密に論証するのではなく、俯瞰して、創造力を使って、そして勇気をもって「日本の歴史は…」と語った本。従来の歴史好きや学者には、好まれる書き方でもない。ただ、こういう本はもっとあってもよいと思う。もちろん書き手を選ぶ。一般のライターやジャーナリストではだめだ。ちゃんと歴史の中で学んだ人が書かないと信憑性に欠ける。そこは評価する。今回の内容については、ちょっと荒っぽいかな?と感じた。