石戸諭のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
石戸記者のことはTwitterで動向を追っていて、その契機は忘れてしまったが、おそらくはやはり震災関連の情報発信だったのだと思う。彼の精緻な取材と、震災に対するスタンスを肯定していたので、本書は買う以外の選択肢がなかった。
本書はルポルタージュではない。直接的な被災者ではない立場でありながら、震災とこの7年間実直に向き合ってきた人物が語るエッセイ、読み物であると思った方がいい。語り口は淡々としているが筋道がしっかりとしていて、静かな力強さで、彼の主張を物語る。
この本はいわばオーラル・ヒストリーに近い。被災者という言葉ではすくい取れない個別の語り、物語を紡ぐものとして、とても貴重だと思う。科学は正しいが、それだけでは割り切れない。昨今はTwitterなどで、多くの人の「声」が直接聴けているような錯覚も覚えるが、それでも見えていないものは山のようにあるのだと、痛いほど思い知らされた。
社会を、人々を救うというのは、無人格かつ匿名の集団に対して、わかったふりをして向き合うことではなく、個々の1人ひとりに対して向き合うことなのだ。そう考えたとき、自分にできることは何なのだろう、と思う。 -
Posted by ブクログ
情報が錯綜する今、表面上の言葉だけで物事を捉えることはできない。言葉の裏側にある、その状況は、自分が実際目にしたり、体験することでしか理解できない。だからこそ、安易に、自分の物差しで物事を測ることには、大きなリスクを伴う。
2017年9月に被災地を訪れたとき、自分は訪問者として見ていなかったか。どこかにかわいそう、と言う思いがあって、他人事に捉えていなかったか。とても反省しなければならないと思った。
その土地にはそこで暮らす人たちの生活があって、何が幸せで何が悲しいことなのか、その人たちでないとわからない。わたしたちの物差しで測ってはいけない。だからこそ、話を聞いて、考えることが大切なのかなと感じた。
言葉って深くて、大事。言葉の持つ力をちゃんと伝えられる人になりたい。 -
Posted by ブクログ
人間は人間である限り、その時の生存本能に従い情報を求め自らの血肉や思考へと糧としていく。これは数千年前から変わらない事実であり不変であり遠い数万年未来だろうが、人間が人間であり続ける以上は、本著の指す「嫌われ者」は生まれていくだろう。
本著では、現代(2026)という私たちが生きている期間で影響を及ぼしている「嫌われ者」を紹介している。紹介された人は一例に過ぎず、刺激的な言葉で扇情的に煽る存在や、暴露等の大衆の注目を集めるための発言と表現をしている人をSNSでも動画配信でもテレビでもその他でも多く見られる。私たちは、例外無く皆誰かの思想や哲学に無意識にすり込まれている。情報の質について善し悪しを決めるのは自分自身だ。自身で気付かなければそれは他者が根本的に変えることは不可能である。
さて、メディアとは何だろうか。私は誰もが平等に受け取れる情報の一つであり、エンタメだと理解している。政治的な刺激的な言葉での発言や態度、番組が何故その人を起用したのか。どういう視聴者が刺さり、スポンサーや株主が喜ぶか。とても大衆的であり、情報の善し悪し問わず動画であれ、サロンであれ、セミナーであれ、テレビであれ他多くのメディアで発信しているその人は、どうしてその場所でその言葉や態度を取るのか。その人の発言を喜ぶ人、嫌う人、無関心な人等多種多様な捉え方ができる。嫌われ者という存在は、私は虚像だと思っている。大衆的が望む言葉を発している人が画面の向こう側で、視聴者の心を快不快を与えてくれる供給源だからだ。
本著も指摘しているが、視聴者は思慮深さを情報を受け取った後も受ける前も観ている間も画面の向こう側で、弁論家の言葉だけを盲信せず、私やあなたの頭で考えているのか。思考を丸投げや放置していないかを本著は問い示唆し主張する。
私はエンターテインメントとして、コメンテーターやキャスト陣、制作側の目的別で思考や見方を切り替える術が必要だと思う。仮に全ての情報が統制された状態では、一つの情報しか入ってこなくなり、それはそれで大変に危険だ。そういうところも踏まえて私たちは何かの情報に触れる際に、人やもの、社会の背景、誰が支援し、誰が嫌悪し、誰が画面の向こう側で考えているのかを意識し、思索していき、常に学習し続けることが重要である。
本著は太古から現代まで不変であるこを証明する人間の本能を問う書であると言えよう。 -
Posted by ブクログ
前半ではタイトル通り百田尚樹の現象について、インタビューも交えて書かれる。これは良いのですが、後半では90年代のつくる会についての記述がほとんどで、この本を手に取る人はだいたい知ってるのではないかとも思いました。
とはいえ結論としては、つくる会の活動と百田尚樹は地続きのように見えて明らかな切断がある、という内容なので、現象の違いを浮き彫りにするためには必要な記述だったのだろうと思います。
つくる会自体も当時は冷ややかに見られがちでしたが、そこからさらに劣化したかのように思われている百田尚樹的なものが、どうしてそのような印象を持たれてしまうかについては、わかりやすくまとまっていると思います。