本郷和人のレビュー一覧
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ネタバレ教科書検定委員もやったことのある著者によれば、教科書は4年に一度改訂しているそうです。最近の教科書は、これまで自分が習ったこと(覚えていること)と異なる部分もありとのことで読んでみましたが、なるほど中身は結構刺激的。
「ネタばれ」承知で書くと、①聖徳太子は「厩戸王(聖徳太子)」と変更、②鎌倉幕府は「いい国(1192年)」のみならず「いい箱(1185年)」も併記、③北条政子の演説はなかった、④徳川綱吉は結構な名君、⑤「士農工商」という身分制度はなかった、などなど、「へぇ~」と歴史認識も変わっていくものだと痛感。復活しつつある通勤途中でも、さらっと読める歴史本です。 -
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源頼朝が作った鎌倉幕府がたった三代で終わってしまったわけがようく分かった気がする。たしかに鎌倉時代は大河にもあまり見当たらないような気がするし、小説もない。子供の頃に読んだ何かで義経は可哀想な弟、頼朝はワルイ奴という話しかアタマに残って無かったもんな。
著者が言うように、この時代は本当に仁義なき戦いの時代で、昨年の大河の明智光秀みたいな考え方してたら、気が狂うようなことになっていたんじゃなかろうか。
「御恩」と「奉公」が結局は承久の乱の勝敗を決し、それから約650年の長きにわたる武士の世何始まるきっかけになった…とまでは学生当時考えもしなかったな。
面白かった。 -
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平清盛、源義経、北条時宗、上杉謙信、豊臣秀吉、伊達政宗といった時代の寵児たちの失敗を紐解く。
平清盛の京都に政権を開いたことが、武家政権を確固としたものにできなかった。
源義経は兄の頼朝の気持ちを汲み取ることが出来ず、対立を招くことになった。
北条時宗は、元寇で働いた武士たちに対して、自分の身を削っても領土を与えなかった。
上杉謙信は越後という枠に括られたことと、跡継ぎについてしっかりと決めてこなかった。
豊臣秀吉は、身内を大切にできなかったこと。そして家康に広大な領地を与えてしまったこと、朝鮮出兵など。
伊達政宗はパフォーマンスばかりが目につき過ぎた。
など、かなり上から目線な解釈もありますが、失敗でも歴史に名が残せることの方が偉いかなと思ってしまいますし、成功か失敗かは時代時代で解釈が変わる気もしました。
秀吉の失敗については他の武将に比べて観点が多いのが気になりましたが、総じて言えば大局観を待ちましょう!
でしょうか。 -
Posted by ブクログ
武士が誕生し台頭していくあたりから徳川幕府樹立までの、その時代時代を代表する一対の対立軸から、相対する二人を一組として合計八組とりあげて歴史を解読していく本です。武家がどのように力を得ていって覇者になっていくかがわかります。
ご承知のように、古い武家は新しい武家に取って代わられながら時代は進んでいきますが、その都度、力を増して、最後には(徳川氏の時代には)日本全国を支配するほどのものとなる。それがどういった流れだったのか。資料に乏しいところや資料を疑うべきところを歴史学者の著者の推察や推測で構築しながら、ひとつの仮説的に解いていく体裁でした。
義務教育から高校まで、歴史といえばもう決定した過去を暗記する学問、というふうに捉えている方は多いかもしれません。かくいう僕はほとんどそう考えていました。資料のあるところはその解読はずいぶん以前に完了していて、解釈も決まっている。資料がない部分はその近辺のわかっている(ものと決めている)情勢などから鑑みて埋めてやって、「○○だったのではないかと考えられている」などと短く終える。そういうものだと捉えていて、事件や改革など大きな点をちょっと知ってしまえば面白さは感じなくなり、その他の細かく暗記するところで面倒になる、と思っていた。とにかく、歴史とは解釈が終わったもので、地層のようにゆるぎないものだと理解していた。
でも歴史は、現代でも解釈がいっぽうからもういっぽうへと急に大きく針がふれたりするんですよね。悪者とされていた人が、実はなんのことはない平凡な人だっただとかに変化するなどです。たとえば本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、僕が子どもの頃だった30年くらい前には、裏切り者で悪役の最たるものとされていた。有名なゲームですが『信長の野望』というシミュレーションゲームでの明智光秀の、隠しパラメータ「義理」が低かったりなどしました。表パラメータの忠誠心も低かったですし。でも、信長を討ったくらいだし、それ以前にも重用されていた武将だから政治力だとか軍事面での能力だとかは高かったです。それが今では、新聞記事で新資料発見なんてでたときに、謀反はやむを得ない理由があったっぽいだとか、黒幕がいて明智光秀本人は駒にすぎないだとか、いろいろな説がでてきて、人物像もそれぞれ異なる解釈がされていたりします。それは歴史小説という場で歴史を語るときには特にそうなのではないでしょうか。
本書は、そういった歴史の解釈はアクティブに変化していくもので、まだまだ完成していないものなのだ(または、完成するものでもないものなのだ)というような立場で歴史を見ることをまず教えてくれます。その上で、著者一流の歴史の読解で論理的に納得のいく解釈を進めていってくれる。それがとてもエキサイティングなのでした。
鎌倉時代、後鳥羽上皇と北条義時とを扱った章、この章でのクライマックスである大事件は「承久の乱」ですが、その時代の状況や「なぜ官軍の後鳥羽上皇が負けたのか」との疑問、その前後、そして人物像まで、丁寧な述懐にずいぶん引きこまれて読むことになりました。このような読書体験が、歴史は無機質な暗記モノなんかじゃなくて、考えるものとして学んだり研究したりできるものだぞ、という知見をもたらしてくれます。日本史という学問へのおもしろそうなイメージと親近感が生まれました。
興味のある方のため、八つの対立は誰と誰かを記しておきます。①平清盛と源頼朝、②後鳥羽上皇と北条義時、③安達泰盛と平頼綱、④足利尊氏と後醍醐天皇、⑤細川勝元と山名宗全、⑥今川義元と北条氏康、⑦三好長慶と織田信長、⑧豊臣秀吉と徳川家康。
最後になりますが、ちょっと独特な読み方をしたところについて書いていきます。「一日に一度は庭で生首をみないと気持ちが悪い」とそこらの人たちを切り捨てさせている武士がいて、そういう残酷さは珍しくないとあったんです。室町時代のはじまりの頃のこと。子どもの頃から犬追物(犬を追いかけて弓矢で射て殺す)をさせているし、人間ってどういうふうにも育つものなのだ、と思ってしまいました。たぶん、こういう残酷なことをしてもそこに葛藤を持たなくていいような成立の仕方をした社会にいれば、気に病むこともなくなるのかもしれないです。それはたとえば、今の心理学で定めるような「現代の人間像」って絶対ではないことを教えてくれます。戦場の苛烈さに違いはあるのですが、現代には兵士のPTSDの問題があります。現代のふつうに生活を送っているスタンダードな社会の考え方や価値観がつよくて、それらと板挟みになるからPTSDなどの精神的な病が起こるのかもしれないなんて思いました。
鎌倉時代や室町時代つまり、武士の世。社会が暴虐に対してゆるくて、その暴虐を行使する位置にいる人々が共有する暴虐肯定の社会観が、武士の存在が幅を利かせるようになったがため、それがローカルなものというよりもひろく行き渡っていったから、武士という人間は病みもしないかったのか。その時代に飛んでいってみないとわからないことですけれども。でも、そういう社会でも苦しんで病んでる人がいたってことはあると思う。それがそこそこいるのか、例外の範疇かですが。
「社会と個人のマインドは相互に影響を受けて揺れ動くものである」というふうに僕たちはイメージしやすいものですけど、心理的な規制って社会からも個人からもでてくるもので、個人が規制を感じてそのこころに生まれさせる葛藤を処理できなくなるから、人はこころを病むのかなと仮説的に考えちゃうところなのでした。武士の世においてその暴虐に対して民衆からは無言の抗議の空気は発せられたかもしれないけれど、民衆からの空気による規制はとるに足らないくらい弱く、暴虐を肯定し認める空気のほうがよっぽど強いために、武士は病まなかったのではないのかな。社会からの心理的な規制がゆるかった。出家する者もそれほど苦にしていない気がします、個人的にですが。悪い意味でもおおらかだったんじゃないか。
というところですが、ひとつ知見を拾えましたね。規制はどうやらこころによくなさそうだ、と。自由をつよく望み、守ろうとする人は規制に対してそういうことをよく知っているのでしょうね。
さてさて、話は日本史そのものに戻りつつ終わります。日本史はいちおう受験科目でしたし、10代のころは先に挙げた『信長の野望』や漫画『花の慶次~雲のかなたに』(原作の『一夢庵風流記』も読みました)などの影響で戦国時代だけならばそれなりに親しんではいました。でも、いまやまったく縁遠くなっていて、本書で久しぶりに日本史に触れて、実におもしろかったです。日本史初歩の方にも向いていると思いますよー。わからない人物や固有名詞はネット検索しながらでもオッケーですから。 -
Posted by ブクログ
令和2年の今年は、昨年の新元号制定のお祝いムードがコロナ勃発の影響で吹っ飛んでしまい、私たちの考え方まで変えさせられてしまう一年でした。
この本を本屋さんで見つけて読んだのは、コロナ第二波が到着する前の九月末の頃ですが、今回のコロナのような疾病は日本でも何度か流行し、それが歴史を変えてきたという事実を知りました。
疾病が流行ることは止められないにしても、歴史の節目において疾病が流行り、それが終息した後には別世界が開けているという流れがあることを知ることは良いことだと思います。病気にかからないよう、健康に気をつける、罹患しても克服できるだけの免疫・抵抗力をつけておくことの大切さを痛感しました。
以下は気になったポイントです。
・天平7ー9年(737)の疫病が大流行した頃の日本の総人口は600-700万人暗いと予想される、その25-30%の150-200万人位が天然痘で亡くなっている(p14)
・村と村を仲介する交易地点が誕生する、交易地点は生産しないが多くの人口を抱えたので、町・都市などと呼ばれていく(p20)
・ペストの流行は中世ヨーロッパを根本からひっくり返すような大転換のきっかけとなった、当時はキリスト教カトリックの世界で神に逆らうことは許されなかったが、ペストによって人々の意識が変わった。いくら神に祈っても人が死んでいくから(p25)キリスト教以前のギリシア・ローマ時代の文化を再評価するルネッサンスとなった(p168)
・免罪符を購入すれば全ての罪が許されるとは、キリスト教の原典である聖書には書かれていない。こうした不正が行われたのは、ラテン語で書かれていた聖書を読める信者が少なかった。聖書の教えは聖職者たちの既得権益と化していた(p26)
・東京湾に船が入ってしまうと江戸城を艦砲射撃できるので、横浜を開港地とした。同様に大阪湾と京都は近いので、離れた神戸となった。両者とも深い湾であり港としてのじょうけんは申し分なかった。平清盛が福原(兵庫)を交易都市にしたが港の機能は全て大坂の堺に移っていた(p42)
・平安時代になって天皇家の菩提寺とされる泉涌寺が東山に建立されたあたりから火葬が当たり前になった、明治になり神道が復活すると神仏分離と廃仏毀釈により、土葬が復活して、昭和天皇まで土葬が続いている(p54)
・日本書紀は漢文で書かれているが、現在の感覚で言えば日本史を英語で書くようなイメージ、国際的・対外的に日本の歴史を書き記したものあ。古事記は漢文で書かれていながら、全て当て字で、ひらがなやカタカナの原型である万葉仮名を用いていて、古代の日本語でしっかりと書かれている(p58)
・神道は死の穢れを一番に嫌う、その役割を担ったのが武士で、天皇や貴族は自らの手を血に染めることはなかった、これが日本史の重要なポイントになる(p64)天皇と朝廷にとっても、汚れ役がいなければならなかったので、鎌倉幕府の成立以来、朝廷が放棄した軍事・治安権を幕府が担う形になった、室町、戦国、江戸の時代続き、700年間預かってきた日本の統治権を天皇に返したのが大政奉還である(p67)
・貴族の女性にとって、美とは何かというと顔形の作りではなく、髪の毛出会った。普通、顔は檜扇で隠されているから見ることができない、髪の毛がいかに艶やかで、黒々として、長いかが美人の条件であった(p76)
・神道でいう神とは、「必ずしも人間でなくてもよく、普通ではみられない極めて優れた特質を持っているもの」というもの、優劣ではなく卓越した、尋常な特質を持ったものが神である。なのでいい神もいれば悪い神もいる、人間だったものが神になることもあれば、1000年の樹齢のある杉の木、長年の人々の暮らしに寄与してきた川の流れが神になることもある(p87)
・古来、日本の三大疾病というと、結核・脚気・糖尿病がある(p92)
・朝廷と幕府、貴族と武士が文化と軍事を分担していたように、神道は現世、仏教は来世を担うような棲み分けになっていた(p107)
・明治時代になって神道の神前結婚があるが、江戸時代は基本的には人前結婚式である、仏教では婚礼をあげるのは浄土真宗のみ(p108)
・戦国時代において遊女と関係を持つことはさほど恥ずかしい行為ではなかった、梅毒が入ってくるまで遊女自体を蔑視する風潮がほとんどなかった、現代のモデルやファッションスターのような存在であった(p112)
・欽明天皇は、蘇我稲目と物部尾興に仏教について意見を聞いた、賛成派の蘇我稲目に仏像を託し、寺を建てた。これは日本で最初の寺である。その直後に天然痘で人が死に始めた、物部尾輿は欽明天皇に了解を得て、稲目の建てた寺を焼き払って仏像を川に捨ててしまった。これを見つけて持ち帰った者が建てたお寺を、名前(本田善光)をとって、善光寺という名前がついた(p130)
・天平9(737)ねん、流行していた天然痘に、藤原4兄弟が立て続けに罹患して死んだ、天然痘は全国に波及して総人口の3割(100万人)が死んだ(p136)これは長屋王の祟りと思い、東大寺の大仏建立となった(p137)
・薩長同盟は軍事同盟ではなく、「長州は朝敵ではない、その無実を晴らすために薩摩は全面協力する」という内容で、友好条約に近い。しかし孝明天皇がいる限り「長州は朝敵」という汚名が覆ることはない。孝明天皇が崩御し、後をついた明治天皇の母・中山慶子が長州支持派であり、長州の立場は180度好転する(p139)
・人口が増加しない要因は、飢餓・戦争・疫病である。(p163)
・欧州はコロンブスらによって梅毒をもらうが、アメリカ大陸でペストを蔓延させている、免疫のないアメリカ大陸の先住民たちは、欧州が梅毒に罹患したように次々とペストや天然痘に感染し、現地の半分くらいは入れ替わった(p169)
・カトリック教会へのふしんは、聖書を各国の言語に翻訳することで聖書の教えを確認しようとする動きへとなった。イギリスではジョン・ウィクリフが英訳、チェコのヤン・フスはチェコ語、ルターはドイツ語に翻訳した。これは現教会を否定することになるので、当然異端審問にかけられた。ウィクリフやフスの聖書は写本でしか出回らず、普及したのは活版印刷によるルターのもの(p175)
・欧州人はペストには免疫がありペストにかからない、すると先住民からは欧州の白人たちは神であると信じられるようになった。(p177)
・治療薬が出回るまでに相当な時間がかかるとみられているので、注目されるのは血清療法である。血液を試験官にいれ、遠心分離機にかけると血液の濃い部分と上澄部分に別れる、この上澄部分を血清という(p206)これを発見したのは、北里柴三郎という、2024年からの新千円札の肖像に採用されることが決まっている(p206)
2020年12月28日作成 -
Posted by ブクログ
ネタバレ元々、明智光秀や織田信長、豊臣秀吉、本能寺の変に興味があって、他の本や小説を読んでいたら、多くは聞いたことのある内容であるけど、とても簡潔で読みやすく、まとめがあり、小学生も歴史好きなら読めるだろう。
歴史小説をたくさんは読んでないけど、今のところ歴史上で一番好きなのは明智光秀。
他の歴史人物でもそうだが、リーダーを支えるデキル人に共感が湧く。
明智光秀が出てくる小説を何冊か読んだ。
人物についてや、謀反を起こした経緯。
小説ではさまざまな見解があるけど、何らかの資料、史料を参考にしてみんな考察して想像したんだろうな。
この本では、他にもいろいろ重なるけど、四国説(信長と長曾我部元親の仲裁を明智光秀が行って、友好関係を築いていたのに、信長が裏切り、光秀が止めようとした)が有力になってきている。
…と言ってもやっぱり事実はわからないんだけど、明智光秀本人に聞けるなら聞いてみたいものだ。
もっと史料があれば!
でも、こうやって想像の余地があるから面白いんだろうなぁ。