本郷和人のレビュー一覧
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<目次>
第1章 古代編
第2章 中世編
第3章 近世編
<内容>
現在の高校日本史教科書への批判と(シェアナンバー1の山川出版社の『詳説日本史B』を引用しつつ)現在の通説を述べている。確かに本郷さんの言うように、教科書は事実を淡々と述べるだけでつまらない。叙述をするほうが読み甲斐があるが、生徒は嫌がるだろう。現場の私としては、「教科書を使って教える」なので、そのつまらない教科書から如何に「面白く」するかに命を懸けているが、若い先生を見ていると、そこに到達する気がないような気がするので、不安である。世の中に「社会科(歴史)嫌い」がさらに増えそうで…。 -
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人が動くのは、何によるのか、ということを時々考えるんだよね。上司からの命令だからか?その人が怖いからか?あるいは、その人に心服しているからだろうか。いろいろな要素があると思う。本書の主張によれば、組織で人が動くのは、役職とか階級以上に、その人個人の人間関係によるものであり、日本の社会システムとして考えるなら、個人よりもさらにはその血筋なのだという。他の本でも読んだことだけど、海外の軍隊であっても、士官学校出たての少尉よりも、古兵の軍曹の方が小隊をうごかせるということは現実にありそうな話。役職や階級よりもその人個人がものを言う、というのは今の社会でもあるのだろう。そこで、組織を連綿と動かすファクターとして、血筋、世襲があるのだよ、というのが本書の骨子と言っていいのかな。
時々マニアックに感じられるくらい、歴史的事実が出てきてちょっと挫けそうになったけどさ。全体的に、読みやすくて楽しかったと思う。まぁ、まどかマギカを出してきたあたり、著者がよほど好きなのか、読者に阿っているのか、と感じてしまったけど。俺、まどかマギカってアニメは見てないし、ピンとこなかったんだよねぇ。まぁいずれ、まどかマギカは見たいと思うけどさ。 -
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著者の専門とする中世、鎌倉や室町時代のあたりは大河ドラマを代表とする歴史ドラマになることも少なく、そうなんだぁ、と感心させてくれる。頼朝の血統がとだえたあと、なぜ北条は将軍にならなかったのか。あるいはなれなかったのか。年表に出てくる事実だけではなく、当時の武士や庶民、貴族の感覚まで推測しつつ説明してくれるのは面白かった。
なぜ日本史を学ぶのか、研究者視点だけでなく大学人として、教育者としての視点や考え方にふれているところも興味深かった。新聞連載だけに、時事も交えてと言いつつ、決して前の事だからと思わせない、根っこからの議論も良かったと思う。
日経で連載中、読んでたな。当時はまだ本郷氏の本を読んだこともなくて、前の有栖川有栖の「ミステリ国の人々」が好きだったから、そちらが終わってしまい残念に思いつつ、こちらは連載が進むまで見落としていた。読んでみると、面白かったんだよね。その後、本郷氏の名前をチェックしてあれこれ読むくらいに。けっこうたくさん本を出されているので、また読んでみたいね。 -
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新型コロナのおかげですっかり感染症まわりの一般書が増えたが、本書は歴史家が語る一冊。天然痘、梅毒、インフルエンザ、結核……と日本を襲ってきた疫病がどんな影響を与え、歴史を動かしてきたかを記している。
平清盛のマラリア説はこれまでによく目にしたのだが、歴史的な人物と感染症という切り口はなかなか興味深い。中でも黒田官兵衛の梅毒説はインパクトがあった(詳しくは本書で)。
今回、日本で新型コロナウイルスが感染爆発しなかった要因「ファクターX」の一つとして、「マスク着用や毎日の入浴などの高い衛生意識」が候補にあがっていたが、本書によれば昔はそうでもなかったようだ。
中世だと「京都の貴族たちの生活がどれほど衛生的だったかというと、今日からしてみれば、かなり汚かったのではないかと予想される」「洗髪は一カ月に一回程度という資料もあれば、年に1回だったというものもあり、とにかく今日のように毎日洗うということはなかったのである」というから、夏場なんかそこそこ臭ったんじゃ……。
日本に限った話ではないが、「伝統」とか「文化」とか言われているものって、せいぜい100~300年くらいの習慣だったりするものだ。
もっとも、ついこの前まで、ポイ捨てだけでなくて、あちこちに打ち捨てられた粗大ごみもあった。現代でも公衆トイレで手を洗わないおっさんも3~4割はいたから(コロナ禍でずいぶん減った)、ファクターXの候補”高い衛生意識”には、個人的にちょっと疑問あり -
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歴史解釈の多様性や面白さを発信する、「学問としての日本史」と「エンタメとしての日本史」を繋ぐことを狙いに書かれた本。
2018年6月から2019年7月まで、日経新聞に連載されたコラム記事をまとめたもので、4ページくらいでひと区切りとなり、読みやすい。著者の自在で大胆な考察が面白く、また、数々のエピソードが盛り込まれ、飽きさせない工夫がなされている。
全体を通じて、日本史研究家として著者が読者に伝えたかったことは、以下の点ではなかろうか?
①日本史の学習が社会で役に立つのは、確固たる根拠に基づいて「ウラを取る」という理性的な態度が身に付くこと、「仮説を組み立てる試み」を学習することで、論理構築の基本を習得できるという2点。
②日本史の学習は、暗記ではなく、背後にある因果関係を分析することが大事。それは凡庸な目では捕捉できないが、そのトレーニングを積むことで、社会生活のあらゆる場面で役立つ。
学校で学んだ基礎的な歴史的事象もほとんど忘れてしまい、ついていけないもどかしさを感じながらも、上記のポイントを知り得たことで、この本を読んだ価値があったと信じたい。
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ネタバレ<目次>
第1章 最後の将軍はなぜ生き永らえたのか
第2章 秀吉の天下統一まで「日本人」という意識はなかった
第3章 武家の力と、男と女
第4章 近代の入り口で
第5章 本当のところを知りたい
第6章 「タテマエ」と「ホンネ」に注目してみると
<内容>
日本経済新聞のコラムを再編成したもの。本郷さんは多くの著書を執筆している。しかも、専門の日本中世史を逸脱するときもしばしば。そのうえで、わかりやすい文で刺激的な、挑戦的な文を書く。従来歴史学者は、抑圧的で自分の専門分野でもあまり発言をしてこなかった。その中で突出しているだろう。そして比較的一般の人の心情と合致する考え方から、歴史のものごとに発言しているところが親しみやすいのだ。今回は奥さんも多く出場する(本郷恵子氏)。 -
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久しく大河ドラマは観ていなかったのですが、今年の主人公は「明智光秀」そして時代背景が織田信長の父親(信秀)や斎藤道三、今川義元、徳川家康の幼少時代に焦点が当たっていて、私の興味ある時代であるので、毎週楽しみにしています。
そんな時、歴史の面白さを教えてくれた、この本の著者である本郷氏が、明智光秀についてこの本で解説してくれています。実力本位等と言われた戦国時代ですが、実はそうでもなかったみたいですね。戦国時代のリアルに迫った気分になれる面白い本でした。
以下は気になったポイントです。
・歴史とは「たくさんの史料の中から事実を拾い集め、わかりやすいよう筋道を並べたもの」である。「わかりやすい筋道がある」という意味では物語に似ているが、歴史と「文芸作家がつむぐ作品」とはまったくの別物である(p5)
・重要なのは、史料を「いつ、だれが、何のために書いたか」である。少なくとも本能寺の変から、数十年以上の後に書かれたものは、関係者以外の人が書いた「物語」である可能性が高い(p7)
・どこの国にも「国人」と呼ばれる有力武士がいて、それぞれが自分の領地の武力と経済を治める領主(国人領主)となっている、つまり彼らを家来に取り込めるかが国を平和に納めるためのキーとなる(p19)
・家を存続させるということは、家名を存続させること、よほどのことが無い限り、秀吉や道三のように簡単に改名しない(p23)
・光秀には妹(御ツマキ)がいて、信長がとても気に入っていたが、本能寺の変の10か月前に亡くなってしまった。彼女の死が信長と光秀の関係悪化を決定的にしたかもしれない(p41)
・細川藤孝は、古今和歌集の解釈を弟子から弟子へと相伝する「古今伝授」継承者であった、そのため関ヶ原の戦いの直線、舞鶴の田辺城が西軍に攻撃されたとき一番慌てたのは朝廷である。天皇から講和するように勅令がだされて、藤孝は他の城へ無事移送された(p68)
・琵琶湖の西の「坂本」というところが重要な物流拠点になっていた、日本海側から運ばれてくる商品は琵琶湖を渡って坂本に上陸した、また比叡山の東側の山麓にあるため、比叡山の僧侶たちが税金を集めたり金貸しをする拠点になっていた(p101)
・当時の日本の流通経路の中心は日本海であった、海産物や工芸品の多くが小浜あたりで陸揚げされる、それを京都まで運ぶには陸路より琵琶湖を渡って坂本に運ぶ方が良い(p104)
・丹波平定により光秀は29万石もらい、坂本とあわせて34万石となった。さらに与力分(丹後・細川藤孝、大和・筒井順慶)を加えると、240万石となった。近畿総司令官である「畿内管領」と呼んだ歴史学者もいる(p134)
・天正8年(1580)には、織田家の重臣・佐久間信盛が全ての領地を没収されたうえで、高野山に追放された(p171)
2020年3月29月日作成 -
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今週(令和元年12月16日週)の私の通勤時間を楽しませてくれた、本郷氏による本です、タイトルは「権力の日本史」で、日本では長い間において、能力ではなく「家」が重視されてきたということを史実をもとに解説しています。
能力主義は良いとされていますが、その能力をどの「ものさし」で測るかで全員が満足しないこともあるのかもしれません、それが「家柄」で判断される場合は努力ではどうしようもないので、諦めがつくのでしょうか。少し違う感じもしますが、以前の日本ではどんなに努力しても、ある以上は昇進できない世の中でした。でもある一定の条件下では、出世もできるシステムがあり、ものすごく優秀であれば例外もあったようです。
このような世界でずっと生きてきた日本人なので、会社の中にも、正規社員と派遣社員がいることが違和感がないのでしょうか、等とこの本を読みながら思いました。
以下は気になったポイントです。
・天智天皇(大化の改新、中大兄皇子)天武天皇(天智天皇の弟、壬申の乱の勝利者)持統天皇(天武天皇の妻)の時代に、日本は大きな歴史的転換をした(p16)
・天皇は成人の男性という縛りがあるので、持統は自分が天皇になり、軽皇子が成長するまでの「中継ぎ」になり、持統天皇は太上天皇として、文武天皇(軽皇子)を補佐した、皇位継承ルールが大きく変わった、兄弟間のヨコの継承から、父子の直系による縦の継承となった(p23、24)
・日本史上初の上皇の誕生は、氏族のなかで同世代からリーダーを選ぶ「ヨコの継承」から家族内で父と子という上下関係に基づいて、財産や権限の相続を行う「縦の継承」への家族システムの移行であった(p26)
・政治の実権は、摂関期には天皇の外戚すなわち母方の実家である藤原家に、院政期には父方の上皇に握られてくる。そうすると天皇は戦闘においてリーダシップをとることもなくなり、成人の男性である必要性も薄れてくる(p28)
・氏と家の違いをよく表しているのが名前である、藤原道長は、藤原の道長、これは彼らが「氏」の世界に属しているから、藤原氏は特定の家ではなく、より広い一族を表している。それが次第に家になっていく、北条泰時、足利尊氏、織田信長には「の」は入らない(p31)
・執権は8代執権の時宗まで北条本家(得宗家)からでていなく北条家の傍流からでているが、実権は本家のまま時頼は執権を引退しても絶大な権力を振るった、なぜなら彼が北条家の当主だから(p40)
・鎌倉幕府の滅亡は、後醍醐の勝利というより自滅である、土地本位制の鎌倉幕府が貨幣経済の発展に対応できなかった、元寇の外圧もあった後、源氏将軍家の名門の家長である足利尊氏が立ち上がったので御家人が幕府から離反した(p46)
・自滅した武家政権=鎌倉幕府が再び安定を取り戻すのに60年かかったので南朝はなくなった、この後醍醐の企てののち、明治維新まで天皇家の家長が最高権力者を目指すことはなくなる(p47)
・摂関家とは摂政・関白になれる家である、まず近衛・松殿・九条が成立したが、松殿は滅亡した木曽義仲と組んだので没落、近衛家から鷹司家、九条家からは、二条と一条が分立した(p54)
・京都東寺にある五重塔は、明治維新前に建てられたものの中では日本一の高さ、54メートルもある。真言宗の大寺院である、西寺は平安時代に荒廃しいまは跡のみ(p82)
・科挙の試験は、郷試(3年に一度各地方の統合府で実施)、郷試の翌年に都で会試が行われこの試験の成績により官職が割り振られる。会試での成績優秀者を集めて皇帝の前で行うのが「殿試」これは形式的なテストであった(p98)
・源義経は、長官、次官につぐ三等官である「判官」の一人であったので、源九郎判官の名称が生まれた(p132)
・天皇はただ神器を継承しているだけではダメで、三徳(正直、慈悲、智恵)を積まねばならない(p169)
・国衙(県庁)に仕え、特殊技能である馬術と弓矢ができる彼らこそが武士と呼ばれる存在であった、刀でもなく槍でもなく弓であった(p174)
・866年左大臣藤原冬嗣の子である良房は貴族として初めて清和天皇の摂政となった、良房の養子である基経は史上初めて関白となった、藤原氏のほかには、源・紀・大江などのライバル、藤原氏の中にも、南家・北家・式家・京家があったが、北家の嫡流である良房ー基経が権力闘争に勝った(p199)
・鎌倉幕府は三代目までは源氏将軍である、四代目以降は最後の将軍、9代目まで摂家将軍、親王将軍を迎えている(p203)
・室町時代に将軍を助ける管領は、細川・畠山・斯波の三家の当主が交代で任じられた、細川は四国、畠山は河内と紀伊、斯波は尾張を領国とする守護大名、全て足利氏の一門である(p206)
・もうひとつ主要な職は侍所の長官で、本来は全ての武士たちを統括する役割を持っていたが、室町時代には大都市京都の行政と防衛を担当していた、山名・赤松・京極・一色の当主が交代で任じられていた、足利家は一色家のみで他は足利一門でない、三管領四職と言われた(p207)
・実力重視の戦乱の時代とはいえ、やはり家柄が大事であった、大名家だけでなく家臣団そうであった。名もない素浪人を重く用いたら有力な国人領主が納得しない、彼らの協力を得られなければ大名は自滅する。才能の抜擢ができたのは、わずかに武田信玄と織田信長くらい(p215)
・江戸時代は中世に倍する国力を有していた、人々は江戸幕府が提示した理念を受けれたので社会生活は安定し、人口は増加した。その理念とは、武士・村落民・都市民(士農工商という言い方は以前のもの)の身分の固定、世襲に他ならない(p217)
・平安時代末期から鎌倉時代にかけては内親王が重要な働きをした、当時は均分相続だったので代を追うごとに資産は細切れになる、しかし独身の内親王に相続させていけば皇室の財産は目減りしない、財産の番人となった。中世以降になると皇女=未婚(寺に入り尼となる)が多くなり、結婚しても皇族である従兄弟との結婚が大半(p268)
・皇室の男性が一般の女性と交わるのは問題ない、しかし皇室の女性が一般の男性と交わるのは、聖性が侵害されることであり認められない。女系天皇が存在しなかったのはこのためでないか(p270)
・令は、天皇にふさわしい文字ではない、日本史で「令」とは、皇太子の命令を指す(p272)
・令は、家来を表す言葉である、律令にも定められている政所の正式な職員で最上位にくるのが「令」である、律令に定めがないのに政所を仕切っている役人は、別当である。正式な職である、専当に対して定めがないから別当という(p274)
2020年4月18日作成 -
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昨年(2018)にこの本の著者が書かれている本に出会い、歴史の面白さを再認識させてもらいました。元々歴史は好きだったのですが、本郷氏の本に出合ってから益々、歴史を別の角度から楽しむことができるようになったと思います。
この本のテーマは、日本の階級社会はどのようにして生まれたか、について解説されています。日本では権力を握ったとしても、結局のところ、高貴の家の方が有利だということでしょうか。
日本の歴史を「家」という切り口で見ることで、今まで不思議に思ってきた歴史上の事件が紐解ける気がしました。
以下は気になったポイントです。
・地位より人、人というのは血、いや血より家」これが日本の大原則であった(p4)
・源頼朝は、征夷大将軍の宣下から2年ほどで将軍職を返上している、将軍職でなくても頼朝の力は低下しなかった。死去するまで、武家の第一人者として権威と権力を維持し続けた(p19)
・後三条天皇は170年振り(1068)に現れた、母親が藤原氏ではない、天皇であった。摂関政治(藤原氏の男性が、天皇に自分の娘を娶せる、その子供を次の天皇にする、子供の天皇をお祖父さんである男性が摂政となり政治を行う)が揺らぐことになった(p47)
・院政が始まったことで、古代が終わり中世が始まったとされる、院政期における上皇が「公地公民」という律令制の根本的建前を摂関家以上に踏みにじり、半ば公然と荘園を皇室の下に集めたことにある。その手法は、六勝寺(寺の名前に「勝」のつく寺、皇室が建てた)をトンネル会社のように使い、これらの寺が寄進を受ける形で皇室領を拡大するというもの、これにより律令制が終わり、荘園・公領制が始まる(p52)
・持統天皇は、天智8年(669)以来、32年振りに遣唐使を派遣している、この時、日本は中国に対して初めて「日本」という国号を使用している(p61)
・公家の頂点に位置するのが、近衛家、藤原本家から、近衛家・九条家、近衛家からの分家が、鷹司家、九条家からの分家が、二条家・一条家(p87)
・島津忠久は島津家の初代であるが、頼朝のご落胤であるということで、島津家は江戸時代を通して「源」を名乗っている(p92)
・日本の仏教界で高い地位に就くのは、俗界で身分の高い家の出身者に限られる、出身の「家」が大事なのであって、僧としての地位は二の次、つまり実力も二の次(p98)
・天台宗では、最澄がなくなった後、弟子が唐に渡って天台宗を完成させた、天台の密教ということで「台蜜」という、密教の先駆者である真言衆のほうは、京都の東寺の密教ということで「東蜜」と呼ばれる。真言宗の本山は高野山金剛峰寺だが、京都の貴族にとっては遠いので、東寺が真言宗の中心とされた(p103)
・鎌倉新仏教(時宗、日蓮宗、禅宗、浄土宗)が高く評価されてきた、しかしこれらは、天台・真言宗からの分派である。しかし、両者とも顕教よりは密教であった(p105)
・皇室などのやんごとなき世界の方々は、激しい修行はできないので、京都の町中に院家といわれるものがつくられ、そこで僧侶になる。そこの院主たちが日本仏教世界の上位に君臨する。院家で有力なものを「門跡」というが、比叡山延暦寺系の三門跡では、青蓮院・妙法院(三十三間堂を傘下)・梶井(三千院)がある(p107)
・北条家は、長時・時村、のような北条エリートを執権の座につけながら、得宗(本家の当主)であ北条時頼が実験を取る形を取り始める。つまり、執権という「地位」よりも得宗に権力が変更された(p115)
・ツリー構造のポイントは、一人の主人は複数の家来を持つけれど、一人の家来は必ず一人の主人しか持てない。これに対して「リゾーム」は、多対多の横の関係で結びついたネットワーク構造となる(p141)
・鎌倉幕府の勝利で終わった承久の乱の後、朝廷は態度を改めた、寺の僧レベル(一般人は対象外)の訴えは対応するというもの、そして人材を抜擢する、その代わりに税を払ってくれと要求する(p146)
・後続の下に、摂関系、大臣家、羽林家(大納言にまでなれる、大臣になれない、ここまでが上級貴族)、名家(中納言まで、中級貴族)(p147)
・地位を重視していない日本では、中国と異なり責任を取る必要がないので、トップが死ぬ必要はない。鎌倉幕府の最後の将軍である、守邦親王、室町幕府15代将軍の足利義昭、徳川幕府15代将軍の徳川慶喜、に共通する(p177)
・明治政府とは、日本史上では初めて、個人の才能に賭けた政権であった、そして明治の元勲は、自分の地位を子孫に世襲することは行わなかった、個人の財産のみ(p190)
・天候や風土が厳しい地域では、生き残っていくために厳しいリーダーの選抜が必要になる、だから世襲はなかなか起きない(p194)
2019年11月4日作成 -
Posted by ブクログ
<目次>
序章 世襲から日本史を読み解く
第1章 古代日本ではなぜ科挙が採用されなかったか?
第2章 持統天皇はなぜ上皇になったのか?
第3章 鎌倉武士たちはなぜ養子を取ったか?
第4章 院家はいかに仏教界を牛耳ったか?
第5章 北条家はなぜ征夷大将軍にならなかったか?
第6章 後鳥羽上皇はなぜ承久の乱で敗れたか?
第7章 足利尊氏はなぜ北朝を擁立したか?
第8章 徳川家康はいつ江戸幕府を開いたか?
<内容>
本の趣旨はタイトル通り。日本は古代から「世襲」の風習となり、無理に養子を取っても「家」の存続をさせたという。これが明治維新で、一時止まった(この辺の解説は薄いけど)。ところが大正期以降現代まで(戦後ちょっとだけ足踏みするが)この姿は残っている。政治はもちろん、芸能界、スポーツ界でも。その分析をした本である。
本郷先生は歴史に「動的な観察」がしたいという。なのでどの本もけっこう過激な物言いが多い。結果、やや雑駁な論理も見られる。この本も然り。でも、こうした本の方が読んでいて面白い。 -
Posted by ブクログ
<目次>
はじめに 合戦史の「定説」は本当か
第1章 戦いを決する「兵力」の謎
第2章 秀吉の天下取りと「行軍力」
第3章 武将が「城を攻める」意外な理由
第4章 関ヶ原と大坂の陣に見る「大名」の実像
第5章 信長・信玄たちの古戦場で見えること
第6章 家康の隠れた「遺産」
第7章 三成はなぜ「忖度」できなかったか
<内容>
産経新聞連載の「本郷和人の日本史ナナメ読み」の2015年7月~18年5月までを再編成したもの。それ以前は『戦国武将の選択』にまとまる。
ハッキリ言って「戦国漫談」。おそらく直木孝次郎や林屋辰三郎などもこうしたエッセイと書いただろうが、気品に欠ける(って自分に言う権利はないけど)。もうちょっと歴史家らしく、ちゃんとした分析をしてほしいな。プロらしいところもない訳ではないけどね(城攻めの話とか兵力の話とか)。