岸政彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ著者の岸さんが、「生活史」についての話をされている記事を読んで、なんかちょっとこれまでにないコミュニケーションのような感じがし、「興味」のビットが立ってしまったので読んでみることにした。
よく「自分史を書いてみよう」みたいなアイデアはあるようだし、巷にもそのような本も見かける。「この世に誕生した自分というものが、どんな人生を歩んできているのか?」自分の人生を振り返ったり、自分の成果を明確化したり、そんなものが「自分史」と言えるだろうか?
それに対し、「生活史」というのは、どうやら全くの他人が、ある人の人生にかかわる生々しいエピソードを聞き出して、それをなるべくありのままの形で、例えば本の形にして出版するというようなもの。「自分史」は自分が書くが、「生活史」は他人が書くというところが大きな違いだ。
著者は本書の中でも、そのアウトプットを「作品」と表現されていることがあるが、そういう意味で著者の「作品」には、「東京の生活史」「沖縄の生活史」「大阪の生活史」というようなものがある。
「沖縄の生活史」は比較的イメージしやすい。悲惨な沖縄戦を生身で体験した沖縄在住の人びとの生々しい人生を一人ひとり丁寧に聞き取って、その個々の人生に焦点をあてて綴られたものだ。
よくあるアンケート票を書いてもらって回収し(=量的調査)、「沖縄戦とはこんなものだった」と一般論としてまとめ上げる本ではなく、個々それぞれの異なる貴重な体験が、並列に存在し、それが全部で束になって訴えてくるインパクト(質的調査)は、語り手の人数倍の威力があると思う。
本書は、「生活史とはどういうものか」ということには触れず、「生活史をつくる方法」について細かく述べられている。語ってくれる人を募り、頼み、同意してもらい、語っていただき、それを聞き取り、文章に起こし、編集するという一連の工程について、流れだけでなく独特の苦労(つまりは著者の生体験)が綴られていた。
その中で自分が本書を通じて、もっとも興味深かったのは、「話を聞く」姿勢のことだった。著者はこんなことを述べている。
″聞き取り調査では「私の話を聞いてください」と語り手のほうから積極的にお願いされることはほとんどありません(このあたりが、臨床心理やカウンセリングと一番違うところかもしれません)。”
こう著者は言っているが、実際のところは、臨床心理やカウンセリングでも「私の話を聞いてください」というのはなくて、「どうすれば語ってもらえるか」ということが課題点で、違いはないのではとも思った。
本書の中での著者の言葉で、刺さった表現がいくつかあった。一つは「必死で受動的になる」とか、「積極的に受動的になる」という言葉。主役は語り手というスタンスに徹していた。
そして聞き取りの際に著者は、語り手の語り始めやすい質問をなげかけ、それによって生まれる会話をこのように表現していた。
”一つの質問が次の言葉を生み、その言葉がまた次の質問を生む。生活史の語りは、ものすごく大雑把に言えば、質問と答の連鎖です。”
また、語り手の自由な語りを尊重していた。
”生活史の語りは、その自由さや豊かさに大きな価値があるのです。生活史の語りには脱線や誇張、曖昧さ、主観的なイメージや感情、思いもよらないような展開、大胆な比喩、語り手自身による強い意味付け、笑顔や涙が伴うのが普通です。そこには事実関係の間違いや明白な虚構さえ含まれているのです。こうした豊かな語りが聴けるかどうかは、語り手がどれくらい自由に、楽しく語ってくれるかにかかっています。”
この「生活史」づくりでの語り手、聞き手の在り方は、自分たちの日々の生活の中で重要な視点かもしれないなと感じた。例えば、家族に対して、積極的に受動的になれているか?とか、逆に家族が互いに自由に楽しく、時には虚構も交えて、語っているか?とか。 -
Posted by ブクログ
街外れで暮らすジャズベーシストの男と、場末の飲み屋で知り合った年上の女。大阪の街であてどない日々を送る男女の繊細で温かな会話から浮かび上がる人生を描いた作品。
読み始め、「」のない穏やかな大阪弁の会話文の中から、うら寂しい世界が浮かび上がってくる感じが素晴らしい。純文学ですね。絵画で言えば静物画、「何を描くか」ではなくて「どう描くか」が問われる世界。
しかし、ダイビングから始まった話が、年上の女性との恋愛、そして生業とするジャズへと流れて行き、そのコード進行が語られるあたりから、そうした知識の無い私はついて行けなくなりました。どこかとりとめもなく流れて行く話。やっぱり私としては「何を」を少しは整理して欲しいのです。
雰囲気は良いのだけれど、ちょっと間延びした感じでした。 -
Posted by ブクログ
一般の人々から、その人が体験したことについて、聞き取り、記録して、編集して論文や書籍に落とし込む、社会学の学術的な調査の実情を知ることができる本でした。
本書から得たものは、聞き手の在り方についての考察したところです。現場の対応としては、手土産やお礼は持っていくべきか?とか、何を持っていくのが相応しいのか?質問をするタイミング、話の腰を折ることになる懸念など聞き取りをする現場の疑問点が挙げられており、参考になります。あまり、聞き取り調査に参加することはありませんが、キャリアコンサルタントとしてや、職場の役職的に管理職であれば、人の話を聞く機会は常にあるわけです。さすがに手土産の心配は不要ですが、聞き手として注意するべきことで、学びがありました。 -
Posted by ブクログ
生活史を書くにはどうしたら良いか、後半は具体的なハウツー本となっている。これから質的研究をする人たちにはなくてはならない本として不動の地位をえるだろう。新書だしね。
オーラルヒストリーは、今までの歴史では掬い取れなかった普通の人々の人生を見せてくれ、それが軽く見られていた近代の歴史観を変えてくれた。アレクシェーヴィチがノーベル賞を取ったことで、この手法は不動のものとなったといえる。
だが、同時に、オーラルヒストリーはやはり難しくもある。岸さんはその辺りの困難さも含み込んだ上で、生活史を書いているということがよくわかる。
打越さんの名前がよく出てくる。積読の「ヤンキーと地元」読まなくては! -
Posted by ブクログ
岸政彦の「断片的なものの社会学」がとても好きで読んでみました。「断片的〜」の冒頭に出てくる、沖縄での生活史聞き取り調査の途中、取材者の犬が死んだ話が印象的で、この本にも出てきてます。「おとう犬が死んだ」と庭から聞こえる声に「おう」とだけ答えて、取材を続けたという話。行間にあるものを読み取ろうとする岸さんのスタンスがいいなぁと思う。ただ、この本は実践的な「生活史の方法」だったので、対象は思いっきり社会学専攻者。手みやげは何がいいか。レコーダーは何がいいか。徹底的に「方法」の話でした。岸さんのプロフェッショナリズムが伝わってくる。ただ、生活史そのものをぼくらは読むべき、な気もして、まだほとんど読んでない積ん読の「東京の生活史」をもう一回開きたくなりました。