岸政彦のレビュー一覧
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お粗末な言い方になるけれど、この社会には、ほんとうに様々な人々がそれぞれの人生を生きている。その人生たちには個別性、独自性、唯一性がもちろんあり、それらについては忘れがちだったりする。本書はそういった人間、人生の、唯一性のある断片を、著者の主観(人を完全な客観で見ることはできない)から不完全なままのかたちで綴っている。
本書を読み進めるうち、僕は自分の生きる世界の狭さ、他者への料簡の狭さを痛烈に感じさせられることになった。他者に気を配り、他者の気持ちを想像をして生きている自負がこれまで少しはあったのだけれど、いかに自己中心に、自分の世界に閉じこもって生きてきているか、ということ突き付けられて -
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ネタバレ岸さんと柴崎さん、そして私にとっての大阪
大学進学を機に大阪に住み始めた岸さんと、三十二歳になる直前まで大阪に住んでいた柴崎さん。
「わたしにとっては、大阪を書くことは、自分の生きてきた時間と場所と、関係のある人を書くことに、どうしてもなってしまう。」(P16)
柴崎さんは大正区の南の果てご出身、私は大阪市の北の果てに住んでいた(身内に美容師がいるのも同じ)ので「ああ、こういう感じだったなぁ」というところと「南のほうはそうだったんだ」という答え合わせのようでとてもとても興味深く…私が実家やその周辺で子供だった頃、柴崎さんも柴崎さんの場所で子供だったんだなというノスタルジーも感じつつ読みま -
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この本を読んで以後、良くも悪くも大阪に住んでるだけで、常にノスタルジーを感じさせてくれることになってしまいました。たぶんおそらく僕は生まれてから死ぬまで大阪から離れることはなさそうです。
出身の中学校はクラスの数も減り、所属していた部活はなくなり、僕も生まれて見てきた20年ほどで大阪の様相が随分変わってきました。もうあとしばらく経つと跡形もなくなってしまうんじゃないかと寂しすぎる気持ちです。
好きな関西の作家さん。岸さん、柴崎さん、西加奈子さん、塩谷舞さん、これからも増えていきそう。みんな関西弁を愛してる気がして。文字で読む関西弁はどこか小っ恥ずかしくて、可愛い。
西さんの解説の&quo -
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勝手にラブ&リスペクトの岸さん。
数年前に『断片的なものの社会学』を読んでヒンヒン泣いて、完全に心を奪われた。
以降この本は折を見て知人友人に配り歩いている。
わたし自身、社会学に馴染みがあるわけではないから読んでいてよくわからない部分もいまだに多いのだけれど、それでも岸さんへの飽くなき興味から著書を片っ端から読み続けている(『所有とは何か-ヒト・社会・資本主義の根源』だけ難し過ぎて頓挫してしまった)。
『東京の生活史』刊行記念トークイベントでは直接お会いして少し会話させていただくことも叶い、話す内容も顔もフォルムも声も何もかもが素敵過ぎてズキューンってなったその思い出を今もずっと大切にして -
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・四角い紙の本は、それがそのまま世界に開いている扉だ。
・居場所が問題になるのは、失われたか、手に入れられないときだ。
・私たちは、つらい状況に陥ったとき、ひたすらその事に苦しみ、我慢し、歯を食いしばって耐える。そうすることで私たちは「被害者」のようなものになっていく。
あるいはまた、私たちは、正面から闘い、異議申し立てをおこない、あらゆる手段に訴えて、なんとかその状況を覆そうとする。そのとき私たちは、「抵抗者」になっている。
しかしわたしたちは、そうしたいくつかの選択肢から逃れることもできる。どうしても逃れられない運命のただ中でふと漏らされる、不謹慎な笑いは、人間の自由というものの一つの -
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先に『調査する人生』を読んでしまっていたがこちらもとても印象に残るインパクトのある一冊だった。特に後半の「普通であることの意思」や「自分を差し出す」が印象的だった。
マイノリティの話題で在日コリアンを例に社会にある「普通」とは何かをとても考えさせられる。
「一方に「在日コリアンという経験」があり、他方に「日本人という経験」があるのではない。一方に「在日コリアンという経験」があり、そして他方に「そもそも民族というものについて何も経験せず、それについて考えることもない」人びとがいるのである。」
もしかしたら気づき考えることから始めることで、普通から一歩脱しているのかもしれない。 -
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社会学者・岸政彦さんの小説。
大阪を舞台にした2作品『リリアン』『大阪の西は全部海』が収録されている。
岸さんの『断片的なものの社会学』という本がとても面白かったので、どんな小説を書いているんだろう?と気になって読んでみた次第。
決してバッドエンドなわけではないが、優しさの中にもの哀しさが漂う読後感。
岸さんの研究手法は、街中でごく普通に暮らす人々にとにかくインタビューをしていくというもので、関係があるかは分からないが小説の中にも印象的なエピソードがたくさん盛り込まれていた。
動物もよく登場するので、『断片的なものの社会学』で岸先生の人となりを知った後だとついつい重ねて読んでしまう。→優しさの -
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全体的に軽妙な語り口で書かれていて、読みやすく面白かった。挿絵もかわいい。途中、脳みそ死んでんじゃないかってくらい適当な時もあるが、、
生活史を研究している人だけあって、「ディテール」が詳述されていて、印象に残る。特に、おはぎ日記でおはぎを看取るところが、詳述すぎて辛くなる。ウィルキンソンの箱に亡骸を入れたり、それを霊園に持っていくために地下鉄に乗っているときにこっそり中を見たり、火葬の時に般若心経のCDを流すか聞かれたり、そのいちいちがありありと浮かんできて、おはぎが亡くなった岸さんの生活に出会わされてしまった感がある。もう、こんな辛い別れが待ってるなら、猫飼えませんよ。
あと、学問の -
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実際に存在するけど、それを気に留め書き留める人がほとんどいないようなことを書き連ねていて、不思議な吸引力がある一冊。
著者のいう「断片的なもの」とは、「ストーリーにまとめられず」「解釈や理解をすり抜けてしまう」出来事である。
とはいえ、社会学者の習い性というか、解釈してしまっている話題もある。実際のところ、本当に解釈や理解を寄せ付けないシュールレアリスムなことを書いているわけではない。比較的寄せ付けない、ということだ。
だからこそ、それなりに多くの読者を惹きつけられているのだと思う。
そういう意味もあって「普通であることへの意志」は特によかった。著者が解釈して説明しなければ見過ごされてしま -
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ネタバレ岸先生が6人の社会学者に「質的調査」をしている。それを傍らで聞きながら読み手が社会学あるいはその研究者を一般化・代表化する、という感じで、なるほどなといろいろ納得できる話が多かった。
というのも、20~30人の声を拾ってそれが学問になるというのがちょっと胡散臭い(ごめんなさい)と疑っていたので。しっかりとした社会学の理論や先行研究を勉強して押さえていけば、そこから普遍性や社会の構造的な問題点が見えてくるということかな?
対談を読んでいると、つくづく社会や他者に対する自分の解像度が粗いと感じる。ある行為がそれをした人の意志に還元されるものではない、もっと偶発的に決まっているものなのだから、他者が -
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よかった。すごくよかった。
やっぱり日記本は好きだなぁ…と思うし、それに類する当事者研究や生活史の本も好きだ。
かなりの乱読派として数年読書を続けてきたけど、ここ最近自分の好きな軸が見えてきたような気がして、すこし嬉しい。
岸政彦さんは社会学者。先日読んだ『早稲田古本劇場』の向井さんは古本屋。定期購読している『ウロマガ』のダ・ヴィンチ恐山さんはWEBライター。他にもいろんな職業の人の日記を読みたいなと思う。下北沢に日記の専門店があった記憶なので、またこんどそこを訪ねようと思う。
「おはぎ日記」は泣いた。本を読んで声を上げて泣くのは初めてだと思う。映画を見て音や映像の迫力に泣かされるようなこと