本郷和人のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
歴史を私たちが覗くとき知るときは断片的な情報の羅列しか認識していない。本著では、そういう見方を改めて、「推理、自分なりに解釈」することを推奨している。
多くの人にとって学生以来、歴史という存在に目を向けないことは多い。今にも向いていない。漠然とした未来か、自己完結した過去しか見るしかなく、情報や知識や知恵を見るときの視点が少ないことが挙げられる。
本著はそうした視点を増やすのにはおすすめである。学生でも社会人でも多くの人にとって歴史は実生活でも多いに活用できるだろう。近代や現代の歴史を知るだけでも学びはある。私たちが今の日本を生きているのには先人達の様々な工夫や知恵や足跡の積み重ねの上に現在があることを知り、そして、今生きている私たちも未来の人にとっての歴史の一部であることを忘れてはならない。
本著はキャッチャーなタイトルではあるが、内容は質的で、様々な視点で物事を見る習慣を説き、推理力を鍛え、生活の事実と推理を用いることで便利になると示唆している。
私たちが知っている歴史も数年後には違う解釈や文献や研究が出来て違う歴史になるかも知れない。歴史は動かない史実と推理解釈可能な史実がある世界を知るだけでも本著を触り読む本として良書といえるだろう。 -
Posted by ブクログ
本郷氏の著作を読んだのは、これで42冊目となります。コロナ禍の2021年に呼んだもので、読み終えてレビューを書くのを忘れていて、部屋の整理で発掘されました。
私の社会人生活で言えることは「成功には運が味方することがあるが、失敗には必ず原因があり、それを直さないと必ず繰り返す」というものがあります、それだけに「失敗」から学ぶことは大事だと思います。この本は歴史上の有名な武将の失敗を本郷氏が解説してくれています。これを機に、本の中身を振り返ってみたいと思います。
以下は気になったポイントです。
・武士というものはまだ、朝廷に近づくと独自性を保つことができなくなる、という消極的な理由で、鎌倉が選ばれた。その点を克服したのが足利尊氏で「武家政権はそれなりに力を蓄えたので、朝廷と直接対峙しても負けることはない」ということで、京都へ本拠を移した(p24)
・検非違使の長官は「かみ」次官は「すけ」3番目の「じょう=尉」が「判官」と呼ばれる、さらに次は「主典(さかん)」そして「大夫(たゆう)」義経は「大夫判官」という官職をもらった(p28)
・将軍は本来的には、もともと命懸けの忠誠心を要求できる軍事貴族出身がその座につくもの、ところが武士の中でも底辺の方だった北条が将軍になったら、反発を招くことになっただろう。北条が将軍になれなかったのは、賢い北条氏は自分が将軍になるような愚策は取らなかった、表の顔として毛並みの良い血筋の人をたて、自分はその後ろで汚れ仕事をやり、実権を握っていた(p66)
・建武の新政、1334年を初めてわずか3年で途絶えてのは、武士の力を全く認めなかった、このことに尽きる(p72)
・斯波義将(彼の場合は、はよしゆき)斬波家は足利一門のなでも非常に家格が高く、鎌倉幕府の中でも独立した一つの御家人として位置付けられていた、細川家も足利一門だが、足利本家の家来筋、それと比べると、吉良・畠山・斬波といった名門家は、足利本家と対等に近い独立した御家人という地位にあった(p116)斯波義将に協力した(細川に勝利)のが、山名・大内・岐阜の土岐(p119)
・足利義満は将軍になって、権力を確立するため、有力な守護大名を潰した、1390年土岐、1391年山名、1400年大内、細川家は将軍と一体になって繁栄した(p120)
・応仁の乱では、西軍としては、山名を中心にして「土岐・大内」義満の時代に一度は潰されたが力を取り戻してきた、東軍は「細川グループ」ここから西軍に移籍したのは「一色」くらい(p123)応仁の乱は、視点を変えると「瀬戸内海の覇者は誰だ」という争いでもあった(p125)
・武田信玄は、室町幕府が与えるその国のリーダの資格=守護を手にいれ、さらに朝廷が与える資格である「国司」の官も入手して「信濃守」になった(p176)
・信長は尾張統一(57万石)の後、北伊勢(30万石)を取得し、30代前半で既に150万石もの領土を持っていた、信玄は晩年になってやっと60万石(p178)
・日本はもともと「西高東低」の国であった、文化の先進地域は西の上方で、関東は僻地であった、家康が大工事(利根川の曲げて鹿島灘に注ぐにようにする)を始めるまで、人も住めない土地であった。関東で源頼朝が武家政権を作った、西国で独立政権を作ろうとしても潰しに来ただろう。頼朝は朝廷と折衝を繰り返し、ようやく認められた、朝廷と武士の政権の関係は並び立つ形で終わった(p204)
・京極高次の家は、鎌倉時代から続いてきた佐々木家が元になっており「近江と言えば佐々木」と天下に聞こえる大変な名家であった、それが室町時代に2つに別れて、六角と京極になったが、高次の時には、落ちぶれていた(p253)
2021年4月5日読破
2025年6月11日作成 -
Posted by ブクログ
『東大生に教える日本史』が面白かったので、二冊目に選んでみた。
本郷氏が歴史学を志すまでと、それからの紆余曲折?が語られているエッセイ。
だけれど、どんな先生がどういう考えの元に歴史学を一歩進めて(広げて)きたかという、歴史学ミニマップ的な要素もある。
厨二病期が割と長いので、その辺りでうーんと感じる所もあるのだけど。
実証することと、考えることのスタンスは好き。
書いてあることを的確に読み取るスキルは当然備わっていなければならない。
けれど、読み取れたことで満足してはいけなくて、読み取れたことから(ある意味では俯瞰し、飛躍するような)推論を考えていくことまでが研究である。
先人の軌跡を敬いつつも、その軌跡を辿ることで終わっていてはいけない。
でも、まあ、乗り越えるなんておよそ出来ることでもないのだけれど(笑)
少なくとも知を受け継ぎながら、未だ見えないパーツを見えるようにして、埋めていく。
東大で働く人のあれこれも知ることが出来て、面白かった。
分野が違えど進路に悩んでいる人にすすめたい一冊。 -
Posted by ブクログ
歴史上の偉人・英雄として描かれてきた人物たちの実像とは。
14人の本当の姿を史料から探って綴る、歴史エッセイ。
・はじめに
第1章 藤原道長の虚像 第2章 源義経の虚像
第3章 源頼朝の虚像 第4章 北条時宗の虚像
第5章 足利尊氏の虚像 第6章 武田信玄の虚像
第7章 上杉謙信の虚像 第8章 織田信長の虚像
第9章 赤穂浪士の虚像 第10章 坂本龍馬と新撰組の虚像
第11章 西郷隆盛と大久保利通の虚像
ヤンキーの猪武者・源義経は掟破りでやり過ぎ。
武士の、武士による、武士の政権を鎌倉に樹立した、
源頼朝だが、でも京都。京都生まれで京都育ちの抱える揺れ。
「救国の英雄」北条時宗は外交下手の鎌倉幕府トップ。
偶然でモンゴル軍を退けたけど、御恩と奉公の関係は崩壊へ。
優柔不断ではなく、やるべきときにきちんと行動した足利尊氏。
出身地ガチャが明暗を分けた、武田信玄、上杉謙信、織田信長。
上洛は手段、天下布武こそが目的だった、織田信長。
ダメな殿様と有能な筆頭家老。喧嘩両成敗の道理で、
高く評価されてしまった、赤穂事件。
実体がよくわからないからの虚像の坂本龍馬と新撰組。
テロも戦いも辞さない西郷と大久保の本性は手紙の中に。
様々なメディアで描かれた歴史上の人物たちは、想像の産物。
史料自体が少ないから、想像の余地はかなりあります。
だから、古来からの伝説や伝聞、作品等に盛られたり、
こうだったかもな話が入ったりして虚像が出来上がってしまう。
また、書き手の創造の妙が愉しめるから、
虚像であれ、歴史小説に惹かれ読んでしまうんだけどね。
でも史料では実体はこうなんだよと、歴史学者の著者は
史料を正しく読み解き、史実を導き出し、考察しています。
まぁ、それでも確実ではないし、
かなり主観が入っているのが気になるところ。