本郷和人のレビュー一覧

  • 東大教授がおしえる やばい日本史

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    日本史を簡単に教えてくれる。

    忘れてた事も改めて理解したけど、そんなに特別な事を教えてくれる訳では無いですね。

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    2026年05月29日
  • 東大教授がおしえる やばい日本史

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    歴史上の人物の「すごい」偉人たちの「やばい」が、日本の歴史とともにザックリわかる!
    上から目線の聖徳太子、清少納言に夫をバカにされてブチギレる紫式部、借金を踏み倒す野口英世などなど
    これを読めばもっと日本史が好きになれるかも知れない!?

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    2026年05月16日
  • 北条氏の時代

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    武士の世を築いたのは源頼朝だけではなかった。その陰で実権を握り続けた北条氏の姿を描き出す。将軍を支えながら、ときに抑え、ときに動かし、鎌倉幕府という不安定な政権を百年以上支え続けた。華やかな英雄ではなく、現実を見据え、秩序を守ろうとした統治者たちである。だが権力は安定を求めるほど硬直し、やがて時代の変化に追いつけなくなる。歴史を動かすのは、名を残す英雄だけではない。表に立たずとも時代を支えた者たちの決断の積み重ねが、日本の形をつくってきたのである。

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    2026年05月15日
  • 軍事の日本史[新装版] お金・戦略・武力のリアル

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    鎌倉時代から安土桃山時代までをメインに、歴史上の戦いを戦略・戦術・兵站・大義名分というテーマで分析し、それらの戦いのリアルな姿を浮かび上がらせようという一冊。

    特に期待したのは戦術・兵站に関する部分でした。鎌倉時代から室町時代ぐらいまでは装備としては刀、槍、弓矢ぐらいしかなく、安土桃山時代になってようやく火縄銃が登場します。刀・槍・弓矢がメインの戦場とはどういうものなのか、その辺りの記述を期待して読んでみました。当時は侍のような職業軍人なら刀を抜きあって殺し合いができたとしても、農民をかき集めて戦場に送り出しても、なかなか人を切り殺すという行為はできなかっただろうとの事。そこで、長距離から攻撃できる槍や弓矢、そして鉄砲が戦いの構図を塗り替えたとの指摘は腑に落ちます。

    兵站に関しては、やはり軍を飢えさせないためには「100石=3人」というのが現実的との事。約1万人の軍勢を一か月運用しようとすると、馬や武器のメンテナンスを含めると現在の金額に換算して1~3億円はかかるだろうと。これだけの出費をしてでも戦うのか否か、という判断が求められたということです。

    また、士気を高めるための”闘う大義名分”が重要というのは頷けます。やっぱり兵士一人一人が”こんな事してていいのか?”と疑問に感じながら戦うのでは、勝利はおぼつかないでしょう。その考察に、将軍や天皇といったかつての日本の社会の権威の存在など、多面的に考察されています。

    日本国内の軍事に的を絞った著書なので、言及はありませんが、本書の考察をイラン攻撃に踏み切ったアメリカに適用すると、トランプ氏の戦略には、かなり無理があるように思えます。
    大義名分、闘いの目的もトランプ氏がコロコロ変えてしまうので、”闘い”の定義があいまいで終わらせ方がよく分かりません。ダラダラと長期戦になだれ込んでいる今、あれだけの規模の軍隊をアメリカ本土から遠いペルシャ湾近辺に展開しつづける費用は相当なはず。トランプ氏の戦略の何がおかしいのか、本書が明確にあぶり出しているように思えました。

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    2026年05月07日
  • 「ナンバー2」の日本史

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    ボリューミーな本だった。
    過去から日本のNo. 1、No.2での血生臭い抗争はあまり多くなく、家制度を前提にその恒常化を目指していたのだろう。
    No. 2の美学のように文化的にもなりやすい。

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    2026年04月10日
  • 歴史をなぜ学ぶのか

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    歴史学者の本郷和人による、日本史を学ぶことの意義を説いた一冊。

    本郷和人の歴史観を知ることができた。

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    2026年03月28日
  • 議論の日本史

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    さすが歴史学者の本郷センセイ。天皇と将軍、どちらが「上」だったのか。誰しも一度は気になった問題のはず。でもそうはいっても天皇が任命しているんだから、とは当然いかないわけで。

    誰が権力を持っているのか、幕府の成立年をどう考えるべきか、タコツボ化しているという専門家の世界は良いとは思えないけど、歴史にはいろんな視点があって良いと思う。

    もちろん、「証拠」や深い研究に基づかない、「政治」での主張はご遠慮いただきたい。

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    2026年02月07日
  • 日本史の法則

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    ネタバレ

    すごく自由にのびのびと語られているように思った。その点に個性があってよかった。
    非戦闘員を戦わせるために、豪傑が真っ先に敵陣に攻め込むことが重要になるという古い時代の戦場の話が怖かった。どうして農民が戦おうと思えるのか不思議だったけれど、考えてみればそうだ。こういった戦争の歴史においては「もしも」を考えることはかなり意味のあることだと私も思う。犠牲者を出さないために考え抜かなければならない。
    日本人と宗教の話も面白かった。宗教本来の厳しさのようなものが、日本では根付きにくいように思えるのが不思議。日本人はこれが普通だと思い込んでいて同調圧力もあるけれど、世界的に見れば特殊なのかもしれない。
    日本史を考えていくきっかけになるような本だった。歴史の可能性を探っていくような見方をしてみると、遠い過去の時代が身近な疑問に変わったりもして、興味が出てきた。そういう意味でよい刺激になった。

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    2026年01月29日
  • 豊臣の兄弟 秀吉にとって秀長とは何か

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    何故、豊臣秀吉は天下を獲れたのか?
    そして弟・秀長は如何に秀吉を支えたのか。
    信頼できる史料を元に考察し、豊臣政権とは何かを解説。
    ・まえがき
    第一章 秀吉の何が、他の武将と違うのか
    第二章 戦う秀吉は、なぜ強かったのか
    第三章 天下人with秀長
    第四章 豊臣政権とは何だったのか
    ・あとがき

    織田信長の後継と成るための全国統一。
    その後の秀吉と、弟・秀長の役割を中心にした解説。
    特に、農民出身であること。
    武士の原理、武士の「家」の重要視とは異なる思考。
    信長も織田家を考えていたが、秀吉には分からない。
    それ故の武士とは異なる考えは、武勇よりも
    デスクワークの能力を評価した。
    秀吉自身は信長の他の武士とは違う、切り取り次第の
    権限と兵站の発想をくみ取り、軍事の人として歩む。
    そして秀長は内政で彼を支えた。
    「家」という発想が面白い。
    実際、信長も家康も一族を重視していますが、
    秀吉は妹や母を人質にし、血族の殺略まで行っています。
    一方で、仕える家臣団がいた武士たちと異なり、
    能力で選んだ家臣団を形成しての大盤振る舞い。
    全体的に著者の考察が炸裂した内容となっています。
    あとがきの現在の日本史学への憤りも激しかったなぁ。

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    2026年01月17日
  • 日本史の血脈

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    本郷氏の最新本で、彼の本はこれで39冊目となります。新しい本が出るたびに興味ある視点で書かれていて楽しみです。今年のNHK大河ドラマは、豊臣秀長に焦点が当たる様ですね、豊臣秀長の存在を初めて知ったのは、数十年前に読んだ「堺屋太一氏」の本です、秀長が秀吉を長い間支援してきたことは知っていましたが、それ以外の兄弟には冷たい対応をしていたことは初めて知りました。

    世の中が激動の時と、平和な時で、日本は様々な考え方が交互に支配していた様です、現在は、平和から激動へ移り変わっていると思います、これからの日本を見ていく上で、覚悟をしなければならない時期に来ていると感じました。

    以下は気になったポイントです。

    ・ 豊臣秀長は秀吉にとって単なる弟ではなく、政権を安定させるために不可欠な存在であり、豊臣家にとって生かすべき「資産」であった。逆に言えば 情愛による保護ではなく、 権力の計算によってその生死が分かれていた、 それが戦国時代の現実であった(p5)

    ・「血脈」と「 家」 は 人々の人生を規定する強力な力であった、 どの家に生まれるかが将来を大きく左右し、 血筋の有無がその人の価値を決める。 だからこそ時に兄弟同士の激しい対立や 粛清を生み出した。 しかし 同時にそれは国家の安定や 社会秩序を支える制度でもあった。 この構造は 近代に入っても色濃く残った、 明治政府は 家族制度を設け、 血脈と家格を序列化して新しい国家体制に組み込んだ。 また戸籍制度は全ての国民を「家」に所属させ、家を単位とした統制を可能にした(p7)

    ・苗字とは 現在のファミリーネームに相当し 家の名前 すなわち 家名である、「氏」は名字 と考えられがちだが、歴史的には 古代の豪族や一族を指し 血縁や 政治的集団を表すものであった。 しかし 氏は後に「 苗字」 とほぼ同義で使われるようになっている(p27)

    ・ 中臣鎌足の死後、 その子供で不比等も「 藤原」を 名乗るようになる、 当初は 鎌足のいとこに当たる数名 も同じく 藤原を名乗っていたが、 朝廷の神事を 代々 取り仕切ってきた 中臣を絶やすわけにはいかないという事情から彼らは ほどなく 元の も名へ戻された。 結果として 新しい 藤原の名を背負い続けたのは、不比等ただ一人であった(p29)

    ・八色の姓は、上から順に、真人・朝臣・宿禰(sukune)・臣・連などがあったが、 最終的には「朝臣」のみが突出して残ることになる。理由の一つは、 多くの有力な種族が朝廷に貢献した 見返りとして 朝臣の姓を授けられたから(p32)

    ・ 源平藤橘の中で朝廷の中で「藤原」が増え過ぎた、これでは不便だということになり、藤原氏の中にある家ごとに名前を呼び分ける必要が生じた。これが現在の「苗字」の始まりとされている(p33)

    ・ 藤原道長は「ふじわら”の”みちなが」と呼ばれ、 名前の中に「の」 が入ることが多い、ところが 氏から苗字で呼ばれる時代になると「の」は消える 、氏を名乗るか、苗字を名乗るかは時代による違いがあった(p34)

    ・ 氏族の中でも、本家筋に当たる人々は朝廷と結びつきを維持して自らの氏である「平・源」を 名乗り続ける、 しかし地方に根を張った一族は「伊豆の 北条」「 相模の三浦」といった具合に、領地の地名を冠した家名を 生み出していった。 こうして 領地に結びついた家名を基盤とした武家社会の「家」という枠組みが成立した(p36)

    ・ 諱はその人の本名であるが、 本来「忌み名」と書くように人前では軽々しく口にしてはならないもの、 現在のように誰からも 公然と呼ばれるものではない。 おそらく 当時は名前には霊力が宿ると考えられていたためである。 上の立場のものが自分より下の立場の人間の「諱」を呼ぶことは ヨシとされていたが、 同じ立場の人間や部下が 「諱」 を呼ぶことは大変無礼であった。その代わりに呼びかけに使われたのが「通称」であった、 通称は同じ立場や目下の人間であっても上の人に対して気軽に呼ぶことが許されていた(p37)

    ・ 夫の苗字を名乗ることは、女性にとって単なる制度上の変化ではなかったのかもしれない、 これでやっと実家から離れられると安堵した女性も少なからずいたのではないか(p55)

    ・ 天皇に即位できるような 適齢の成人男性が 皇室におらず、次の天皇 候補がまだ幼い時代も起こり得る、 その場合、天皇 候補の男児の母親や姉が、 女帝として皇位につくことはあった。その常識を破った女帝が一人だけいる それが孝謙天皇であった、両親である 聖武天皇と光明高校の一人娘であり、 歴史上女性で唯一「 皇太子」を経て即位した人物である(p61)

    ・遊牧民 社会では 上の子供から順に独立して家畜を分け与えられるため、 最後に残った末子が家を作るという形が自然に生まれた(p71)

    ・ 同じ 平氏にもかかわらず自分たちの「主」は自分たちの声に耳を傾けてくれないし 動いてくれない、そんな 忸怩たる思いを抱えていたからこそ、 一所懸命の平氏たちは、 自分たちの言葉を代弁してくれる代表を探そうと努力する、 その結果 たどり着いたのが平氏と同じく 由緒正しい「氏」 を持つ、源頼朝というリーダであった(p77)

    ・1180年から85年に起こった治承・寿永の乱が「 源平の戦い」と呼ばれるように、 歴史上 源氏と兵士が対立していたと考えがちだが、それは実態とは異なる。「 常上(朝廷の殿上間に昇殿するする資格を持っていた)平氏+続いて身分が上であるとされた軍事貴族の平氏vs源頼朝+在地領主の平氏」の方が実態の構図である(p78)

    ・南部の拠点である青森県八戸と、 南部家に流れを汲む家に生まれ青森県弘前あたりで大名になると宣言した「大浦氏」が名前を改めて「津軽」の本拠地である弘前はずっと仲が悪く、今での両者の遺恨は続いていると囁かれている(p92)

    ・ 注目すべきは北条家が官位において徹底して「四位」で止めていたことである、 三位以上の公卿に登れば中央 貴族と肩を並べることになるが 北条家はあえてそこに踏み込まなかった、武士の立場を超えず 形式的には「貴族の下」に位置することを選んだ(p117)

    ・ 本気に準ずる 名門から嫁いできた女性の家が没落してしまうと、 それまで 跡継ぎとされていた長男の立場が揺らぐことがある。 新たに勢いを得た名門の家から 次男 や 三男の嫁として迎えられるとその女性が生んだ子が新しい 跡継ぎに選ばれる。 跡継ぎから外された長男を ただ 放り出すわけにはいかないので、代わりに領地や財産を分与する、 こうして成立したのが 足利家に対する、吉良家・今川家であった (p144)

    ・ 父を誅殺された伊集院忠真は、激怒し、 宮城県の都城 で 庄内の乱 という反乱を起こした、この軍勢が強力で 島津家は鎮圧に 多いに手間取った、その影響で 島津家は関ヶ原の戦いに十分な 兵を送ることができなくなり、 本来なら1万以上の兵を出せる力を持ちながら実際に送り出せたのは 2000程度にとどまった(p159)

    ・下克上は戦国時代といえども 数は多くない、 著者が知る限り最も成功した 下克上を果たした人物は、 肥前佐賀藩を納めた鍋島直茂 である、 秀吉が天下取りに必要な要素としてあげたのが、勇気・知恵 ・大気であった。大気とは、健全な野心である。秀吉は三要素のうち2つを持っていた人物が3人いるとした、直江兼続・ 小早川隆景・ 鍋島直茂 であった(p161) 動乱の時代であっても 、日本では下克上 よりも「 家臣も総出で 世襲の家をつなぐこと」が優先されていた。 日本という国は下克上を本当の意味で成し遂げる エネルギーに乏しい 社会であり、 世襲という力が圧倒的に大きかった(p165)

    ・ 系図には縦書きと横書きがあるが、古い系図 ほど 縦に書かれている(p180)

    ・ 秀長 非凡な人物ではあったが、何よりも 兄より一歩引いてわきまえて振る舞うことを心得ていた、 その姿勢があったからこそ 秀吉から 布教を買うこともなく生かされたのである(p200) 秀吉が大切にしたから 秀長は優れた人物だったというよりも、大切にされてたという事実が 秀長が秀吉にとって役に立つ人間だった証拠である(p201)

    ・なぜ日本では世襲が成立したのか、 それは日本が歴史的に見ても非常に「ゆるい社会」であったからである。 ゆるい 社会が継続できた理由は、 戦争や侵略に追い立てることの少ない 比較的穏やかな環境にあった 、また自然環境も温暖で過ごしやすいのも日本の特徴である(p225)

    ・ 日本で中華帝国を 模範とした 律令国家の形成がうまくいかなかった大きな理由は、日本には中国のような精緻な 官僚制度を支える、文化的基盤・運輸通信システムが欠けていた 、中国で 律令を支えた 慣習法・ 道徳 率が日本には当時 ほとんど存在していなかった(p231)

    2026年1月3日読破
    2026年1月3日作成

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    2026年01月03日
  • 恋愛の日本史

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    たしかに『源氏物語』を読んでいるとおおらか!今の感覚で判断してはいけないけれど。

    江戸時代のお偉いさんにとっては、理解できなくても仕方ないかな。
    でも今は全然おおらかじゃないけれど。

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    2025年12月18日
  • 東大教授がおしえる やばい日本史

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    歴史の勉強は好きな方だったけど、大人になってすっかり忘れてしまったので、少し学び直したいな〜と思い読みました。
    ゆる〜いイラストと、やさしい日本語で読みやすく最初の一冊にぴったりでした。

    戦国武将のかっこいいエピソードを知ると、より詳しく知りたくなった笑
    他の本も読んでみたいです。

    また、時代別にざっくりとパートが分けられているので、整理しながら読み進めることができたのも良かった。

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    2025年12月14日
  • 黒幕の日本史

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    黒幕だけあって、歴史好きの私でも知らない面々が多数…。
    それ故、新しい発見もあり面白い。

    とある天皇が黒幕(ウラ)なんて、なんて面白い観点だろうと唸ってしまいました。

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    2025年11月25日
  • 歴史をなぜ学ぶのか

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    歴史の本は特にだけど、源氏と平氏のところが、同じ平でも色々いたり、源氏も同じで源の〇〇というのが多すぎて、理解しにくい。藤原も同様。家系図とか見せられても、よくわからない。なんとかならんのだろうかといつも思う。

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    2025年11月14日
  • 胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス教養

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    国内外の戦いの歴史の裏話をまとめた短編集というべきか。
    現代を生きる我々を未来人とすれば、数々の戦争は、すべて過去の話である。
    過去ゆえに、未来人の我々からすれば、数々の戦いの歴史を単純化して見てしまいがちだ。
    何らかの理由があってどちらかが戦火を切り、お互いに死力を尽くして戦い、そしてどちらかが勝利した。
    まるでボクシングの試合のように、1対1で丸腰の条件が同じで、さらにルールが明確にあり、衆人環視の中で公平に戦っていたかのように錯覚してしまう。
    特に、私を含めて現代に生きる我々のほとんどが、戦争を経験したことが一度もない。
    前線での悲惨な惨状を見ることもなければ、戦争全体の戦略を考えなければいけない立場の指揮官でもない。
    ここで一呼吸置いて考えてみる。
    もしこれら過去の戦争の時代に、未来人の我々が生きていたら、どうだろうか。
    つまり、未来人でも、過去の人でもなく、数々の戦争が自分たちにとって「今」だったとしたら。
    おそらくすべての戦争において単純な話は一つもなく、様々な要因が複雑に絡み合う中で、何らかの理由によって戦うことになったのだろうと思う。
    本来は避けたかったのに、戦わざるを得ない状況に追い込まれることもあったかもしれない。
    逆に、収奪のチャンスと見て、奇襲作戦を仕掛けることもあっただろう。
    兵力が足りなかったり、軍備が足りなかったり、地理的な不利に追い込まれたり、様々な不確定要素があったはずだ。
    圧倒的な武器を開発したことで、近隣を制圧する機会を得たこともあったかもしれない。
    数限りない変数がある中で、どうやって戦ったのか。
    そして、どうやって勝とうとしていたのか。
    過去の戦争はほとんどが局地戦。(第一次大戦以後の戦争は、総力戦と言われている)
    一度戦争が始まったら、戦地ではまさに生きるか死ぬかの戦いが繰り広げられる。
    当時は、戦争が終了した後の、政治的な外交を考える余力はなかったと思われる。
    つまり、戦う以上は勝つことが前提で、負けることは死ぬことと同義であったと思われる。
    孫子の兵法は、数々の指揮官が参考にしたとされているが、現代のビジネスにも通じる考え方だ。
    そういう意味では、今のビジネス環境は、戦争の状況と似ているとも言える。
    国際規模の大規模な戦争ではなく、局所的な「戦(いくさ)」と捉えてみると、確かに現代のビジネス環境は共通点が多い気がしてくる。
    「ラーメン激戦区」などは普通に使われている言葉だが、まさにその場所で激しい戦いが繰り広げられていることは間違いない。
    限られたリソースの中で、競合他社に対して、我々はどういう勝ち筋を見つけ出していくか。
    その計画に対して、変動要素を上手くコントロールしながら、どうやって作戦を実行していくか。
    歴史を学ぶのは、それだけで意味がある。
    究極的には「戦わずして勝つ」ことが「戦略」である。
    自らもビジネス環境も含めて、想像を膨らませてみるのも、面白いものだ。
    (2025/7/21月)

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    2025年11月13日
  • 空白の日本史

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    歴史学者に本郷和人による日本史で空白とされている部分について説いた一冊。

    書籍に残っていない謎とされている箇所について丹念に説いていて、勉強になった。

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    2025年10月25日
  • 東大教授がおしえる やばい日本史

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    小5男子
    歴史の授業が始まる前に
    なんとなーくこの人の名前聞いたことあるなくらいには知識を入れておきたい
    成し遂げた「すごい」とそうなの?な「やばい」がわかりやすく面白く書いてある
    歴史が好きな人には物足りたいかも
    歴史を苦手になる前に歴史上の人物に親近感を持ってもらえたらいいかな

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    2025年10月18日
  • 日本史を疑え

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    歴史とは誰の物語か。教科書に載る日本史は勝者が紡いだ物語にすぎない。権威におごることなく別の視点、広い視野、深い読み解きから本当のところを絞り出す。英雄と称えられた者は策士にもなりうるし、悪人とされた者も時代の犠牲者かもしれない。史実は一つでも解釈は無限であり過去を疑うことは今を問い直す契機となる。疑いは懐疑でもなく好奇心の行動である。

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    2025年10月12日
  • 東大教授がおしえる やばい日本史

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    人名は覚えるかもしれない。でもやばい出来事で覚えるだけかもしれない。例えばうんち漏らした家康!みたいな。覚えてほしいのはそっちじゃない。

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    2025年10月09日
  • 「将軍」の日本史

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    丸暗記の歴史は面白くない。
    けど、ある程度年号は暗記したほうがいいかな、と思う。
    丸暗記時代の学生だったので、今でも語呂合わせでいくつかの年号は覚えている。
    それが他の国の歴史を学ぶときに、「日本はこの時代!」と役に立ったから。
    そして、強く訴えたいのは鎌倉幕府の成立は、イイクニ以外私的にはありえない。
    趣味で歴史を学ぶ私には正確な年号よりも、およそこれくらいの時期という認識で充分。だから、私はこれからもイイクニです。

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    2025年09月16日