門井慶喜のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2015年26冊目。
京都、大阪、神戸、横浜、東京の近代建築を巡る、ゆる散歩対談集。街中で、「レトロかわいいな」とか「しぶいなあ」と感じた建築物は、これからは意識的にチェックしてみようかな。
どの建築物にも、時代背景はもちろん、関係者の趣味や思惑も色濃く反映されている。人間味溢れるストーリーがある。
色とか雰囲気だけじゃなくて、全体のバランスとか部分的なデザインにも、これからは注目してみたい。
神戸と横浜の貿易関連施設、大阪の綿業会館とか、特に興味深かった。
最後に台湾が出てきたのも良かった!植民地政策というと、どうしても、圧政のイメージが強くなっちゃうけど、八田與一のダム建設と銅像の件は、なるほどと思った。圧政というより、その地を自国とみて、生活をよりよいものとする(内実は、利便性や生産性向上のためだとしても)ための建築物。
それを、現在もリノベーションして脈々と使用してる。
作ってやったんだでも、作っちゃってごめんなさいでもない付き合い方。勉強になった。 -
Posted by ブクログ
本書の解説で「ビブリオ・ミステリー」という語を見て、そういうミステリーのジャンルがあることを初めて知り、どんなものだろうと思い購入。
殺人事件や犯人捜しがあまり好きではなく、通常のミステリー小説だと、つい後ろから読んでしまって、楽しみを半分くらい失いがちな私にとって、本格派ビブリオ・ミステリーの本書は、純粋に謎解きを楽しむことができてよかった。
この本、三省堂本店で「書店員のおすすめ」になっていたけれど、その気持ちは非常によくわかる。文献資料のリサーチや分類・整理に関わったことのある人であれば、自分の求める文献資料を探しているときのワクワク感がそのまま味わえるだろう。 -
Posted by ブクログ
門井慶喜『天災ものがたり』講談社文庫。
古来から洪水、地震、津波、飢饉、火山の噴火、火事、豪雪といった天災に何度も見舞われて来た日本人がそれらにどう立ち向かい、乗り越えて来たのかを描いた連作短編集。6編を収録。
南北に延びた狭い国土の島国のせいなのか、日本は数々の災害に見舞われている。今もテレビでは今回の台風25号がもたらした被害の状況を報道している。
本作に描かれた6つの天災はこれからの日本で何時起きてもおかしくないものばかりなのだ。歴史は繰り返す、天災は忘れた頃にやって来るという言葉の通り、我々は災害に対する備えを怠ってはいけない。
『一国の国主 天文十一年甲府洪水』。最近も台風や大雨であちこちの河川が氾濫し、多くの家屋が浸水被害にあっている。現代は河川の氾濫に輪をかけて内水氾濫が被害規模を大きくしているように思う。
都市部はアスファルトやコンクリートで覆われ、一度まとまった雨が降れば、雨水の逃げ場が無くなるのだ。
さらには無駄に造り過ぎたダムが大雨が降れば、河川への大量放水を余儀なくされ、危険な武器へと変わる。
戦国時代、後に武田信玄となる21歳の若き国主、武田晴信が甲斐の国の河川の氾濫に挑む。と、同時に晴信は洪水対策事業を通じて、国主としての成長を果たしていく。
『漁師 明治二十九年三陸沖地震』。明治二十九年の三陸沖地震による大津波は吉村昭の『三陸海岸大津波』などにも描かれている。
本作の舞台は現在の岩手県宮古市田老地区である。田老は何度も津波被害を受けて、万里の長城とも呼ばれる巨大な二重の防潮堤を建設したが、あの東日本大震災による巨大津波には歯が立たなかった。
人間の叡智を結集した構造物も自然災害の前では無力であり、さらに頑丈で高い構造物を建設しても自然災害はさらにそれを超えて来るのだ。
そして、海辺で暮らす人びとの多くは何度津波に襲われようと再び元の場所に居を構えるのだ。
岩手県下閉伊郡田老村の漁師である四郎は兄の復員祝いがあるのにも関わらず、父親から漁に出ろと厳命される。渋々、海に出た四郎たちだったが成果は上がらず、さらに沖に向かうと巨大な海の壁が迫って来た。それが津波であると判断した四郎は船を真っ直ぐに津波に向け、巨大な壁を何度も乗り越える。
浜に戻った四郎たちは壊滅した村を目の当たりにし、生き残ったのは僅か381人であることを知る。四郎たちは今回の津波でもおよそ到達しない山の上を無断で開墾し、そこに居を構える。
『人身売買商 寛喜二年大飢饉』。1993年に起きた米不足はまさに本作と同様、冷夏によるものだった。2024年から2025年に掛けて起きた米不足は猛暑の影響と言われた。
しかし、実際には米は余っており、米不足は買占めによる影響だった。その証拠に2026年になると買占められた古米が余り、政府は一度放出した備蓄米を買取り、新米の価格が大きく下落する。
本作でも飢饉に乗じた米の買占め、さらには飢饉で種籾まで食べ尽くした農民の人身売買が描かれる。
鎌倉時代の初期に起きた異常気象により、大飢饉が起きる。柿鍋という米問屋を営む滝郎は京の商人たちに協力を求められ、米の買占めを行う。僅かに収穫出来た米も年貢に取られ、食べ物が無くなった農民たちは翌年の種籾にも手を付け、やむ無く身売りをすることになる。
『除灰作業員 宝永四年富士山噴火』。近頃は毎年のように日本列島のあちこちで大きな地震が起きている。自分自身も11年前の東日本大震災で震度6強を経験し、義理の両親が暮らす津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸にも何度も足を運んだ。
恐らく次に来る大地震は南海トラフ地震か関東大震災であろう。そして、永らく休眠していた富士山も活火山として目覚めることだろう。
江戸時代末期、徳川綱吉の治世の時代に南海トラフで発生した大地震に誘発されて、富士山が噴火する。火口にもっとも近い須走村は火山弾と火山灰を浴びて壊滅し、隣村の大御神村は火山灰により大きな被害を受ける。そして、何故か幕府は何故か須走村だけに多額の義援金を支給し、村の復興を急がせた。
『囚人 明暦三年江戸大火』。最近は都市部での大火災は余り無いように思うが、山林火災、東日本大震災時の大火災などは記憶に新しい。
江戸幕府第四代将軍・徳川家綱の時代。牢屋に収監されていたキリシタンの権右衛門は、大きなからっ風の吹く音に江戸の町で大火が起きて、切り放しになることを願っていた。権右衛門の思惑通り大火が起き、権右衛門たちは牢屋から開放される。
『小学校教師 昭和三十八年裏日本豪雪』。北国は度々豪雪に見舞われる。自分が盛岡市で大学に通っていた時、明け方まで卒業論文を書いて、ふと外を見ると思いの外、大雪になっていた。当時、父親は秋田市に単身赴任しており、月曜日の早朝に車で秋田市に戻っていた。
これはヤバいのではないかと思い、両親を起こし、雪のことを伝えると母親は朝イチの列車で秋田市に戻った方が良いと言うが、頑固で真面目な父親は大事な会議があるから車で出発すると譲らなかった。父親は何時もより2時間程早目に出発し、免許を持っていた自分も車に同乗することになった。
家を出て直ぐに吹き溜まりにハマり、自分が車の周りの雪をかいて、何とか車は走り出したが、秋田市に向かう道すがら何度も同じような状況に陥った。田沢湖駅の近くで盛岡駅始発の列車に追い抜かれた時には午前7時過ぎだったろうか。
結局、秋田市の父親の社宅に辿り着いたのは午前11時で、父親は慌てて会社に向かうが、肝心の大事な会議は大雪の影響で出席者が集まらずに中止となったようだ。
新潟の実家に父親の介護で戻っていた小学校教師がこれまで経験したことの無かった豪雪に見舞われ、職場に戻れず、難儀する。
本体価格980円
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Posted by ブクログ
宮沢賢治といえば「教科書の中の清廉な偉人」というイメージだが、この作品が魅せるのは、世間の規格からはみ出し続けた「不肖の息子」と、彼を甘やかし続けた「厳格になりきれない父親」の、あまりにも人間臭い葛藤のドラマである。
26歳まで迷走していた賢治だが、妹トシの過酷な看病を通じて、それまでダメ人間だと自覚していた彼が、初めてある種の「達成感」を得る。
そして、質屋での経験から「大人は嘘をつくが、子供は嘘をつかない」という彼らしい純粋な動機から、ついに童話を書くことで、父親という巨大な壁を飛び越えようとし始める。
トシの臨終の際、父・政次郎は「肉や骨は滅びるが、言葉は滅亡しない」という強い思いを胸に、遺書を書かせようとする。しかし、目の前で苦しむトシに寄り添う賢治は、その父親の行動に対して激しく邪魔をする。ただ生身の妹を守ろうとした賢治の反発。
だが、トシを本当に失った後、狂ったように詩や童話を書き始めた賢治が、結果として、かつて拒絶したはずの父の思いと同じように「滅亡しない言葉」の中にしかトシの魂を救えなくなっていく展開には、皮肉でありながらも言葉にできない凄絶な美しさを感じる。
そして、今度は賢治自身が病の淵に沈み、床から起き上がれなくなってペンを置いてしまう。
「お前はその程度の文士か。本当の詩人なら、後悔のなかに、宿痾(しゅくあ)のなかに、あらたな詩のたねを見いだすものだ。人間は寝ながらでも前を向ける」
この瞬間、政次郎は賢治をただの看病すべき我が子としてではなく、一人の「表現者」として認め、その覚悟を迫ったのだ。かつてトシの臨終の際、政次郎が内に秘めていた「言葉は滅亡しない」というあの確信が、今度は死の淵にある長男へと叩き込まれる。
この深い愛に満ちた叱咤を受け、賢治は再び鉛筆を握る。死を前にした賢治は、気分の良い日に布団の上に正座し、黒い革装の手のひらに収まるほどの手帳に向き合った。そうして命の最後の火花を散らして書かれたのが、あの『雨ニモマケズ』なのである。
政次郎が狂おしいほどに信じ、甘やかし、守り続けた「不肖の息子」は、父親という高い壁を飛び越え、偉大な作品を後世に残す天才となった。
親が子を育てる一瞬一瞬には正解など見えないが、その本当の「答え合わせ」は、人生のずっと後になって、思いもしない美しい形で返ってくる。綺麗事だけではない、人間の泥臭い愛のグラデーションに、心の底から揺さぶられる作品だった。