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★紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞!
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一生に一度はこういう本を書いてみたいと感じるような書でした。――星野智幸さん
この本は、奇妙な「外部」に読者を連れていく。
大冒険ではない。奇妙に断片的なシーンの集まりとしての社会。一瞬きらめく違和感。
それらを映画的につないでいく著者の編集技術には、ズルさを感じもする。美しすぎる。 ――千葉雅也さん
これはまず第一に、無類に面白い書物である。(…)
語る人たちに、共感ではなく理解をベースにひたすら寄り添おうとするスタンスは、
著者が本物の「社会学者」であることを端的に伝えている。─―佐々木敦さん(北海道新聞)
読み進めてすぐに、作者の物事と出来事の捉え方に、すっかり魅せられた。――唯川恵さん(読売新聞)
社会は、断片が断片のまま尊重されるほど複雑でうつくしい輝きを放つと
教わった。─―平松洋子さん(東京人)
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「この本は何も教えてはくれない。
ただ深く豊かに惑うだけだ。
そしてずっと、黙ってそばにいてくれる。
小石や犬のように。
私はこの本を必要としている」――星野智幸さん
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どんな人でもいろいろな「語り」をその内側に持っていて、その平凡さや普通さ、その「何事もなさ」に触れるだけで、胸をかきむしられるような気持ちになる。
梅田の繁華街ですれちがう厖大な数の人びとが、それぞれに「何事もない、普通の」物語を生きている。
小石も、ブログも、犬の死も、すぐに私の解釈や理解をすり抜けてしまう。それらはただそこにある。[…]
社会学者としては失格かもしれないが、いつかそうした「分析できないもの」ばかりを集めた本を書きたいと思っていた。(本文より)
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Posted by ブクログ
社会学をはじめとする学問は、圧倒的多数のもの、マジョリティのものを集め、分析し、傾向や性質、本質などを明らかにするもの。この本は、マイナーなもの、その他に分類されるもの、カウントされないものに焦点を当て、大切なものや共通点を見出そうとしている。何かに傷ついた時、傷つけられた時、大抵は「怒る」「泣く」という感情が出るが、自分と心を守るために「笑う」という感情が出ることがある。それを失礼とか、おかしな奴とかいうことではなく、そういうこともあるよなと俯瞰することで、本当の気持ちみたいなものにより近づくかもしれない。また、本当に個人的に「良い」と思っていることは誰も傷つけないが、一般的に良いとされていることについては、そうでない人から見ると必ずしも良いとは限らない(結婚、出産、出世、、、)。自分のことを足ししたものではないと自覚しているから、本当の自分を探すとか、人らしさを出したいとか言われると、黙ってしまう、などなど。普段見落としているもの、無視していることに気づかされてハッとする。
Posted by ブクログ
お粗末な言い方になるけれど、この社会には、ほんとうに様々な人々がそれぞれの人生を生きている。その人生たちには個別性、独自性、唯一性がもちろんあり、それらについては忘れがちだったりする。本書はそういった人間、人生の、唯一性のある断片を、著者の主観(人を完全な客観で見ることはできない)から不完全なままのかたちで綴っている。
本書を読み進めるうち、僕は自分の生きる世界の狭さ、他者への料簡の狭さを痛烈に感じさせられることになった。他者に気を配り、他者の気持ちを想像をして生きている自負がこれまで少しはあったのだけれど、いかに自己中心に、自分の世界に閉じこもって生きてきているか、ということ突き付けられてしまった。
他者を知らないこと。他者を想像することの貧困性。不幸もアクシデントも、見舞われる当人にとっては、身も心も削られたり切られたりする苦しみや痛みに満ちたものが多いだろうけれど(でもまたそうではなく、そういった困難にもあっけらかんとしている人だったり、通り抜ける風のように位置づける人だったりもいるんだということも、僕自身の理解が届かなかったり考え方と齟齬が生じるという不都合のため、あるいはごく少数の例しか知らないため、僕の脳内で無いものとしてしまっていたことだったけれど、それを再確認することができた)その混み入った内容の濃さだけでいえば、とても豊かだった。
そういったエッセイが本書。良質でよみやすいタイプの純文学を読んでいるかのような読書体験だった。もう10年ほど前に出版された作品なのでほんとうに「遅ればせながら」になるのだけれど、「おすすめ」とさせていただく。
では以下、引用を三つほどして終わります。
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私たちは、つらい状況におちいったとき、ひたすらそのことに苦しみ、我慢し、歯を食いしばって耐える。そうすることで私たちは、「被害者」のようなものになっていく。
あるいはまた、私たちは、正面から闘い、異議申し立てをおこない、あらゆる手段に訴えて、なんとかその状況を覆そうとする。そのとき私たちは、「抵抗者」になっている。
しかし私たちは、そうしたいくつかの選択肢から逃れることもできる。どうしても逃れられない運命のただ中でふと漏らされる、不謹慎な笑いは、人間の自由というものの、ひとつの象徴的なあらわれである。そしてそういう自由は、被害者の苦しみのなかにも、抵抗する者の勇気ある闘いのなかにも存在する(p100)
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→我慢し、耐えること。そういうことを「オトナ」になることとするならば、「オトナ」になることとは、被害者のようなものになることなのかもしれない。繰り返しみたいになるけれど、「オトナになれよ」なんて言い方を今一度思い出してほしい。引用部分を踏まえると、「オトナになれよ」は自ら被害者になってみるんだよ、という意味に意訳できてしまう。これは、社会の末端部であるのが個人であり、その個人に受け止めさせる論理でもある。それが、美学として価値化されているということだろうか。社会はこうして安定する。自己責任とする論理と似ていはしないか。
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むしろ、私たちの人生は、何度も書いているように、何にもなれずにただ時間だけが過ぎていくような、そういう人生である。私たちのほとんどは、裏切られた人生を生きている。私たちの自己というものは、その大半が、「こんなはずじゃなかった」自己である。(p197-198)
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→ゆえに、夢や期待を膨らませずに無難な人生を選び、うまく軌道に乗ることができる人もいる。それはそれで否定されることではないのだけれど、こうした数々の「裏切られた人生」の積み重ねのなかに、「裏切られずに成就した人生」も確率的にでてくる。そういった人生が、社会や他の人々に恩恵をもたらしたりもする。この引用部分の章には、人生は無意味だからこそ捨てられる(賭けることができる)というような箇所がある。人生は大切なものだけれど、固執して保護しすぎるのはまた違うということなのだろう。
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しかし、たとえ牛や豚を食べていても、イルカや鯨を殺すことに「反対を表明する」ことはできる。いまどきそんなものは誰も食べないし、鯨肉の場合は在庫も余っているらしいし、わざわざ殺さなくてもよいと思う。
それは確かに完全な論理ではないが、私たちはそれが不完全な意見であることを理解したうえで、それでもやはり自分の意見を表明する権利がある。
そしてもちろんそれは、批判されることになる。(p210)
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→「意見や批判をするときにはちゃんと論理的に筋が通っていて、対案を持っていて、建設的な意見が込みでないと、社会に意見してはならない」とするような風潮は一部にあると思う。そこまで頭が働かないのならば沈黙せよ、と言われているみたいなものである。この引用では、そうではなく、不完全な意見であることを自分でわきまえた上で表明する「権利」がある、と言ってくれている。もちろん、批判にさらされるのだけれど、この「権利」はとっても価値のあるものだと僕は思う。
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