あらすじ
生活史研究で知られ、大阪と沖縄、そして音楽に魅せられた社会学者が綴る、発見と内省、諧謔と哀切に満ちた日記。ウェブマガジン「考える人」の人気連載に、最愛の猫とのかけがえのない日々を書き下ろした「おはぎ日記」を併録。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
めっちゃいいな〜面白い人の日記楽しい〜
2018年の日記で今夏はすごく暑かったって書いてあって、2018年当時的には過去1なんだろうけど今からしたら絶対涼しいよな…と思ったら8月後半にもうだいぶ涼しいって書いてた
今は9月まで猛暑だし10月まで暑いもん
子供がいない生活ってずっとあんま変わらないんだろうな…
いてもいない時のことは分からんしいなくてもいる時のことは分からんし
猫を看取る話だった
最後は介護なんだなあ
うちは長時間家空けるし、そんな対応できないな私の仕事は…
岸さんの日記ずっと読んでたいな
Posted by ブクログ
全体的に軽妙な語り口で書かれていて、読みやすく面白かった。挿絵もかわいい。途中、脳みそ死んでんじゃないかってくらい適当な時もあるが、、
生活史を研究している人だけあって、「ディテール」が詳述されていて、印象に残る。特に、おはぎ日記でおはぎを看取るところが、詳述すぎて辛くなる。ウィルキンソンの箱に亡骸を入れたり、それを霊園に持っていくために地下鉄に乗っているときにこっそり中を見たり、火葬の時に般若心経のCDを流すか聞かれたり、そのいちいちがありありと浮かんできて、おはぎが亡くなった岸さんの生活に出会わされてしまった感がある。もう、こんな辛い別れが待ってるなら、猫飼えませんよ。
あと、学問の世界でやりくりしてて本まで出してんのに、「何やっても中途半端やからな」なんて思うんですね、と感じてしまった。自分のことを中学40年生、なんて書いているが、やっぱり大人に見える人でも、成功してそうな人でも、メンタリティは変わってないし、満足感は得られないんだろうか。
子供ができないことへの折り合いも印象的だった。子供がいると、「暦」が生活にできる、という言い回しが印象的だった。「いまこんな、学生や院生みたいな自由な暮らしをしているからといって、子どもができなかったということの折り合いがつくわけではない」という記述も印象的だった。
ほか、印象に残った言葉
「果てしなく不寛容に、完璧主義に、一切のミスを許さない社会になるほかないのだろうか。〜
「ほかの人に対して不公平になるから」という言葉は呪いの言葉だ。もう一つ、「何かあったときにどうやって責任をとるのですか」も、きわめて大きな効力を持つ呪いだ。」
「20人に聞いた生活史をそのまま載せているだけの報告書だけど、わりと本気で、これは「世界文学」だと思う。」
「ほかの領域と「学問」を分けるのは、対象ではなく方法だ。」
「カップラーメンの3分も人生も同じで、もし生きるのがつらかったら、わざと関係ないことをして、人生から気を逸らしたらいいよ。」
「ランボー、怒りのランボー」
Posted by ブクログ
よかった。すごくよかった。
やっぱり日記本は好きだなぁ…と思うし、それに類する当事者研究や生活史の本も好きだ。
かなりの乱読派として数年読書を続けてきたけど、ここ最近自分の好きな軸が見えてきたような気がして、すこし嬉しい。
岸政彦さんは社会学者。先日読んだ『早稲田古本劇場』の向井さんは古本屋。定期購読している『ウロマガ』のダ・ヴィンチ恐山さんはWEBライター。他にもいろんな職業の人の日記を読みたいなと思う。下北沢に日記の専門店があった記憶なので、またこんどそこを訪ねようと思う。
「おはぎ日記」は泣いた。本を読んで声を上げて泣くのは初めてだと思う。映画を見て音や映像の迫力に泣かされるようなことは結構多いほうなんだけど、それとはまた違って、しみいるように悲しくなった。
喪失感を誠実にことばで表す姿勢を尊敬する。
最近自分もとても大切な人を亡くした。
もう1ヶ月以上経つけど、いまだにSNSや写真を遡ったりすることがちょっとできない。本当に突然いなくなってしまったので、SNSの投稿も直近まで更新されていて、まだどこかにいるような気がする。でもいない。その落差が辛くて、思い出すことすらはばかられる。
思い出にフタをしていてもゆっくり記憶が薄れていくだけで、それはいやだと思う。
著者は日記でおはぎが弱っていく過程を詳細に記録していて、死に瀕している家族の写真を撮ったりしている。おはぎのことを忘れたくなくて、文字での記録を残そうとしている。死に向き合う姿勢がすごいと思う。
それとは別に、喪失の悲しみを分かち合える人がいてすごく羨ましいなと思った。
Posted by ブクログ
こういうことはあまり多くはないんだけど、「いつもなら絶対に寝ている時間帯(AM3〜4時)になぜか寝れずに起きている」って時に、ひとりぼっちで岸先生の本を読みます。なんだろう、ふと自分の人生のことを考えてしまうからでしょうか。
「にがにが」ではありつつも、おでんのおだしのような本でした。後半は読んでいて堪らない気持ちになり、家を飛び出して開店前のコメダ珈琲に並んだりして。
Posted by ブクログ
著者のことを知ったのは2015年、『断片的なものの社会学』の頃。以来Twitterでもフォローしていたから本書の内容はほとんどリアルタイムで読んで、いろいろ知っているのに何度も大笑いしつつ、最後は嗚咽するほど泣きながら読んでしまった。『大阪の生活史』できましたね!まだまだ先になりそうだけど読むのを楽しみにしています。
Posted by ブクログ
にがにが日記は、ハッと気付かされたり、気付かされたりすることもあったが、対で向かいあう(読み進める)ことがむずかしい。恐らく、連載のペースで読むのが本当にいい匙加減だったのだろうと思う。
おはぎ日記は、生々しい記憶が呼び起こされたけど、命の煌めきや心配する気持ち、生を強く感じられる話であった。読み進めて悲しいけど、読めて良かったと思う。
Posted by ブクログ
岸政彦の本は結構読んでて、特に「断片的なものの社会学」に感銘を受けたのだ
社会は街の人ひとりひとりによって成り立っているんだなぁという実感というか。
で、この本は岸政彦の日記なのだが、面白い。日記本でこんなに面白かったのは初めてだ。植本一子でもここまではなかった。
それは、岸政彦の本が好きだったからだろう。
この人こんな風に考えて生きてんのか、と笑
尊敬する人の頭の中を覗いてる感覚
おはぎ日記は泣いた。
Posted by ブクログ
「自分のエクストリームな体験や当事者性やアイデアで書けるのは一冊だけ。あとは『型』と『練習』。音楽でも文章でも学問でも同じ」(p.49)
すきな作家はいつも、同じことを違う言葉で書く。それが彼らの「型」なのだ。
電車が停まったとき、誰か亡くなったのかなと思える感性をうしなわずいたい、と綴る筆致はやわらか。一方で、「生きづらさをなくそう」「居場所をつくろう」といったふよんふよんした言説には一つ線を引く。わたしが引かれた哲学も確か、じゃなくて、殴ったら殺されそう(殺せそう)な煉瓦みたいな硬質な思想であった。
白眉は書き下ろしの「おはぎ日記」。実家の犬の最期も不思議だった。家族がそろえる日を選ぶかのように旅立った。雨の日だった。身体の自由がきかなくても、トイレに向かおうとした。ちいさくひとつ鳴いた。さよなら、というみたいに。あちこちに、いまもあの子の思い出が宿る。でもあの子はいない。筆者の愛犬の写真を見て、あの子の写真を見て、笑顔になって、すこし泣く。