斉藤章佳のレビュー一覧
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ネタバレ 購入済み
性依存症になりました
1巻で通院治療とグループセラピーが終わり自助グループに入ったので、2巻は自助グループの話になります。
引き続きいろんなタイプの性依存症患者が出てきます。
自助グループのプログラムはどれも依存症に真剣に向き合うことを必要とし、本当に楽ではないものですね。
ついに作者はブラザーになり、仲間を助けることで自分を助けることになっていきます。
作者が仲間とともに依存症から自分自身を取り戻す過程には希望を観じました。 -
購入済み
性依存症は病気である
作者のTwitterをたまたま目にして無料サイトで途中まで読んだのですが、この作品は最後まで読まなければいけないと思い、購入しました。
作品の性質上、重くて読んでいて辛い話も多かったですが、通院治療や自助グループを通じ、作者が仲間と助け合い自分と向き合いながら依存症から自由になっていく過程に明るい気持ちになれました。
性依存症は被害者を生むだけでなく、本人も苦しんでいること、治療は本当に大変な道のりだということがわかりました。
この作品を描いてくださった作者に心から感謝したいと思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレとにかく性犯罪の加害者への罰則が軽すぎる。
捕まっても起訴すらされないとか、被害者に非があるかのようにいわれてしまう風潮とか何なんだろう、と常々憤っていた。議論が加熱すると必ず冤罪がどうとかいう話が持ち出されて、めちゃくちゃになる。
何なの、おかしくない?ってずっと思ってきた。
この本には、そのあたりの話まできっちりと書かれている。
驚いた。
性犯罪者は性欲が異常に強くて理性でそれが制御できないのだから、被害を無くすためには去勢するしかない、くらいに思っていた。痴漢は減らず、性犯罪者がまっとうに裁かれない現実に苛立つと、極端な願望を抱くしか救いがないから。
まずその今の現状がおかしいことはまた別の話として、痴漢の人物像や、痴漢をする目的、自分からはなかなかやめられずどんどんエスカレートし捕まるまでやめられないこと、逮捕されても家族への罪悪感はあっても被害者には謝罪の気持ちはない等、思っていたのとは違い、諸々衝撃的な内容だった。
ただ捕まって刑に服しても再犯率が高いことから、再犯防止プログラムが必要なこと、そして加害者家族へのケアのことまで痴漢をとりまく現状、問題や課題までよくまとめられていて、法律や環境が早く整って、とにかく早く痴漢被害が無くなる世の中になってほしい、と思った。 -
Posted by ブクログ
これを書籍にしてくださったことが嬉しい。
痴漢が起きるのは、
根底に根深い男尊女卑思想が、
社会にあるからだ。
男性にとって、
男尊女卑は都合の悪いことではないし、
男性の男尊女卑を利用したい、
または、それを受け容れて当然と考える女性も多いので、問題が本当の意味での解決には向かわない。
殺人が、と言っても冤罪がとは言われないのに、
痴漢が、と言うと冤罪の話になる、
強姦が、と言うとハニートラップの話になるのはおかしいのだ。
どこまでも女性側に過失があるという発想を、
男性だけでなく女性ももっている。
だから、この社会はよくならない。
女性の非正規率が高く低賃金であることも、
まったく同じ構造から起きている。
女性はもっともっと声を上げていい。
そして、もっと堂々と女性の味方をすべきだ。 -
Posted by ブクログ
■行為・プロセス依存の7つの特徴
・強迫性
・反復性
・衝動性
・貪欲性
・有害性
・自我親和性
・行為のエスカレーション
■すべての依存症の診断において,「コントロール喪失」と「離脱症状」が重要なポイントとなる。
■置換の動機は性生活の充実やセックスレスとは異なる。
■性風俗店の利用は痴漢行為の抑止とならない
■痴漢行為は彼らにとって”ストレスへの対処法”
・ストレスへの”コーピング(対処行動)”
■痴漢には勤勉な者が多い。その一方で何らかの劣等感を抱いていたり自己肯定感が低かったりするのも彼らの特徴。
■すべての依存症には,自身の内にある心理的苦痛や不安感,孤独感を一時的に和らげる効果がある。これを”依存症における自己治療仮設”と呼んでいる。
■痴漢に限らず性犯罪者は必ず心の内に歪を隠し持っている。
■痴漢で逮捕され幾度となく反復してきた加害行動に漸く歯止めがかけられたことによって彼らは”生きがい”を失ったという。
■性犯罪に走る者は元々ストレス・コーピングの選択肢が少ない傾向がある。人間関係の構築が下手で気持ちや生活に負荷がかかった時にどう対処するか,或いはどう受け流すかといったスキルが低い傾向がある。そのうえ孤立しがちな性格なので悩みを人に相談できず一人で抱え込む。
■「反省を強いてその責任性を追求し過ぎると再犯率が上がる」というエビデンスがある。これは世界の性犯罪者処遇の中で確認されているもの。DV加害者プログラムでも同様のことがいわれているので反復する加害行為においてはある程度共通する法則だろう。
■加害者は早期に加害者記憶を忘却する「加害者記憶の忘却」は,性犯罪に限らずあらゆる加害行為の加害者側に共通する特徴。
■「これが最後」とは依存症の人たちの口癖のようなもの。「これが最後」という認知の歪み。
・これが最後の痴漢であると思い込む
・これを最後にもう飲まない
・競馬に行くのはこれが最後 etc -
購入済み
スゴい世界…
全く別の世界の話しのような…
こんなことがあるのか…
性奴隷って、何なん?
意味わからん。
セックスは運動で、体力消耗するし、疲れる。
それをずっと考えてるなんて、想像しただけで疲れる…。
逆に、セックスに興味無い人もいるのに…。
スゴいな…。
病気なのか…(まだよく分かってない…) -
Posted by ブクログ
性に対する見方を生物学的に見ることが前提になっている自分は、社会学的に見る方の立場をとる著者とはおそらくぶつかる部分があるのでは、と予期して、ひとまず手に取ってみた。
結果、感想としてはかなり想定外に、自らの認知の歪みを自覚させられてかなりの衝撃を受けた。
少なくとも今後の人生を左右するくらいの影響は受けたかもしれない。
恐ろしいことに、私は彼ら加害者らと似たような思考回路を持っていた。
例えば、男尊女卑は一部の人に残っている考え方で、現在ではかなり解消されているのではないか、と考えている節があった。
例えば、児童ポルノ自体に、人を犯罪を犯させるような機能などあるわけない、と考えていた。
例えば、未熟=可愛い、と感じる部分が少なからずあった。
道徳、理性、善悪の明確な基準、他者を尊重する気持ちといった素養があれば、加害に至ることない、と思っていたし、多分、こうしたものは信念でもあるから、それ自体を抜け出せてはいないと思う。
しかし、「認知の歪み」という補助線を引くと、見方が全然変わってくる。
非加害者と加害者の間に思考様式のスペクトラムがあって、仮に非加害者を左に、加害者を右に配置して、全ての人をそのどこかにプロットするとする。
人は自分の既存の考え方をベースに物事を考える。
また人は楽をしようとする。
過去の成功体験を基に考え、行動し、その概念が強まっていく。そして大人になると周りの人は「お前それは違うよ」と言ってくれなくなる。
然して、認知の歪みはループの中で強化され、人は自己中心的、偏屈的になっていく。
そのスペクトラムのあるところに非加害と加害を隔てるボーダーラインがあって、既にボーダーラインの手前までに自らの認知の歪みを育て上げてしまった人は、機会さえあればそこを乗り越えてしまう。
そして乗り越えた後も、自己正当化したり、旨味を感じたりして、更なる加害へと突き進んでいく。
このスペクトラムの中では、例え自分が「これは問題ない」と考えていることでも、その思想自体が次の思想への追い風になってしまう。
小児性愛に限らず、この認知の歪みはあらゆることに通底する。依存性がある事柄は言わずもがな、例えば遅刻、食事バランス、他者関係、浪費、ネットサーフィン、AIの使用などなど。
私自身はペドフィリアではないが、年上か年下かでいえば、下の方が好みだ。
また権利や平等を殊更に主張する強い女性よりかは、他者を立て、和を重んじ、淑やかで楚々とした「女性らしい」人を好む。
生物学的に見れば通常なことであるし、なんらおかしい部分はない。ただ好みの問題であるとも言える。
しかしこうした自分の考えによる裏付け、正当化自体が、雪だるま式に加害者へとつながっていく契機になり得ると考えると、怖い。
また私個人の一嗜好性が社会全体に行き渡ってしまうと、社会全体が、男≧女という構図を甘んじてしまう状況になるか、あるいは肥料を与えられてしまう。
これが過去の既得権益的男性優位性や、「男性は優位であるべき観」のようなものを継承してしまっている一要因でもある。
「もしかして僕等が加害者? 面白い事言うねぇ」(Witch / SEKAI NO OWARI より引用)
メタ思考をかなり強く持って、自らの認知が少なからず独善的であることを常に認識し、第三者からの意見を受け止められるような環境を作っておかねば。 -
Posted by ブクログ
『小児性愛という病』の方を先に読んでいたので重複するところもあったが、中々興味深く読めた。
森林原人さんも、ミラクルさんも博識だ。苦しんでいる当事者に対しては不謹慎な感想となるかもしれないが、読み物として面白さすらある。
セックスレスの苦しみの解決法を研究している実としては、セックス依存症は表裏一体というか、かなり近いものがある気がする。
いずれも、湧き上がる性欲、あるいは性欲に化けている何らかの心理的な衝動のコントロールの問題で共通するが、セックスレスの方は抑圧が出来ている点で異なる。
そう考えると、抑圧できても、出来ずに実害が出ても、結局苦しみの質と量が多少異なる程度で、苦痛自体があることには変わらない。
かといって、生物学的な視点を重視し、また抑圧ではなく正しい形で解消(昇華)する術を重視する私の立場としては、注目すべきはその衝動の起源と、衝動を解消できる人間関係を築くための社会環境づくり、マインドの落としどころ、衝動のコントロール法といった部分である。
そうした部分は本書では全体の割合としては気持ち薄めだった。