石戸諭のレビュー一覧
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情報が錯綜する今、表面上の言葉だけで物事を捉えることはできない。言葉の裏側にある、その状況は、自分が実際目にしたり、体験することでしか理解できない。だからこそ、安易に、自分の物差しで物事を測ることには、大きなリスクを伴う。
2017年9月に被災地を訪れたとき、自分は訪問者として見ていなかったか。どこかにかわいそう、と言う思いがあって、他人事に捉えていなかったか。とても反省しなければならないと思った。
その土地にはそこで暮らす人たちの生活があって、何が幸せで何が悲しいことなのか、その人たちでないとわからない。わたしたちの物差しで測ってはいけない。だからこそ、話を聞いて、考えることが大切なのか -
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人間は人間である限り、その時の生存本能に従い情報を求め自らの血肉や思考へと糧としていく。これは数千年前から変わらない事実であり不変であり遠い数万年未来だろうが、人間が人間であり続ける以上は、本著の指す「嫌われ者」は生まれていくだろう。
本著では、現代(2026)という私たちが生きている期間で影響を及ぼしている「嫌われ者」を紹介している。紹介された人は一例に過ぎず、刺激的な言葉で扇情的に煽る存在や、暴露等の大衆の注目を集めるための発言と表現をしている人をSNSでも動画配信でもテレビでもその他でも多く見られる。私たちは、例外無く皆誰かの思想や哲学に無意識にすり込まれている。情報の質について善し悪し -
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何だか随分と小粒な人選に感じだが、小粒だとしても“その人にとって“肥大化し、独りよがりであるかも知れない事を忘れて重要人物化してしまうのが、「リコメンド動画時代」の怖さである。
テレビであれば「決まった人物を決まった番組」で。家族がいる人は半ば強制的にでも認知させられたのが昭和や平成。今、あなたのスマホによく出てくる人物が私のスマホには全く出現しないなんてことはよくある。
そんな時代の価値観に“悪名は無名に勝る“という言葉が響く。嫌われてでも出現することを戦略としたり、抜き取られても伝わる痛快なワンイシューのパフォーマーも増えた気がする。
大衆は無知なのではなく、無関心なのだ。関心を持っ -
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十人十色の「孤独論」とあるが、実際に20人近くの知識人、著名人による寄稿の寄せ集めなので、ダイジェストとしての読み応えはあるが、全てが皮層的で浅い。なんだか格言や至言を探し出したり、その言葉の周辺を少しだけ肉付けしたような文章。それでも思考のきっかけを得たり、脳内に連鎖して考えさせられるのだから、読書は面白い。複数人分を読んで、余韻で考えるのが、私自身のオリジナルな「孤独論」というわけだ。
人は、社会的分業をしているために完全な自給自足にはなり得ない。また、直接会話をする相手がいなくても、本や看板など、目に入る日本語は、その集団に帰属している証拠。ゆえに言葉が分からぬ海外での孤独感は一層強ま -
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前半ではタイトル通り百田尚樹の現象について、インタビューも交えて書かれる。これは良いのですが、後半では90年代のつくる会についての記述がほとんどで、この本を手に取る人はだいたい知ってるのではないかとも思いました。
とはいえ結論としては、つくる会の活動と百田尚樹は地続きのように見えて明らかな切断がある、という内容なので、現象の違いを浮き彫りにするためには必要な記述だったのだろうと思います。
つくる会自体も当時は冷ややかに見られがちでしたが、そこからさらに劣化したかのように思われている百田尚樹的なものが、どうしてそのような印象を持たれてしまうかについては、わかりやすくまとまっていると思います。 -
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SNSは種全体に情報発信する事で、本能として備わっている、物語を紡ぐ欲求。例えば、秘密話を共有したいとソワソワするような欲求を満たしてくれる。そうした人間本能に根差した新たな仕組みを見れば、本著で書かれる「巨大なデジタルプラットフォーム」を基盤にした「市民メディア」の実現はあり得たかもしれない。しかし、著者が言うように、その実現可能性は低い。
本題にされる「良いニュース」に対して、これら市民メディアのクオリティが落第点だという原因が確かに大きい。プロフェッショナルである著者が記載するニュースの基本型である三点。速報、分析、物語。仕事としての取材と原稿。とりわけ、市民とプロのクオリティの差は、