門井慶喜のレビュー一覧
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面白かったです。過去の天災についての小説短編集。上下水道がない、アスファルトじゃない、ガスがない、そんな時代の天災。飢饉がきたら種籾までそりゃ食べちゃうよね。
現代日本でも天災は大変なのに、昔はどう乗り切ったのだろう。
天文11年甲府洪水
武田晴信、21歳にして甲斐の国主。釜無川と御勅使川の合流地点を見聞している。まあいいかと放置したら、翌年氾濫した。水位は人の背丈を超え、家の屋根に達した。甲府盆地を押し流してしまう。
川の手当てをしたいところだが、父信虎が前年甲斐から駿河に追いやられた後だった。兵は30人。御勅使川を曲げて高岩にぶつける。合流点も北にずらす。人手が足りずに農夫を徴発した。でも工事は成功せず、川は溢れた。失敗したが農民は努力を評価はした。
重ね堤を築く。遊水池を作る。弟の信繁にやってもらった。御勅使川を分流させた。成功した。
明治29年三陸沖地震
日清戦争から次兄の二郎が復員して戦勝祝いを兼ねた旧暦の端午の節句の祝いをしている頃、四郎は船の上にいたので地震に気が付かなかった。津波が来ている。みなご初めてだというが、津波には向かって行かなければという言い伝えがある。漕いで漕いで、そして船に縋り付く。ようやく抜けたのに次が来る。5つ越える。
震源は三陸沖。陸地の震度はせいぜい3くらいだった。死者行方不明者26000人。
四郎たちは高台に集落を作ろうと作業を始めるが、仮村長が来て、もっと下で作ってるからやめろという。義援金が欲しいだけだ。四郎たちは頑張る。新聞が取材に来る。漁も始めた。生活が戻り始めた。すると通うのが面倒だと浜に降りるものが出始める。
寛喜2年大飢饉
北条泰時の頃の話。夏になっても気温が上がらない。敏感な商売人は米を買い占めだし、じわじわと米の値が上がっていく。まだ秋の来ぬ間に祇園の前には乞食が出たした。問丸の滝郎は米の買い占めを始める。だが倉には600俵しかない。早稲は来ない。餓死者はなかなか出なかったが、一人出るとバタバタ出る。農村では粟ひえなんでも食べた。どんぐりでも藁も団子にして食べた。ついには作付けに使う籾殻も食べてしまう。死体も最初は片付けていたが、どんどん不衛生になって疫病が流行る。
もっとも貴族や武士は荘園や領地から米を運ばせているので、商業ベースとは別で食い扶持がある。天変地異の際には富者はますます富み、貧者はますます貧しくなる。
宝永4年富士山大噴火
宝永4年10月4日午後2時頃、マグニチュード8.4のいわゆる東南海トラフ地震が起きた。1時間後に津波。地震と津波で3万人の犠牲者が出た。
その49日後の11月23日午前10時頃富士山噴火。静岡県駿東郡小山町の須走村では鞠のような火山弾が降り注いで家事を引き起こし、残った家も灰の重みで潰れ3メートルの灰に埋もれた。その隣大御神村では火は出なかった。灰は2メートル。
宝来火口ができた。綱吉の治世で、5年前に赤穂浪士の討ち入りがあった。
この大御神村は小田原藩の支藩、萩野山中藩の領地だったが、とても救済ができずに幕府に上地として献じてしまった。しかし関東郡代伊奈忠順は視察にさえ来なかった。灰に埋もれて耕作も難しい。
一方隣の須走村は全滅したが村人は無事で、お上に縋ったところ一時金が出て復興していた。須走村は富士に一番近く修行などのため泊まるものが多く、また甲斐への交通の要衝だったのだ。
明暦3年江戸大火
徳川家綱の治世。空っ風が吹く。江戸の民は火事には慣れていて瞬く間に消火してしまうが、大火事になるのはこの冬の乾燥下、空っ風が吹く時だけだ。牢では囚人解放が行われた。浅草の善慶寺に集合である。
昭和38年裏日本豪雪
新潟県山間部西吉谷。1月11日に雪が降り出した。38豪雪とのちに呼ばれる災害の始まりである。雪かきをする。まだガスは通っていないので薪炭屋さんが来なくなると暖房がなくなる。お湯も沸かせない。19日に青空が見えた。避難するならこの時だった。 -
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明治期に活動し、27歳という若さで夭折した作家・詩人の北村透谷。本作はその北村透谷の妻であり、没後は英語教師として働き続けた石阪ミナを主人公にした歴史小説です。序盤はコミカルな調子で北村透谷との出会い、ふたりの男性の間で板挟みのような形になるミナの姿が描かれていくのですが、透谷のその後を知っているだけに、楽しげな雰囲気の中にも寂しさが仄かに纏わり続けているのが印象的でした。
透谷の死以降、変わらずに透谷を大切に思いながらも、その影を重荷にはせずに、新たな道を歩んでいく姿には、胸が熱くなります。中盤以降は、一教師のまなざしから明治の学校生活、教師生活を描いた学園青春ドラマとしても楽しめるので、歴史小説はちょっと苦手だな、ってひとにもおすすめしたい一冊でした。 -
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市場経済の始まり
以前に,高槻泰郎の「大坂堂島米市場 江戸幕府vs市場経済」という新書を読んで感銘を受けたことがあったが、本書はこの新書の小説版である。小説であるから、暴れん坊将軍 徳川吉宗を資本主義経済 市場経済に理解ある将軍として描いているが実際のところは違うような気がする。まあ小説だから現実に有りえないようなことを書いても楽しめれば良い と割り切って読み進めることができた。まあ 儒教や武士道と市場経済というのは、相反するもののような気がする。
大引けや約定という大坂堂島での取引用語が現在の東京証券取引所でもそのまま生きているのは大変に興味深い。 -
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ネタバレ和人2戸7人(1869年/明治2年)とアイヌの集落があった札幌が、明治維新以後どのように開拓され発展を遂げたのか——世界でも稀に見るスピードで200万都市となった北の大都市の開拓初期が、当時を生きた実在の人物たちの物語を通じて綴られている小説。面白いし、色々と知れる。
5人の主人公が各章で変わる。
・アイヌ語で「広い乾いた土地」と呼ばれていた時代
佐賀藩出身の島義勇が開拓判官として赴任してきて、碁盤の目状に開拓することを決める。ここに骨を埋めるつもりで自らも手を動かし、時には夜中まで作業をする。しかし最終的には職を解任されてしまう。
・その数年後、クラーク博士がやってきた頃の話。主人公の内村鑑三は、札幌農学校の第二期生として入学するも、すでにクラーク博士はアメリカに帰っていた。「ボーイズビーアンビシャス」の後に続く言葉はなんなのかわかってないらしい。同級生に新渡戸稲造がいて「だからお前はダメなんだ」と言われながらも、生涯の友となる。高校デビューならぬ、新時代デビューというのがあったらしい。
・3章はアイヌ出身の八重子のお話。ウス(有珠)の集落から札幌へやってきて、英国人ジョン・バチラーの養子に。そこへ日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる金田一京助がやってきて、その影響で歌人になる。アイヌ語の歌をたくさん収録した歌集「若きウタリに」を出版。アイヌ文化が徐々に失われていこうとも、心の中に灯火のように宿るアイデンティティが芽吹いているのが美しい。
・4章
主人公は東北帝国大学農科大学(旧:札幌農学校)に入学した有島武郎。教授に新渡戸稲造がいる。父が農地を買ってくれたものの、農場経営には興味がわかない。文学に傾倒し、「白樺」創刊。人気作家になった。その後、約450ヘクタール(東京ドーム約100個分)に及ぶ広大なニセコの土地を、約70戸の小作人に無償で開放した。
5章。
岡崎文吉による北海道最大の川、石狩川の治水。
たびたび洪水を起こし、石狩平野を完遂させてきた暴れ川を制御するため放水路を作る決心をする。外国に視察に行ったのち工事を始める。
めっちゃ読み応えあった。今度札幌行ったら史跡を巡りたい。 -
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日本の国土は太古の昔から不変ではない。北海道はその最たるもので江戸後期から明治にかけて幕府ないし政府が開拓したものだ。その経緯においてアイヌへの迫害ないし同化があり、ロシアとの領土争いがあった。
この本はその時代の開拓者たちの物語だ。都市計画、農業、宗教、短歌、文学、土木とさまざまな分野の開拓者たちが描かれる。激動の時代だと評される昨今だが、この物語を読むと必ずしもそうではない気がしてくる。むしろなんと生易しく安定した社会に生きているのだろうかと思わされる。今、我々が生きているこの環境は、先人たちが汗水をたらし命を削って行った開拓の上にあるのだと実感する。札幌に行った際はこの本を片手に先人の足跡を辿りたい。 -
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島義勇、佐賀藩藩士。安政3年、蝦夷行きを命じられる。まずは半年かけて蝦夷地に上陸し、箱館奉行所を訪れた。奉行の堀利煕について蝦夷地を巡ることになった。松浦武四郎も紹介されて北海道について学ぶ。松浦は内陸に町がないことを説いた。蝦夷地を巡って記録を取り、藩主に復命した。
明治の世になり、島義勇は大蔵省に配属になった。蝦夷地開拓御用係に任命される。北海道開拓使も設置される。松浦が北海道と名づけたのだ。大工、左官、石工、井戸掘りなどが来て、札幌建設が始まる。大友堀を基準に道を敷く。日本海から木材を運ぶための道も作る。建設がずいぶん早く、昼夜兼行で木材を運ぶ。義勇はやりすぎた。罷免された。佐賀の乱に散る。
内村鑑三、上州高崎藩士。英語を習得したが、元士族で金がなく大学を辞める。札幌農学校なら官費で学べる。同期に新渡戸稲造がいた。キリスト教に入信する。成績は良好だった。
八重子はモコチャロの次女。お嬢様として育てられた。父が死に、家は没落し、八重子は札幌の宣教師のジョン・バチラーの家にむかう。この夫妻はアイヌの少女たちの学校をしていて、その助手として同居を許された。八重子は病気になり東京の聖路加病院に入院した。八重子はバチラー夫妻の養子になる。バチラー夫妻を金田一京助が訪ねてくる。金田一を通して八重子は和歌を知る。歌集「若きウタリに」を出版。
有島武郎は札幌農学校に編入学した。教授は新渡戸稲造。数年で教師になった。その頃札幌農学校は東北帝国大学農科大学になっていた。父親が農地を買ってくれた。ところが農場経営に有島は興味がない。有島結婚。「白樺」創刊。三人の子供が産まれて家の中が騒がしくなる。だが妻が結核になり、有島は札幌を去り東京へ。有島武郎は人気作家になった。農場を開放すると言い出した。
石狩川は北海道最大の川である。河口まであまり標高差がない。そのため氾濫する。明治31年9月に大洪水がおきた。石狩平野のほとんどが冠水し、死者行方不明者112名、被害家屋は約2万戸。雨が上がって太陽が照る日が続いても水がひかない。復興に着手できない。岡崎文吉27歳、札幌農学校工学科第一期卒業生に声がかかった。札幌から銭函まで運河を引いた人である。放水路を作る決心をする。
まずは外国に視察へ。日露戦争開戦から5ヶ月後、また石狩川が氾濫する。11年かけてようやく調査が終わる。まずは護岸工事を始めた。放水路にするつもりだったが、ショートカットにのりかえる。 -
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現在では約200万人の人口を抱える札幌市。
その札幌に人が入植し始めたのは、明治維新の時代。
当時を生きた実在の人物たちの物語を通じて、「札幌」という街が「誕生」する姿が描かれた本でした。
最初は本当に、札幌が、アイヌ語で「広い乾いた土地」と呼ばれていた時代の話(主人公は島義勇)。広い土地を見て、碁盤の目に道を作る計画をたて、そこに役所などの必要な建物を建てようとしている話。
そして、2話目はその数年後。札幌農学校の第二期生の話(主人公は内村鑑三)。
さらには、アイヌ出身のバチラー八重子の生い立ちや、作家として有名になった有島武郎が北海道の農業のあり方を変えて行った話とか、最後は石狩川の治水工事の物語(主人公は岡崎文吉)まで。
数十年という短い期間で、札幌は函館を追い越して北海道一の都市になった。
その、走馬灯のような景色を感じさせる本でした。
ページ数は約560ページ。手に取った時には、「これ、途中でリタイヤするかも…」と思ったし、目次を見て実在の人物を主人公にしていることがわかった時に、話が難しいかも!?と身構えたのですが、杞憂でした。
どの物語も、その当時の状況がありありと見えるような文章で、興味を惹かれ、好奇心に導かれて、あっという間に読んでしまいました。
経済成長を果たした後の日本で生きてきた私にとって、「都市を作る」というのは、なんだか考えられない出来事。なのに、だだっ広い平野に碁盤の目の道路を計画して、開拓を始めて数年後には、北海道大学の元となる「札幌農学校」で学生が勉強しているという、何もないところに、突然、人の営み、それも教育すらも行われるようになっているというスピードの速さにびっくりしました。
「街」って、人の手で計画的に「誕生」させることができるものなのね!!
という驚きと共に、忘れられない本になりそうです。
と、調べてみたら、著者の門井慶喜さんは、「家康、江戸を建てる」とか、「東京、はじまる」とか、街の誕生を題材にした小説をいろいろ書かれているんですね。今回の「札幌誕生」のように、あっという間にのめり込んで読みながら歴史的な出来事を理解できるのを期待して、他のも読んでみようかな〜。
ちなみに、この本を手に取ったのは、YouTubeの「積読チャンネル」で紹介していて面白そうだと思ったからでした。いい本を紹介してくれてありがたいー。 -
Posted by ブクログ
近代文学の文豪、宮沢賢治。
その宮沢賢治の父、政次郎の視点から賢治の姿を描いた直木賞受賞作品。
「フィクション」と謳っているが、史実に基づいた、限りなく真実に近いものなのではないだろうか。
このところ宮沢賢治を好んで読んでいたのでとても興味深い作品だった。
家業の質屋を継ぐこともせず、自由奔放にやりたいことに次々と手を出し、その度に政次郎に資金をせびる賢治。
貧しくても勤勉家で、堅実で、朴訥とした宮沢賢治のイメージがひっくり返されたようだった。
散々スネをかじられても、政次郎は賢治の作品の一番のファンでいたのだろうな。
「雨にも負けず」は、読者を説教している訳ではなく、死期を悟った自分へ向けた言葉。
天才的な言葉選びの才能がなければ、こんな作品生まれないだろう。
改めて宮沢賢治の魅力に気付かされた。
トシを亡くし、賢治も亡くし、
ふたりも子どもを亡くした政次郎の心情に胸が苦しくなった。