本郷和人のレビュー一覧
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古代最大の戦いと言われる「壬申の乱」と、日本史上で最も有名と言っても良いと思います「関ヶ原の戦い」が同じ場所で行われたと記憶していましたが、この本を読んで、更に室町幕府を確立させた「青野ヶ原の戦い」も同じエリアで行われていることを知りました。
関ヶ原と言えば、新幹線が冬の季節に雪のための徐行するエリアというイメージしかありませんが、あの場所は、日本の東と西の境目なのでしょうかね。久しぶりに面白い歴史解説本に出合いました。時間を見つけて、関ヶ原の地を歩いてみたいと思いました、この40年間、通過ばかりしていましたので。
以下は気になったポイントです。
・関所は3か所あった、越前国・愛発関(福井県敦賀市付近)、伊勢国・鈴鹿関(三重県亀山市付近)、美濃国・不破関(岐阜県関ケ原町)、それぞれ、北陸道・東海道・中山道を通ってくる敵を食い止める防衛拠点であり、東から反乱分子がやってくると想定していた(p18)
・神武天皇が紀元前660年に即位したことにするために、日本書紀では神武天皇の崩御が127歳等、初期の天皇の寿命を科学的とは言えない長寿にせざるを得なくなった(p21)
・現在では、東京と大阪を結ぶラインが大動脈であるが、古代の日本列島は、博多と都(京都)を結ぶライン。交易が盛ん以外に、農業生産力が豊かであった(p25)
・蔑まされていた東の勢力が富の再分配を求めて西の勝負を挑むという構図が、8世紀から16世紀までの日本史の基本的なトレンドである(p28)
・戦いには、戦争に勝つための「戦略」と、戦闘に勝つための「戦術」がある。前者を総合的・長期的な計画・手段とすれば、後者は、限定された戦場において勝利するための具体的・実験的手段である(p34)
・応仁の乱によって将軍家の無力さが暴露されたので、代わって実権をにぎったのが細川氏(東軍)、それまでは、斯波氏・畠山氏・細川氏の三家が持ち回りで、管領に着くことになっていたが、これを機に独占した、山名宗全らの西軍は室町幕府の実権を奪取できなかった(p37)
・壬申の乱(672年)において、大海人皇子(後の天武天皇)が本営を置いた和ざみ(わざみケ原)こそ、のちに関ヶ原と呼ばれる原野である(p57)
・天武天皇は、即位した翌年、不破・鈴鹿・愛発の三か所に関所を置いた(p63)
・壬申の乱は、天皇の長子と弟が国を二分して争った戦いであり、この後、日本という国の姿は大きく変わった、大王(おおきみ)から天皇(すめらみこと)となり、天皇を讃える神話(日本書紀、古事記)が作られた、日本国という国号もこのころに作られた(p65、66)
・平清盛は、武家で初めて太政大臣になったが、内大臣から直接なっている。鎌倉幕府三代将軍は、内大臣から右大臣に昇進している、暗殺されなければ本筋の出世コースを辿って太政大臣となり、格式では超えていただろう。武家で最初に本筋コースで太政大臣になったのは、室町第三将軍、足利義満である(p72)
・後鳥羽天皇は、比叡山に逃げて尊氏に降伏し、三種の神器を尊氏に引き渡す。足利尊氏は、持明院統(北朝)の天皇を担いで室町幕府を開く(p80)
・武蔵国の国衙は現在の23区内ではなく、府中市にある、聖武天皇の命による国分寺も、現在の国分寺市に造られた。武蔵国で随一の武士団は、、平氏一門である、秩父党である。(p91)
・1338年の正月に行われた、青野ヶ原の戦いの歴史的意義は、南朝の軍勢が壊滅し、南北朝の戦いにけりがついたこと。つまり北朝が勝利して武士の世が到来した(p97)
・北畠親房が「神皇正統記」を書いたので、明治政府は南朝の正統性を主張しなければならなくなった。明治の元勲が尊皇攘夷を掲げて、江戸幕府を倒したから。尊皇攘夷のルーツは水戸学、それによれば南朝が正統である(p101)
・三種の神器は少なくとも三セットある、1)後醍醐天皇が常良親王に持たせたもの、2)後醍醐天皇が足利尊氏に降伏して自分が持っていたものを、北朝の光明天皇にわたしたもの、3)後醍醐天皇が隠し持っていたもの(p103)
・日本列島は、都と鄙(ひな)に分かれていた、都とは、基本的に京都を指すが、現在の中部・近畿・中国・四国地方が含まれる、鄙(ひな)は都から離れた田舎のこと、東北地方・関東・九州地方を指す、都は将軍が支配、鄙のうち関東地方(10か国)は、将軍から諸権限を移管された「鎌倉公方」が行っていた、東北地方は直轄地であったが、1392年からは鎌倉公方所管となった、鄙では、地域の有力武士が守護に任命された(p111)
・都にも守護が配置されたが、足利将軍家の一族(細川、斯波、畠山)であった。例外は、土岐や赤松氏、彼らは幕府の政治に参加していた。こうした都の守護大名が戦ったのが、応仁の乱であり、鄙の守護たちには関係がなかった(p112)
・立花宗茂と小早川秀包らの一万あまりの虎の子軍勢を、突然反旗を翻した大津城の京極高次に向けてしまった。このエース二人が加わっていたら、島津・小早川秀秋も西軍について、西軍が勝っていた可能性もある(p130)
・全国に守護を配置、荘園に地頭を置く権利を朝廷から認められた、1185年を鎌倉幕府の開府と考える(p150)
・江戸幕府は、関ケ原の戦いの後、関ヶ原ではなく、伊勢と彦根に防衛ラインを引き直して、東国と西国の新しい区分けをした。伊勢(津藩)には藤堂高虎、彦根には井伊家を置いた、これは敵は西からやってくるという想定で防衛ラインを固めた(p160、180)
・日本で起きた宗教戦争で何万という犠牲者が出たのは、キリスト教が伝来してきたときのみ、多神教の日本では、神様と仏様は仲良し(p185)
・白村江の戦いの敗戦が壬申の乱につながり、元寇がきっかけとなって鎌倉幕府崩壊に至る過程で吉野が原の戦いが起き、朝鮮出兵の大失敗により関ヶ原の戦いが起きた(p188)
・日本のポツダム宣言受諾が遅れていたら、アメリカ軍の九州上陸、ソ連軍の北からの上陸により、京都を中心とする象徴天皇制の日本国と、東京を首都とする大統領制の東日本社会資本主義国に分かれた可能性もある(p192)
2019年4月7日作成 -
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歴史とはもちろん、過去を知る学問ではあるだろう。でも来し方を知り、考えることが行く末を思うことにつながるということを深く考えさせてくれた一冊だと思う。面白かったねぇ。歴史って、知識とか教養という面で意味があると、漠然とながらどこかで思っていた気がする。本書を読むと、それをいかに生かすか、日常の仕事への姿勢を考えるか、大きく助けになる存在であるように感じた。
日本では、知の巨人が生まれなかった、とか、世襲の生ぬるさがあってはいるだろうけれど・・・なんてあたり、いろいろ考えさせられたね。今ある身の回りから、ここまでやったら、もういいだろう、なんてことは通用しないんじゃないか、と思えたね。俺自身、世襲で今の仕事やってるけどさ(苦笑)。ここから先、自分がどこに、どこまで進めるか。考えさせられるだけ、強い刺激になったと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書は、河出書房新社の藤崎氏から一字の題を出してもらって、著者がほぼ即興で話を展開するやりかた。いわば落語の三題噺のように客席から『お題』を出してもらい、それを取り込んで即席で話を展開するのと同じ手法で、本の編集をしたそうである。
著者曰く、「一つのことをひたすら追い求める、という緊迫感には欠けるが、多方面に茫洋と広がる心地よさは演出できたのではないかと自賛している」
<目次>というか、取り上げたテーマは、
「信」「血」「恨」「法」「貧」「戦」「拠」「三」「知」「異」
上記の言葉をテーマに話が多岐に渡り展開していくのが、これまでにない歴史の切口として面白い。
特に「異」に関しては、著者の主張が熱く繰り広げられる。
異とは外国のことであり、古代~中世においては唐・宋等の中国であり、中世戦国においてはキリスト教の欧州の国々であり、幕末においては黒船、戦後においては米国を中心とする連合国である。
異と接触した時にのみ緊張し改革や革命が起こるが、異との接触をしない合間は、平和な世襲制がはびこった「ナアナア的」な中だるみ状態が続く。
また著者は、異との接触の一例として、中国から科挙を取り入れなかったためエリート官僚が育たないで貴族が官僚を兼ね、それが世襲制に繋がり、現代まで影響していると糾弾する。
面白い話として、哲学者のコジューヴが、パリの高等研究実習院で、「人間の歴史は日本の歴史を見ればわかる」と講義している。
どういう意味かと言うと、日本の歴史を見れば人類の歩みがわかる。なぜかというと、日本は異との戦争がない。つまり侵略されたことがほとんどない。だから「人間が侵略されずに、自然状態のまま進化していくとどうなるか」ということを知るためには、日本の歴史が貴重な例になる。「世界が学ぶべき日本史の価値はそこにある」
ただ、著者は言う。「しかしその反面、激烈な歴史はない。日本では虐殺のようなことは起きず、むしろ貴族社会のように非常にぬるい歴史がある。これは私が繰り返し言ってきたことですが、そのために日本社会では、才能の抜擢があまり見られないで、世襲制が幅を利かせている」と、世襲制には手厳しい。
以前に読んだ丸谷才一と山崎正和との対話した「日本史を読む」では、「日本と中国との関係、というより関係の不在の歴史であった。関係より関係の不在が、より多く日本を作ってきた」とその不在が日本文化の形成に非情に良かったと評価している。
皆さんはどちらの考え方に共鳴しますか? -
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関ヶ原の戦いにおいて、家康が本陣を置いた桃配山の由来が壬申の乱にまつわるという話から、このエリアの重要性を日本史における外圧と大きな転換点を考察する興味深い一冊。
長い歴史を踏まえ、著者ならでは鋭い考察に注目です。
▼律令時代の朝廷の儀式「固関(こげん)」(大事が起きたとき、関所の防衛をすること)
・三関
①越前・愛発関(あらちのせき、敦賀市)
②伊勢・鈴鹿関(亀山市)
③美濃・不破関(関ケ原町)
・朝廷にとって仮想敵は東。この3つの関の東側が「関東」
▼東の勢力が西に攻め上がろうとする時に、両者がぶつかり合う場所こそが不破、つまり関ケ原
地名(不破=やぶれざる)も何やら因縁めいている
・西国・西軍=官軍、天皇を担いでいたり、天下人が率いていたりする軍勢という形が多い
・東軍=中央政府の利益を再分配させることを狙った反乱軍であることが多い。西国の豊かさを奪い取るために中央政府に挑む
▼中世、山間部にエリート武士団が本拠を持っていた。農作物が水による被害を受けにくい、敵から攻められた時に守りやすいという地政学的条件が考慮された
▼将軍権力の二元論
将軍権力はふたつの権力-主従制的支配権と統治権的支配権-から成り立ち、ふたつが車の両論のように機能して、権力を形成しているということ
▼3つの戦いから見えてくること
①壬申の乱
・「天皇」の誕生
・国外重視から国内重視の政策に大きく転換、唐に対する外交のなかで、はじめて国号「日本」が使われる
・不破、鈴鹿、愛発に関所が置かれ、それまで曖昧だった日本の東の国境が画定
②青野ヶ原の戦い
・武士の世の誕生
・鎌倉幕府は天皇から政治権力を奪ったものの、経済力は強くなかったが、この戦いで室町幕府軍が勝ったことにより、将軍権力が確立。将軍が任命した守護大名の強大な力に、貴族は及ばなくなる
③関ヶ原の戦い
・日本は統一国家となる
・外交重視・重商主義から内需拡大へと転換
・鎖国へ突き進むと同時に、関東や東北が開発
・都が京都・大阪から江戸へ、日本列島の中心が西から東へと移り、日本という国家の領土は倍になった
▼江戸幕府は関ヶ原の戦いの後、関ヶ原ではなく、伊勢と彦根に防衛ラインを引き、東国・西国の新しい区分けをした。
家康は、どのような勢力か分からないが、敵は西からやってくるという想定で防衛ラインを固める
・まずは伊勢(藤堂家の津藩)と彦根(井伊家の彦根藩)で迎え撃つ
・突破されたら拠点として尾張に名古屋城(御三家筆頭・徳川家の尾張藩)を築く
・北陸から大回りして東に攻めてくることも想定して、福井城に親藩(松平家の福井藩)を入れて防備を固める
・日本地図で見ると、福井と名古屋を結ぶラインは「日本列島のくびれ」ともよぶべき本州のウエストラインであり、越前・美濃・尾張をしっかり守れば、西からの侵略を防ぐことができる
・尾張を突破された場合、江戸を守る絶対防御ラインは箱根(小田原藩)。小田原藩主は歴代譜代大名(大久保家→阿部家→稲葉家→大久保家)
▼日本史は日本だけでなく、東アジアの中での日本という視点で見なければならない。
日本の歴史が大きく動くのは東アジアとの関係が激変し、危機感が強まった時。
・日本に残されている史料は世界一豊富→ヨーロッパのような激しい殺戮や破壊がなかった
・比較的穏やかな国情から生じた慣行が世襲。
▼日本の歴史に大きな変化がない理由
・1つは多神教の国だから→宗教戦争がほとんど起きなかった
・一神教は伝播力が強く、意見の違う陣営間で言い争いが起きる歴史、一方で科学が発達、産業革命が起きる
▼外圧が危機意識を高め、歴史を動かす
・黒船来航→明治維新
・白村江の戦い+壬申の乱→天智・天武天皇による天皇を中心とした国づくり(「天皇」の誕生、律令制)
・元寇→鎌倉幕府の滅亡→青野ヶ原の戦い
・豊臣秀吉による朝鮮出兵の失敗→豊臣政権の崩壊→関ヶ原の戦い
▼天皇の存在の必要性
・天皇が荘園制という土地制度の頂点に立っていたから。将軍は朝廷が生んだ荘園制を超える制度と体制を持てなかった
・天皇が仏教や神道の頂点に立っていたから。将軍は仏教や神道に代わる宗教的権威を持つことができなかった
<目次>
序 章 なぜ関ヶ原(不破)だったのか
第一章 壬申の乱
第二章 青野ヶ原の戦い
第三章 関ヶ原の戦い (1)その構造
第四章 関ヶ原の戦い (2)歴史的意義
終 章 歴史が転換する時 -
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ネタバレ<目次>
はじめに 日本史はひとつではない
序章 ここだけの話
第1章 神話と統治
第2章 祭り上げの政治技術
第3章 武士と武芸の源流
第4章 「日本国」意識
第5章 絶対王政・室町幕府
第6章 朝廷は下剋上で輝く
第7章 鎖国と米本位制
第8章 明治維新はブルジョワ革命だった
終章 日本人と天皇
<内容>
最近露出の多い、東大の本郷和人と京都大出身の井上章一(本職は建築史だが、世界史に造詣が深く、『京都ぎらい』で一躍有名に)の日本史対談集。やや暴走気味に歴史の妄想を語る京都史観の井上氏に、東京史観の本郷氏が斬り返す(ただ、後半はかなり押され気味)。井上氏の発想の豊かさに感服し、日本史の常識がたびたび覆されるのが、本書のポイント! -
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ネタバレ<目次>
まえがき
第1章 「ヤマト」の時代~平安朝
第2章 上皇による専制~白河・鳥羽・後白河
第3章 専制からシステムへ~承久の乱がもたらしたもの第4章 朝廷と幕府~御嵯峨上皇の院政を例に
第5章 古文書から読み解く院政~官宣旨から院宣へ
第6章 上皇による徳政の変容~両統迭立期から南北朝だ第7章 存在を脅かされる天皇・上皇~バサラ・義満・信長
第8章 権威としての復活
終章 近代天皇制の中で~終身在位する天皇
<内容>
来年の4月で「平成」が終わる。そこで問題視されてきた天皇の退位。近代の「皇室典範」では「終身在位」が全て。その中で「上皇」となるわけだから、大いなる問題だった訳だ。この本は、その「上皇」を歴史的に分析したもの(本郷さんの専門の一部らしいし…)。なかなか示唆に富むことが書かれている(気づかなかったこっちが勉強不足なだけだが…)。院政の始まりである平安末期は、システムとしては未熟で(当たり前だが)、システムができるのは鎌倉後半。どんどん天皇・上皇の意味付けが低下した戦国期を経て、秀吉のあたりから再浮上し、江戸時代の「国学」の台頭から「尊王攘夷」となり、明治期は「立場上トップだが、政治参加しない」のが天皇の位置づけだった。
現在の「女系天皇」が意味するものも理解できたが、近い将来に「男系」のみでは破綻するのは必至なことも分かった。
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ネタバレ壬申の乱(大友皇子VS大海人皇子)、青野ケ原の戦い(高師冬など北朝武士団VS北畠顕家など南朝の奥州武士団)、そして関ヶ原の戦い(略)が、ほぼ同じような場所(不破=青野ケ原=関ヶ原)で行われたことをテーマに、日本の西国と東国の地域差、そしてこれら3つの戦いの後、歴史が大きく変わったのはなぜなのかを、俯瞰的に解き明かしたもの。歴史の読み方の入門書としても、良作だと言えるだろう。
惜しむらくは、入門書的な位置づけをしているせいか、関ヶ原の戦いに関して最近よく見かける「小山評定の有無」「メッケルの『西軍勝利』発言の有無」はこれまでの通説を踏襲し、「関ヶ原の戦い本戦の戦闘時間」についてはスルーしている点。まあ、本書の視点には直接関係ないからいいけど、上記説についての本郷氏の見解を聞いてみたいなあ。 -
Posted by ブクログ
歴史を時系列の流れのみならず「意味」で捉える面白さを実感した。地政学的な重要性は多少時代が移ったとてなかなか大きくは変わらないわけで考えてみれば当然なんだろうけど、非常に面白かった。古代〜中世は好きなんだけどそれ以降、室町〜戦国時代のように多くの武将が錯綜する頃の歴史に明るくないので本書を読んでもっと丁寧に歴史の流れをタテヨコで眺めてみたいなと思わされた。
読み進めてワクワクする歴史の本に出会えるのは嬉しい。
学生の頃あんなに日本史が嫌いだったのに、実はこんなに面白かったのかと気づかされる度にどうも損してきた気がしている。でも高校の日本史教科書とか、ほんとにつまらなかったのを覚えてる。あれはわざと面白くないとこばかりピックアップして編集してたんではないだろうか。
個人的には「大黒屋光太夫に謝れ」(p.174)にツボったw -
Posted by ブクログ
著者は東京大学史料編纂所で「大日本史料」第五編の資料集の編纂が仕事。建長年間(1249~1256)の史料を読んでいる方。天皇・宗教・土地・郡司・地域・女性・経済の7項目を選びその「時代の流れ」を把握すべく本書を書いた。項目ごとの移り変わりがすっきりとし、また相互のかかわり具合もわかった。教科書とはまた違った著者の見解はおもしろい。・・と言って読んでる時は分かったつもりでも右から左に抜けてしまうのでメモ。
メモ
〇天皇 皇位継承がタテに繫がると安定、横に伸びると騒乱。親から子に継承されるともめごとは起きず、兄から弟、甥とかになると壬申の乱のように騒乱が起きる。当初は政治も行っていたが江戸になり権力は最小に。白村江の戦い、幕末、昭和の敗戦、と日本が「外圧」に晒されると、新しい期待を担って「ヴィジョン」(未来図)を掲げる。その時のシンボルになるのが天皇だった。
〇宗教 基本は「八百万の神々」の多神教で「安定&まったり」。外からいろいろな宗教が入り込んでもどんどん取り込み現地化する。世界的に古くからあるのは多神教で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教は中東の厳しい自然の中で生まれ、正しい神は一つで非常に伝播力が強い。
8世紀初めの記紀神話で天皇が他の豪族より卓越した存在であると担保し「神道」の基礎ができた。が、大仏建立など仏教も天皇家により受容された。が仏教と政治が密接に結びつき教義の研究などより、形骸化した儀式を重んじ「おまじない化」した。
明治維新では天皇を中心とした新国家づくりに、神道を持ってきたが、もともと多神教なのに天皇中心の一神教的体裁を整えた。が結局は江戸以来の葬式仏教と、建前としての天皇教が共存することになり迷走。そして昭和の敗戦により天皇教が否定されると宗教そのものの軽視が起きた。
〇土地 律令の公地公民は理想であって、「実態」はなく土地を開いた者がその土地を自分のものにするという「現実」を「墾田永年私財法」で追認した。荘園は権利が京と在地と幾重にも重なっていたが、鎌倉室町でもそれは同じだった。それを乗り越えたのが戦国大名で、自領の土地所有はその地の戦国大名が武力により保証し中央に税を払うことも無い。これを全国規模で、一元的な統治能力による、所有権の保証を実現しようとしたのが織田信長だった。
〇軍事 戦国時代になると戦は国を賭けたものとなり、兵器を整え、足軽などの兵力を維持するにもお金が必要。つまり国が豊かでなければ戦争には勝てない。優れた戦国大名は優れた経済感覚を持った経営者だった。
〇地域 古代では進んだ文化は常に西から来た。朝廷のある狭い地域が畿内。それ以外は異界の地。日本の歴史は東と西をいったりきたりしながら進んできた。西(朝廷)~江戸幕府(東)~明治維新(西からの逆襲)~東京
〇女性 エマニュエル・ドットの家族類型論では、最も原始的なのが「核家族」で子供は結婚すると独立し親元を離れる、次に男子が一人相続人となり財産を受け継ぐ「直系家族」となり、最後に父親の元に男子の家族たちが同居する「共同体家族」となる。
日本では女性は政治の外側に置かれていたが、制度の外側で、イレギュラーな力を行使する存在として恐れられた。薬子、北条政子、日野富子、大奥など。・・恐れられた、とはまさにレギュラーなものが男性ってことですね。
〇経済 1225年から1250年の間に日本全体に貨幣経済が浸透した。が、鎌倉では売れるものが無かった。そこで室町幕府は金と物が集まる京都に置いた。信長が京都をめざしたのも同じ。江戸幕府が開かれたことで江戸と大阪と二つの経済の中心ができ文化も花開いた。
まとめとして、今の東京一極集中は京都中心だった室町幕府の東京版ではないか。次に来るべきは東と西、日本の各地がしのぎを削る、経済・文化の群雄割拠時代ではないか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ著者は最近よくTVのクイズ番組で見かけるのでチャラチャラした人物かと思っていたら、本職は「大日本史料」の第5編という史料集を編纂することで、そのため来る日も来る日も建長年間(1249~1256年)の資料を読んでいる真面目(?)な東大教授でした。
その本職から離れて、歴史学によって「むかし」を知ることを「いま」に結びつける、という過程の中で、歴史はどういうベクトルで動いているかを知るために、つまり日本の古代~明治以前までの流れを把握するために、「天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済」の7つの観点から、歴史の流れを捉えている。
読んで驚いたのは、本当に「ツボ」と思われる箇所をしっかりと押さえ、新しい歴史の見方を分かり易く解説しています。
一部下記に紹介します。
天皇
何故「天皇」が出来上がった?⇒白村江の敗戦による「日本ブランド」の確立???(詳細は本書をお読み下さい)
結果論ではあるが、白村江、幕末維新、昭和の敗戦と日本が「外圧」による危機に晒されたとき、新しい「ヴィジョン」を掲げる。それが日本の歴史における天皇の役割だと言えるかも知れない。
宗教
神道と仏教はどちらも天皇家によって、形成され受容されていた。
また、日本の宗教は政権と結びつくことによって、形式化して本来の内容を失った。
明治政府が打ち出した方針は、天皇を中心とした国家づくりを、思想的に補強するために、仏教や儒教といった外来の宗教ではなく、日本古来の神道を持ってくることでした・・・(略)・・・しかも明治維新でいきなり表舞台に引っ張り出されるまでは、肝心の天皇はむしろ仏教との繋がりの方が強かった。そこで、邪魔な仏教を排除しようとしたのが廃仏毀釈でした。
具体的には、天皇・皇后などの葬儀も、聖武天皇(724~749年)から江戸末期までずっと仏式で行われていて、神式でやるのは、明治以降のことだそうです。
土地
日本の土地制度の歴史として、教科書などでも最初に登場するのが、「律令制」であり、「公地公民」です。著者は、「実態とかけ離れたフィクションに近い説明なのではないか」と、この記述に異論を挟む。
この時代の政権は「そこに書かれている内容を実現できるだけの行政システムもなければ、インフラも未発達、支配の対象となるような公民というまとまりも未だ成熟していなかった」
以上内容の一部を紹介しただけですが、新しい切り口からのアプローチが面白く、本当に歴史を理解できた(?)ような心境になります。